月は隠れ魔女は微笑む

椿屋琴子

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神の深慮と巫女の浅慮

騎士と元巫女の決意

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 馬屋を覗けば早朝だと言うのにオズバードやアルディーヒトの愛馬が、飼葉を食むのをやめこちらへと頭を向けて小さく嘶く。人気が無いところを見ると、すでに馬番は仕事を終え他の馬屋へ向かっているのだろう。

騎士の乗る馬は通常の馬よりも二周りほど大きく、脚も太くがっしりしているため力も強い。アルディーヒトは二頭の頭を撫でてやりながら連れ出すと、荷馬車に連結し大人が入り込めそうなほどの大きな樽をいくつも載せていた。

蓋を開け手に入れた食料や野営道具を詰め込むと、別の樽に水とエールを準備し同じように載せた。多少乱暴に馬を駆っても樽が動かないように固定することも忘れない。


「おはよう…って、随分早いがアルディーヒト、これから遠征か?」


念入りに準備と確認をしていれば、丁度顔を洗う為に井戸へ降りてきたのだろう同僚の男が声を掛けてきた。早朝に準備をして遠征に行くことはさして珍しいことではないため、疑いもしないのだろう。


「おはよう。ああ、やっと長期任務が終わったからな。憂さ晴らしにってとこだな。」


「なるほど。ま、怪我だけには気をつけろよ。」


怪我を少しでもしてしまえば、よほどの理由がない限り聖都から追い出される事となるため、最近では騎士達も積極的に聖都の外へ行こうとはしない。

それでも遠征に行く者は多いのだがその大半は、近くの村の具合のよさそうなウィガス人の女を捕まえて遊ぶか、上手く動くことの出来ないものを見繕って動物の餌にして、食事に気をとられている隙に狩りをするくらいだ。


とはいえ、表沙汰にはしていないがアルディーヒトの両親もそういった行為を嫌悪するという、聖都でも珍しい貴族だった。

美しきものが優遇されるのが常識とはいえ、日々の生活を支えてくれている者達に感謝して生きてゆくのが当然と言う先祖代々の教えの元に、身分等はほぼ関係ないという考えで育った一族はアディル聖教を信仰していない。


そんな中で何の因果か、母親の遺伝か中性的な整った顔立ちに生れ落ちたアルディーヒトを当時巫女見習いであったフレオノーラに見初められ、娘のわがままを叶えようと現聖女王である母親に騎士として召し上げられる事となった。

当時の巫女であったテティアリスからの提案もあり、家族との縁を切ったのだが少し遅かった。

彼女の話によると、巫女としての才のある娘は生れ落ちた瞬間から成長速度が極端に遅くなるものらしい。それを聞いて思い出したのが、彼の妹であるネウネリスの事であった。彼女は齢6歳になるというのに体は小さく2~3歳児程度の外見でしかない。そこまで成長が遅いケースは滅多にないことらしく、露見した途端すぐさまに巫女候補として神殿へ預けるよう命令が下ったのだった。


ただ運が悪いのか良いのかその直後にネウネリスが高熱で寝込んでしまい、神殿へ向かうことが出来なかった。やっと回復したと思ったのもつかの間、神殿へ忍び込んだ賊によるテティアリスの火傷事件、その直後の妹への襲撃事件、そのあとにフレオノーラが神殿へ向かう祭典の最中に現れた、鳥型の大型肉食獣に襲われる事で彼らの上司であるジルキニスが次々と聖都の表舞台から引き摺り下ろされた。


「…………。」


御者台に乗り込むと、オズバーンとの合流地点へと馬車を進めていく。

道の両脇にある植え込みに沿うようにして先へと進めば、植え込みの中から此方を見ている人影が見える。その人物に近づくにつれ細心の注意を払ってゆっくりと進んでいく。するとそれに合わせて肩に荷物を担いだ人影、オズバーンが荷馬車の側面部をはずすと、並べられた樽の下半分がくり貫かれた空間が現れる。成人男性がゆっくりと横になれる程のスペースで、そこにオズバーンが肩に抱えた布の塊を横に押し込んだ。再び側面部を元に戻してから、軽やかに御者台に座るアルディーヒトの隣へと飛び乗る。


「一応は上手くいった。とりあえずさっさと門を越えてしまおう。話はそれからだ。」


軽い口調でアルディーヒトに声をかけるオズバーンだが、その表情は些か口調にそぐわなく顔色が優れなかった。


「………ああ。分かった。」


その様子と布の塊が少ないことにアルディーヒトは引っかかりを感じたものの、気持ちを切り替えて聖都の外へと抜ける聖門へと向かっていった。



「騎士二人で、遠征ですか。ご武運を。」


聖門に立つ門番達は聖都を出ようとする二人を疑うことなく、笑顔で送り出し、そんな門番に二人は軽く片手を上げて答えた。

聖門とは呼ばれるものの、実際は城壁の隙間に鉄製の柵が下りるようになっているだけの簡素な作りだ。大昔に豪奢な聖門を作ったことがあったのだが、その度に大型肉食獣の襲撃に逢い現在の簡素ながらも堅牢な物へと作り変えたらしい。


