我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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小鳥遊ミツル編

さあ、目を覚まして

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——どうして私は、高天原荘に入れたんだろう。


日常の中で、ずっと心の奥底に眠っていた微かな疑問。
その答えを見つけようとしてみたけれど、やっぱり何も分からなかった。
生まれてからこれまで、妖も幽霊も見た事がなかったのに、私は高天原荘を見つけられた。
まるで、運命の糸に手繰り寄せられるように。

——そして、光蓮寺君達とと出会った。

初めて見た妖は、絵画のように美しくて一瞬で目を奪われた。
唯は、そんな彼らの傍で暮らして共に時間を共有する内に、彼らの幸せを願うようになった。
妖である限り、人間との間には大きな溝が出来る。
数え切れないくらい傷付いて、それでも生きなくちゃいけない。
唯よりも更に多くの宿命を背負った、彼ら。
いつからだろう。
そんな彼らと自分を比べるようになったのは。
和己達には妖力がある。妖として戦う力を備えている。

——でも私は?

ただの人間で。この高天原荘に入れたのも偶然で。
皆の足でまといになるだけ。
それでも「ここに居ていい」と言ってくれた。
非力で、無力で、ただ隠れている事しか出来ない自分に、ミツルは言っていくれた。
「雨宮さんが、必要だよ」
一員として、できる事を模索したけれど結局何も見つからなくて。
けれど、今なら思う。

——やっぱり私は、力が欲しい。


目の前で、今にもその魂の灯火が消えかかっている大好きな人を、救う力を。
「光蓮寺君!!光蓮寺君!!!」
帆影に呼ばれて、ミツル達の元に駆けつけた時にはもう既に手遅れだった。
刀で切られた和己は、ぼろぼろの姿で地面に横たわっている。
何度も声をかけても、何度も身体を揺さぶっても反応は無い。
唯、ミツル、帆影が動かなくなった和己を囲むようにして地面に座り込む。
そして、そんな唯達を汚物を見るような目で見つめる二つの影。
「ありゃりゃー?もう死んじゃったのぉ?手応えのない妖だ事~」
金髪の陰陽師は、ぷぷっと小馬鹿にするように笑っていた。
その姿に、腸が煮えくり返りそうになりながら、唯は必死に和己の名前を呼び続ける。
声が枯れるくらい、何度も何度も。
和己の意識が目覚めるように、和己に届くように心を込めて必死に叫んだ。
「光蓮寺君!光蓮寺君!!光蓮寺——」
「雨宮さん。」
涙で顔がぐしゃぐしゃになりながら、何度も和己の名前を呼び続ける唯を止めたのはミツルだった。
和己を揺さぶっていた手を、ミツルはゆっくりと取る。
彼の手は、小刻みに震えていた。体温は冷たく、彼もまた同じ思いなのだと唯は悟る。
「たっ……小鳥遊……さん……どうすれば……どうすれば……っ!!」
藁にもすがる思いで、ミツルに問いかける。
しかし、その場にいる全員が察していた。

——もう、和己は助からない。

スカートの裾が、血溜まりで汚れていく。
そんな事を気にも留めず、和己を思う一心で涙を流す少女。
それでも、助ける術は無いとミツルの喉まで出かかった事実をぎゅっと飲み込んだ。
「と、とりあえず手当を……」
「無駄だ。先程からこの妖は息をしていない。既に——死んでいる。」
冷酷な声が唯の頭の中に響く。
くるりと振り返ると、黒髪の陰陽師は顔色一つ変えずにその場に立っていた。
そして、その手には血塗られた刀が握られていた。
全てを、唯は悟った。

——光蓮寺君を切ったのは……

きっと今ここで、この陰陽師を攻めても何も変わらない。
今は和己を救う手立てを考えなくちゃと、唯は必死に思考を巡らせる。
(このままじゃ、本当に光蓮寺君が……つ!)
ふと、唯は思う。

どうして彼がこんなに傷付くまで、何もしてあげられなかったのだろう。
どうして、自分には何の力も無いのだろう。
皆の仲間になれたと思っていた。居場所が出来たと思っていた。
守られるだけじゃなくて、守りたいと願っていた。
でも、そんな言葉はただのまやかしだ。
実際は、何も持っていない。力も、術も。

——どうして私は、何も出来ないの……?

