我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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小鳥遊ミツル編

願いの種は芽吹く

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「——かき鳴らせ、雷鳴。暴れ狂う雷神の如く全てを凌駕し、最果ての光となれ。悪しきは滅せよ、汚らわしきは罰せよ。御尽くを祓え!急急如律令!!」

闇夜の空に走る、一筋の青白い光。
一直線に落ちてきたその光は、グラウンドの中央でビシャンと落ちる。
砂埃が立ち込め、和己達を包んで行った。
(ここからじゃ様子が分からない……!)
だからと言って、今出ていっても足でまといになるだけだ。
唯は今すぐに飛び出したい気持ちに蓋をして、ただ仲間を信じる事しか出来なかった。

「——太刀ノ川陰陽道。」

そんな唯の心配を他所に、黒髪の陰陽師はそう呟いた。
先程の雷光のせいで、視界が悪い。しかも、横に居た筈のミツルと帆影の妖力を感じない。
(分断された、か。コイツらの思惑通りって所だな。)
「俺達太刀ノ川家が、秘匿し続けていた特別な陰陽道だ。扱えるのは太刀ノ川の血が流れる者のみ。そしてこの力は……弱者を殺す絶対的な力だ。」
一歩、また一歩と黒髪の陰陽師は和己に近寄ってくる。
和己の構える刃は陰陽師を捉えて離さない。
(今まで、この男の口数は少なかった。殆ど隣にいた金髪野郎がベラベラと食っちゃべってたからな。だか……。)
出くわしてから今この瞬間まで、明らかな殺気はこの陰陽師の方が凌駕している。
隠しきれない殺気は、つまり隠す必要が無いと言う事だ。

——コイツは、手練だ。

「妖は全て滅ぼす。この世界に、お前たち妖のいるべき場所など……ありはしない。」

温度の無い瞳。感情のない声。この男は、人間というにはあまりに完璧過ぎると、和己は悟る。
その光の届かない瞳は、まるで過去の自分のようだと和己は心のどこかで感じた。

陰陽師が取り出したのは、金髪の男が持っていたものと同じ紙切れ。
ただし、そこに書かれていた文字は違うように見える。
「——暴れ散らかせ、暴風。荒れ狂う風神の如く全てを凌駕し、最上の風となれ。悪しきは滅せよ。汚らわしきは罰せよ。御尽く全てを祓え。——急急如律令。」
そう唱えた瞬間、紙切れから風が吹き荒れる。
目を開ける事も難しい程の強風が、和己の腹部に強く当たった。
「……ぐふっ!!」
そのまま背後に飛ばされた和己は、グラウンドの周りに設置してある鉄棒にぶつかり、跳ね返る。
(なんだこれ……!?これが陰陽道?全く見えねぇ……っ!)
和己は急いで体制を立ち直そうと、刀に捕まりながら立ち上がる。
強く腹部を撃たれたせいか、足を上げることも一苦労だ。
(くそっ。肋何本かイカれたな……。)
それほどの威力。風を操る陰陽師など、これまで見た事も聞いた事も無い。
よろけながら腹部を抑える和己に、黒髪の陰陽師ははっ、と卑下た笑いを零す。
「この程度とはな。貴様、妖力もまともに操れ無いと見える。こんな出来損ないなど、まともに戦う必要も無いな。」
こんなものかと、男はつまらなさそうにぼやく。
その姿を見て、和己は顔を歪ませた。

自分の実力不足は、ずっと前から知っていた。
いつも誰かを傷付ける事を恐れ、虚勢を張って生きていた。
そんな惨めな生き方しかできないと、そう諦めていた時。
——出会ったんだ。アイツに。
いつだって、隣にいてくれる。
傷付けられても、手を離さないで笑ってくれる小さな少女。
(お前を守る為なら、俺は……。)
和己は、ぱっと顔を上げた。
その瞳の中に絶望は無く、寧ろ勇気に満ち溢れている。

「確かに、俺は弱え。妖力なんざ、ろくに操る事も出来ねぇ。けどなぁ。」

陰陽師は和己の表情を見て、顔を顰めた。
その心に灯った炎はそれまで今にも消えそうなくらいに小さかったというのに。
(なんだ。この男、今までと何かが違う……!?)
もう、誰にも止められない。この炎は消せやしない。

——青く、轟々と燃え盛る、この炎は。

覚悟を決めた刹那、和己の身体中を炎が包んだ。
青空のような、美しい青い炎は纏っていると言うのに熱さを感じない。
(誰かの温もりみてぇにあったけぇ)
まるで、彼女に包まれているみたいに。
そうか、と和己は炎の中でやっと気が付く。

