我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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光蓮寺和己編

妖の集う館

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「——って、ええええ!?」

唯の目の前にいた少年が、一瞬で姿を変えた。
目付きの悪い学生が、瞬きをした瞬間に着物を着た美少年に変貌する。
(どっ、どど、どうゆうこと!?)
慌てふためく唯に、少年ははあとため息を漏らす。

「うっせえぞ、てめぇ。人の妖化がそんなに気に入らねぇのかよ、あ?」

ギロりと刃物のような瞳で睨み付ける少年からは、殺気を感じる。
驚きと動揺で腰が抜けた唯は、その場に座り込んだまま目の前の光景を疑う。
現実か、はたまた夢か。
自分の前に神々しく立つこの人は、本当に人なのか。
唯は何も理解出来ないまま、ただ混乱していた。
と、言うか今変な言葉を聞いたような気がする。

……『妖化』?

ようか?酔うか?お酒なんて呑んでないし......。
それとも洋画って言ったのだろうか。確かに絵画のように美しいけれど......。
意を決した唯は、恐る恐る少年に尋ねてみる事にした。
(もう、殺されたらその時だ!)
「あの……」
「あ?」
刺さるような鋭い眼光に、唯は飛び跳ねる。
さっきから冷や汗が止まらない。
「あの、妖化ってなんですか……?」
「は?てめぇ、ふざけてんのか?」
唯の足がガクガクと震える。本当に同世代の人間なのだろうか。
いや、人間にしては九つある尻尾も、そのケモ耳も不自然だ。
「ふ、ふざけてないです……!っていうか、どうしてそんな姿に?何かの手品ですか?」
手品にしては、急なお披露目だ。それに文字通り種も仕掛けも無い。
急に、突然、唐突に、この人は姿を変えたのだから。
唯の言葉に、嘘も偽りも無いと悟った少年は、それまでの殺気を抑える。

「——てめぇ、本気で言ってやがるのか?」

(本気?何を?)
唯はなんの事やらと、首を傾げる。あんぐりと口を開けたまま、少年を見つめる唯。
そんな唯の姿に、少年は彼女が嘘をついていない事を悟った。
「まじかよ……てめぇ……。」
少年は再び怒りを顕にした。それもさっきより眉間にしわを寄せて。
心臓を突き刺すような視線に、唯はぴくりと肩を動かす。
(な、何……!?私悪い事でもしたのかな……!?)
ビクビクと捨てられた子犬のように震える唯を見て、少年は深くため息を漏らす。途端、
「来い!」
少年は唯の手首を掴み、階段を降りていく。
「えっ?ええ!?」
強引に引っ張られる唯は、もう何が何だか分からない。
ただ、目の前にいる少年の気分を害してしまった事だけは唯の頭でも理解出来た。
唯の手首を掴んだまま、少年は一階に降りて廊下を歩く。
ずんずんと、迷いなく進んで行き、襖を開けた。

「——おい、治!こりゃあどういう事だ!」

夕飯のおかずをテーブルに並べていた治は、少年の大声に振り返る。
(わあ、治さんのエプロン姿だ!)
和服にエプロンも、とてもよく似合っているな、なんて考えながら唯は少年の背中から顔を出す。
「おや、唯くんでは無いか。どうしたんだ、和己。」
にこやかに笑いかけてくれる治につられて、唯も笑顔で会釈する。
そんな二人とは裏腹に、顔を真っ赤にした少年は治に向かって、でかでかと叫んだ。

「——こいつ、ただの人間だぞ!?」


‎✿  ‎

ここで昔話を挟もうか。

その昔、人々から恐れられる存在がいた。
人々はそのもの達も纏めて『妖怪』あるいは『妖』と呼称するようになる。
妖達は人の世に生きながら、けれど決して人とは交わらない存在だった。
人々から恐れられ、忌み嫌われていた妖であったが、その力は時代と共に失われていく。
そして、人々は妖の存在を忘れ去ろうとしていたある時、妖は願った。

——このまま消えたくはない。

妖は決めた。
いっその事、人の中に混じって生きていけばいい。
そうすれば、平穏に生きる事が出来る。
けれど人の世には決して逃れる事の出来ない『寿命』というものがあった。
そこで再び妖は考えた。

——我々も人と同じく寿命を設けよう。

人と同じように生き、そして死んでいこう。
そして次の世に我々の力を託せばいい。
そうすれば妖としての我々は消える事無く、人の世界で生きていける。
そうして妖は変わっていった。

現代において、妖は殆ど人とは変わらぬ生活を送っている。
その中で、一時だけ妖としての力が目覚める時がある。
それは——月の出ている間のみ、妖になってしまうというもの。
だから絶対に、人々に知られてはいけない。
我々が妖である事。そして……。


「——つまり、この高天原荘に住む生徒達はほぼ全員が妖なんだ!」

唯の目の前には治と先程の少年が座っていた。
テーブルの上に置かれたおかず達のいい香りが鼻をくすぐる。
「妖、ですか……?」
治は唯に説明してくれた。
けれど、唯はその内容を上手く消化出来ていない。
「そう。とは言っても月が出ている間限定ね。昼間は殆ど人間そのものだよ。」
治の話をようやくすると。

この高天原荘は、妖専用の学園寮。
妖とは言っても、日中は唯や他の人間達と特に変わらない。
ただ、月が出ている間だけは、妖としての力が活性化してしまい、姿が変わってしまう者も少なくないのだという。

非現実的な話に、唯は段々と目眩がしてきた。
とは言っても、それを信じないはずもなく。
現にこうして、少年の姿が九つの尻尾を持つ者へと変わっているのだから。
(本当に妖なんだ……。)
けれど、やはり妖や妖怪なんて、本の中だけだと思っていたから、少しだけ戸惑う。
それに、唯にはもう一つ気がかりな事があった。

