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1H-鎮守と毒性
1H-14 琥珀の杯
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発酵とは、細菌や真菌、カビといった微生物の生命活動そのものを指す。自分は教育課程でそう習ってきた。食に関する現象として知られているが、医薬の分野にも深く関わる。腐敗もまた同じ生命活動の副産物だ。食物を腐らせ、毒素を産出し、結果として食中毒を引き起こすこともある。人にとって有益なものを「発酵」、有害なものを「腐敗」と呼び分けているに過ぎない。現象自体は同じであり、【発酵】スキルは、この生命活動を人に有益な方向へ導き、腐敗を抑制する働きを持つようだ。
「おい、聞いているのか? 葡萄酒というのはな……」
【発酵】を得た自分に、似たスキル【醸造】を持つ主様は、葡萄酒作りの講義を始めた。醸造は酒作りに特化したスキルらしい。自分は酒造りに関しては素人なので、主様の解説は非常に勉強になる。酒に絡めた冗談さえなければ、さらに良いのだが。
「ウーヴァは鎮守の森の近くで採れる。エルフは里で栽培もしているし、ヒト族も同じだ。城郭都市でも葡萄酒は流通しているだろう? そういえば、アクアヴィーテも作ったとマジャリスから聞いたぞ。楽しみにしている」
「葡萄酒のアクアヴィーテは祝いの席で出します。ようやく蔵出しができそうです」
「ああ、楽しみだ。酒造の続きを話そう。収穫したウーヴァを桶に入れ、上から押し潰す。側面の孔から果汁が流れ出る。100の実から60~70%の果汁が得られる。果汁は桶に溜め、滝のそばの室で10~20度に保つと発酵が進む。七日で発酵がピークを迎え、十~十四日で止まる。液中の澱が沈み、上層が澄んだら完成だ。【発酵】や【醸造】は菌の成長を操作できる。妾の【醸造】はより詳細に制御できるがな」
なるほど、発酵の工程がよく理解できた。ロセアスティルを口に含みつつ、主様の話は続いた。
「族長が昔に発見したのは、発酵後の長期保存法だ。微熱湯で30分加熱すると保存が効く。これをしないと酢になってしまう。200年前、彼女はこれに気づき、当時のセプテン王から対価を得た。その技術は北の国セプテンを経てヒト族にも伝わった。【発酵】スキルが現れたのもその頃だ」
なるほど、これは低温殺菌法だ。50~60度で加熱し、酵母の活動を止め、アルコールを飛ばさずに保存性を高める。桶を蒸気や熱湯で消毒するのも、雑菌の繁殖を抑えるためだ。むこうの界では牛乳の殺菌に使われていた。低温殺菌牛乳と同じ理屈であり、【発酵】スキルは、微生物の知識を理解した者に与えられる力なのだろう。
そんなことを考えていると、エリス様が迎えに来た。
「主様。宴の準備が整いました」
葡萄酒談義はもう十分だ。主様はまだ話したそうだったが、エリス様に従って席へ向かう。案内されたのは主賓席。族長が隣に座り、その隣に主様。庭には百人ほどのエルフが集まっていた。焼ける肉の香ばしい匂いが漂い、香辛料の刺激が鼻を心地よくくすぐる。
「皆の者、揃ったか? 宴を始めよう」
杯が配られ、葡萄酒が注がれていく。自分は未成年なのでウーヴァ果汁だ。
族長が立ち上がる。
「皆も知っている通り、宴の理由はサイカスだ。ついに無毒化に成功した! 収穫者、加工者、携わった者たちよ、大義であった。努力は報われた。これからはポーション無しで食事ができる。乾杯だ!」
次の瞬間、杯が一斉に打ち鳴らされ、澄んだ音が重なり合って響き渡る。木々の間に反響し、まるで森そのものが祝福しているかのようだった。
歓声が爆発するように上がり、笑い声と歌声が入り混じる。
「乾杯!」
「サイカスに、そして我らの未来に!」
杯と杯がぶつかるたびに高い音が弾け、熱気はさらに増していく。エルフたちの頬は紅潮し、涙と笑みが交錯する。百年の苦しみを越えた解放感が、場を包み込む。
杯が打ち鳴らされ、歓声が上がる。料理は次々と提供される。フォミトリアさんが他のエルフと共に忙しく場を切り盛りする。 そんな様子を見ていると、エリス様が正面に回ってきた。
「フォミトリアさんは料理上手ですね。肉の香りがヒト族と異なります」