そう、自らを呪った刹那だった。

『——力が欲しいの?』

誰かが、唯にそう語りかける。
ばっと顔を上げた唯は辺りを見渡した。
けれど誰もそんな言葉を呟いてはいない。
その声は、唯に再び語りかける。
『力が欲しいの?彼を……九尾を救う力が。』
その声は、女性の声。
聞き覚えのある麗しい声。唯が必要な時、いつも手をさし伸ばしてくれた、彼女の名前は……。
——輝夜。
和己達が必死に探していた女性の名前。
そして何故か、唯を手助けしてくれる人。
(貴女は一体……。)
『私は貴女。貴女は私。貴女が必要とする力を、私は与える事が出来るわ。』
唯の心の中の声に答えるように、輝夜の声が頭の中で反響する。
ここでやっと唯は、輝夜の声が自分の中から聞こえている事に気付いた。
(それってどういう……?)
『時間が無いわ。今、貴女が決めなくちゃいけないのは力を欲するか否か。九尾を助けたい?それとも——』
(そんなの決まってます!!私は光蓮寺君を救いたい!)
唯の揺るがない心。それはいつでも、和己や仲間を守りたいと願う力。
その堂々とした心に、輝夜は少しだけ黙り込む。
その間、彼女が何を思い何を願ったのかは、唯には分からない。
ただ、輝夜は答えた。分かったわ、と。
そして続けて唯に語りかけた。

『なら、力を上げる。でも、それはタダでは無いわ。何かを得るには何かを失う。願いには対価が伴う。それでもいいの?』

失う……対価……。それがどんなものか、唯には計り知れない。
確かに、何かを失うのは怖い。消えてしまうのも、壊れてしまうのも。
でも、と唯は心の中で輝夜に答える。
(私はそれでも、皆を守る力が欲しい……!)
自分が支払えるものなら、何でも差し出そう。今ここで和己を助けられるなら。それだけで、唯はどんな代償だって支払える。

——助けるよ。私の初めて出来た妖のお友達。

頑なな、唯の声に輝夜はゆっくりと彼女の心を包み込む。
『いいでしょう。なら、目覚めなさい。必要な力はもうとっくの昔に貴女に備わっている。眠っているその力を覚ます手助けを、してあげる。』
輝夜は唯の中に眠る一筋の小さな光に触れた。
その瞬間、唯の身体中を何かが駆け巡る。

血液が沸騰するみたいに熱い。
頭の奥が殴られたような痛みが走る。
『さあ、立ち上がりなさい。勇敢な少女。貴女の願いに——その力は答えるわ。』
はい、と唯は強く頷く。
ゆっくりと瞼を開けた唯の瞳に、もう涙は残されていなかった。
代わりに宿っていたのは、強い希望の光。

「……雨宮、さん?」

唯は静かに和己の傷口に両手をかざす。
「助けます。絶対に。」
唯はそうミツルに言い残し、手のひらに意識を集中させた。
その刹那、彼女の周りが白く輝き始める。
「……!?これは……!?」
ミツルの視界の先に広がる光景を一言で表すならば、それは『奇跡』だった。
唯が触れた和己の傷口が徐々に修復されていく。
真っ白な光に包まれた唯は、ただ必死に和己の傷が治るようにと意識を注いでいく。
(雨宮さんの力か……??でも、この力は……。)
その黄金の光。ミツルはその光景を知っていた。
自分がずっと追い求めていた人と、同じ力。

あらゆる傷も病も治す、万能の治癒能力。

その力を初めて目にしたのは、まだミツルの身体が昼間でも妖だった頃。
ずっとずっと、気が遠くなるほど昔に出会った、一人の少女と同じ……。
(どうして雨宮さんが輝夜と同じ力を持っているんだ……!?)
ミツルが動揺している間にも、和己の傷はみるみるうちに塞がっていく。
その光景に度肝を抜かれたのは、ミツルだけではなかった。
背後から見ていた、一人の陰陽師もまた、予測していなかった出来事に目を見開く。
(これはまさか……。)
何の力も無い無力な人間だと思っていた女が、何故この力を使うのかと、目を疑いたくなる。
何故ならその力は、妖力でも魔力でも無い。


(——あの力は、太刀ノ川陰陽道の秘術だ。)

