63 / 66
第四章 澄幻国編
腐敗の城影
しおりを挟む
一人の男が亀駕籠から龍泉郡の港に降り立った。
港と言っても、賑やかな船着場を思わせる場所ではない。下層の郡にあるため活気は乏しく、観光客の姿も皆無だ。亀駕籠で行き来するのも、龍泉郡に商いを持つ者くらいに限られている。
入国は容易だが、出国には厳しい検問が敷かれている──そのため、ここを好んで訪れる者はいなかった。
「ここも相変わらずだのう」
葵仁は閑古鳥が鳴く港を一瞥し、独りごちる。
桟橋の脇には、数人の柄の悪い男たちが腰を下ろし、亀駕籠から降りてくる人々を値踏みするように眺めていた。
だが葵仁は意に介さず、両袖に手を突っ込んだまま歩き出す。
それに合わせるように、男たちも立ち上がり、道の反対側から近づいてきた。
すれ違いざま、一人がわざとらしく肩をぶつけてくる。
「いってぇ!きさん、どこ見て歩いとんか!あ~、これ折れたわ~……治療費もらわんとなぁ」
「痛い目見る前に、さっさと金置いて帰んな」
下卑た笑みを浮かべながら絡みつくチンピラたち。
「おう。すまんな」
葵仁は両袖に手を入れたまま、軽く口先だけで謝罪すると、そのまま歩みを進めた。
「おいこら、待たんかい!折れたっち言ったの、聞こえとらんのか!」
「きさん、舐め腐っとったら喰らすぞ!」
「さっさと治療費払えちゃ!」
怒声を張り上げながら、男たちが葵仁の前に立ちはだかり、行く手を塞ぐ。
「その方言……お前ら、北野村の者だな」
「だったらなんや?」
「文句あるんか、あァ?」
睨みを効かせて威嚇する男たちに、葵仁は小さく笑みを浮かべた。
「どうやら噂は本当やったみたいやな……」
主郡にいた頃、耳にした噂を思い出す。──龍泉郡では龍供祭が廃止されて以降、余所者を寄せ付けぬため、チンピラを雇って追い返している、というものだ。
「おい!聞いとんのか!」
一人の男が苛立ち紛れに手を伸ばした、その瞬間。
葵仁の姿がふっと揺らいだかと思うと、瞬きの間に男の手首を掴み、背後へと回り込んでいた。
ぐい、と力を込める。
「ぐあああ!折れる、折れるって、本当に折れるッ!」
悲鳴を上げながら、男は地面に膝をついた。
「喧嘩を売る相手を間違えたな。──答えろ。お前たちは誰に雇われとる?」
「調子乗んじゃねーぞ、この野郎!」
「その手を離さんか!」
他の者たち怒筋を立てて襲ってくる。中には刃物を取り出す者もした。
「はぁ……これだから北野村のチンピラは好かん。話が通じる奴はおらんのか」
葵仁は後頭部をかき、ため息をひとつ吐いた。
囲むチンピラたちの目は血走り、理屈など最初から通じる気配はない。
「話ができん奴ばかりやな。……まあ、ええか」
掴んでいた腕を軽く捻ると、悲鳴を上げた男を無造作に前へ投げ飛ばした。
その拍子に、取り囲んでいた輪が一瞬だけ崩れる。
「いくぞォ!」
「ぶっ殺せぇ!」
刃物を構えた男が飛びかかってくる。
だが次の瞬間、葵仁の影が掻き消えたかのように視界から消え、背後に回っていた。
「ぐっ……!」
鳩尾に一撃を受け、男はその場に崩れ落ちた。周囲の者たちは息を呑み、動きを止める。海風に混じった喧噪が一瞬にして薄れるようだった。
葵仁は蹲った男めがけて足を踏み込み、手際よく刃物を奪い取ると、その刃先を男の首元に突きつけた。月光に冷たく光る刃先が、港の湿った空気を切る。
「さて……答えを聞かせてもらおう。お前らは、誰に雇われた?」
低く静かな声が、港の静けさに溶け込むように響いた。男の視線がわずかに泳ぐ。