「族長は発酵が得意だったでしょう? その発酵乳を料理に応用したのがフォミトリア。魔鴨肉を漬け込み、ターメリックをまぶして焼いた釜焼きよ」
目の前に供された肉は柔らかく、ウコンの香りが食欲をそそる。ナイフを入れると肉汁が溢れ、優しい味わいが広がった。胃腸の弱ったエルフには格別だろう。
さらに白いふんわりとした焼き物が出される。
「これはナーネだな。サゴ粉の加工品だ。シエサが早速作ったのだろう。白度が違う。ウバルムを使ったパンだ」
パラケルが教えてくれる。
族長が単離・継代してきたウバルム――酵母だ。乾燥ウーヴァで世代を重ね、発酵特性を選抜してきたのだろう。こちらのパンが膨らみにくい理由も理解できた。族長の長年の研究成果がここにある。
「ウバルムを分けてもらうことは可能でしょうか?」
「族長案件ね。私には権限はないわ」
「ワシも頼んだが許されなかった」
やはり発酵種は里の宝だ。
やがて族長が声を上げる。
「皆聞いてくれ。今回、ヒト族から二人の客人を招いた。一人はパラケル。そしてもう一人はレッドだ。サルタンの息子であり、ポーション改良の実績を持つ。サイカスの無毒化に貢献した功労者だ」
主様も立ち上がる。
「創造主より妾に神託が下されたことは知っているだろう。[界上の賜物]の捜索だ。今回招いたレッドこそがその賜物であると判明した。今日の成果がその証だ。感謝する」
さらに続ける。
「この件でエルフの懸案は解決した。今後は過度な肩入れをやめ、森全体の安定に注力する。安心せよ、里を離れるわけではない」
自分も立ち上がり、言葉を添える。
「皆さん、サルタンの息子レッドです。[界上の賜物]などと呼ばれていますが、普通の少年として接していただければ幸いです。サイカスの問題が解決できたことを喜びます。最後に、祝いの酒を贈呈します」
アイテムボックスから無銘のアクアヴィーテを取り出し、主と族長に手渡す。
「心遣い感謝する。祝いの席に相応しい品だな。そういえば、あの時の手紙には腹が立ったものだったな」
「そうだな。今思えば、サゴの解決に比べたらどうということもないか」
「早速となるが、皆の期待もあるし、注ぐとするか……」
族長が瓶を傾けると、透明な器に琥珀色の液体がトクトクトクと注がれていく。その音はただの液体の響きではなく、百年の苦悩を超えた証のように感じられた。
芳醇な香りが広がる。
琥珀色の液体に自然と皆の視線が集まった。
「おい、聞いているのか? 葡萄酒というのはな……」
【発酵】を得た自分に、似たスキル【醸造】を持つ主様は、葡萄酒作りの講義を始めた。醸造は酒作りに特化したスキルらしい。自分は酒造りに関しては素人なので、主様の解説は非常に勉強になる。酒に絡めた冗談さえなければ、さらに良いのだが。
「ウーヴァは鎮守の森の近くで採れる。エルフは里で栽培もしているし、ヒト族も同じだ。城郭都市でも葡萄酒は流通しているだろう? そういえば、アクアヴィーテも作ったとマジャリスから聞いたぞ。楽しみにしている」
「葡萄酒のアクアヴィーテは祝いの席で出します。ようやく蔵出しができそうです」
「ああ、楽しみだ。酒造の続きを話そう。収穫したウーヴァを桶に入れ、上から押し潰す。側面の孔から果汁が流れ出る。100の実から60~70%の果汁が得られる。果汁は桶に溜め、滝のそばの室で10~20度に保つと発酵が進む。七日で発酵がピークを迎え、十~十四日で止まる。液中の澱が沈み、上層が澄んだら完成だ。【発酵】や【醸造】は菌の成長を操作できる。妾の【醸造】はより詳細に制御できるがな」
なるほど、発酵の工程がよく理解できた。ロセアスティルを口に含みつつ、主様の話は続いた。
「族長が昔に発見したのは、発酵後の長期保存法だ。微熱湯で30分加熱すると保存が効く。これをしないと酢になってしまう。200年前、彼女はこれに気づき、当時のセプテン王から対価を得た。その技術は北の国セプテンを経てヒト族にも伝わった。【発酵】スキルが現れたのもその頃だ」
なるほど、これは低温殺菌法だ。50~60度で加熱し、酵母の活動を止め、アルコールを飛ばさずに保存性を高める。桶を蒸気や熱湯で消毒するのも、雑菌の繁殖を抑えるためだ。むこうの界では牛乳の殺菌に使われていた。低温殺菌牛乳と同じ理屈であり、【発酵】スキルは、微生物の知識を理解した者に与えられる力なのだろう。
