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柊帆影編
背後に迫る悪意
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四月下旬。
葉っぱは鮮やかな緑色に染まり、陽の光は少しずつ暖かくなっていく。
段々とこの台所に立つ事にも慣れ、菜箸を持つ感覚も馴染んできた。
台所の扉がガラガラと開く音に反応した唯がくるりと振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
「——あ、おはよう光蓮寺くん!」
ぱっと輝く朝日のような笑顔で挨拶をした唯に、和己も一拍遅れて挨拶を返す。
「……はよ。」
誰かに挨拶をする事に、未だ慣れない和己はぎこちない動きで唯に背を向ける。
気恥しさが残りながらも、ちゃんと言葉を返してくれた事が嬉しくて唯の頬が緩んだ。
制服にエプロンをまとった唯は、手際良く朝食の準備を進める。
「光蓮寺くん、パンとご飯どっちにする?」
「白米。」
「分かった!すぐ持っていくね!」
おう、と軽く返事をした和己はそのまま隣の大広間に向かっていった。
唯はふんふんと鼻歌混じりで、おかずを盛り付け始める。最後に炊飯器から炊きたてのご飯を掬い、茶碗いっぱいに入れた。
「出来た~!」
大広間で胡座をかく和己に、唯は朝食を持っていく。
お盆に置かれた様々な料理達が、照明に照らされてきらりと輝いた。
「光蓮寺くん、出来たよ~!はい、召し上がれ!」
もくもくと、暖かな湯気が立ち上る白米に、味噌汁。
卵焼きは砂糖が多めの甘いもの。焼き鮭は塩味が絶妙にきいていて、ご飯がよく進みそうだ。ほうれん草の上には真っ白な雪のような大根おろしが乗っていた。
「簡単なものしか作れなかったんだけど……足りるかな?」
「ああ。」
和己が食欲旺盛で白米を山のように食べる事を知っているからだろうか。
大きな茶碗山盛りに盛られた白米は、和己の顔を隠せる程の量だった。
そんな朝食達に気を引かれていた和己の横では、唯が熱い視線を送っていた。
じーっと和己を見詰めた唯は、ある一点に集中している。
「……あ、光蓮寺くん。」
その声に、おもむろに顔を上げた和己は隣で座っている唯に向けて首を動かした。
和己の視界の先には、唯の細く華奢な腕が伸ばされている。
「——寝癖ついてるよ」
ほのかに香る、優しい匂い。和己の髪は、微かな唯の体温を感じた。
まるで暖かな花に全身を包み込まれるような感覚。
どきん、と和己の心臓は脈を打つ。
一瞬、世界が止まって見えた。唯の指先が、自分の細い髪に触れている。
そこから全身に熱が伝わっていくようだ。熱くて、今にも全てを溶かしてしまいそうな熱なのにそれが妙に落ち着く。
突然の出来事に、和己の身体は飛び跳ねた。
ガタンと机に膝をぶつけながら和己は唯から逃げるように距離を置く。
「……っ!!じ、じじ、自分で直す!!」
和己はそう言いながら、唯から目線を逸らした。
和己の不審な行動に、唯は驚きながら「そっか」と笑う。
その笑顔にまた、和己の心臓は踊った事を唯は知らない。
(まだ私と話すのは苦手なのかな?)