どうしてそれを使っているのか、黒髪の陰陽師には理解出来ない。
けれど一つ分かるのは、目の前にいる女は太刀ノ川と何かしらの繋がりがあるという事だ。
「帰るぞ、陽。」
黒髪の陰陽師は、金髪の陰陽師にそう指示を出す。
「えー?何でよぉ。ここからが面白くなる所じゃん~」
唇を尖らせて、ぶうぶうと反発する金髪の陰陽師に、男は言った。
「当主様に報告する事がある。速やかに帰還するべきだ。」
黒髪の陰陽師は真っ直ぐ、少女の背中を見つめる。
太刀ノ川陰陽道を扱えるのは、太刀ノ川の血が流れる者のみ。
(もしや、この女……。)
男の中で一つの疑問が生まれる。だかそれを解明する為には、まだ証拠が足りない。
くるりと背中を向け、少女と真逆の方向に歩き出す黒髪の陰陽師。
「本当にいいのか?祓えるチャンスだったんだぞー?」
「ああ。今はこれでいい。それに——いずれ、必ず相見えるだろう。」
金髪の陰陽師に、そう答えながら二人の男は再び夜の闇に溶けて行った。
その確信めいた言葉が、現実になる日はそう遠くは無いのだろう。

二人の陰陽師が去った後も、和己の治療は続いていた。
唯の額から、じわりと汗が滲む。
和己の傷が完全に塞ぎきるまで、ずっと指先に意識を集中させなくてはならないのだ。
尋常じゃない程の集中力と気力が必要となるだろう。
それも、殆ど息をしていない瀕死の者を救うともなれば、唯への負担は計り知れない。
そんな少女の姿をただ、見ていることしか出来ないミツルは、ぎゅっとズボンを掴む。
(雨宮さん、君は——)
ずっと前から、彼女に違和感を感じていた。
この子は普通の人間じゃない。
高天原荘に入れたのは、ただの偶然だといい言葉では片付けられない。
でもそれは、もうすぐ確信に変わる。
だからその前に。

——逃げなくちゃ。

ミツルの中で、本能がそう告げる。
全てを知ってしまう前に。全てが手遅れになってしまう前に。
小鳥遊ミツルは、この場から去らなくてはいけない。
一人で、必死に戦う少女を置いて、逃げなくてはいけない。
(そうじゃないと、僕は……。)
彼の頭の中には、一人の人物が立っていた。
美しい顔立ち。
桜の華が咲き誇ったような、麗しい着物。
いつも、彼が見ていた一人の女の子。
彼女の事を考える度、頭が殴られたような痛みが走る。
自分の中に眠る魔物に、意識を乗っ取られそうになる。
だから、早く……逃げなくちゃ。彼女の前から消えなくちゃ。


「——見て!和己の傷、もう殆ど塞がったよ!!」

帆影の嬉しそうな声に、ミツルはぱっと顔を上げた。
そこには、今までの痛いしい傷は残っていなかった。
九つの尻尾を持つ狐が、すうすうと寝息を立てて寝ている。
「終わった……?私、光蓮寺君を助けられたの……?」
汗でびっしょりになった唯は、はぁはぁと息を整えながら、帆影に問いかける。
「そうだよ、そうだよ唯ちゃん!唯ちゃんが和己を救ったんだ!君は本当に凄いよ唯ちゃん!」
嬉しさで、帆影は唯の元に飛び込みぎゅっと抱きしめる。
唯は自分でも未だに何が起きたのか理解出来なかった。
ただ分かったのは、もう和己は死なないという事。
そして、自分の力が少しでも役に立てたという事。
混乱しながらも、唯はゆっくり微笑んだ。

「良かった……本当に、本当に良かった……!」


守れた。助けられた。救えた。
大切な人を。大事な友達を。
それだけで唯の心は満たされる。
「っていうか帆影君、そろそろ離れて~!!」
「あっ、ごめんごめん!つい嬉しくて……」
えへへと恥ずかしそうに笑いながら、帆影は唯から距離を取る。
前はあんなにいがみ合っていたのに、こんなに心配していたなんて。
(何だかんだ、帆影君も光蓮寺君が好きなんだよね)
くすりと、声を零して笑ってしまう。
そんな唯に、帆影はミツルも考えていた疑問をぶつけた。
「何で唯ちゃんは、急にあんな力が使えるようになったの?」
「あ……えーっと……」
唯は一瞬口を閉じた。

言ってもいいのだろうか。
昨日からずっと考えて、悩んでいた事。
皆に、輝夜の事を伝えるか否か。
昨日までだったら隠し通せていたかもしれないけれど、突然治癒能力が使えるようになったなんて、誤魔化しが効かないだろう。
唯は躊躇した結果、二人を信じて話す事に決めた。
すうっと、息を吸うと冷たい空気が鼻から抜ける。

