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いずれ来る日
しおりを挟む——夜が明ければ、私はこの人の婚約者では無くなる。
煌びやかなドレスも、溢れんばかりの宝石も、沢山の忘れられない幸福な時間も。
もう二度とやっては来ない。
明日になれば全てが崩れ、今まで形あったものは塵となって消えていく。
一人の少女の傍らで、優しく寝息を立てる男の姿。
長いまつ毛に、蒼い月のように光る髪。整った鼻筋と、その息遣い。
少女は彼の全てが大好きだった。愛おしくて、堪らなかった。
「ヴィル……。——ヴィル。」
ああ、何度この名前を呼んだだろう。何度彼の笑顔を見ただろう。
全ては思い出となって、過去に過ぎ去っていく。
隣で手を繋いで寝る事も、笑い合う事ももう叶わない。
分かっていたはずなのに、どうしてか少女の瞳はさざ波のように揺れた。
後悔があるとすれば、それはきっとこの別れでは無い。
自分が隠していた秘密を全て話せなかった事。
彼ならばきっと、少女の秘密を話しても受け入れてくれただろう。
それでも、怖くて話せなかった己の秘密。
少女のふわふわとした髪が、するんと肩から落ちる。
淡い紫色の髪が、少女の表情を隠した。
そうしている間にも、容赦なく時間は過ぎていく。
まるでそれが、運命だとでも言わんばかりに。
「……もう、行かなくちゃ。」
少女はゆっくりと、寝ている青年の額に自分の額を重ねた。
「我が名と真理の意向に置いて、世界の扉を閉ざさん。——サブリネージュ」
真っ白な光が、青年の体を包んでいく。
光は、全てを飲み込んで行く。目に見えない、日常を飲み込んで、忘却の彼方へと消えていく。
嫌だ。本当はこのままここに居たい。一緒に同じ朝日を見たい。
少女の言えない思いは涙となって、頬を伝う。
決して叶う事の無い、少女の願いはそうして音もなく消えていった。
「さようなら、ヴィル。——ヴィルエイム・ライ・グレーラビス公爵。」
もう二度と、その名を口にする事も、会うことも無いけれど。
——私はずっと、貴方を愛しています。
言えない思いは、月明かりがが隠してくれる。そして世界は何事も無かったかのように明日を迎えるのだ。
そうして少女は、隠していた荷物を手に取って扉を開ける。
それは決別の扉。もう戻ることの出来ない扉をくぐって、少女は真夜中の闇に消えていく。
最後にもう一度だけ、後ろを振り返った。
そこにはいつもと同じように眠りにつく、自分の愛する人物が目に映っていた。
でももう、彼の瞳に少女の姿が映る事は無い。
ふと、少女は涙ながらに思う。
もしもあの日、あの時。
この人に出会っていなければこんな思いをせずに済んだのではないだろうか。
こんなに苦しまずに済んだのではないだろうか。
ただの町娘として、身の丈にあった幸せを手に入れていたのではないだろうか。
もし、あの日に戻れたら。
——その時私は、あの手を拒む事ができるのかな。
なんて、柄にも無い事を思いながら少女はひっそりと屋敷を抜け出す。
たった半年。半年しか住んでいなかったのに、この屋敷がまるで自分の家のように感じていた。
あまりにも暖かくて、そんな錯覚をしてしまった。
けれどそれは全て偽物で贋作で、虚構だった。
それに気付けただけでも、良かった事にしよう。
もう二人の道は交わらないけれど、少女は一歩を踏み出した。
行く先も分からないままに。
これはいずれ来る日のお話。
そしてこれから語られるのは、一人の町娘が、分不相応な恋をしてしまう物語。
もしくは、ある一人の孤高な貴族が、不覚にも一人の町娘に恋をしてしまう物語。
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