そうでも無ければ、和己があんなに顔を赤くしている理由がつかない。
そう簡単に距離は縮まらないかと、唯は自分に言い聞かせながら和己から離れた。
本当はもっと話をしたいけれど、急に迫っていくのは逆効果だ。
唯はゆっくりと立ち上がって、エプロンの紐を解いた。
「それじゃあ私準備してくるから、食べ終わったらお水につけておいてね!」
パタパタとスリッパの音を響かせながら、唯は自室に戻っていく。
一人残された和己は、広い空間の中で自分の心臓に手を置いた。
どきん、どきんと何度も強い鼓動の音が聞こえてくる。
それにさっきから顔が熱いような。
その時、和己の耳に響いてくるのは小鳥のさえずりでもテレビから流れるニュース番組でもなく、自分の胸の音だけだった。
「……なんだよ、これ。」
心臓が高鳴る度、胸が締め付けられる。苦しいくて、気が狂いそうになるのに頭の中でずっと唯の笑顔が離れない。
(何でこんな......あいつの事なんて好きじゃねぇのに......。)
その心臓の音に意味がある事も。その感情に名前がある事も。
和己がそれを知るのはまだ少しだけ、先の話かもしれない。
キーンコーンカーンコーン。
授業の終わりを告げるチャイムと共に、それまで静まり返っていた教室は一気に活気づく。
「明日までにこの課題終わらせておけよー。」
先生のそんな言葉は、生徒達の笑い声に掻き消された。
そんな中、和己は一人窓から見える景色を眺めている。
窓際の席は退屈な授業でも、こうして気を紛らわす事が出来るから丁度いい。
あの夜を境に、和己はきちんと授業に参加するようになった。
とは言ってもまだクラスでは浮いた存在で、和己に近寄る者はそう居ない。
ただ一人を除いては。
「——光蓮寺くん、次は移動教室だよ!」
唯は、自分の席でぼーっとしている和己に話しかけた。
気さくな笑顔で、和己の前に立つ唯は次の授業で使う教科書類を手に持っている。
そう。雨宮唯という人間だけは、和己の傍に居た。
花を咲かせるみたいな笑顔を向けて、そこに立っている。
それだけで和己は安心した。
他の誰でもなく、唯がこうして笑いかけてくれるだけで教室の雑音がかき消されていく。
「おう。行くか。」
「……うん!!!」
机の中から教科書とペンケースを取り出した和己が唯にそう告げると、屈託のない笑顔で答えてくれる。
カダッと椅子から腰を離して、和己は唯の隣を歩いた。
(不思議だ。こいつといると落ち着く。)
そんな感覚になるのはいつ以来だろうかと、和己は自分の記憶を遡る。
そして思い出したのは、光蓮寺和己が最も愛した人物だった。
(ああ、そうか。似てるんだ。)
化け物に変わっていく自分を、いつまでも愛してくれた肉親。
傍にいると約束してくれた彼女は、和己の母親に少し似ていた。
だからだろうか。和己はすっと目を伏せる。
(——こいつだけは、守りたい。)
それが光蓮寺和己としてなのか、妖の『九尾の狐』としての本能なのかは分からないけれど。
それでも和己はそんな事を考えてしまうのだ。
「——あっれ?唯ちゃんと和己じゃーん!偶然だねぇ!」
二人で次の教室へ向かう為に廊下を歩いていると、元気に和己達を呼ぶ声が聞こえてくる。
その声の主を、二人は知っていた。
「——帆影くん?」
他クラスの前で、何人かの生徒と共に屯っていた帆影がそこにはいた。
唯がその名前を口にすると、学ランを着崩した帆影はヒラヒラと手を振った。
「やっほ、唯ちゃん!何、次移動教室なの?大変だねぇ」
「うん!帆影くんこそ、廊下で何してるの?」
唯はきょろきょろと辺りを見渡した。
よく見ると、帆影の周りに集まっていたのは沢山の女子生徒達。
唯と和己は一組、帆影は三組なので、滅多に学校で顔を合わせる事は無い。
「ああ、俺?女の子達と予定立ててたの!ほら、もうすぐ花のゴールデンウィークでしょ?」
「へぇ、そっか!帆影くんは人気者なんだね!」
「人気者っていうか、皆が楽しいのが一番じゃん?だから俺は色んな子達と青春を謳歌したい訳よ~!唯ちゃんも無い?そういうの。」
「青春……。あ、でもほら。ゴールデンウィークが終わったら中間テストだし、勉強しないと!」
「お堅いねぇ、唯ちゃんは。」
そんな雑談を交わしているとさっきから、帆影の周りにいる女子達がそわそわしていた。
帆影が唯と話す事を、嫌がっているようにも捉えられる。
(この女の子達は皆、帆影くんの事が好きなのかな?)
唯の純粋な言葉に、帆影はにやりと笑う。
「勉強ばっかりだと、疲れ溜まっちゃうでしょー?たまには息抜きも必要だと思うんだよねー、俺。」
すると、唯に近づいた帆影はその右手を彼女の顎に当てた。
「——だからさ、色々と疲れたら俺の所に来なよ。唯ちゃんは特別に、いつでも遊んであげるからさ。」
帆影のキラキラと眩い笑顔に、唯は困惑する。
「……あ、あの……!」
あたふたと、慌てる唯を手を強引に引っ張ったのは、和己だった。
ギロリと、鋭い眼光で帆影を睨みつける和己は、唯の手を握ったまま殺意を放つ。
「こいつに触るな。」
「えー、なになに?もしかして嫉妬ですか??和己くん、怖ぁーい!」
「黙れ。」
和己は唯の手を引いて、帆影の前を横切る。
唯は抵抗する事も無く、和己の後ろを歩いた。
「じゃあね、唯ちゃん!今度は和己がいない時にでも遊ぼうね!」
そんな帆影の元気そうな声が廊下に響く。
帆影は和己の威圧をものともせず、唯に手を振った。
あ、うんと、曖昧な返事を返した唯は、和己と共に帆影の前から姿を消す。
初めて帆影に会った時も、和己はあまり良い態度をとっていなかった。
同じ寮に暮らす妖同士だけれど、和己はどこか帆影を嫌っているように見える。
二人の間には溝があるように感じた唯は、和己の隣を歩きながらふと思う。
(帆影くんと光蓮寺くんは仲が悪いのかな……?)
