ベイロンドの魔女

路地裏の喫茶店

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三章 ランの誇り

第二十八話

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「ラン!」

「セラノ!」

 倉庫は広く、そしてほのかな明かりが灯っていた。部屋の隅々に大きな荷物やワイン樽が並べられ、その中央のスペースに少年団の仲間達十数人が座っていたのだ。彼等は私達を見ると驚きの声をあげて立ち上がった。

「助けにきたよ!」

 わあぁぁ…という再会の歓声。皆手を取り合い無事を確かめ合った。私の元にも何人もの仲間達が来てくれ、口々に「ラン、シェナに戻ってきてくれたんだね」などと言ってくれた。私は胸がぐっと熱くなった。

 

「そういえば状況はどうなったの?」

 感激の再会もひとしおという所、倉庫に軟禁されていた仲間のうちの一人がそう訪ねた。私とセラノはこれまでの状況を説明して、それから私とリィディが町長さんの様子を見に行く事を話した。

「それであなた達実際に町長さんに会った人達の話を聞きたかったの」

 私がそう言うと皆は口々に町長さんの変貌ぶりを語り出した。

 眼が異様に赤く見えた、という人。まるで人間の感情が欠落しているようだったという人。倉庫の見張り番の話をこっそりと盗み聞きして、夜な夜な町長さんの部屋から赤く爛々とした光が漏れる事、などなど。

 ユンとキリルから聞いた話と符合する話もあったし、更に詳細な情報もあった。

 もう疑う余地はない。町長さんは悪い精霊に取り付かれたか何か、されてしまっているのだ。

「私とリィディは町長さんの部屋に行ってみるから、皆は大広間から玄関の方に出て家に帰ったほうがいいわ」

 私がそう言うと、皆はかぶりを振った。

「いや、もうランだけにまかせちゃいけないよ」

「そうだよ。俺達の街がそんな危ないものに狙われちゃってるんだろ」

「僕達も町長に会いに行く。大丈夫、もう絶対に捕まえられたりはしないからさ」

 一人もそのまま家に帰りたいと言う人はいなかった。

「……そっか、わかった。でも絶対無理はしないでね」

 私は彼等の手を取り言った。
と、その時――。

 

「お、お前達…魔女だな!」

 私達の後ろで妙にエコーの効いた、しゃがれた声が聞こえた。驚き後を振り向くと、そこにはさっきネムリソウで眠らせたばっかりの使用人が怒りに震える面持ちで立っていた。
 顔は赤く染まり眼は爛々と輝いている。体の輪郭が僅かにあいまいになり、まるで半ば空気に溶け出したようだ。

「ネムリソウを確かに吸った筈なのに…人間じゃなかったのね」

 リィディが素早く呪文ルーンを紡ごうとした。使用人はそれを見ると階段を駆け上がった。追っていった私達の耳に高い笛の音が聞こえたのだった。

「あっ!」

 大広間まで追っていった時、使用人は大階段の途中あたりでこちらを振り返っていた。
 しかしその階段の続く二階の廊下からは、さっきの使用人と一緒で、人間味の無い顔をした他の使用人…全部で八人がこちらを見下ろしていたのだった。

「気をつけなさい!悪意に満ちた精霊だわ!」

 リィディがセラノ達の前に出て呪文ルーンを紡いだ。私も続いて魔法の言葉を唱える。

「音なきに流れる真実の風よ、振り払え偽りの影!」

 ホブゴブリンの姿を暴いた時に使った解除魔法ディスペル・マジック

 エメラルド色の一陣の風が使用人達を駆け抜けると、そこには誰一人として使用人の姿をした人はいなかった。


 メラメラと怒るように燃え盛る意思ある炎。それは鳥のような姿をしていた。

「サラマンダー!」

 シェナの空を焦がしたあの悪夢を、私は忘れない。逃げ惑う人々、燃え盛る建物…。火と土の王ニシェランから生まれた、破壊の精霊。

「うわっわあぁぁぁ!」
 ヤンが叫び声をあげる。

 町長さんが精霊にとり付かれている可能性が高くなった以上、こういった事態に遭遇する事は皆も心に留めていた。しかし、本来なら普通の人間が一生見ないものに、落ち着いて臨んでいられるわけはなかった。

