天使の報い

忍野木しか

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第二章

決断の天使

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 田中愛は不貞腐れたように小石を蹴った。乾いた風に靡くショートボブ。その後ろで藤野桜が肩を縮こめる。
 白髪の天使の冷たい視線。
 警告。この場から立ち去れと警告する白髪の天使。
 ムッと顔を上げるショートボブの天使。教導中とはいえ、ここは依然として自分の管轄であると、田中愛は白髪の天使を睨み上げた。
 フニャー、という鳴き声。足元に擦り寄る白い毛玉。まるまると太った白猫の暖かな体に、田中愛はホッと肩の力を抜いた。興味深げに目を丸めた赤い服の天使が白い毛玉に手を伸ばす。
 この子を引き取りに来たのだと、白い猫を抱き上げた田中愛は胸を張った。白髪の天使は呆れたように口を紡ぐ。それは天使の域から外れた行いでは、と藤野桜は首を傾げた。
 ニャー、ともう一声鳴いた白猫は、田中愛の腕から飛び降りると、校舎裏に向かって走り出した。慌ててその後を追う二つの存在。新見和子は何かを思案するように曇り空を見上げた。
 白猫を追って校舎裏に辿り着く天使たち。ガソリンと微かな血の匂い。田中愛はゼェゼェと肩で息をしながら、涼しい顔をして隣に佇む藤野桜に視線を送った。
 そんな匂いは感じないと首を傾げる赤い服の天使。ニャーニャー、と鳴き続ける白い猫。匂いの元を確かめようと錆びた用具入れの戸を開けた田中愛の動きがピタリと止まる。絶句。
 狭い用具入れに押し込まれるようにして血塗れの少年が横たわっていた。漂うガソリンの臭い。青白い瞼。微かに赤い頬。まだ生きていると、ショートボブの天使は直感した。
 田中愛の背後から少年を見た藤野桜は静かに手を合わせる。哀れみはすれど、赤い服の天使は取り乱さない。だが、ショートボブの天使は別である。四肢を千切られた少年の死に顔を思い出した田中愛は、混ざり合う感情の渦に鋭い胸の痛みを感じた。
 ニャー、という鳴き声。ピクリと動く少年の指。
 血塗れの少年の青い唇が寒さに震えた。冷たい冬の風が倉庫の中に流れ込んだのだ。顔を上げるショートボブの天使。田中愛に迷いはない。
 意識のない少年の体を抱き締めた田中愛は、その痩せた体を引き摺り始めた。高鳴る鼓動。強まるガソリンの匂い。
 目を丸めた藤野桜は警告する。
 天使の域を越えた行為。天使の意義より外れた行為。天使は人を救えないと警告する赤い服の天使。そもそも、頭部に外傷を負った人を無理に動かす行為は禁物である。
 田中愛は動じない。後輩の警告を完全に無視するショートボブの天使。暴れる心臓に目眩を覚えながらも、田中愛は保健室を目指して少年の体を引き摺った。助けを呼ぶという発想は意識の外である。
 藤野桜は途方に暮れた。開け放たれた戸を見上げる白い猫。取り敢えず用具入れを閉めた藤野桜は、汗を流して少年を引き摺る先輩の真っ白な首元を見つめた。
 天使の行いを全うするには、この場合、どう動けば良いか。
 道を外れた天使を見捨てるべきか、否か。
 そもそも、天使の行いとは何なのか。
 その道とは。
 答えのない答えを探す思考の片隅に浮かぶ疑問。
 見捨てられたショートボブの天使の道の先は。
 平均よりも軽い血塗れの少年。ショートボブの天使には岩の如く重い肉体。その体が僅かに軽くなるのを感じると、田中愛は、一緒になって少年を運ぶ後輩の天使の姿を見た。


