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#032 相談箱の投書②

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 来た。夜、橋の下。
 
 どこの橋の下かは書かれていないが、六専学院の生徒の言う“橋”とは、第二区画へ繋がるあの橋の事だろう。
 相談箱に投書されたのが昨日だった場合、文面の今夜が指すのが昨夜の事だというになるのでどうしようもない。しかし、昨日は来海が確認していたらしく、この投書が有ったのは今日の事で間違いない様だった。

 つまり、天野来海あまのくるみに好意を寄せているであろう投書の主は、今夜橋の下に現れるはずなのだ。

 正直なところ、投書の主が一晩の間橋の下に放置されていようと俺には全く関係ないのだが……どうしてか、来海に行ってこいと言われるままに来てしまった。
 俺が断りに行ってどうするのかという気もするが、男が居る事にした方が断りやすいみたいな打算も有ったのかもしれない。
 
 しかし、俺自身全くの無関係だからこそ、野次馬根性でどこのどいつが来海にラブレターを送ったのかはちょっと気になっていた。
 そんな訳で、外出制限も解除された記念の散歩がてら、俺は投書に書かれていた通り、一人で第二区画へ繋がる橋の下までやって来た。
 
「さて、どの辺に居るかな……」

 もっと上流と下流にもそれぞれ橋は架かっているが、俺たち六専学院の生徒の生活圏内で橋と言えば、迷い犬を見つけた所と同じ橋になる。だから、投書の主が居るならこの辺りのはずだ。
 そう思い、辺りを見回す。
 
 橋の下までは街灯の灯りが届いておらず薄暗い為、近づかなければ人が居るかどうかも分からない。
 下まで降りて、覗いてみる。
 各務原かがみはらお手製の段ボール製の犬小屋は既に片されていて、橋の下にあるのは雑草とゴミくらいの物だ。

「誰も……居ない、か」

 見た限り、誰の姿も見えない。やはり悪戯投書だったか。
 そう思って、踵を返そうとした、その時――、

「うん……?」

 橋の下、誰も居ない、何もない空間。
 その空間の一点に、違和感を覚えた。

 足を止めて、改めてよく目を凝らして見る。
 
 ――ぐにゃり。

「ッ……!?」

 視界が――いや、景色が歪んでいる。
 橋の下に、“何か在る”。

 目の前の光景から、脳裏を過ったのはショッピングモールで出会った透明人間。
 そこから連想される、スキルホルダー解放戦線の存在。

 投書は俺たちをS⁶シックスと知っての罠だった? スキルで姿を消して待ち伏せされていた?
 一歩後退り、視線を正面の景色の歪みに固定。いつでもスキルを使えるよう身構える。
 
 スキルを暴発させないよう息を止め、意識を集中。
 額に汗が伝い、一瞬の瞬き。
 その瞬間、視界を何かがチラついた。

 歪んだ景色の中に、夜闇に輝く“白銀色の影”を幻視したのだ。

「――白い、幽霊!?」

 咄嗟に、俺はそう思った。
 驚きと同時に、もう一度瞬き。
 すると、歪んだ景色は融けて行き、その空間から先程幻視した白銀色の影が現れ出た。
 それは少女だ。幻視した白銀色は、彼女の髪の色。
 白銀色の髪に、血色を感じさせない白い肌、身に纏う衣服も真っ白なワンピースだ。
 幻ではない、幽霊ではない、生きた人間の女の子だ。

 現れ出た白銀の少女は、そのままふらりと倒れ込む。
 俺は慌てて駆け寄って、その少女を抱き止めた。
 間一髪、地面にぶつかる事無く済んで胸を撫で下ろしたのも束の間、腕の中ですうすうという寝息が聞こえてくるのだ。

「ええ……?」

 来海くるみに恋文を送った男子生徒を冷かしに来たつもりが、小さな女の子に出会ってしまった。
 この子が、あの投書の主……な訳、無いよな。


「――はあ……。どうしたものか……」

 橋の下で出会った白銀の少女。
 か細く、簡単に抱き上げられるほど軽く、少し力を入れてしまうと壊れてしまいそうで、怖くなった。
 そんな儚さを感じさせる少女を放置して帰れる訳も無く、結局そのまま寮まで連れ帰って来てしまった。

 今、当の少女はベッドの上ですやすやと眠っている。
 俺が担いで帰っている間も全く目を覚ます気配が無かった。
 何故か裸足で足の裏も傷だらけだったので、ひとまずの応急処置だけはしておいたが――、

「どう見ても、普通じゃないよなあ……」

 背丈は俺の胸くらい、おそらく小等部の子だろう。
 そんな小さな子が、夜間に一人で、靴も履かずあんな所に。ただごとではない。
 
 そして、何よりあの景色の歪みだ。
 その実態は分からないが、あれはおそらくこの少女の持つ何らかのスキルによるものだろう。
 
 途方に暮れていると、スマートフォンが震える。
 着信だ。画面を見てみれば、来海の名が表示されていた。
 おそらく、橋の下にちゃんと投書の主が居たのかどうか気になって掛けて来たのだろう。
 渡りに船だとばかりに、すぐさま通話に出る。

「もしもし!」
『こちらウォー……じゃなかったわ。こほん。桐祐きりゅう、どうだった?』

 癖になっているのか、仕事でもないのにコードネームを名乗りかけていた。
 まあそれはいい。普段ならからかってやりたい所だが、こっちは今それどころではない。
 
「来海、丁度良かった! 助けてくれ!」
『どうしたの!? まさか、相手が逆上して――』
「違う違う、お前に惚れた男なんて居なかったんだよ!」
『はあ? 何よそれ、失礼ね!』
「男じゃなくて、小さな女の子だったんだ! 急に現れて、倒れて、放っておけなくて、拾ってきちゃって――」
『う、うん……?』

 駄目だな、電話だとどうにも状況を伝え辛い。
 というか、説明しても頭に浮かぶ疑問符が増えるだけだろう。
 見た方が早い。
 
「とにかく、一度来てくれないか!」
 
 
 ――その後、来海は不承不承ながらも、俺の困った様子に折れて、うちに来てくれる事になった。
 助かった、男一人では少女の相手は荷が重い。

 通話を切ってから十分ほど経った頃、そろそろ来る頃かと思いインターホン前で待機していた所――、

 コンコン。

 ベランダの窓の方から、ノックの音。
 まさか……と思い、カーテンを開けると、そこには来海が居た。

 口元をタートルネックインナーを上げて隠している、いつものエージェントスタイルだ。
 窓を開けて、出迎える。

「どうしてベランダから……?」
「正面から入って行くのを誰かに見られると、逢引かなんかと勘違いされるでしょう」
 
 来海は口元を覆っていたインナーを下げながら、そう答えた。
 その手には鉤縄。どうやら、それで下から2階までよじ登って来たらしい。本当に忍者みたいだ。

「それで、何があったのよ?」
「ああ、実は――」

 と、来海をベッドの元まで案内する。
 そこには、すうすうと小さな寝息を立てている白銀の少女。

 来海は俺を睨みつけ、ぼそりと吐き捨てる。

「……ロリコン」
「違う!!」
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