 サラマンダー達は連なって円を描くように宙空に旋回している。どうやって私達を焼き払おうと見定めているようだ。

 私とリィディはすぐさま風の精霊に働きかけ、炎を防ぐ効果を持つ風の防御壁を張った。

「あまりちりぢりにならないで。この風の壁の中にいて」

「わ、わかった!」

 猛る精霊はやがて一斉に私達めがけて突っ込んできた。防御壁の巻き起こす風の流れにさえぎられ、弾かれるが諦めない。時折風の流れが巻き込んだ熱風が壁の中の私達にも吹き込む。

「精霊の怒りを鎮めて、精霊界に帰還させるしかないわね」

 私は火の鳥の紅蓮に燃える炎の色を目の当たりにしながら、ほんの少しだけ意識が遠くなるのを感じた。この感覚は――。

 心の海の深遠から響き渡るような遠い声が聞こえてくるようだった。五感が冴え渡り体の末端、指、指先、頭が全てを感じ取っているようであった。
 体内を駆け巡る魔力は活性化し、みなぎっている。そんな変化に気付いた一瞬後、リィディの紡ぐ呪文ルーンの声にはっとして意識が完全に立ち戻った。私も続いて呪文ルーンを口ずさむ。

 ――この感覚はどこかで感じた事がある。ニシェランを封印した、あの時の感覚だ…!


 怒れる精霊を帰還させる魔法によってサラマンダーが五匹人間界から消え去った時、サラマンダーは急遽私達に向かってくるのをやめ、何と大広間のいたる所に火をつけ始めたのだった!

「なんて事を!」

「火を消さないと!館が燃えちまうっ」

 私達は焦りを感じたが、残りの炎を放つサラマンダーを一匹ずつ確実に、帰還させていった。これで何とか館を炎上させる事は防げる。と思った矢先だった。

 突然大広間の二階の廊下から、更に十数匹のサラマンダーが姿を現したのだ!


「…ニシェ…ランサマノ…イシ…コノマチ…モヤシツクス…」

 サラマンダーは突然高い、鳥類のいななきのような声で、しかし私達にわかる言葉でそう言ったのだ。

 ニシェラン!

 何て事だ。町長さんの変貌に始まる一連の事件は、あの、確かに禁呪によって封じ込められたはずのニシェランによるものだったというのだろうか?そしてその最終目的は再びシェナを燃やし尽くそうとしているなんて。

 私とリィディは顔を見合わせた。リィディも驚いた顔をしている。どうにかしてその計画を食い止めねば!

 しかしサラマンダーは数にものを言わせて、風の防御壁に向かって来る者、館に火をつける者、そして窓を破って出て行き、街に火をつけようとする者とに分かれた!


「どうすればいいの――!」

 私とリィディでは手があまりに足りなさ過ぎる事を悟った。どうすれば…どうすればいい…?――禁呪…リブラルの大口…ふと頭に浮かんだのはそれだった。街に恐怖を呼び込んだ、火の精霊に劣らない破壊と欲望の禁呪!私は再び深遠からの声が聞こえてくるような気がした――。

 その時。誰かの大声が聞こえた。




 

「セラノ――!ランちゃん――!」

「…セラノのお父さん!」

 なんと玄関から続く廊下から、そこに現れたのはセラノのお父さん、そしてその後ろに続く大勢の街の人達だった。

「街の奴等にランちゃん達の無実を訴えていた時だ。誰かが町長館から火が上がっていると言った。町長館が燃えちまったら大変だし、セラノやランちゃんも町長館に行くと聞いていたから、すぐさま駆けつけたんだ!…おわ!なんだこりゃー!」