 日野龍弥は下を向いて笑った。久しぶりに学校が面白い思ったのだ。
 集まった取り巻きたち。花壇の縁に立った前田大介が声を張り上げる。
「今こそ行動を起こす時だ!」
 大介はバットを高く振り上げた。少し湿った木製のバット。先ほど龍弥に手渡された物である。
「でもよ、臼田の野郎張り切ってんぞ?」
「カツラも外してたしな」
 広がる笑い声。大介はバットで地面を叩いた。
「だからこそ、今しかねーんだ! 学校をめちゃくちゃにしてきた、しんにん……野郎共に、そ、そうおうのむくいを受けさせるのは、今しかねーだろ!」
 大介は右腕にマジックで刻まれた文字を必死に暗唱した。その間抜けな姿に思わず吹き出してしまった龍弥はゲホゲホと何度も咳をする。
「でもよ、何やんだよ?」
「オレらも屋上行くべ」
「宴会すっか?」
 再び広がる笑い声。大介はチラリと龍弥に視線を送った。ギロリと横目で大介を睨んだ龍弥はふうっとため息を吐く。
「ちょっと良いか」
 日野龍弥の声に取り巻きたちは静まり返った。ゴクリと唾を飲み込んだ彼らは、不気味に微笑む背の高い男を恐々見つめた。
「皆んなさ、教育改革って知ってる?」
「キョウイクカイカク?」
「そ、教育改革。教師が一斉に入れ替わるなんて普通じゃねーだろ? それもこれも、その教育改革のせいなんだ」
 互いに見つめ合う取り巻きたち。彼らは教員の入れ替わりにさほど違和感を覚えていない。
「……つまり、この高校に頭の良い奴らを集めて、ガリ勉ばっかの学校を作ろうって改革なんだ」
「何でそんなつまんねー事してんの?」
 毛先をパープルピンクに染めた短髪の男子生徒が首を傾げる。
「評判の為さ、優等生が多い方が学校の評判があがんだよ」
「はぁ?」
「先公共は学校の評判ばっか気にすんだ。そんで、頭の悪い俺らは奴らにとって邪魔な存在って訳さ」
「邪魔?」
「今年からここは優等生ばっかになんだよ、評判の為にな。そしたら、馬鹿な俺らは生ゴミ以下の屑だって、簡単にポイされんだろうな」
「……今何つった、龍弥くん」
「落ち着けって、ケンヤ。先公共はそう考えてるって話だ。なぁ、秋から何人退学になったか知ってっか?」
「知るか」
「三十二人さ、ひとクラス分だぜ? 俺らは捨てられたんだよ」
 ひとクラス分という具体的な数字に息を呑む取り巻きたち。
「お、俺らが先にここにいたんだぜ? 何で後から来た奴らに邪魔者扱いされなきゃ何ねーんだ!」
「アイツらが大人で、俺らが子供だからだ」
「大人子供って、カンケーねーだろそんなの!」
「大人は子供を見下してんだ。どうせ何も出来ないってな」
 サッと皆の顔色が変わる。龍弥は込み上げてくる笑いを必死に堪えた。
「なぁ、大介、どーするよ?」
「えっ?」
 手持ち無沙汰にバットを振っていた大介は慌てて動きを止めた。
「何か作戦あんだろ? 先公共に一泡吹かせる作戦がよ」
「あ、ああ!」
 白銅の空にバットを振り上げる大介。
「皆んな聞け! 先公共をこの学校から追い出すぞ!」
「ああ? どうやってだよ?」
「これを見ろ!」
 ポケットから緑色のライターを取り出す大介。
「臼田のライターだ! これで、ぼ、ぼやさわぎを起こす!」
「何だと?」
「ぼやさわぎが起これば、臼田は逮捕されて、学校は、せきにんもんだいで信用を落とすことになるんだ!」
 掲げた左腕の文字を大介は必死に暗唱した。その手に握られた緑色のライターに取り巻きの一人が首を傾げる。
 そうだよ、お前のだよ。
 龍弥は、小柄な男子生徒の困惑したような表情に吹き出しそうになった。
 臼田勝郎は禁煙中でライターを持っていない。いや、そもそも龍弥にとってライターの持ち主などは誰でもいい。ただ、新品はマズイだろうと適当に盗んでおいただけの話である。
「そんな上手く行くか?」
「行くに決まってんだろ!」
「でもよ、ボヤが起きた時に臼田が誰かといたらさ、アリバイってのが出来ちまうんじゃねーの?」
「だから俺らで混乱を起こすんだ」
 龍弥の声。静まり返る取り巻きたち。
「俺もさ、大介にこの話を聞いた時はすげぇなって思ったよ、英雄だってさ」
「い、いやあ……」
 照れ臭そうに頬を赤らめた大介は坊主頭に入ったラインを中指でなぞり始める。
「でもよ、大介一人じゃこの作戦は成功しねぇ。俺らも手伝ってやろうぜ?」
「手伝うって何すんの?」
「混乱に乗じて臼田の野郎を一人にする。その混乱を俺らが作るんだ」
「混乱ねぇ。でもよ、たとえ臼田を一人にしたとして、そんな簡単に警察が臼田を逮捕すんのか?」
「ケンヤ、臼田が校舎裏でこっそりタバコ吸ってんのは知ってるよな?」
「ああ、皆んな知ってんだろ」
「だからこそアイツは疑われる。なんせ生徒のほとんどがその事実を証言出来んだからな」
「へぇ」
「混乱の目的は二つだ。臼田を一人にして、大介に向けられる可能性のある視線を逸らす。放火の犯人が分からなければ、必然的に校舎裏でタバコを吸ってる臼田が疑われんだよ」
 おお、という騒めき。甲高い絶叫を上げる不良たち。グラウンドの端から遠目に花壇を見た新任教員はそそくさと校舎に逃げ込んだ。誰も日野龍弥とその取り巻きたちには関わりたくないのである。
「大介、やれるか?」
「おうっ!」
 大介が吠える。龍弥は満足したように頷いた。
「やるなら今だ。ムカつく先公共に一泡吹かせてやろうぜ!」
 波立つ熱気に体を躍動させる取り巻きたち。彼らに軽く指示を出した龍弥は、興奮で顔を紅潮させる大介の背中を叩いた。
「やれよ」
「おうっ!」
 取り巻きたちが校舎に向かって駆け出すと、龍弥と大介は空き教室に向かった。鳴り響く非常ベルの音。絶叫。笑い声。
 窓から校舎裏に向かう大介を見送った龍弥は、用具入れ付近を確認出来る旧校舎の二階の端に向かって走った。
 入り乱れる声。火事だ、地震だ、と騒ぐ不良たち。彼らは、同じように騒げと、他の生徒たちを脅して回った。
 旧校舎の空き教室に駆け込んだ龍弥は、息つく間も無く校舎裏に視線を送った。握られた携帯。龍弥は万が一に備えて火種を別に用意している。
 ニクロム線か発炎筒か、何か無いかと用具入れを探った龍弥が見つけた練炭。大介が火を付けなかった場合、携帯の振動でそれをガソリンの上に落とさなければならないと、龍弥は心臓を激しく鼓動させた。
 焼け焦げた予備の携帯の言い訳は何とでもなる。証拠は全て火の海に沈むのだ。
 固唾を飲んで大介の行動を見守る男。興奮状態の龍弥は、僅かに空いているはずの用具入れの戸が完全に閉まっている事に気が付かなかった。
 特に間を置くこともなく、緑色のライターをポリタンク付近の木材にかざした大介は、親指を縦に動かした。
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