ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第四章 澄幻国編

漂流の果てに

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 ティアとルゥナは今、年若い娘と二人で暮らす父娘の家に身を寄せていた。
 夜道を彷徨っていたところを、この家の主・宗烈そうれつに助けられたのだ。

「……あの、本当にお邪魔ではありませんか?」

 遠慮がちにティアが尋ねる。

 連れてこられた家は、厚く積まれた茅葺き屋根と土壁で作られた小さな古民家だった。
 戸口をくぐると土間があり、奥には板張りの広間。その中央には囲炉裏が切られ、炭火の上で鉄鍋がコトコトと煮立ち、香ばしい湯気を立ちのぼらせていた。囲炉裏の周りには串に刺された川魚が並び、沢庵などの漬け物が添えられている。
 質素ながらも心尽くしの夕餉であることが、二人にもすぐに伝わった。

 裕福とはとても言えない暮らしぶりだ。突然の来客に無理をしているのではないかと、ティアは胸が痛んだ。

「ははは。気にせんと。遠慮なんて要らんよ。夜は魔獣が出るけん、外を歩く方がよっぽど危なか。今宵くらいは安心してここで休んでいかんね」

 宗烈は囲炉裏の炎に照らされた顔で、快活に笑った。

「ねえ、貴方……もしかして、巫女様じゃなかと?それとも巫女様の血縁者とか?」

 娘の澄音すみねが、椀に汁をよそいながら目を輝かせて尋ねてきた。

「私は澄幻国の外から来ました。ですから、巫女様という方とは無関係です。宗烈さんにも出会った時に間違われましたが……そんなに似ているのですか?」

 ティアが首を傾げると、澄音は勢いよく身を乗り出してきた。

「ええ!それはもう!」

 両手を頬に添え、夢見るような表情で続ける。

「私は遠目からしか拝めんかったけど……銀糸みたいに美しい髪で、凛としたお姿はまさに神秘そのもの……!」

 うっとりと語る娘を見て、宗烈が苦笑交じりに言った。

「すまんね。澄音は龍供祭りゅうくさいで水龍様を倒した巫女様を見てからというもの、すっかり憧れてしまっとるんよ」
「龍供祭?」

 ルゥナが首を傾げる。

 その問いかけに、宗烈と澄音の顔から笑みがふっと色を失った。囲炉裏の火がぱちりと弾け、二人の影が揺れる。

「……やっぱり、よそから来た人は知らんのやね。この澄幻国は幾つもの郡に分かれちょる。ここは龍泉郡りゅうせんぐん──水龍様と共にあった土地やった」

 宗烈の声は、さっきまでの快活さを潜めて、どこか重く沈んでいた。

「龍泉郡の水源はな、水龍様が住む湖から村々へと流れ出ちょる。……水龍様は冬眠に入る前の秋と、目覚めてからの春、その二度だけ水面に姿を現す。そん時は決まって腹を空かせとって、近くの村を襲う。それば止めるために……昔から、各村は毎度ひとり、生贄を差し出さにゃならんやった」

 その言葉に、ティアとルゥナは思わず息を呑んだ。
 生贄の儀式──この世界では珍しいことではない。しかし、それが「各村ごと」となると話は違う。龍泉郡には六つの村があるという。つまり、毎年、最低でも十二人もの命が水龍に捧げられていた計算になる。

「……私が七つの時や。母が生贄に選ばれて、水龍様に喰われてしもうたんよ」

 澄音の声は震えていた。下唇を強く噛み、眉根を寄せる。その幼い日の記憶はいまだ鮮烈に胸を締め付けているのだろう。

「郡主様はな、それを“祭”に仕立てて、他の郡から客を呼び寄せて見世物にしとったんよ。血と涙の上で金儲けをしよった」

 澄音の吐き出す言葉には、悲しみと悔しさが滲んでいた。

「けんど──三年前の龍供祭に、巫女様が現れた」

 宗烈が言うと、澄音はパッと顔を上げ、目を輝かせた。

「そう!巫女様は生贄にされた人たちを救い出して、水龍様と戦ったと!噂を聞いて私たちも急いで駆けつけたけど、目の当たりにしたのは信じられん光景やった……」

 彼女は興奮気味に続ける。

「巫女様は私とそう年の変わらん若い女の子やったのに、真っ黒な従者をひとり連れて──たった二人で水龍様を打ち倒してしまったとよ!」
「……当時は皆、水が枯れ果てるんじゃないかと怯えたもんや。水龍様がおらんようになれば、湖は干上がるんじゃないかってな。けど……今も変わらず水は湧いちょる」