 セラノのお父さんは、言いながら館を飛び回るサラマンダー達に気付いたようだった。


「大変なんです!再び火の精霊が街を燃やし尽くそうとしています!もう数匹のサラマンダーが街に火をつけに行ってます!手遅れにならないうちに街の皆に呼びかけて消火活動をして――っ!」

「な、なんだって!」

 その時再び廊下から街の男の人が現れた。

「大変だ!街にも火の手があがってるぞ!」

 セラノのお父さんと一緒に館に来た街の人達も驚きの声を上げた。少年団の仲間達も顔を見合わせて声をあげている。

「どっどうすんだっ!」

「ランちゃんの言う通りにするんだ!街の皆に知らせて消火活動をしろ!この館にも十何人か残して館の消火活動をするんだ。火の精霊に気をつけろ!体に水をかぶるんだ。おう、セラノ、お前達も消火活動を手伝え!」

「わかった!」

 セラノのお父さんが素早く皆に指示を出した。皆こぞってあわただしく動き出す。セラノをはじめ少年団の仲間達も、セラノのお父さん達が用意した水桶の水をかぶり、桶を手にとって消火活動を始めた。

 しかしその間にもサラマンダーは二階から増えていったのだった。大広間は多くの人と精霊、炎で真っ赤に、急激に戦場のようになった。


 私はその光景を見て、自分がするべき事を思いついた。

「ラン」
 その時リィディが私の肩を叩いた。

「リィディ私、ニシェランに会いに行って来る!私が行かないとダメなんだ!」

「全ての決着をつけるか…。わかった!町長館や街の炎は私達にまかせなさい!でも、絶対に無事に帰ってくるのよ!」

「うん!」

 私は頷くと、大階段を急いで上がっていった。

 

 二階にも数匹のサラマンダーが飛び回っていたのだけど、私は自分の周りに風の防御壁の魔法をかけていた。今は下級精霊を相手にしている場合じゃない。とにかくニシェランに話をつけるのが最優先だ。

 そのまま更に三階に続く階段をのぼり三階へ。階段をのぼりきって左右に伸びる廊下には、向こう側とこちら側の壁にそれぞれ二つずつのドアが付いている。

 三階にはサラマンダーは何故かいなくて、下二階の煙が次第に登り始めているものの、炎はまだここには回っていない。下の階の喧騒が嘘のような静けさがあった。


 私はどのドアが町長――ニシェランのいる部屋だろうかと思ったが、それはすぐにわかった。北東のドアから強い思念とエネルギーが漏れ出している。私は唾を飲み込んでゆっくりとそのドアに近づいた。ドアの奥からは熱気が私にぶつかってくるようだった。

 あの炭坑の奥で初めてニシェランと出会った時…あまりの力と怨気に気圧されそうで、自分が小さく感じられた。一階や二階での火の精霊と炎によって私は既に大量の汗をかいていたが、ドアを前にして更に、その下から冷ややかな汗が吹き出すようだった。

 ニシェランは私には正直恐ろしかった。あの怨念に満ちた眼、体全体から発せられる荒々しい空気。前にシェナで彼を無理矢理封じ込めた時は無我夢中だった。半ば意識のなかった状態でいつのまにかニシェランはいなかった。

 今また私は面と向かってニシェランに対峙できるのだろうか。



「……」

 私はふと思い出してワンピースのポケットを探った。ひんやりとした小さな瓶の感触があった。コリネロスに渡されたバラのオイルの瓶だ。

「最後でもいい…コリネロス、私に勇気と、魔女の誇りをちょうだい!」

 私は意を決すると瓶の蓋を開け、頬によくすり込んだ。凝縮されたバラの匂いがする。

 私が魔女である事に疑問を感じやめようかと考えた時、私は一人前の魔女の証であるバラのオイルを持つ資格はないと思った。
 だけどニシェランという偉大な精霊を目の前にした今、このオイルの香りが私を魔女だと繋ぎとめてくれる最後の支えのような気がした。


「よしっ!」

 頬を両手でバチンと叩くと、私はドアノブに手をかけた。

 

         
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