「——あの、どうして私はこの寮に入れたのでしょうか?」

妖専用だと言うのなら、そんな寮に唯が居ることはやはり、おかしな話だ。
雨宮唯という存在は、真っ当な人間なのだから。
治は、うーん、と何かを考えた後に答えを導く。

「そもそも、この高天原荘を見つけられた事自体が不思議なんだよ。高天原荘は結界に覆われていて、普通の人間が見つけることは出来ない。だから人間の生徒は皆、ここの近くにあるおんぼろの寮に入るんだよ。」

確かに、唯も最初はこの大きな旅館のような建物が学園寮だと信じられ無かった。
玄関や門にも『高天原荘』とは書かれていない。
なら、唯はどうしてここを見つけることが出来たのだろう。

「——多分、唯くんは元から霊能力とか、妖を見る力とかが強いのかもしれないね。そういう子達は大抵、陰陽師だったりするんだけれど......。書類を見た限りだと唯ちゃんは普通の人間らしいしね。ごく稀にいるんだよ、そういう子も。」

自分にそんな力があるだなんて、唯は考えた事も無かった。
だからかもしれない。あまり現実味が無いというか、ピンと来ないのは。
どこか腑に落ちない様子の唯に、治は優しく笑いかけてくれた。
「まあ、なんにせよ唯くんはもうこの寮の一員だからね。これからもこの寮で暮らしてもらう事になると思うよ。何か心配な事があったら、俺に言うといいよ。」
「……!ありがとうございます!」
治の言葉に、唯はパッと表情を明るくした。
正直、唯は少しだけ不安だった。
もしかしたら自分はここに居てはいけないのかもしれない。
せっかく始まった寮生活。望んでいたこの生活が、叶わないのではないかと。
だから……。
(私、ここの寮にいてもいいんだ。)
そう教えて貰えただけで、唯の心はポカポカと暖かくなっていった。

「それじゃあ私、この料理温め直して来ます!」

治達との話の間に、色とりどりの夕食達は随分と冷えきってしまっていた。
テーブルに置かれた皿を持ち上げて、台所に駆け込む唯の背中を見送った治は、少年に話しかけた。
「和己。君はこれから彼女を守ってあげなさい。」
「——は!?なんで俺が……!」
「和己。」
治の声が急に冷たくなる。二人の空気が張り詰めて重くなっていた。
少年が顔を上げると、治の冷徹な視線が突き刺さる。

「あの子は人間だ。『同じ轍』は踏みたくないだろ?」

その言葉に、少年はそれまでの威勢を無くす。
治の放った言葉の意味を、少年が一番良く理解していた。
それは、忘れたくても忘れられない記憶。
心よりも、脳よりも深く刻まれた、消えない傷跡。

「——俺は、俺はそれでも、『あいつ』以外に心を許すつもりは無い。」

言い捨てるように、少年は立ち上がった。
唯が向かっていった台所へと足を伸ばす。
少年が台所に行くと、そこにはレンジの中を楽しそうに覗いている唯の姿があった。
「美味しそう、お腹すいちゃうなぁ……。」
「食い意地の張ってる女だな。」
「わっ!?」
唯が振り返ると、そこには少年の姿があった。
台所の狭い空間で、九つの尻尾が窮屈そうにしなる。
「びっくりした……!えっと、和己くん?」
その瞬間、少年の顔は不機嫌そうに顰める。
その様子に、唯は急いで「治さんがそう呼んでたから」と補足した。
(そういえば、名前なんていうのかな?)
そんな唯の疑問はすぐに解決した。
少年は唯に尻尾を向け、気だるそうに口を開く。
「皿の置いてある場所知らないだろ。」
「あ、うん!ありがとう……えっと」
「光蓮寺だ。光蓮寺和己。お前と同じ一年だ。」
初めて彼の声をきちんと聞いたような気がする。
顔立ちが整っているから、てっきり年上だと思っていた唯にとって、同級生だったという事実には驚いた。
けれどそれ以上に、自分から声をかけてくれたことが唯には一番嬉しい事。

「ありがとう、光蓮寺くん!」

光蓮寺和己。
この春から私立条院学園に通う高校一年生。
和己の秘密、『九尾であること』。
そして、唯の初めての友達……になるかは分からないけれど。
唯が初めての友達になりたいなと思った人物。

「じゃあ、温め終わったし、また運ばなくちゃ……って熱っ!!」

チンと温まった合図と共に唯はレンジから耐熱皿を取り出す。
その上で輝くお肉からは、食欲を掻き立てる湯気がもくもくと上がっていた。
予想よりも熱くなっていた皿を素手で持っていた唯は、その熱さに思わず手を離してしまう。
しまった、とそう悟った唯は次に聞こえてくるであろう衝撃音に恐れて目を固く閉ざした。
その瞬間、唯の背後に人の気配を感じる。

「——ふぅ......。危なかった。」

地面に粉々になって割れていると思っていた皿は、唯の目の前にあった。
けれどその皿を持っている手は唯のものでは無い。
どういう事かさっぱり分からない唯は、先程の声を思い出した。
あれは確かに男の人の声。けれど......。
(でも、さっきの声光蓮寺くんじゃない……?)
その手を遡って見ると、そこに居たのは赤い髪の男の子。
綺麗な鼻筋がとても美しい男の子は、唯に笑顔を向けた。

「——やあ、君、怪我はない?」

そう、ここは妖専用の寮。
なら、目の前にいるこの赤髪に茶色の瞳を持つ彼もまた……。

「——妖、さん?」
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