我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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光蓮寺和己編

君の匂いと温もり

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ガラリと玄関を開けると、肌寒い風が吹き抜けた。
月は顔を出し、和己の容姿は妖の姿へと変貌する。
治に見送られた唯達は、薄暗い闇の中を歩いていた。

外はまだ肌寒く、学園のブレザーだけでは手先が震える。
空を見上げれば、そこには満月とも半月ともとれない歪な月が浮かんでいた。
唯は和己、ミツル、帆影の三人と共に夜の街へ足を向けた。
四人の間に会話と呼べる会話は殆ど無く、夜の静寂が空気を包んでいた。
治がいないだけで、こんなにも空気がどんよりしているのかと、唯は心の中で思う。
(き、気まずいなぁ……。)
ふと天を仰ぐと、沢山の星達が唯の視界を埋めつくした。
ここは都会だと言うのに、星がはっきりと見える。
唯にとってはそれだけで、心が踊った。
思えば、こんな風に夜空を見上げることは滅多に無い。
学校から帰れば、家の中に閉じこもってしまうので、唯からしてみれば新鮮な事だった。
夜の街は、昼間とは味が違う。
吸い込めば少し苦味は残るけれど、胸の中に届く頃にはしっとりと落ち着いた味だ。
(何だか、大人の時間って感じで少しドキドキする。)
そして、その時間は大人の時間でもあり……。

——妖の時間でもある。

ミツルと帆影の背中に引っ付くように歩いていた唯は、行先も分かっていない。
妖怪退治と一言に言っても、その方法や手順すらも唯は理解していなかった。
治の言っていた通り、今の唯は完全に付き添っているだけ。
正面に見えるミツルと帆影の背中が頼もしい一方で、何も出来ない自分に劣等感にも似た感情を抱いた。
ただ無作為に、行き当たりばったりで歩いているのかとも思ったが、ミツル達の足取りはしっかりしていた。
街の中心部、一番栄えている場所の周りをなぞるように歩いている。
すぐ隣からは沢山の灯りや笑い声が絶え間なく響いているのに、唯達の目の前は驚く程に静かだった。
(ちょっと離れているだけなのに、こんなに違うんだ。)
静かというか、大人しいと言うか。言い換えるのなら、そう。

——何だか寂しい。

スポットライトの当たらない、暗闇の中。
舞台ならば、客席は見向きもしないだろう。
ここは、そんな通りだ。
そんな事を考えながら歩いていると、前方を歩いていたミツルと帆影がピタリと止まる。

「——帆影。」

ミツル達の背中から漂う空気は、先程より一層冷たさを増す。
「うん。感じるよね、妖力。」
二人の暗い声色に、唯の顔もこわばる。
唯の隣を歩いていた和己は、いつもと変わらず不機嫌そうな顔をしていた。
長いまつ毛が、和己の瞳に影を落とす。
「ここから少し離れた所からだね。でも地上じゃなさそうだ。」
「んー、それなら多分……あのビルかな。」
帆影が指を指したのは、小さなビルだった。
街の中心部よりも更に離れたところで、闇の中に溶け込むようにして、そのビルは立っている。
周りには他に高い建物は無く、小さくても存在感を放っていた。
先程までよりも暗く凍りつくような空気に、唯は少しだけ足がすくむ。
そんな唯を気遣う様に、ミツルはくるりと振り返って様子を伺った。
「雨宮さん、少し急ぐけれど着いてこられる?」
「は、はい!大丈夫です!」
唯に声をかけてくれたミツルはいつものように優しかったけれど、緊張感の混じった声だった。
どきん、と心臓を鳴らしながら唯は首を縦に下ろす。
「よし。——それじゃあ行こう。」

ミツルの声を合図に、四人はビルの方角へと走って行った。
(さっきから心臓の音が聞こえてくる……)
それが全力疾走で走っているからなのか。それともこの先に待つ見た事のない景色に緊張しているからなのか。
どちらにしても、今のうちに覚悟を決めなくては行けない。

——これから始まるのは、唯の知らない裏の世界の話だということを。

十分足らずで、ビルの屋上に上がった唯達。
吹き抜ける風は普段よりも冷たくて、肌がピリッと痛む。
上を見上げれば、さっきよりも大きな月が闇の中で輝いていた。
張り詰めた空気に、唯の肩も固まる。
「いたよ、あそこだ。」
ミツルが真っ直ぐ指を指した先に、真っ黒な人影が禍々しく揺らめいていた。
それが人ではないと、唯は悟る。
その人影が纏う空気は息が詰まりそうな程に寒くて、泣きたくなるほど悲しくて。
何よりも、普通の人間には持たざるものがじわじわと唯を包み込んでいく。

(これは……殺意?)

目の前にいる、得体も知れない者に唯が怖気付いていると、その恐怖を大きな背中が遮った。

「現時刻を持って、妖怪退治を始める!」

先頭を引っ張っていたミツルは高らかに告げ、宙に手をかざす。
その言葉に唯は目を丸くさせ、固唾を呑んだ。
そして唯が瞬きをしたその瞬間、世界はまた色を変えた。

真っ赤な天狗のお面を被り、先程までの学ランでは無く和装に身を包んだ少年。
ローファーだったはずの靴はいつの間にか草履に変わっていた。
唯の視界がチカチカと光り出す。

「雨宮さんには初めて見せるね。……これが僕の妖の姿だよ。」

小鳥遊ミツルの妖としての姿。——天狗の姿。
唯の目の前には天狗のミツルと、九尾の和己の姿が映っていた。
この二人を見ているだけで、異世界に迷い込んたような錯覚に陥る。
でも。これはやっぱり現実で。
(だって……さっきからずっと胸がドキドキしてる。)
自分の胸元を強く握りしめた唯は、大きな瞳でその先に広がる世界を見つめていた。
月光に照らされた和己とミツルは、人影に正面を向けた。

