15 / 56
第二章
迷いの天使
しおりを挟むまた、勝ち負けの話だよ……。
中野翼は机に肘を付いて窓の外を見た。霧のように細い雨。寒々しい秋の空。クラスを漂う白けた空気。
カバのようにずんぐりとした体型。薄桃色のカーディガンに身を包まれた指導教諭の山本恵美は、受け持つ古文の授業そっちのけに、実社会における勝者敗者の話を熱弁した。熱心に耳を傾ける数人の生徒。大半のクラスメイトは退屈そうに欠伸をしている。
案の定、体育祭は生徒たちにとって失敗に終わった。
全員が白い帽子を被った異様な光景を思い出す中野翼。熱気も感動も無い競技。失笑とため息の漏れる応援歌。学校行事が好きでは無い文学部の翼でさえも、勝ち負けの無い体育祭は呆れ果てて言葉を失ってしまう程に退屈な茶番劇だった。いくら不幸な出来事があったとはいえ、あれは無いだろうと、翼は学校に失望した。
「資本主義の現代において、貴方たちのほとんどが、いいえ、日本人の大半が、自己の体を、大切な時間を売り物にしてお金を稼がねば生きてはいけないのです。ほんの一握りの資本家を除いて、貴方たちのほとんどが、そう、ほとんどが労働者階級としてその身を資本家に捧げる事になるでしょう。言い換えるならば、奴隷です。おほほ、ちょっぴり厳しい言葉ですが、これが現実なのですよ? 当然、このワタクシも、社会の奴隷なのだと言えるでしょう」
恵美は弛んだ頬をプルプルと震わすと、丸い両手の平を自分に向けた。脂肪に埋まった金の指輪が光る。
「では、社会における勝ち組とは誰を指すのか。資本家? ほほ、とーぜんです。ですが、彼らの大半は生まれながらにしてその地位にある方々。土地を持ち、金を生み出す媒体を持ち、莫大な資本を受け継いだ方々。一個人の努力などでは到底届かない領域におられる方々なのです。では、どーすれば我々庶民が、資本家には届かないまでも社会において勝ち組と呼ばれる地位に到達出来るか。わかる方は居ますか?」
沈黙。欠伸。舌打ち。
YouTube、という誰かの呟きにクスクスと笑い始める誰か。クラスに広がる失笑に、恵美は、おほんと咳払いをした。
「より良い主人を選び出す事、つまり、良い企業に就職する事です。安定した収入と福利厚生、それらが得られない庶民は、いわば負け組と呼ばれる部類に落ちこぼれる事になるでしょう」
ギロリと生徒を見渡す恵美。恵美を睨み返すダークブロンドの吉沢由里。中野翼は阿呆らしいとため息を付いた。
熱心に頷く数人の生徒を見つめた恵美は弛んだ頬を揺らすと、手元のノートに何かを書き込んだ。古文の授業を再開する気は無いようで、恵美は、授業が終わる瞬間まで社会における勝ち組負け組の話を延々と続けた。
勝者と敗者。勝敗の無かった体育祭にうんざりした生徒たちは、新任教員たちが繰り返すこのフレーズに再度うんざりさせられながらも、実社会における勝ちや負けという概念を自然と意識し始めていた。
来年度から開かれるという特進クラス。就職率の高いF高校における教育改革の一環。近くて遠い実社会という未来を想像する生徒たちの一部は、その特進クラスに入りたいと思った。そここそが漠然とした未来を明るくする唯一のルートであると信じて。
自らの頭で考えた訳ではない。無論、考えたつもりにはなってはいるのだろうが、知識と人生経験に乏しい彼らに考える術は殆ど無く、答えの無い答えに辿り着く可能性は少ない。ただただ、信じて待つ事のみが、彼らの選ばされた道であった。
花壇で霧雨を浴びるパンジーの青紫。強いショックを受けるショートボブの天使。ひと月ぶりの学校は何処か寒々しく、静かだった。
二週間前に終わった体育祭の名残は何処にも見当たらない。白髪の天使に連れられて行った隣町の中学校から、三つの高校を経由してやっとF高校に戻ってこれた田中愛は、昨日まで滞在していた私立高校の女生徒に貰ったミルキーを一つ、赤い袋から取り出して口に入れた。甘いミルク味のキャンディ。田中愛を誰かの妹だと勘違いしたらしい私立高校の女生徒は、何故だか涙目で微笑みながら、天使のショートボブを何度も何度も撫でた。その女生徒への報いに奔走した為に、田中愛はF高校に帰るのが遅れたのである。
校舎に足を踏み入れる田中愛。何処かじっとりと湿ったような空気。職員室に向かう途中に保健室を覗いた田中愛は、まだ僅かに黄金色の花弁を残すマリーゴールドの鉢を見た。窓辺ですくすくと育つナラの盆栽。丸椅子に座る奥田恭子の背中は丸い。
職員室を覗いた田中愛は、机に座って談笑する見覚えの無い大人たちに首を傾げた。まさかまた学校を間違えたのでは、と職員室を飛び出したショートボブの天使は、保健室にいた奥田恭子の存在を思い出して立ち止まる。確かにここはF高校だった。
2年D組に向かって階段を上がる田中愛。午後の校舎は授業中のようで、廊下を歩く人は誰もいない。
2年A組の前で膝を抱える存在。縁の無い丸メガネを掛けた天使。長い黒髪の女生徒の代わりにF高校に訪れた天使は、何かを思案するように、ジッと廊下の一点を見つめていた。立ち止まった田中愛は、丸メガネの女生徒を見つめる。首を振る丸メガネの女生徒。教員の異動は、新任の天使にとってはどうでもいい話らしい。それよりも丸メガネの女生徒はある事に懸念を抱いていた。どうにも、天使が目を掛けている2年A組の男子生徒に報いとは関係のない多くの災いが訪れ続けているのだという。
そういう事もあるのでは、と微かに首を捻るショートボブの天使。授業の終わりを告げるチャイムが静かな学校を木霊すると、取り敢えず頷いて見せた田中愛は2年D組に足を急がせた。
立ち上がる丸メガネの女生徒。2年A組に足を踏み入れた天使は、教室の隅で俯く小太りの男子生徒を見つめた。
0
あなたにおすすめの小説
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる