我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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小鳥遊ミツル編

輝く夜、初めての友達

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︎✿


忘れてはいけなかった。
許されてはいけなかった。
その記憶は千年経った今も尚、心臓に絡みついて離れない。

——黒くて重たい呪い。

ああ。こうなると分かっていた。いつか必ず大切な人を傷付けると。
大切な君を壊してしまうと。
それでも僕は彼女に希望を抱いてしまった。
理想を抱いてしまった。
この結末は、千年以上も昔から決まっていた事。
決して覆す事の出来ない運命。

いつから僕は、こんなに穢れてしまったのだろう。
いつから僕は、こんなにも呪われてしまったのだろう。

それはきっと、あの日、あの時、あの場所で。
彼女に出会ってしまったからだ。
そして、愚かな願いを神に祈ってしまったからだ。

これはそんな愚かな愚かな、一人の妖の物語。
僕が全てを壊すまでの、物語——。

‪✿


——僕は……俺は人間が嫌いだった。


その時代、今のような人は皆平等なんて意識は無く、力のあるものが全てだった。
そんな人間達が一番忌み嫌っていたのは妖と呼ばれる存在。
独りでに「妖は悪である」という噂が歩き出し、それはやがて人間の中で常識に変わる。
そして妖達は逆に、そんな貧弱な人間を嫌っていた。
勿論それは、俺も例外では無い。

人間は、いつも見せかけだけの仲間を作って感情に揺さぶられて、いつだって哀れな人形みたいに脆くて。
そんな奴らを見てるだけで、反吐が出る。
誰かと群れるなんて頭の悪い奴か、そうする事でしか自分を守れない弱者のする事だ。
だから俺は一人でいい。ずっとそう思っていた。

——あの日、彼女に出会うまでは。

「ねえ!そんな所で何をしているの?」
いつものように、人里離れた山の麓で一人昼寝をしていた時。
一本の大木の上は、葉が日差しを遮って昼寝をするには最適な場所だった。
そこに現れたのは、一人の人間。
黒くて艶のある髪が、そよ風に揺れる。
着ている服が上等な布を使っている事から、その人間がかなり階級の高い奴だと悟る。
だか、それは人間が身勝手に決めた事だ。
妖である男が、この人間に答える義務は無い。
「……」
「ちょっと、無視しないでよ~!!木の上はそんなに気持ちいいの?貴方この間もここに居たわよね?」
彼女の甲高い声が、山の中に響く。
聞こえていないフリをしてもその人間は、ずっと男に話しかけてくる。
「ずっと寝ているだけなんて詰まらないわよ?もっと楽しい事をしましょう!」
一向に何処かに消える気配のない人間に、男はついに口を開けた。
「るっせえ!早く消え失せろ、人間!!」
脅しのつもりだった。妖力を使って、木々を揺らせば驚いて逃げていくだろうと。
そんな甘い考えは、次の瞬間に砕け散る。

「——やっぱり貴方、妖なのね!?」

ぱあっと、嬉しそうに無邪気に笑う人間の女。
普通妖だと分かれば恐怖に怯え、腰を抜かして逃げていくはずだ。
でも、この人間は違った。男が妖だと分かった瞬間、その手を真っ直ぐ空に伸ばす。
「私の名前は輝夜!ねぇ、私とお友達になってくれない?」
頭のネジが一本どころか何本も抜け落ちた、気の狂った女。
妖と友達になろうなんて、阿呆なことを抜かすその少女は、度肝を抜かた男の顔を見て白い歯を見せる。