俺は今迄もこうして、お前に守られていたんだな、唯。


だからこそ、ここで挫ける訳にはいかない。
ここで諦める訳にはいかない。
「覚悟しろ、陰陽師。ここからが……本番だ!」
和己の手のひらに灯された青い炎は、そのまま一直線に陰陽師を目掛けて飛んでいく。
ぐるりと一回転し、ギリギリの所で避けた陰陽師はそのまま止まる事無く和己に向かって走っていく。
「所詮妖は妖だと言うことを身をもって知れ!」
黒髪の陰陽師が次に取り出したのは、黒い紙にに赤い文字の書かれたものだった。

「我が化身となりて、全ての巨悪を断て!」

それまでの紙の色と違うソレは、陰陽師が唱えた刹那、形を変える。
白い狐のような、白い犬のような。四足歩行のフサフサした動物が和己の前に現れた。
「行け、ハクリ!」
大きな尻尾が印象的な、ハクリと名ずけられた獣は勢い良く和己の腕に噛み付く。
「ぐあぅ!」
大きく、鋭い牙が服を貫いて皮膚に突き刺さった。
「くっ……!」
幸い、利き手の方では無かったが、かなり傷が深いのか噛まれた腕は力無くだらんと落ちる。
先程の風の攻撃といい、召喚された獣と言い。
陰陽師の手が全く読めない和己の方が押され気味だ。
それでも、和己は手を前に突き出す。決して諦め無いと、そう胸に誓ったから。
きっと今もどこかで自分の事以上に心配しているあの少女の為に。
「……爆ぜろっ!!」
和己の手のひらから放たれた炎は、ハクリと呼ばれていた獣を包み込む。
轟々と燃え盛る青い炎。きゅおーん、とハクリの痛々しい声が響きわたる。
その姿は徐々に溶けていき、やがては塵となって夜の空気に消えていった。
(とりあえずこれで……。)
倒しきったとそう安堵した。
傷のせいで、動くスピードは格段に落ちているが戦えない程じゃない。
たらりと、腕から溢れる赤黒い液体はそのまま地面を汚していく。
「はぁ……はぁ……」
痛みのせいで、呼吸も乱れ気味だ。早く帰って治療しなくては。
少し前のめりで腹部を抑えているが、深く息を吸う度に全身に激痛が走る。
(くそ……っ、くらくらする……)
慣れない妖力を使ったせいだろうか。
でも、これで陰陽師の戦う術は無くなったはずだ。
どうやらあの男は、和己が炎を操ると分かった途端に風の攻撃を止めた。
火と風。きっとその力がぶつかり合えば、小学校の校舎は丸々燃えてしまっていただろう。
それを知っていたから、あの白い獣を呼び出したという訳だ。
(そうだ、アイツらは……ミツル達はどうなった……?)
視界が狭まったせいで、辺りの状況が確認出来ない。
あの二人がそう易々と倒される訳が無いと分かっていても、足は勝手に彼らを探そうと動き始める。
「くそっ、まともに歩けもしねえ……。」
腕からの出血も収まらない。
さすがに骨までは砕けていないはずだが、無理やり動かそうとすれば後遺症が残る危険もある。
和己がおぼつかない足取りで歩いていると、前方から聞き慣れた声が聞こえてきた。

「——和己!?どうしたんだその腕!」

それは、いつも家族のように和己を慕って守ってくれた兄のような存在の男だった。
妖力の使いすぎで、まともにその顔も見えやしないが声色だけで彼が一体どんな表情をしているのかが想像できる。
「ミツルか……?そっちはどうなった……?」
「帆影の力で、とりあえず足止めは出来ているよ。もうすぐ帆影もこっちに来るはずだ。陰陽師が最初に僕達を分断したのは、その方が彼らにとって最善手だったからだと思ったからね。なら僕達はまとまった方がいい。」
帆影の力……。帆影は妖力を使い誰かに化けるだけではなく、人の心の弱い部分を付く。
ゴールデンウィークの時、唯に使った術と同じものだろう。
並大抵の人間では、あの術で心を壊される。
だがきっと……。和己は金髪の陰陽師の事を思い出す。
笑いながら、この戦いを楽しんでいたあの姿。
(アイツは元々、心が壊れてんだろうな。)
ならきっと、帆影の力なんて気休め程度にしかならない。
だがそのおかげで、こうしてミツルと合流出来たのはありがたい。
実戦経験でいえば、ミツルは和己の一つ上だ。戦い方も和己より知っているのだろう。