そんな唯の疑問は解消されることなく、次の授業開始のチャイムが鳴った。
唯の小さくなっていく背中を見詰め続ける帆影の瞳には先程までのような輝きは無かった。
唯と和己がいなくなった廊下では、女子に囲まれた帆影が目を細める。
「まさか和己が人間を庇うなんてね……。少し驚いたよ。和己にとって唯ちゃんはそれくらい大切って事だよね……。」
その場にいる誰に話すでもなく、帆影はボソリと呟いた。
傍に居た女子生徒の一人が不満そうに帆影を見上げる。
帆影と楽しそうに話していた唯に嫉妬してか、女子生徒は帆影の腕を掴んだ。
「ねぇ、帆影ー!私との約束は……」
そう話を切り出し、帆影の顔を見た女子生徒は一瞬で血の気が引いた顔をした。
「……ほ、かげ……??」
女子生徒は、帆影からゆっくりと手を離し一青ざめた顔でよろめく。
目の前にいるのは、本当に自分が知っている柊帆影なのだろうか。
否、これはきっと帆影じゃない。だって、少女の知る帆影はこんな顔で笑わない。
いつもは温厚で優しい帆影の笑顔が、その時はとても狂気じみたものに感じた。
全てを壊してしまいそうな、おぞましい笑顔を浮かべる帆影に、女子生徒は身体を震わせる。
にやりと顔を歪ませた帆影は、笑顔とは真逆の禍々しいオーラを放った。
「それってさ、——俺が壊してもいいって事だよね。」
帆影がその時何を考えていたのか。
彼が背負っている闇とは一体何なのか。
——雨宮唯はそれをまだ知らない。
葉っぱは鮮やかな緑色に染まり、陽の光は少しずつ暖かくなっていく。
段々とこの台所に立つ事にも慣れ、菜箸を持つ感覚も馴染んできた。
台所の扉がガラガラと開く音に反応した唯がくるりと振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
「——あ、おはよう光蓮寺くん!」
ぱっと輝く朝日のような笑顔で挨拶をした唯に、和己も一拍遅れて挨拶を返す。
「……はよ。」
誰かに挨拶をする事に、未だ慣れない和己はぎこちない動きで唯に背を向ける。
気恥しさが残りながらも、ちゃんと言葉を返してくれた事が嬉しくて唯の頬が緩んだ。
制服にエプロンをまとった唯は、手際良く朝食の準備を進める。
「光蓮寺くん、パンとご飯どっちにする?」
「白米。」
「分かった!すぐ持っていくね!」
おう、と軽く返事をした和己はそのまま隣の大広間に向かっていった。
唯はふんふんと鼻歌混じりで、おかずを盛り付け始める。最後に炊飯器から炊きたてのご飯を掬い、茶碗いっぱいに入れた。
「出来た~!」
大広間で胡座をかく和己に、唯は朝食を持っていく。
お盆に置かれた様々な料理達が、照明に照らされてきらりと輝いた。
「光蓮寺くん、出来たよ~!はい、召し上がれ!」
もくもくと、暖かな湯気が立ち上る白米に、味噌汁。
卵焼きは砂糖が多めの甘いもの。焼き鮭は塩味が絶妙にきいていて、ご飯がよく進みそうだ。ほうれん草の上には真っ白な雪のような大根おろしが乗っていた。
「簡単なものしか作れなかったんだけど……足りるかな?」
「ああ。」
和己が食欲旺盛で白米を山のように食べる事を知っているからだろうか。
大きな茶碗山盛りに盛られた白米は、和己の顔を隠せる程の量だった。
そんな朝食達に気を引かれていた和己の横では、唯が熱い視線を送っていた。
じーっと和己を見詰めた唯は、ある一点に集中している。
「……あ、光蓮寺くん。」
その声に、おもむろに顔を上げた和己は隣で座っている唯に向けて首を動かした。
和己の視界の先には、唯の細く華奢な腕が伸ばされている。
「——寝癖ついてるよ」
ほのかに香る、優しい匂い。和己の髪は、微かな唯の体温を感じた。
まるで暖かな花に全身を包み込まれるような感覚。
どきん、と和己の心臓は脈を打つ。
一瞬、世界が止まって見えた。唯の指先が、自分の細い髪に触れている。
そこから全身に熱が伝わっていくようだ。熱くて、今にも全てを溶かしてしまいそうな熱なのにそれが妙に落ち着く。
突然の出来事に、和己の身体は飛び跳ねた。
ガタンと机に膝をぶつけながら和己は唯から逃げるように距離を置く。
「……っ!!じ、じじ、自分で直す!!」
和己はそう言いながら、唯から目線を逸らした。
和己の不審な行動に、唯は驚きながら「そっか」と笑う。
その笑顔にまた、和己の心臓は踊った事を唯は知らない。
(まだ私と話すのは苦手なのかな?)