「私の中から、輝夜さんの声が聞こえてきたの。光蓮寺君を助けたいなら力を使えって。輝夜さんの声を信じたら、本当に使えるようになってて……。」

二人を信じると決めた。
でも、それは果たして正しかったのか。
唯は後にそんな事を思う。
「…………。」
唯の隣で黙り込んでいたミツルの肩が小刻みに震え始める。
「それって、唯ちゃんが輝夜の生まれ変わりだったって事……!?」
「まだそうって決まった訳じゃ……!」
帆影はきらきらと瞳を輝かせる。
自分達が千年以上も探していた人が、やっと見つかったのかもしれないのだから当然だ。
「それでも唯ちゃんが使ったのは、確かに輝夜の力だったよ!唯ちゃんの中に輝夜が居るなら、きっと唯ちゃんが輝夜の生まれ変わりなんだよ!」
帆影の声が、とんと弾む。
期待にも似た眼差しに、唯は耐えきれずそっと視線を逸らした。
「い、いやぁ、……そう、かなぁ……?——小鳥遊さん?」
視線を逸らした先にいた男は、心臓を掴むように、胸部を抑える。
はあはあと荒くなっていく息。青ざめていく顔色。
唯の声に、帆影もミツルの方を向く。
「どうしたのミツル?まさかアイツらにやられてたの!?」
唯と帆影が近付こうとしたその刹那、ミツルの大声が空に響き渡る。


「——来るな!!!!」

今までに聞いた事のない荒々しい声に、唯は肩をぴくりと動かす。
「……小鳥遊、さん……?」
「……げて……。に、げて……。」
おぼつかない足で、ゆっくりと立ち上がるミツル。
ゆらりと、軸の無い身体が揺れてその右手には刀が力強く握られていた。
ガダガダと揺れる刃先は……唯の方向に向いている。
「ミツル!?どうしちゃったのさ!?」
震える足で、一歩、また一歩と唯に近付いていく。
頭にガンガンと痛みが響く。
これ以上動いちゃ駄目だと、そう分かっているのに身体が言うことを効かない。
虚ろな瞳が、怯える唯の姿を捉える。
(駄目だ……駄目だ……)
やめろ、と何度も自分に言い続ける。
これ以上、彼女に近付いたらきっと全てを壊してしまう。
そう分かっているのに、足は止まらない。
「にっ……げて……あめ、みやさ……」
心臓の音が煩い。さっきからずっと頭の中で誰かがミツルに語りかけている。

──殺せ。殺せ。あの女を……殺せ。

嫌だ、とミツルは必死でその言葉を否定する。
それでもその声は絶え間なく、ミツルに言い続ける。
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
何度も何度も何度も。憎悪にまみれた声で、ミツルに囁く。
(僕は……僕、は……)
静かにその剣先は、月の光を浴びる。
ゆっくりと振り上げたその刃は、か弱い少女の胸元を目掛けて下ろしていた。

——殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

もう、自分の身体が自分のものじゃ無いみたいだ。
「小鳥遊……さん……?」
その声に、ミツルは微かな光を宿す。
自分を呼ぶ、優しい声。
ミツルが我に返った時には、もう何もかもを壊した後だった。
目の前の少女は、肩からたらりと真っ赤な血液を流す。
「……あ、めみ、やさ……ん?」
彼女から飛び散った血液が、ミツルの頬にぺちゃっと付着する。
自分の握りしめた刀には、彼女と同じ色の液体がべったりと塗られている。
自分が何をしたのか。自分が何を犯したのか。
その瞬間、ミツルは全てを理解した。
ミツルの左手は小刻みに震えている。
回らない頭を必死に動かして、左手を彼女に伸ばした。
「雨宮、さん」
けれど、彼のその手が少女に触れる事はなかった。

——どさっ。

唯は静かに、地面に崩れ落ちる。
「雨宮、さん?……雨宮さん?」
ミツルの呼び声に、応答は無い、
力無く横たわる少女を見つめ、男の右手から刀が滑り落ちる。
「僕は……僕、は……僕がっ……!!!!」
悲壮に顔を歪める。
抗えない、目の前に広がる事実。

——僕が、彼女を刺したんだ。

そうして、彼らの当たり前だった日常はバラバラに砕けて、消えていった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
悲痛な叫び声が、街中を駆け巡る。
夜に咲く、美しい黄金の華は全てを嘲笑うように神々しく輝いていた。

かくして、全ての願いはまもなく成就する。
彼らが望もうと、望むまいと……

——運命の歯車は壊れたのだから。
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