「……ミツル、気を付けろ、こっちの陰陽師も、ただもんじゃねぇ……」
「分かってるよ、和己。だから後は僕達に任せて和己は一度下がるんだ。」
ミツルの声が耳元から響く。
仲間が近くに居るというだけで、こんなにも安心出来るものなのかと和己は思う。
今まで誰とも関わり合いたくないと、全てから避けてきたけれど、誰かが隣にいると言うのは安らぐものだった。
(こんな時に思い知らされるのかよ……)
もっと早く気が付いていたら、もっと早く知っていたら。
今もまだ戦っている帆影も、こうして駆けつけてくれたミツルも。
二人の為にも戦いたいと願えたのに。
「見た目は腕の方が痛そうだけど……和己、お腹もやられたね?そっちの方が重症そうだ。」
どんな時でもきちんと周りを見て対処してくれるミツルに、和己は心の中でありがとうと、そう呟く。
和己の腕を持ち上げて、ミツルはゆっくりと後ろに下がって行った。
「和己、歩けるかい?」
「……ああ。」
「なら、あの木の影に——」

安心と、安堵と。嬉しさと、少しの後悔。
色んな感情が混ざりあって、そんな言葉にならない気持ちでいっぱいになっていた時だった。

「——何処へ往く、妖。」

ミツルはその声に顔を上げる。
そこには今まで居なかったはずの黒髪の陰陽師の姿があった。
傷一つ無いまま、堂々と立っている。
(なっ、……いつの間に!?)
その鋭い眼光に、ミツルの背筋が凍る。
「あの馬鹿の様子を見に行って、戻ってみれば……。たかが使い魔を倒した程度で勝ったつもりだったか、妖。」
「て、めぇ……」
「その傷、随分と痛そうだな?なら……今すぐに楽にしてやる。」
そう言っていた男が手に持っていたのは、見覚えのある刀だった。
使い魔であるハクリに腕を噛まれ、その激痛に悶えた時誤って落としてしまった和己の刀。
なぜ、それがお前の手にある……!?
そう問いかける力も無い和己に男は独りでに話した。

「そうやって仲良しごっこをしているから、足元を掬われるんだ。愚かなる妖め。——死ね。」

そうして振りかざされた切っ先は、ミツルが止めるよりも早くに和己の上半身をグサリと切り捨てる。
一瞬、和己は何が起きたのか理解が出来なかった。
ただ、刀の剣先が地に触れた瞬間に自分の胸元から飛沫を上げて液体が飛び散る光景を見た。
(紅くて……黒い……?なんだ、これは……俺の、血……?)
どく、どくっと早く脈打つ。それも次第には弱く遅くなっていくその音が、頭の中で響き渡った。
どさっ。
力無く、和己は地面に横たわる。
(あっ……く、そ、……声が……で、ねぇ……。)
ヒューヒューと、息をする度に聞いた事の無い音が聞こえる。
真っ赤な液体が、どんどん広がって地面に水溜まりを作っていく。
「……ずみ!……和己!!——和己!!!」
どこか、頭の奥で声が聞こえてきた。
必死に、自分の名前を呼ぶ声が。
(足も……手も……動か、ねぇ)
視界が霞んで、何も見えない。
暗闇の中で一人ぼっちだ。

——ああ、俺死ぬのか。

なんて呆気ない死に様なのだろう。
守ると誓った奴も守れず、弱いままで死んでいくのか。
段々と、和己の名前を呼んでいた声も聞こえなくなっていた。
これで、本当に一人ぼっち。
——もう、ここには何も無い。

後はただ沈んでいくだけ。深い深い、海の底に。
一つ、心残りがあるとすれば。

——もう一度だけ、お前の名前を呼びたかった。

いつの間にか、大切になっていた人。
守りたいと願った人。
その笑顔にいつだって救われた。
お前が俺の名前を呼ぶ度、心の中で華が咲くみたいに嬉しくなった。
もう、指一本も動かせない。触れられない人。
きっと、こんな姿を見たら大粒の涙がお前の頬を濡らすだろうな。
和己の中で、どんどん大きな存在になっていった、一人の小さなか弱い少女。
か弱いと思っていたのに、いつからかその背中に守られていた。
もう、意識は殆ど無くなっていた。最後に途切れる瞬間、彼が願っていたのはただ一つだけ。
(ああ、お前に逢いたい。)

——唯。
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