そうでも無ければ、和己があんなに顔を赤くしている理由がつかない。
そう簡単に距離は縮まらないかと、唯は自分に言い聞かせながら和己から離れた。
本当はもっと話をしたいけれど、急に迫っていくのは逆効果だ。
唯はゆっくりと立ち上がって、エプロンの紐を解いた。
「それじゃあ私準備してくるから、食べ終わったらお水につけておいてね!」
パタパタとスリッパの音を響かせながら、唯は自室に戻っていく。
一人残された和己は、広い空間の中で自分の心臓に手を置いた。
どきん、どきんと何度も強い鼓動の音が聞こえてくる。
それにさっきから顔が熱いような。
その時、和己の耳に響いてくるのは小鳥のさえずりでもテレビから流れるニュース番組でもなく、自分の胸の音だけだった。
「……なんだよ、これ。」
心臓が高鳴る度、胸が締め付けられる。苦しいくて、気が狂いそうになるのに頭の中でずっと唯の笑顔が離れない。
(何でこんな......あいつの事なんて好きじゃねぇのに......。)
その心臓の音に意味がある事も。その感情に名前がある事も。
和己がそれを知るのはまだ少しだけ、先の話かもしれない。
キーンコーンカーンコーン。
授業の終わりを告げるチャイムと共に、それまで静まり返っていた教室は一気に活気づく。
「明日までにこの課題終わらせておけよー。」
先生のそんな言葉は、生徒達の笑い声に掻き消された。
そんな中、和己は一人窓から見える景色を眺めている。
窓際の席は退屈な授業でも、こうして気を紛らわす事が出来るから丁度いい。
あの夜を境に、和己はきちんと授業に参加するようになった。
とは言ってもまだクラスでは浮いた存在で、和己に近寄る者はそう居ない。
ただ一人を除いては。
「——光蓮寺くん、次は移動教室だよ!」
唯は、自分の席でぼーっとしている和己に話しかけた。
気さくな笑顔で、和己の前に立つ唯は次の授業で使う教科書類を手に持っている。
そう。雨宮唯という人間だけは、和己の傍に居た。
花を咲かせるみたいな笑顔を向けて、そこに立っている。
それだけで和己は安心した。
他の誰でもなく、唯がこうして笑いかけてくれるだけで教室の雑音がかき消されていく。
「おう。行くか。」
「……うん!!!」
机の中から教科書とペンケースを取り出した和己が唯にそう告げると、屈託のない笑顔で答えてくれる。
カダッと椅子から腰を離して、和己は唯の隣を歩いた。
(不思議だ。こいつといると落ち着く。)
そんな感覚になるのはいつ以来だろうかと、和己は自分の記憶を遡る。
そして思い出したのは、光蓮寺和己が最も愛した人物だった。
(ああ、そうか。似てるんだ。)
化け物に変わっていく自分を、いつまでも愛してくれた肉親。
傍にいると約束してくれた彼女は、和己の母親に少し似ていた。
だからだろうか。和己はすっと目を伏せる。
(——こいつだけは、守りたい。)
それが光蓮寺和己としてなのか、妖の『九尾の狐』としての本能なのかは分からないけれど。
それでも和己はそんな事を考えてしまうのだ。
「——あっれ?唯ちゃんと和己じゃーん!偶然だねぇ!」
二人で次の教室へ向かう為に廊下を歩いていると、元気に和己達を呼ぶ声が聞こえてくる。
その声の主を、二人は知っていた。
「——帆影くん?」
他クラスの前で、何人かの生徒と共に屯っていた帆影がそこにはいた。
唯がその名前を口にすると、学ランを着崩した帆影はヒラヒラと手を振った。
「やっほ、唯ちゃん!何、次移動教室なの?大変だねぇ」
「うん!帆影くんこそ、廊下で何してるの?」
唯はきょろきょろと辺りを見渡した。
よく見ると、帆影の周りに集まっていたのは沢山の女子生徒達。