聖門をくぐりウィガス人の集落を抜けた頃、オズバーンは震える右手で顔を覆い、堪えていたものを押し出すように長いため息を零した。


「大丈夫か?バーン。」


「ああ、大丈夫だ。テティアリス様は辛うじてお救いできたが…父上は……遅かったよ。助けられなかった。」


事前にアルディーヒトに渡しておいた医療用品を置いてある荷台に移動して、小瓶や油脂などを取り出し器に入れて混ぜ合わせ始めながら、押し殺したような声で小さくつぶやく。アルディーヒトはそんなオズバーンを眺めながら、眉根を寄せて耐え切れぬとでも言うように頭を振ると、再び馬車の進行方向へと視線を戻した。

ある程度先へ進めば谷近くに、ぽっかりと空いたスペースが現れる。そこに馬車を止めると、アルディーヒトが手馴れた様子で荷台から降ろした野営用のテントを組み立て始める。


オズバーンは荷台の側面を開き、押し込んだ布の塊にくるまれたテティアリスを抱えて下ろした。そっと布を外し顔色を見れば、細いものの呼吸を確認することが出来る。テントの中に寝床を用意すると、オズバーンがそこへ彼女を横たわらせる。左半身の半分程に火傷を負ったと言う話なのだが、さらけ出された腕を見る限り幽閉されてもオズバーンの父親が必死に治療を施したのであろうそこは、まだ完治はしていないものの見るも無残な痕にはなっていないようだった。



「テティアリス様…テティアリス様。」


薬で眠らされていたのであろう、気付け香をゆっくりと近づけると彼女の整った柳眉が顰められ、その瞳が開かれる。


「こ…こは…?」


「手荒に連れ出しましたことお詫びいたします。ここは聖都から馬車で半日程離れた森でございます。」


現在の場所が森であると聞くとテティアリスは一瞬目を見開き、何かに思い至ったのか再び両目を閉じ小さく頷いた。


「ディアンス様は、あたくしとの約束をお守りになったのですね。」


テティアリスが零した【ディアンス】なる人物、それはオズバーンの父親の名前だった。


「…はい。私は父の息子である、オズバーンと申します。父の代わりにお連れいたしました。」


テティアリスは、そっと瞳を開き、長い幽閉生活で痩せてしまった細い身体をなんとか起こしてからオズバーンを見つめた。

オズバーンは瞳を伏せたまま、何かを堪えるように唇を震わせながら小さくため息を零し、表情を引き締めてから改めてテティアリスのほうへ顔を向ける。


「父は、ディアンスは…幽閉されていた石牢にて、追手を引き止めております。父よりの言伝ことづては、『どうか生き延びてほしい。そして神託を』…と。」


実際は、ディアンスは追っ手を引き止めるのではなく、研究材料を全て破棄したあげく記憶を移行できないよう頭を潰すようオズバーンへ約束させ、毒をあおって自殺をしたのだ。そして冷たくなった父親の頭を…。

そこまで思い出してしまってからオズバーンは顔を伏せ唇をかみ締めた。どこの世界に尊敬し慕っていた父親を、遺言とはいえその身体を傷つけたいものか。せめてもの形見にと髪を持ってきたものの、処理しきることができなかった彼の身体を、聖都がどう扱うのかを考えれば全て連れて来たかったのだが出来なかったのだ。


「……あの方は…最後まであたくしと共に逃げることに、同意してはくれませんでした。」


虚空を見つめたままテティアリスは、ぽつりと呟いた。彼女とて、助けがくると連絡があった時にディアンスが彼女だけを逃がすつもりなのを薄々気が付いていた。だからこそ、逃げるならば共に、と何度も訴えていたのだ。


だが、無情にも彼は彼女に薬を盛って眠らせ、尚且つ自らを殺めたのであろう。

彼は医療を司る者として己の体力がもたないと理解していた。巫女であるテティアリスは殺される事はないが、彼の食事には遅効性の毒が紛れ込まされていたからだ。身体の筋力を衰えさせるその毒は、肺だけでなく心臓の筋肉すら弱めさせる。彼の息子であるオズバーンが助けに来たときには手遅れで、会話はおろか呼吸すら危うい状況だったのだ。


「あたくしは、生きねばなりません。それが、ディアンス様への恩返しであり、唯一のたむけとなりましょう。」


やせ細った手で、テティアリスは胸元のネックレスを握り締める。それはかつて、巫女になった際にディアンスが護身用にと解毒剤の丸薬を入れたものだった。


「ええ、生き延びます。必ず。」


そして、そう言いきったテティアリスの双眸はゆるぎない決意を秘めていた。



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