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第二章・聖女レベル、ぜろ

19.これが、『現実』

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「…………ッ」

 カクカクと膝が笑い、そしてその事実を認識する前に再びガァンと音が響く。
 トロールからの攻撃を受けたライザの体がまた少し後退りし、私も後ろに下がらなくてはと思うのだが上手く足が動かず無様にもその場でしりもちをついてしまった。

「きゃっ」
「!?聖女様っ!」

 小さく叫び声をあげた私がどてんとひっくり返ると、その声に驚いたライザが私の方へ振り返り――……


「ライザッ」

 その隙を見逃さなかったトロールが、まるで平手打ちをするようにライザの横腹を払った。

 バキッと嫌な音が響き、ライザの体が木に叩きつけられる。

“私のせいだ……!”


 腰が抜けた私はしりもちをついたまま立ち上がることができない。
 そんな私の顔にふっと影が落ち、ビクビクとしながら見上げると――……
 
「――――ッ」

 上から叩き潰そうとしているのか、開いた手を私の上に掲げたトロールが目の前にいた。

 ひゅっと息を呑む。
 誰かに助けを求めたいのに、喉が張り付いてヒューヒューとした息が漏れるだけ。

“というか、誰に助けを求めればいいの?”

 一緒にいたジープもロクサーナも近くにおらず、ライザは木に叩きつけられたまま動かない。

 今戦えるのも、ここにいるのも私だけ。


 眼前に迫ったトロールの口から飛び散るヨダレが私の顔にびちゃっと落ち、その悪臭にぞわりと鳥肌がたつがそれを拭うことすら強張った体では叶わなくて。


“やだ、こわい、こわい、こわい、どうしよう、こわい、たすけて、フラン……っ”

 じわりと涙が溢れ私の視界を滲ませる。
 このまま私はぺしゃんと叩き潰されてしまうのだと、両目をぎゅっと閉じた時だった。



「リッカ!!」

 名前を呼ばれ、パッと顔をあげたそこには思わず助けを求めたフランがいた。


“助けに来てくれたんだ”

 全身が凍ったように冷たく動かなかったのに、フランが目の前にいるというだけで手足に血が戻ったように感じる。


 駆けつけてくれたフランがスパッと大きな半円を描くように剣を動かすと、ボトリとトロールの腕が切断され私の真横に落ちてきた。

「…………ッ!………………ッッ!!」

 切り落とされた腕に驚いた私の体がびくりと跳ね、そしてそれ以上に驚いたらしいトロールが唸り声をあげて後退る。

 そんなトロールの足を狙い、体勢を低くしたフランが再び剣をふるうと地響きをさせながらトロールが仰向けにひっくり返った。


「グガァァァアッ」
「トドメだ!」


 仰向けで転がるトロールの腹に飛び乗ったフランが、トロールの胸に思い切り剣を突き刺す。

 最初はバタバタと残った手足で暴れていたトロールだが、剣を刺したフランがそのまま体重をかけグッとより深く突き刺すと次第に力が弱まり、そして完全に動かなくなった。


 その一連の流れを呆然としながら見ていた私は、気付けば私の側まで戻ってきていたフランに声をかけられハッとする。


“そうだ、みんなは……!”

 ジープとロクサーナがいないこと、ライザが木に叩きつけられてしまったこと。
 それらをフランに報告し、すぐにみんなの様子を見に行かなくてはならない。

 未だにバクバクと暴れる心臓が苦しく、そして目の前に迫った危機からのショックからまだ脱せてはいないが、それでもそれくらいはしなくちゃ――と焦って口を開いたのだが。


「――っ、――――っ!」

 声が出ないどころか、息を吸っても吸っても苦しくて堪らなかった。

「リッカ!?おい、リッカ!」
「っ、っっ」

 苦しく、そしてズキズキと胸も頭も痛くなり更に焦る。
 酸素が足りない。こんなに苦しいのだから酸素が足りない。
 なのにいくら吸っても酸素が届かないような錯覚に陥り、目の前が白く飛びそうになる。


