ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第四章 澄幻国編

宿命を刻む刃

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「これはこれは……龍真たつま殿。久しぶりですね。その右眼、随分と様になったではありませんか」
「おかげさまでな」

 朧雅は頭上から浪人を見下ろし、薄く笑みを浮かべながら嫌味を投げかけた。
 龍真と呼ばれた男は、表情を一切変えず、鋭い眼光で朧雅を射抜くように見返す。

 互いに一歩も譲らぬ視線の応酬。
 事情を知らぬカイとレイですら、この二人の間に深い因縁が横たわっていることを悟った。

「飽きもせずに翠琴様を攫いに来たのですか。……執念深さは相変わらず。もはや、影に取り憑く亡者のようですね」

 朧雅は右手を顎に添え、愉悦に満ちた声で揶揄し睥睨する。

「なんとでも言え。悪鬼の戯言など、もはや耳に入らん」

 龍真は刀を構え、静かに殺気を放つ。

「今日こそ、貴様の邪なる手から翠琴殿をお救いする」
「……その傷を誰に刻まれたか、もう忘れたのですか?」

 朧雅の声音は冷ややかに落ちた。

「人間という矮小な生き物の限界──その身をもって思い知らせてやったはずですが」

 龍真の片目が鋭く光を宿す。

「生憎と私は諦めが悪くてな。人は、成長するものだと、貴様の辞書に刻み込むがいい」

 龍真の言葉が落ちると同時に、空気がピンと張り詰めた。
 彼は一度深く息を吸い込み、静かに刀を鞘に納める。

 朧雅と向かい合う龍真の構えは、見る者に圧を与える。
 両足を開き、腰を沈め、右手で柄を握り、左手は鞘元を軽く押さえる。
 刀身はわずかに斜め下へ垂れ、まるで一陣の風に身を委ねるようだった。

「……霞斬かざみぎり

 低く呟くと同時に、踏み込みと共に太刀が大きく弧を描く。
 その斬撃は空を裂き、淡く白い残像を伴って前方へ奔流した。

 だが、それは一本の斬撃では終わらない。
 長大な刀が描く弧は幾重にも重なり、空間を歪ませ、無数の斬光となって朧雅に襲いかかる。

 遅れて響くのは、裂けるような乾いた破裂音。
 しかし、朧雅は片手を前に突き出し──

黒障こくしょう

 黒い障壁が現れ、霞の斬撃群を飲み込む。

「成長と言うのでどんなものかと思えば……この程度ですか」

 朧雅は嘲笑を漏らす。

 龍真は即座に次の動作へ移った。
 右手に太刀を握り直し、左手を自然に添える。腰を深く落とし、地面を踏みしめ──頭上に浮かぶ朧雅を捉えた視線は鋭く、呼吸は整い、完全に集中していた。

無鳴突むめいつき

 その声と共に、地面を蹴り上げる龍真。
 足音すら聞こえぬ滑らかな動きで、身体はまるで空気に押し上げられるかのように宙を舞う。
 太刀は正確に敵を捉え、空中で体をひねると、鋭い一振りが襲い掛かる。

 斬撃の軌跡は淡く光の残像となり、朧雅の黒障に受け止められる。
 しかし衝撃は直に伝わり、朧雅を後方へ押し飛ばすほどの力を伴っていた。

 着地と同時に土埃が舞い上がり、龍真は即座に次の攻撃態勢へと移る。
 空中で残像を引きずる太刀の軌跡は、緊張感をさらに増幅させていた。

「……凄い」

 圧倒的な魔力を持つ魔族──朧雅と互角、否、それ以上の力で敵を翻弄する龍真の姿に、カイとレイは思わず息を呑む。
 その動きは鋭くも滑らかで、目に見える斬撃の全てが精密に計算された芸術のようだった。

「ほう……成長、ね」

 朧雅は口角を吊り上げ、影が揺らめく。

「──影狩シャドウ・ハント

 足元から黒い闇が滲み出し、地面を覆う。やがてその闇は形を変え、牙を剥く獣の群れとなって龍真へと襲い掛かる。

「確かに以前とは違うようですね。それでも高位魔族である俺には遠く及びませんが。潰れて消えるがいい、人間風情が」

 影の獣が唸り声をあげながら跳躍する。
 しかし龍真は微動だにせず、一閃。空を裂くような斬撃が飛び、影の獣を両断する。黒煙となって掻き消える影を見据えながら、龍真は刀を構え直した。

「影法師ばかり。相も変わらず姑息だな、朧雅」
「ふふ……ならば、その眼で確かめたらどうです?果たして斬れるものかどうか」

 次の瞬間、朧雅の影が龍真の足元から立ち上がり、鎖のように絡みつく。
 龍真は地を蹴り、鋭い踏み込みで間合いを詰め、刀を振るう。斬撃が影を切り裂き、朧雅の目前に迫った。