唯と和己は一組、帆影は三組なので、滅多に学校で顔を合わせる事は無い。
「ああ、俺?女の子達と予定立ててたの!ほら、もうすぐ花のゴールデンウィークでしょ?」
「へぇ、そっか!帆影くんは人気者なんだね!」
「人気者っていうか、皆が楽しいのが一番じゃん?だから俺は色んな子達と青春を謳歌したい訳よ~!唯ちゃんも無い?そういうの。」
「青春……。あ、でもほら。ゴールデンウィークが終わったら中間テストだし、勉強しないと!」
「お堅いねぇ、唯ちゃんは。」
そんな雑談を交わしているとさっきから、帆影の周りにいる女子達がそわそわしていた。
帆影が唯と話す事を、嫌がっているようにも捉えられる。
(この女の子達は皆、帆影くんの事が好きなのかな?)
唯の純粋な言葉に、帆影はにやりと笑う。
「勉強ばっかりだと、疲れ溜まっちゃうでしょー?たまには息抜きも必要だと思うんだよねー、俺。」
すると、唯に近づいた帆影はその右手を彼女の顎に当てた。
「——だからさ、色々と疲れたら俺の所に来なよ。唯ちゃんは特別に、いつでも遊んであげるからさ。」
帆影のキラキラと眩い笑顔に、唯は困惑する。
「……あ、あの……!」
あたふたと、慌てる唯を手を強引に引っ張ったのは、和己だった。
ギロリと、鋭い眼光で帆影を睨みつける和己は、唯の手を握ったまま殺意を放つ。
「こいつに触るな。」
「えー、なになに?もしかして嫉妬ですか??和己くん、怖ぁーい!」
「黙れ。」
和己は唯の手を引いて、帆影の前を横切る。
唯は抵抗する事も無く、和己の後ろを歩いた。
「じゃあね、唯ちゃん!今度は和己がいない時にでも遊ぼうね!」
そんな帆影の元気そうな声が廊下に響く。
帆影は和己の威圧をものともせず、唯に手を振った。
あ、うんと、曖昧な返事を返した唯は、和己と共に帆影の前から姿を消す。
初めて帆影に会った時も、和己はあまり良い態度をとっていなかった。
同じ寮に暮らす妖同士だけれど、和己はどこか帆影を嫌っているように見える。
二人の間には溝があるように感じた唯は、和己の隣を歩きながらふと思う。
(帆影くんと光蓮寺くんは仲が悪いのかな……?)
そんな唯の疑問は解消されることなく、次の授業開始のチャイムが鳴った。
唯の小さくなっていく背中を見詰め続ける帆影の瞳には先程までのような輝きは無かった。
唯と和己がいなくなった廊下では、女子に囲まれた帆影が目を細める。
「まさか和己が人間を庇うなんてね……。少し驚いたよ。和己にとって唯ちゃんはそれくらい大切って事だよね……。」
その場にいる誰に話すでもなく、帆影はボソリと呟いた。
傍に居た女子生徒の一人が不満そうに帆影を見上げる。
帆影と楽しそうに話していた唯に嫉妬してか、女子生徒は帆影の腕を掴んだ。
「ねぇ、帆影ー!私との約束は……」
そう話を切り出し、帆影の顔を見た女子生徒は一瞬で血の気が引いた顔をした。
「……ほ、かげ……??」
女子生徒は、帆影からゆっくりと手を離し一青ざめた顔でよろめく。
目の前にいるのは、本当に自分が知っている柊帆影なのだろうか。
否、これはきっと帆影じゃない。だって、少女の知る帆影はこんな顔で笑わない。
いつもは温厚で優しい帆影の笑顔が、その時はとても狂気じみたものに感じた。
全てを壊してしまいそうな、おぞましい笑顔を浮かべる帆影に、女子生徒は身体を震わせる。
にやりと顔を歪ませた帆影は、笑顔とは真逆の禍々しいオーラを放った。
「それってさ、——俺が壊してもいいって事だよね。」
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