記憶違いの従者

元森

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 ある東のある国の、大きな町のところに、とても大きなお屋敷がありました。

 そのお屋敷は、その国の巨大な力を持った貴族の家です。その家には、もうすぐで当主になるリチャードという、金髪でそれはもう見目麗しい男がおりました。

 リチャードは、ある従者を雇っています。

 その従者は、リカドという、黒髪の赤目で背の大きな男です。リカドは、リチャードに忠実な従者で、どんなお願いも出来る限りやってくれます。

 リチャードはある秘密を持っています。

 その従者に片思いをしていたのです。決して敵うはずもない、身分違いと、性別の壁がありリチャードは深く悲しみ、そのことをひた隠して毎日を生きていました。

 そうして、何十年がたちリチャードは26歳、リカドは27歳になりました。

 やがて、ある日リチャードのもとに婚約という話がまいこんで来ました。

 はたして彼らは、どんな結末を迎えるのでしょうか。

 


...1 

 

 リチャードは、イライラしていた。

 仕方がないので、メイドのメリーに大声で呼びかけた。

「メリー、あの愚図はどこいった」

 呼びかけられたメリーは、廊下で立ち止まり、この家の当主になるであろうリチャードと目をあわせる。新人のメイドであるメリーは、まだこの家に来てから日が浅く、大きな屋敷に四苦八苦していたところだったのだ。

 ここケリー家は、この国で知らぬものはいない大貴族だ。

 政治にも関わってくる、大きな家で、その屋敷は馬鹿みたいにでかく所狭しと煌びやかに飾ってある。

 シャンデリアはいたるところにあり、飾られた絵は、有名な画家が描いた絵だ。

 そんな貴族の家で働くことになったメリーは、まだ慣れていなく、ましてや当主の長男で息子であるリチャードに話しかけられたこともなかった。

 彼女は、リチャードのイラついた顔にドキッとした。

 話しかけられた緊張と、そのリチャードの容姿で心臓の心拍数があがったのだ。

 彼の容姿は、絹のような繊細な金髪の髪の毛に、堀の深い顔立ち。普通の人より白い肌。薄い唇に、なにより切れ長の碧い二つの目。まつげも長く、もちろんスタイルもとびきりにいい。

 もっといえば、今が怒りに満ちた顔でなかったらすばらしかったであろう。

 甘いマスクと、いいようのない圧迫感にメリーは顔を赤くさせながら口を動かす。

「えっ…と。愚図…とは?」

「あぁ、メリーはまだ入って短かったな。リカドだ。黒髪の、大男。知らないか?」

 メリーは、あぁ!と思い出したようで、すぐに答えを出してくれた。

「リカドさんは、調べ物があるといって倉庫にいきました」

「ふっ、そうか。すぐに呼び戻して来い」

「かしこまりました」

 メリーは、一礼してすぐに走っていった。

 それを見届けたリチャードは、ため息をつき、自室に戻り席に座って踏ん反り返っていた。

 ものの1分ほどで、部屋にノックの音が鳴り響いた。

「失礼します。リチャード様」

 自分とは違う、低く落ち着いた声にリチャードはどきりとする。それを押さえ、冷たい声を引き出した。

「遅い。入れ」

 礼儀正しく、ドアから現れたのは、リチャードが従えている男のリカドだった。リカドは、背が大きい大男で、髪は黒髪で赤目の落ち着いた風貌の持ち主だった。落ち着いた風貌といっても、顔は整っている。透き通った瞳でこちらを見てくると、たまらなくなる。

「リカド、お前は何度言ったら分かるんだ。私は起きたら紅茶が欲しいんだ。早く入れろ」

「申し訳ございません。今すぐ用意いたします」

 一礼して、リカドはすばやい手つきで紅茶を用意する。

 リチャードの好きな銘柄をすぐに選び、温度も的確に入れる。

「どうぞ」

 やさしい手つきで目の前に出された茶を、リチャードは目を細めて見た。

 ごくり、と呑むと紅茶の味が広がる。それを、一口二口呑むとリチャードはそのカップをリカドに投げつけた。

「まずい。質が落ちたな。減給だ」

 投げつけたカップが、リカドの服にあたり、その残りの茶がシャツにしみている。

 そして、カップが割れた音がした。

 リカドは怒るわけでも、驚くわけでもなく、無表情のままカップを片付け始めた。

「申し訳ございません。リチャード様」

「その誠意を見せてみろ」

 リチャードは冷たく言った。リカドは、片付ける手を止めずに目の前の主人に問いかける。

「誠意、とは?」

「そのまずい茶を出した罰だ。床でも舐めて、汚した床を綺麗にするんだな」

「かしこまりました」

 リカドは、理不尽な罰をとがめるそぶりを一切せずに、カップの破片がまだのこっている紅茶で濡れた床を舐め始めた。リチャードは、その様子を見て眉を顰めた。紅茶がまずかったわけじゃない。むしろ、美味しかった。

「早く舐めろ。私には仕事があるんだ」

「はい」

 また、冷たくいって、リチャードは眉をしかめた。

 リカドは、リチャードの言うとおりに早く舌を動かして床を舐めている。よく顔を見ると、破片で顔から血が出ていた。

 それを見て、リチャードは心が冷えるのを感じていた。

 私は、いったい何をしているのだろう――…。

 こうやって、何にも悪くないリカドの尊厳を傷つけるようなことをやっている自分に嫌気がさした。だが、こうでもしないと、自分と彼が従者と主人であることを忘れて愛を囁いてしまいそうで辛いのだ。