 刃が朧雅の首元に迫る──。

「そんなに不用意に近付いては危ないですよ」
「がっ!」

 あと少しで朧雅の首に届く──その瞬間、龍真の腹部を黒い影が形成した狼の頭部が強烈に打ち据えた。衝撃が全身を貫き、龍真の身体は後方へと吹き飛ばされる。

 影が集まり、今度は三体の狼の姿となり、激しく牙を剥き、爪を振るいながら龍真を包囲するように跳躍した。

 雷鎖結界レイゼンクレスト
 次元穿突ディルク・ノヴァ!」

 カイとレイが龍真の前に飛び出した。
 レイの雷魔法が獣の四肢を絡め取り、閃光が暴れるたび影狼が焦げて咆哮を上げる。
 カイも槍を深く突き刺し、狼の影を切り裂いた。

「貴方ほどの使い手に、俺たちの助太刀は不要かと思ったが、そこの魔族に用があるので割り込ませてもらった」

 カイは槍を構え、声に強さを込める。

「ほう。俺の魔法を見抜き、一撃で破るとは……なかなかやりますね」

 朧雅は余裕たっぷりに上から目線で応じる。

「おい、あんた。あんたも魔族だろ。瞳に魔紋が入った長髪の男を知らないか」
「さあ、知りませんね」

 カイの問いかけに、朧雅はすぐにラズフェルドのことだと察したが、素直に答える気はなかった。

「お前さん等は他国の人間か。奴は悪鬼の中でも最上位の強さだ。死にたくなかったら下がっていろ!」

 龍真は自らを庇うように、前に出たカイとレイに鋭く警告した。

「そーそー。人間が何人がかりで来ようと朧雅に適うわけないんだから諦めなよ」

 木の枝に座した翠琴が頬杖をつき、つまらなそうに三人を見下ろす。

「ふぁ~。私、そろそろ眠くなって来ちゃった。朧雅、帰ろ~」
「全く。貴女という方は……」

 翠琴の言葉に苦笑を浮かべつつ、朧雅は静かに翠琴の元へ歩み寄った。眠そうに目を擦る彼女を、そっと抱き上げる。

「龍真殿はどうするのですか。一応、彼は斑影の中でも最強ですし、恐らく彼等では手こずる相手ですよ。今ここで始末しておいた方がいいのでは?」

 朧雅の問いかけに、翠琴は下方の三人に再び視線を向ける。
 斑影のことは、他の魔族に任せている。朧雅の言葉から、高位魔族には及ばないものの、他の魔族には匹敵する力を持つ──そう判断して間違いはなさそうだ。

「いや、いいよ。放っといて。彼には役に立って死んでもらお」

 翠琴はそう告げると、カイとレイに視線を送った。

「貴方たちの探し人、ティアとルゥナは生きてる。彼女たちに生きて会いたければ強くなりなさい。幸い、ここは将軍の玩具箱の中。鍛えるには打って付けの場所よ」

 その言葉に、場にいた誰もが驚きを隠せなかった。朧雅でさえも、少し間を置き、黙ったまま彼女を見つめていた。

「何故、ティアとルゥナの事を知っている!?二人はどこにいるんだ!」

  翠琴が老婆の姿の時でさえ、二人の名前は口にしていなかったはず。だが今、彼女は知っていた。カイとレイは言葉を失い、しかし二人が生きているという事実に安堵した。
 カイが居場所を尋ねるも、翠琴は軽く笑うだけで答えなかった。

 翠琴を抱え、朧雅がゲートを開く。

「待て!魔族ともあろうものが逃げる気か朧雅!翠琴殿は連れて行かせん!」
「翠琴様がお疲れのようですから。貴方を殺せず俺も残念ですが、翠琴様に救われたその命、少しでも有意義に使ってくださいね」

 朧雅は目を細め笑みを浮かべるも、向けられる紅い瞳は一切笑っておらず冷たい視線を向けていた。
 呼び止める龍真とカイの声を無視して、朧雅はゲートを潜った。
 その先は本拠地の屋敷に繋がっており、渡り廊下の一角で朧雅は翠琴を抱き、寝室へと向かう。

「翠琴様。何故、あのようなことを……?」
「あのようなことって?」

 朧雅の問いに、翠琴は軽く笑った。

「ティアのためよ。私の核となる存在が朧雅であるように、あの二人は彼女の核となる存在。今後、彼等の存在がティアを動かすの」
「彼等が核ならば、彼女がこちら側に来ることはないのでは?」
「いいえ。それが、彼女が私たちの元へ来る未来は確定しているの。私の先読みは外れたことがないわ。朧雅も、知っているでしょう?」

 翠琴の力の一種である未来の透視は、決して外れることは無い。未来を知ることは体への負担が大きく、朧雅も制止していた。しかし、世界を変えると決意して以来、翠琴は時折その力を用いている。
 問いかけに、朧雅は言葉を失った。事実、翠琴の予見はこれまで一度も外れたことがない。

「特に、大きな起点はどれだけ回避しようとしても、別の方法で帳尻を合わせてくる。私が見たティアの起点は四つ。母親の死、追放、そしてあと二つ。三つ目の起点で彼女はこちら側へ来ることになるよ」

 翠琴は確信を込めて言った。

「その時、あの二人が敵になるかどうかは分からない。でも、あの二人には今以上に強くなってティアを守ってもらわなくちゃね」

 言葉は静かに、しかし確固たる意志を伴って落ちた。
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