本好きの探しもの

忍野木しか

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本好きの探しもの

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 苺のショートケーキをテーブルに並べた瑞香は、クッキングヒーターからコーヒーポットを取り上げた。乾いたリビングに広がる香ばしい匂い。マグカップに注がれるコーヒーの白い湯気。
 午後の陽に照らされた明るい廊下を抜けて、階段下から書斎を見上げた瑞香は、夫の名前を呼んだ。だが、仕事に集中しているのか、本を読んでいるのか、二階からの返事はない。
 もうっと腰に手を当てる瑞香。階段を上がると、書斎の扉をそっと叩く。
「ケーキ、食べませんか?」
 無音。心配になった瑞香は、扉を押して中を覗いた。陽の差し込む簡素な部屋。机を散らかしたまま本を読み耽る夫の後ろ姿。
「ケーキ、食べませんか?」
 部屋に入った瑞香は、じっと活字を追い続ける夫の顔を覗き込んだ。少し遅れて反応する童顔の男。驚いたように顔を上げた彼は、瑞香の目を見て微笑むと、開け放たれたドアを振り返った。
「いい匂いだね」
「もう、コーヒー冷めちゃいますよ?」
「それは大変だ」
 読み掛けの本にしおりを挟む彼。本を片手に部屋を出る夫の後ろにそっと続く妻。
 広いリビングの白。木製のテーブルに反射する陽光。椅子に座った瑞香は、フォークを手に取った夫をジッと見つめる。
「うん、岸本さん、本当にいい匂いだ」
「久賀さん、ですけど?」
「あ、そうだった」
 照れ笑いする夫。ショートケーキの苺を摘んだ彼は、白いクリームに輝く赤い光沢に頷くと、口に入れて匂いを楽しんだ。
「もう……仕事の方は順調なの?」
「うーん、書いては消す、の繰り返しなんだ」
「そうなんだ、焦らずやろうね?」
「うん、だから、最近はずっと本を読んでるよ。き……、瑞香さん、覚えてる? 高校生の頃に読んでた探偵シリーズ。久しぶりに読み返してみたら面白くてね、一気に読み返しちゃったんだ。それでね、今、昔読んだ小説を読み返していってるんだけど……」
「やっぱり、焦りなさい」
 手を腰に当てる瑞香。苦笑した彼は、白いマグカップに触れると、コーヒーの苦味を鼻腔で味わった。
「瑞香さん、僕の小説にはね、何かが足りないんだ。声や、色や、匂いじゃない。味や温度でもない。感情を揺さぶる何かが欲しくて、記憶を探ってみたんだけど、どうにもそれが見つからない」
「そ、そうなんだ」
「瑞香さん、何か分からないかな?」
 少し垂れた彼の目。長いまつ毛を合わせるように、細められた瞼の下から覗く瞳の光。
 瑞香は、飛び跳ねる鼓動を押さえつけるように深く息を吸うと、前髪に触れた。無言で妻の瞳を見つめる夫。答えを探すように視線を宙に泳がせる彼女。
 な、何か無いかな?
 夫の期待に応えたいと、過去の記憶を探り始めた瑞香は、高校生の頃に戻ったような感覚を味わった。
 静かな旧校舎の部室で、文学部の部長だった彼を想った日々。恋愛に疎い彼と視線が合わせられない焦燥感。コーヒーを飲みながら、黙々と読書を続ける彼の気を引こうと弾いた中指の先……。
「いてて」
 おでこを摩った彼は、上目遣いに瑞香を見上げた。
「何か分かったの?」
「うん、なんだか昔を思い出したような……」
「それで?」
「啓太くんが探してるもの、私分かっちゃったな」
 驚いたように顔を上げる彼。椅子に座り直した瑞香は、指で髪をすく。
「ほんとに? 教えてよ」
「女心」
「え?」
「啓太くんの小説に足りなくて、君がずっと探し求めているのは、女心だよ」
「うーん……そうかな?」
 首を傾げてフォークをケーキに刺す夫。立ち上がる瑞香に、彼は慌てて目を瞑る。
「そうなんです、勉強しなさい」
 微笑んだ瑞香は、彼の額にデコピンをした。
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