 リチャードと、リカドが会ったのはお互いが幼い頃だった。

 父に、遊び相手だと紹介され、仲良くしなさいといわれた。

 初めて会ったとき、リチャードはリカドの赤い目と黒髪に目を奪われた。この国では見られない、容姿だったからだった。父がいなくなり、二人きりでリチャードの部屋で遊んでいたときに、酷いことをリチャードはリカドに吐き捨てた。

 ――「お前の顔は変だ」と。

 リカドは驚いた様子だったが、リチャードに怒るでもなく、「そうだね」といった。

 彼は昔から、心の広い、優しい人だった。

 ――「どうしてそんな顔で生まれたのか」と聞くと、彼は「母親からの遺伝だよ」と笑った。

 のちに、父から、リカドの家の母親は違う国の女だと聞いた。いやしい身分の、女だと。だけど、恐ろしいほど美しい女だったと。

 リカドは、しばらくの間、リチャードと一緒に遊んでいた。あくまで、友人としての立場で。

 だが、それはあっけなく終わった。

 リチャードが10歳になったころ、父からまたリカドを紹介された。今度は、「従者のリカド」として。リチャードは反発したが、リカドはいたって冷静で、はじめに会ったときからこのことを知っていたみたいだった。

 父は、今度からお前たちは主人と従者だといった。

 もともと、リカドの家は昔から、リチャードの家の従者として代々従えていたらしい。リカドは、その家の息子。その息子が、その家の当主の息子に従うのは至極当然のことだった。


 そうして、あっけなく、リカドとリチャードの関係は従者と主人の関係となった。

 リチャードは、リカドを友人として扱おうとしたが、父からそれは駄目だと諭された。

 リカドとリチャードの身分は、天と地の差がある。だから、リチャード――お前はリカドを友人としてみてはいけない。そして、リカドはお前を主人とし、お前のことならなんでも従う犬になったのだ。

 そういわれた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 この国では、身分制度が残り、奴隷も王族もいた。身分は絶対だと、リチャードは教えられてきた。

 父は、優しく接しようとするリチャードを叱った。ケリー家の当主になるであろうお前が、そんな甘ったれた男になるな、と。この家の権力は、すべて父にあった。従わなかったら、どんなことをされるか分からない。

 内心ごめん、と何度も謝りながら、リチャードはリカドをこき使った。こんな関係になるとは思わなかった、と毎晩泣き続けた。

 父は、リチャードの従者への態度に安心し、叱ることもなくなった。

 毎日毎日、罵声をあびせ、酷い扱いをしてもリカドは泣き言もいわなかった。それが、自分の立場だと悟ったような態度に、リチャードは悲しくなる。どんな酷いことをやっても、リカドはリチャードの命令は絶対だと、従い続ける。それが、かなしかった。

 リチャードは、リカドのそばにいるうちに、自分の思いに気づいてしまった。

 リカドに、私の靴を舐めろと命令し、従っているリカドに無性に興奮した。

 この気持ちはなんだろう、と考える間もなく、リカドのことが頭に浮かぶ。

 もしや、と嫌な予感がし、リカドを思い出しながら自慰をしたら、とてつもない快楽の波が押し寄せすぐに達せられた。

 そのとき、リチャードは気づいた。自分はリカドという男に恋しているのだと。

 気づいたとき、リチャードは17歳だった。そのころ、もう彼は女や男も手玉にしていたのだ。そのころには、リカド以外では興奮しないほど、恋焦がれていた。

 リチャードは、瞬間にして笑い出した。なんて、あっけない恋なんだろう。

 リカドにしてみれば、迷惑な話だ。こんな自分を雇い、虐げられている男に、気持ちを向けられているなんて。男同士だし、従者と主人の関係だし、タブーがてんこもりだ。それに、リカドはきっとリチャードを嫌っている。

 顔に出してないだけで、酷いことばかりしているとき、きっと彼はリチャードに対しての罵り言葉を吐いていることだろう。

 リチャードは、これは自分の罪だと感じた。

 人を踏みにじり、軽く扱った罰だ。

 自分のしたことは、結局は自分に帰ってくる。いいことも、悪いことも。

 そうして、リチャードはこの恋を隠すことに決めた。隠すしかないじゃないか、と自嘲気味に笑う。

「リチャード様、終わりました」

 床を舐め終えた、リカドがまっすぐにリチャードの目を射抜く。彼の目には、透き通ったものが感じれて、見詰められると何もかも知られてしまいそうで怖い。床を見ると、破片もどこか片付けられ、床も綺麗になっていた。

 リカドの早さには、驚くしかない。

「ふん、生意気な。その目が気に入らない」

 そうだ。気に入らない。ずっと、目で追ってしまって、自分じゃなくなってしまいそうだ。

「……」

「まあいい。お前とはすぐに別れるんだからな」

「マーガレットさまと、婚約されるんですよね」

「そうだ。あっちが承諾すれば、婚約する」

 リカドの表情は、俯いていて見えない。だが、きっと離れるから嬉しいとほくそ笑んでいるだろう。

 リチャードに結婚の話がやってきた。もう26だし、当然のことだろう。前々からあったが、先延ばしにしてきた。結婚したら、リカドとはもう会えないし、恋もその瞬間終わるのだから。

 マーガレットという女は、ケリー家と並ぶぐらいな大貴族の娘で、リチャードの相手には不足はない。一回顔を見たが、美人で、礼儀正しい娘だ。彼女は、結婚を嫌がっているそうだから、どうなるかは分からないが、政略結婚だ。きっと8割がた、決まりだろう。

 リチャードが結婚を決めたのは、もう限界だったから。

 リカドとすごすのは嬉しいが、リカドを虐げる自分を見せるのも、敵うはずもない恋をするのも限界だった。

 やがて来るだろうリカドの結婚を見るのも、身を裂かれるような思いがする。

 もう、終わりだ。この恋は。

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