「いくよ、和己。」

「ああ、任せろ。」

二人の後ろ姿は、昼間よりも大きく見えた。
さっきから怖くて、恐ろしくて、震えが止まらない。今すぐにでも逃げてしまいたい。それなのに……どうしてだか、目を離せない。
「唯ちゃん。ここは危ないから少し離れてよっか。」
隣で和己達を見守っていた帆影は唯の肩を軽く叩いた。
確かに、この場に留まっていては和己達の仕事を邪魔するだけだ。
帆影の指示に従うように、唯は屋上に置いてあった換気扇の裏に隠れた。
帆影と共にひょこっと顔を覗かせながら、二人の様子を伺う。
和己もミツルも日本刀を取り出し、人影に向かって構えた。
その刀が存在するには不釣り合いな現代に現れた日本刀は、異彩を放つ。

「——いくよ!」

ミツルの声を皮切りに、二人は足を踏み出す。
ミツルの振りかざした刀を避けた人影に、和己が後ろから切りつける。
阿吽の呼吸というのはこういうものなのだろう。
言葉が無くても意思疎通が通るというのは、見ていて圧巻だ。
和己もミツルも真剣に戦っているのに、見ている唯からはその姿は踊り子のようにも見えた。
銀色の月明かりの下刀を手に持ち、舞う様に戦う姿は優美だった。
(す、すごい……一瞬で倒しちゃうなんて!)
瞬きをする事も惜しいくらいに、しなやかな動きで人影を切り裂いたミツルと和己。
二人のその圧巻な働きに、唯は興奮していた。
「和己。」
「ああ。」
ミツルに声をかけられた和己は、切り裂いた人影に近付いた。
後ろから覗く唯には和己の背中で全てが隠れ、彼が何を成そうとしているのか分からない。

人影に近付いた和己は、刀を鞘に戻してその手を人影に伸ばす。
「爆ぜろ。」
そう一言呟くと、和己の手から青色の炎が現れた。
青い炎は轟轟と人影を焼き尽くしていく。
(な、何、あれ!?)
唯の視界からだと、それは人影が和己を襲うために火を操っているように見える。
真っ白な和己の和服が青い炎に照らされて、おぞましく輝く。
唯はその状況を把握するよりも先に足が動いていた。
「ちょっ、唯ちゃん!?」
隣に座っていた帆影の声を置き去りにして、唯は真っ直ぐ手を伸ばす。
和己が炎に襲われていると勘違いした唯は、咄嗟に和己に駆け寄った。

「光蓮寺くん!」

唯の声に振り返った和己は、一瞬驚き、そして何かを悟る。
その時の彼が瞳に写した景色がどんなものが分からないけれど、唯に向けた視線はいつもより熱を帯びていた。

「——来るな!!!!」

和己の大きな声が、夜空に響き渡った刹那。
それまで暗闇だった空は青く光り輝く。
目の前に広がった光景に、唯は瞳孔を動かした。
「……和己!!!」
和己の声に木霊するように炎はメラメラと、燃え広がっていく。
ミツルの声が聞こえた瞬間には、和己は自らの炎に包まれていた。
パチパチと火花を散らす音がミツルの耳に響く。

「光蓮寺くん!!」
和己に駆け寄ろうとする唯の手首を掴んだミツルは、彼女に向かって忠告する。
「ダメだ、雨宮さん!」
耳元でそう叫ぶミツルの声も小さく聞こえる程に、唯は動揺していた。
上手く思考も回らないまま、身体中の血液が沸騰したように熱くなっていく。
(このままじゃ、光蓮寺くんが焼かれちゃう……!)
煙を上げて、その威力を増していく炎を見た唯は焦りを見せる。
「小鳥遊さん、光蓮寺くんが……光蓮寺くんが……!」
涙目になりながら、ミツルに訴える唯。
そんな唯の姿に、ミツルは先程までの熱が冷めていくのを感じた。
(僕まで頭に血が上ったら、この場はもっと混乱する。雨宮さんを落ち着かせる為にも、僕がちゃんとしなくちゃ。)
ふぅ、と深く息を吐いたミツルは、ゆっくりと唯の目を見詰めた。
その瞳はいつもの冷静さを取り戻している。
「落ち着いて、雨宮さん。雨宮さんが行ったら、君まで燃えてしまう。」
「で、でも……!それじゃあ、光蓮寺くんは!?」
「助からないわけじゃない……これは、ある意味和己の戦いだから。」
その声は切なさの混じった声だった。目を細め、俯くミツルに、唯の心臓はドキンと脈打つ。
「——どういう事ですか?」
ミツルの言葉に、唯は疑問を呈する。
(戦いって……?)
唯の問いかけに、口を開く事を躊躇するミツル。
ミツルの代弁をするように、帆影が唯の元に近づいてきた。

「——俺やミツル、それから治とかは、妖としての力である、妖力を自分で抑えることが出来る。妖力を操る事はこの先の人生を生きていく上で大切な事。」

振り返るミツルと唯は、帆影を見詰めた。
こんな時でもにやりと笑みを絶やさない帆影はそのまま話を続ける。
「今、和己の妖力は暴走しているけれど、それを制する事が出来るなら、和己は一つ進化する。妖力を操る上で一番大切な事は精神を保つ事。今の和己にそれが出来るかどうか……。」
「——もし、出来なかったら?」
唯はごくりと固唾をのみ、帆影に答えを促す。
炎の明かりで、帆影の肌は青く染まる。

「——このまま、自分の妖力に殺されて……死ぬ。」
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