——それが俺と、輝夜の出会いだった。

それからと言うもの、輝夜は毎日足繁くこの場所に通い詰めた。
それを男が良しとした訳では無い。最初の何日間かは妖力を使って脅し続けたけれど輝夜はそれをものともしなかった。
やがて男の方から折れ、こうしてこの場所に居る事を許したのだった。
「ねえ、貴方ってやっぱり天狗よね?その赤い面、私家の書庫で見た事があるわ!」
「だからなんだよ。つーか俺の正体知ってるくせに友達になろうとかほざいたのか?」
輝夜は不思議な人間だった。
彼女は何処かお偉いさんの家系の娘のはずなのに、妖である天狗に当たり前のように笑いかける。
腰を下ろせば、土で着物が汚れてしまうというのに、それすら気にしない。
それよりも輝夜が興味を抱いたのは、ぶっきらぼうな天狗の妖だった。
「だって貴方、言い伝えのような悪い妖では無いでしょ?なら、私が怖がる必要は無いじゃない」
輝夜は、さも当然だと言うかのようにきょとんとした。
(普通は妖ってだけで、逃げてくんだよ……。)
どうやら輝夜の中の常識は、非常識な事ばかりらしい。
珍しい人間に興味を抱かない訳では無い。ただ、それでも人間と妖は相容れない関係なのだ。
何故なら、人はすぐに死ぬから。

どれだけ共に居たいと思っても、人間は寿命には勝てない。病、怪我、精神、あらゆる面で人間には死がある。
妖にとっては瞬き程の時間が、人間の一生。
大切に思えば思うほど、人間と妖の間には深い溝が生まれるだろう。
——それを分かっていて、尚……。
過去、共に山の中を駆け巡っていた同族は人間に恋をした。
天狗の忠告を無視して、人里に降りた同族はもう数百年以上この山に帰ってきていない。
きっとずっと前に、陰陽師によって滅せられたのだろう。
(俺には理解出来ない。どうしてそこまで人間に固執する?人間にはそこまでの魅力でもあるのか?)
分からない。知りたくもない。
所詮人なんて、脆弱で片手で握りつぶせるくらい軽い命なのだから。
「ちょっとー!今、私の話聞いてた!?」
目線を下ろすと、ぷくっと頬を膨らませた少女がそこに立っていた。
「なんの話だ?」
「やっぱり聞いていなかったのね!?だーかーらー、私と賭けをしようって言ってるのよ!」
輝夜の言葉に、天狗はきょとんと目を丸くさせる。
「賭け……?」
「そう!ルールは簡単よ!私と天狗で鬼ごっこをするの!私が勝ったら、願いを叶えてもらう。」
「俺が勝ったら?」
「うーん、そしたら……私はもうここに来ない。」
少々ははっきりとそう口にした。
だが、天狗にとってその賭けは、賭けでは無い。
始まる前から勝敗は決している。
天狗は翼を持っている。妖力で少女を止める事も出来る。
なのに何故、自分を見上げる彼女は自信満々に笑っているのだろうか。
「……いいだろう。なら、俺が鬼だ。」
それはただの余興。ただの暇つぶし。
そして思い知らせてやるんだ。
人間はいつだって、妖と分かり合えないと。友達になど、なれはしないと。
そうすればこの少女も懲りて、この山には近付かなくなるだろう。
それでいい。それが、天狗にとっての望みだった。
「いいわよ~!なら今から初めましょう!日が暮れるまでに私が貴方を捕まえられるかどうか。私、絶対に貴方を捕まえてみせるわ!」
「……そうなるといいな。まぁ……」
どこから湧いてくるんだ、その自信は。
輝夜のきらきらと輝く瞳に呆れつつ、天狗はその漆黒の翼を大きく広げる。

「——ついて来れるなら、な。」

バサッと大きな翼を羽ばたかせて、天狗は大空に飛び立った。
みるみるうちに青空に溶けていく天狗の姿に、輝夜は大きく瞳を動かす。
「すっごーい!!やっぱり天狗って凄いのね!……でも、絶対負けないわ!」
ぐいっと着物の裾を持ち上げて少女は走り出す。
相手は妖だ。人々から忌み嫌われ、恐れられている存在。