 宗烈が補うように言った。

「今も中には巫女様を良く言わん奴もおる。けど、大半の郡民は感謝しとるよ。もう、大切な人を生贄に差し出さずに済むんやから」

 澄音は少し寂しそうに、けれど嬉しさを隠せない笑みを浮かべた。

「……って、ご飯の前に、こげん重か話ばしてごめんね。ほら、食べよ食べよ!」

 慌てて明るく言う澄音に、ティアは穏やかに微笑んだ。

「その巫女様という方は……龍泉郡の救世主なのですね。そんな御方と似ているだなんて、私にはおこがましいですが……少し嬉しいです」

 そう言って笑うティアを見て、宗烈と澄音は一瞬目を見張り──泣きそうな笑顔で頷いた。

 やがて、囲炉裏を囲んで食事を口に運びながら、宗烈がふと尋ねる。

「ところでお二人は……なして、あげん夜に山道を歩きよったと?外から来たってことは、船か馬車で来たんやろう?」

 ティアとルゥナは、ごくん、と口の中の物を飲み込んで顔を見合せた。

「それが……お恥ずかしい話なんですけど、滝を昇る亀から落ちてしまいまして……」

 ティアが頬を赤らめて打ち明けると、宗烈と澄音は同時に目を丸くした。

「亀って……もしかして、亀駕籠かめかごのこと!?」
「はぁ~……あれから落ちて無事やったとは奇跡やなぁ」

 澄音は驚き、宗烈も感心したように目を見張った。

「亀駕籠から落ちてこの龍泉郡に流れ着いた……てことは、上級国民の郡か、主郡に向かっとったんかい?」
「そう……ですね。確か、主郡に行く前に栄陽郡えいようぐんに寄る予定だったような……」
「栄陽郡!?」

 ティアの言葉に、澄音は身を乗り出して声を上げた。

「栄陽郡っていったら、主郡の次に栄えてる郡よ! 富豪も多いし、貿易港があるから他国の人がいっぱい行き交ってるって!はぁ~、よかねぇ……私も一度でいいから行ってみたか~」
「それなら、澄音も一緒に行く?」

 ルゥナが笑って誘うと、澄音は慌ててブンブンと首を振った。

「と、とんでもなか!私みたいな田舎娘が行ける場所やなかし……それに、上級国民の方々みたいに綺麗なべべも持っとらんけん……」

 そう言って、自分のくすんだ小袖を見下ろし、困ったように微笑む。

「それなら、私の衣服と交換してみない?文化交流ってすごく面白いと思うし、澄幻国の衣服は他国ではすごく珍しいんだよ。私も一度着てみたい」
「えっ……?いや、でも……こんな村娘の小汚い小袖なんかより、栄陽郡に行けば、もっと綺麗な着物が──」
「価値は、見た目の豪華さや高価さだけで決まるものじゃないんだよ」

 ティアは澄音の言葉を遮り、真剣な眼差しで微笑んだ。

「私たちの団長が言ってたんだ。自分にとっては価値がないものでも、他の人にとってはとても大切で、かけがえのないものになるって」

 ティアは澄音の着物にそっと視線を落とす。

「私にとっては、豪華な着物は商隊が持ち込むのを見慣れてるけど……小袖は初めて。澄音さんの着物は動きやすそうだし、軽くて、私はむしろ着てみたいな」
「ティアちゃん……」

 澄音の瞳がうるりと潤んだ。そんな娘の様子を、宗烈は静かに、しかしどこか誇らしげに眺めていた。

 その時──

 ドンドンドンッ!

 重く乾いた音が、戸を激しく叩きつけた。

「家の者、おるか!」

 外から響いたのは男の低く荒い声だった。

「はい。如何されましたか、どちら様で……」

 宗烈が立ち上がり、声を張る。澄音に目配せをすると、娘は慌てて床板を外し、そこから下へと続く暗がりを開けた。

「ティアちゃん、ルゥナちゃん……悪かとばってん、しばらくここに隠れとって」

 二人は頷き、茶碗を手にしたまま板の下へと身を滑り込ませた。床下はひんやりとした土の匂いが漂い、息を潜めるにはうってつけだった。

 引き戸が勢いよく開かれ、数名の足音が土間を踏み鳴らす。

「夜分に役人衆が……一体どうされました」

 宗烈が頭を下げながら問うと、先頭の男は鼻で笑い、室内を見渡した。

「娘は……いるな」

 その言葉に、澄音の肩がびくりと震えた。

「娘が……どうかされましたでしょか」

 宗烈が必死に平静を装い問い返す。床下のティアとルゥナの耳には、声の響きだけが届く。緊張で心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。

 やがて役人は冷然とした声で告げる。

「喜ぶがよい。この家の娘が、今度新たに築かれる龍泉城の“人柱”に選ばれた」
「……え?」

 澄音と宗烈は、その言葉の意味をすぐには飲み込めず、呆然と役人を見返した。

「ど、どういうことですか!?人柱だと……娘が!?そんな、急に……!」

 宗烈は我に返るや、掴みかかるように役人の衣を握りしめた。

「離せッ!」

 役人は乱暴に宗烈を突き飛ばすと、蔑むように言い放った。

「すでに決まったことだ。三日後、年若い娘を各村から集め、城の礎に捧げる。城主様に命を捧げられるのだ、誉れと思え!」
「誉れ……?ふざけるな!うちの女房は水龍様の生贄にされて、今度は娘まで……!そげなもん、どげん理屈で納得できるか!!」

 宗烈の叫びは、怒りと絶望で震えていた。澄音は涙を溢れさせ、言葉もなく父の背にすがりついた。
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