 落ち着け、と私の肩を掴んだフランの腕に縋るように手を伸ばすがカタカタと震えて上手く力が入らなかった。


「吐け、落ち着いて呼吸しろ、ゆっくり息を吐くんだ!」
「――っ、っ?」

 ひゅっひゅと口から音を漏らしつつ、こんなに苦しいのに息を吐けといわれる意味がわからなくて更に混乱する。

 苦しくて、痛くて、どうすればいいかわからなくて。


「――くそっ」

 ぽろぽろと涙を溢す私の首裏に手を回したフランの唇が、唐突に私の唇と重ねられた。

「!?」

 驚き体をよじろうとするが、私の頭をしっかり固定したフランは抵抗を許してはくれず。
 そしてゆっくりと私の肺に送り込むように空気を吹きいれた。

 一瞬口を離し再び息を吸ったフランが、また唇を重ねゆっくりと二酸化炭素を送り込む。

 まるで人工呼吸をされるようにその行為が何度か繰り返され、そんなフランのお陰か私の呼吸も少しずつ落ち着いた。


「大丈夫か?」
「…………あ、うん」

 心配そうに覗き込むフランの深い海色の瞳をぼんやりと眺めていた私は、そこで再びハッとする。


「ジープとロクサーナがいないの!それにライザが……っ」
「申し訳ありません、リッカ様ぁ……」
「ジープ!?」

 焦って叫んだ私に弱々しく声をかけてくれたのは、まさかのいなくなったジープ本人だった。
 そんなジープに肩を貸すようにして立っているのはロクサーナで。


「二人とも無事だったんだ……!」

 聞けば、やはりジープはトロールの初撃で吹っ飛ばされてしまったらしかった。
 そしてそんなジープのフォローに入るべくロクサーナが追いかけ、そこで別のトロールからの襲撃を受けたのだという。


「すぐに駆けつけられず悪かった」

 フランによればトロールは全部で五体いたらしく、それぞれが戦っていたそうだ。


「そ、そうだ、ライザが!!」

 状況を少し理解した私は、それどころじゃなかったと慌ててライザが叩きつけられた木の方に向き直る。

 するとそこにはトーマと、そして自力で立っているライザがいて。


「申し訳ありません聖女様っ!」
「ぅえっ!?」

 その場でガシャンと崩れ落ちるようにライザに頭を下げられた私は、想定外のその行動にあわあわとしてしまう。

 
「おい、脳震盪起こしてんだからそんなに動くなって」

そんなライザを気遣うようにトーマが慌てて隣にしゃがみライザの肩を支えるが、ライザは頭を上げなくて。

「集中を欠き、聖女様を危険に晒してしまいました……っ!」
「ちょ、いいっていいって!というか、私が上手く動けなかったせいだからむしろ悪いのは私!」
「そんなことありません!聖女様は守られるべき存在で……っ」


 そう嘆くライザにショックを受ける。
 
 それはこんな自分の浅はかな行動で出がらしになった私すらも聖女と認め、そして騎士として守る役割に徹しようとしてくれるライザとの意識の差を見せつけられたからなのか。
 
 それとも動けるつもりで何も出来ず、足を引っ張るしかできないのにみんなを付き合わせ危険な状況にさせてしまったからなのかは、この時の私にはまだわからなかった。


 
“勇者だなんて、おこがましかったかな。せめて本来の聖女として、これくらいなら……”

 目の前で項垂れているライザの頬にそっと手を伸ばす。

 念じれば出る、そう教えてくれたフランの言葉を思い出しながら、私はライザを包むようなイメージで触れた手のひらから頬へと魔力を流した。


“詠唱なんて、いらないんだな”

 必要なのは信じる心なのかもしれない。
 かすんかすんの魔力しか残っていない私は、少し手こずりつつ精一杯魔法を発動させて。


「どう?」
「痛みが、なくなりました……」
「なら良かった」

 ぽかんとするライザに笑いかけると、トーマがありがとうと笑ってくれてホッとした。


“まだ『できない』が多いけど、できることを増やすところから……”

「次ジープ、こっち来て?」
「あ、はい」

 目の前に来てくれたジープの手を握り、そこから彼女の全身に魔力を流す。
 じわりと温かいものが全身を包むようなイメージで念ずると、ジープの顔もじわりと赤らんだ。


「すごい、気持ちいい……」
「そうなの?」

 私にはわからないが、それでもジープがそう言うならそうなのだろう。

“回復魔法って、つまり癒しの能力だからかな?”

 体だけでなく心もそうやって痛みや苦しみから癒されたのなら嬉しいな、なんて考えながら手をあげる。


「他にも怪我した人はいない?出がらしだから一人ずつになるけど、全員治療するよ!」
「おいリッカ、お前だってさっきまで……!」
「ま、私のは勝手に過呼吸になっただけで外的要因じゃないし。それに出がらしでも聖女だからかな?別に魔力の枯渇で意識が朦朧と……なんてことはないから大丈夫でしょ」


 もし攻略本なんて作らなければ、みんなを一気に治せたりなんかしたのかもしれないが、その能力はもう失われてしまっていて。

 
“例え一人ずつでも治せるならまぁ、問題はないよね”


「出来ることから」
 
 私はそう自分に言い聞かせつつ、騎士たちに魔法をかけたのだった。
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