——それがどうした

少女は心の中でそう叫ぶ。
妖も人間も関係ない。
輝夜が友達になりたいと思った。だから友達になる為に出来ることをする。
たったそれだけ。
輝夜は山の奥深くまで走っていく。
空に羽ばたいている、星のように小さな瞬きを置いながら、輝夜は全力で追いかける。
地脈も分からない山の中。
日の光は遮られ、薄闇の中を進んでいく。
道中、たぬきやイタチなんかも目にしたが上空の彼方を飛ぶ天狗の事しか、今の輝夜は考えられない。
そうこうしている間に、段々と日は落ち始めていく。

賭けを初めてから約三時間。
輝夜の体力は遠に限界を迎えていた。
それでも草木をかき分けて、天狗の姿を探す。
そんな哀れな人間の姿を、天狗は木の中から見下ろしていた。
(何が負けない、だ。それ見た事か。もう時期日が沈む。そうすれば俺の勝ちだ。)
結局、分かりきっていた結果になった。
アイツはこのまま天狗を見つけ出せず、泣きながら家路に戻る。
そしてもう二度とこの森には近付かない。もう二度と、俺には会いに来ない。

——もう、二度と……?

どくん、と心臓が飛び跳ねる音が聞こえてきた。
そうだ。もう二度と俺はこの女と会えない。
素性も知らない貴族の女など、天狗には関係の無い話だ。
でも……もうあの笑顔を見れなくなるのか?
鬱陶しいと思っていた。毎日毎日良くもまあ懲りもせずに天狗の元に会いに来る変な女。
けれどこれで明日から、俺は一人ぼっちになる……?
嬉しいはずなのに、清々しいはずなのに。どうしてこんなに心臓が締め付けられるのだろう。
だって、相手はただの人間だ。妖とは天と地程の差がある。
妖と人間はは相容れない。だからもう会わない事が正しい判断だ。
頭ではそう分かりきっているのに……!

「——いたっ!!」

薄暗い森の中に、一人の少女の声が響く。
どうやら慣れない山道で足を挫いたらしい。
その声を聞いた瞬間、天狗は木から飛び降りた。
頭で考えるより、身体がそうしたいと動いていた。
「大丈夫か!?」
気が付けば目の前には、きょとんと目を丸くする女が座り込んでいた。
人間は少しの傷でも、命に関わると言う。
輝夜もそうだったらと、思うだけで天狗は勝手に彼女の元に駆け寄っていたのだ。
彼女の真っ直ぐな視線に、自分が何をしたのかを理解する。
(なっ、……馬鹿か俺は!人間なんて放って置けばいいじゃねぇか!!)
あんなに人間を嫌っていたのに、自分から輝夜に近付いてしまうなんて、頭がどうかしているのだろう。
すぐさま離れようと、後ずさりをした刹那彼女の手が真っ直ぐ天狗に伸びる。
「捕まえたっ!!」
天狗の袖をぎゅっと掴んだ輝夜は、嬉しそうに笑う。
その行動に、天狗は頭が真っ白になった。

——そうだ。俺達は鬼ごっこの途中だった……!

自ら輝夜の元に姿を晒した挙句、捕まってしまうなんて。
(阿呆すぎるだろ、俺っ~!!)
天狗の顔は、その面のように真っ赤に染まっていく。
今まで木の上から人間を、輝夜を見下していたくせにこうも容易く負けてしまうとは。
輝夜に会わせる顔が無く、天狗は恥ずかしそうに視線を逸らす。
天狗が屈辱的な感情に襲われているとも知らない輝夜は、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねた。