そんなことを考えていると、エリス様が迎えに来た。
「主様。宴の準備が整いました」
葡萄酒談義はもう十分だ。主様はまだ話したそうだったが、エリス様に従って席へ向かう。案内されたのは主賓席。族長が隣に座り、その隣に主様。庭には百人ほどのエルフが集まっていた。焼ける肉の香ばしい匂いが漂い、香辛料の刺激が鼻を心地よくくすぐる。
「皆の者、揃ったか? 宴を始めよう」
杯が配られ、葡萄酒が注がれていく。自分は未成年なのでウーヴァ果汁だ。
族長が立ち上がる。
「皆も知っている通り、宴の理由はサイカスだ。ついに無毒化に成功した! 収穫者、加工者、携わった者たちよ、大義であった。努力は報われた。これからはポーション無しで食事ができる。乾杯だ!」
次の瞬間、杯が一斉に打ち鳴らされ、澄んだ音が重なり合って響き渡る。木々の間に反響し、まるで森そのものが祝福しているかのようだった。
歓声が爆発するように上がり、笑い声と歌声が入り混じる。
「乾杯!」
「サイカスに、そして我らの未来に!」
杯と杯がぶつかるたびに高い音が弾け、熱気はさらに増していく。エルフたちの頬は紅潮し、涙と笑みが交錯する。百年の苦しみを越えた解放感が、場を包み込む。
杯が打ち鳴らされ、歓声が上がる。料理は次々と提供される。フォミトリアさんが他のエルフと共に忙しく場を切り盛りする。 そんな様子を見ていると、エリス様が正面に回ってきた。
「フォミトリアさんは料理上手ですね。肉の香りがヒト族と異なります」
「族長は発酵が得意だったでしょう? その発酵乳を料理に応用したのがフォミトリア。魔鴨肉を漬け込み、ターメリックをまぶして焼いた釜焼きよ」
目の前に供された肉は柔らかく、ウコンの香りが食欲をそそる。ナイフを入れると肉汁が溢れ、優しい味わいが広がった。胃腸の弱ったエルフには格別だろう。
さらに白いふんわりとした焼き物が出される。
「これはナーネだな。サゴ粉の加工品だ。シエサが早速作ったのだろう。白度が違う。ウバルムを使ったパンだ」
パラケルが教えてくれる。
族長が単離・継代してきたウバルム――酵母だ。乾燥ウーヴァで世代を重ね、発酵特性を選抜してきたのだろう。こちらのパンが膨らみにくい理由も理解できた。族長の長年の研究成果がここにある。
「ウバルムを分けてもらうことは可能でしょうか?」
「族長案件ね。私には権限はないわ」
「ワシも頼んだが許されなかった」
やはり発酵種は里の宝だ。
やがて族長が声を上げる。
「皆聞いてくれ。今回、ヒト族から二人の客人を招いた。一人はパラケル。そしてもう一人はレッドだ。サルタンの息子であり、ポーション改良の実績を持つ。サイカスの無毒化に貢献した功労者だ」
主様も立ち上がる。
「創造主より妾に神託が下されたことは知っているだろう。[界上の賜物]の捜索だ。今回招いたレッドこそがその賜物であると判明した。今日の成果がその証だ。感謝する」
さらに続ける。
「この件でエルフの懸案は解決した。今後は過度な肩入れをやめ、森全体の安定に注力する。安心せよ、里を離れるわけではない」
自分も立ち上がり、言葉を添える。
「皆さん、サルタンの息子レッドです。[界上の賜物]などと呼ばれていますが、普通の少年として接していただければ幸いです。サイカスの問題が解決できたことを喜びます。最後に、祝いの酒を贈呈します」
アイテムボックスから無銘のアクアヴィーテを取り出し、主と族長に手渡す。
「心遣い感謝する。祝いの席に相応しい品だな。そういえば、あの時の手紙には腹が立ったものだったな」
「そうだな。今思えば、サゴの解決に比べたらどうということもないか」
「早速となるが、皆の期待もあるし、注ぐとするか……」
族長が瓶を傾けると、透明な器に琥珀色の液体がトクトクトクと注がれていく。その音はただの液体の響きではなく、百年の苦悩を超えた証のように感じられた。
芳醇な香りが広がる。
琥珀色の液体に自然と皆の視線が集まった。
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