「やったー!やったわ!私の勝ちね!」

小さな子供のように無邪気にはしゃぐ輝夜を見て、天狗はその足元を見た。
真っ赤に腫れているというのに、そんな事お構い無しにはしゃぎ回る輝夜を見て天狗は顔を顰める。
「お前怪我してるんだから、静かにしろ!!」
「あ、そういえば……あ、いっ!痛たたたた!」
どうやら嬉しさで自分の怪我の事を忘れていたらしい。
この人間の頭の中は一体、どういう構造になっているんだか。
天狗はため息を着きながら、ゆっくりと輝夜に背中を向ける。
「俺の負けだからな。仕方なく送ってやる。その足じゃ、山も降りれねぇだろ。」
「え?ああ、それなら平気。」
けろっと、したその言い草に天狗はくるりと振り返る。
輝夜は、怪我をして腫れていた自分の足首にそっと手をかざした。
その瞬間、星の色の輝きが彼女を包む。
「……!?!?」
彼女が手をかざした足首は、瞬く間に腫れが引いていき、真っ赤だった皮膚は美しい白い肌に戻っていた。
「なんだ、それ……!?」
人間にこんな術を使う術があるのかと、天狗は目の前の光景を疑う。
まさか本当は妖……!?いや、輝夜からは妖力を一切感じない。
彼女は正真正銘の人間……のはずだ。なのに何故……?
動揺を隠せない天狗に、輝夜はにっと笑って教える。
「これはね、陰陽道なの。」
「陰……貴様、陰陽師か!?」
「うん!でも最近破門にされちゃってね、今は陰陽師じゃないんだー。だから天狗が心配するような事は何も出来ないよ。私には精々、こうやって傷を癒すくらい。」
通りで不思議なオーラを纏っていた訳だ。
しかし陰陽師だとは思っていなかった天狗は、輝夜の姿をじっと睨む。
陰陽師は、妖を祓う人間達の総称だ。
この女もその家の出だと言うのなら、天狗を祓いに来たという線も大いにある。
疑いの目に、輝夜はゆっくりと視線を落とす。

(やっぱり元陰陽師となんて、仲良くしたくない、か……。)

自分の正体を話したら、彼が自分を拒絶するのは知っていた。
それでも話してみたかった。彼を、信じて見たかったのだ。
(でも、そんなの私の身勝手な願いだったよね)
そう心が諦めかけていた時、はぁ、と小さなため息が聞こえてきた。

「──しゃあねぇなぁ。」

その気だるげな声に、輝夜はパッと顔を上げる。
そこにいた天狗は彼女を嫌悪を瞳で見ていなかった。
「まあ、賭けは負けたし。お前の言う通りなってやるよ……友達ってやつ。」
思いがけない返答に、輝夜は前のめりになりながら「本当!?」と声を上げる。
こんなに純粋な心で友達になりたいと言った無邪気な少女が、他に邪な事を考えられるはずがない。
それに、陰陽師として祓おうとしていたのなら、これまでにその機会は幾らでもあった。
でも彼女はただ毎日話をする為だけにここに来て、友達になりたいという理由だけでこんなに無茶をした。
なら、信じてやるべきだ。人間も妖も心を持っているのはきっと、こうやって誰かを信用する為なのだから。

今度は天狗の方から手をさし伸ばす。
初めて会った時とは真逆に、真っ直ぐ手を伸ばされた輝夜。
「友達ってのは、信じるものだろーが。もうすぐ夜になる。お前の家の近くまでは送ってやるよ——輝夜。」
不器用なその優しさに、輝夜の心はぎゅっと締め付けられる。
ああ、やっぱりあの時この人に声をかけたのは、間違いでは無かった。
輝夜は嬉しさと恥ずかしさと、幸福感で涙が出そうになるのをグッと堪えながら天狗の手をゆっくりと取った。
「うん。ありがとう——天狗!」

それまでずっと守って来たのは、妖としてのプライド。
人間風情と馴れ合うなんて許されないという自分自身に課した枷のようなもの。
天狗の鼻のように伸びていたそんな強情な心は月が目を覚ました夜に、ポキッと簡単に折れてしまった。

こうして俺は初めて人間の友達を持った。
わがままでいつも俺を振り回す、夜を輝かせる明るい月に——。
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