「だ、代官の時枝って奴や。招待状を持たん奴は入れるな、って命令で──その通りにやっただけや!」
男は震える声でまくしたてる。背後の連中も口元を引き結び、逃げ場を探すように互いを見るだけだ。葵仁の冷たい視線がじわりと全員を押しつぶす。
「招待状が無い者を入れるな、とな。今日は何の催しだと、時枝は言うたか?」
葵仁の問いに、男は喉を鳴らしながら小声で答える。
「──城主の計らいで、祭りの余興だと。権力者や貴族向けの催しで、外様を入れるなと。招待の無い者は追い返せっち、役人に命令されたんよ」
葵仁は一息つき、港の方角を見やる。閑散とした桟橋、ちらほらと灯る提灯。祭りの「気配」はここまで届いていない。男の言葉は、何かを隠すための方便にも聞こえた。
「ふむ。代官がそんな命を下す──となると、事は単純ではなさそうやな」
葵仁は刃をほどき、男の首すじを軽く押さえたまま続ける。
「お前たちが要るのは金か、怯えか、それとも両方か。だが覚えておけ。こんな真似をしておいて、後になって利用されただけでは済まんぞ」
男は震え、言葉にならない声を漏らした。葵仁は冷ややかに鼻先で笑い、背後のチンピラたちに向けて言った。
「さあ、引き上げろ。今日だけは見逃してやる。次にこがんことをしよったら……分かっとるな?」
ぎろりと殺気の籠った瞳が男たちを射抜く。
男たちはしばらく俯いたまま動けずにいたが、葵仁の視線が一点に定まっているのを感じると、やがておずおずと後ずさりを始めた。港に残るのは、波の音と葵仁の静かな足取りだけになった。
「城主の菅原だけじゃなく、代官まで腐っとったか……いや、こん町は役人に至るまで腐りきった人間の集まりやったな。いつも割りを食うのは、結局、郡民ばかりよ」
葵仁は遠くに聳える城を鋭く睨みつけ、歩むべき道を定めるように足を進めた。
─────
「おら、きりきり歩け!」
無骨な怒声が飛ぶ。
縄で両手を縛られた女たちが二列に並べられ、足を引きずるように進む。
ひっくひっくと、あちらこちらからすすり泣く声が漏れた。
「いやっ……死にたくない!いやぁっ!」
耐えきれず、一人の女が列から飛び出すように逆走した。
「捕まえろ!列から出るんじゃねぇ!」
役人風の男たちが棒を振り上げ、逃げた女を殴りつける。蹴りも加えられ、悲鳴はあっという間に泣き声へと変わった。
その光景に、他の女たちは息を呑み、身を縮こまらせて前へ進むしかなかった。
向かうは死出の道。進むも地獄、戻るも地獄。彼女らの足取りは涙と絶望に濡れていた。
その列の中に、ティアもいた。
三日前のこと。ティアとルゥナを救ってくれた父子の家に、役人がやって来た。
娘・澄音が人柱として徴収されると告げられたのだ。
役人が去った後、父と娘は互いに抱き合い、声を殺して泣いた。
「私が行きます」
沈痛な空気を切り裂くように、ティアははっきりと告げた。
「ティアちゃん?何を……」
澄音が涙の目を見開く。
「澄音さんの代わりに、私が人柱として城へ行きます」
「……澄音のことを思って言ってくれてありがとう。けど、その必要はなか」
父・宗烈は震える手でティアの肩に触れ、強く押しとどめるように言った。
「俺たちはここば出る。逃げるんじゃ」
「逃げ切れるんですか?」
ティアの声音は冷静で、感情に流されていなかった。
「山ン中なら役人よりも俺たちの方がよく知っちゅうけぇ、利がある。それに、港に着いて亀駕籠にさえ乗れれば、他の郡へ移って逃げ切れる」
しかし、宗烈の言葉にティアはじっと目を細める。
「……もしそれが本当に可能なら、これまで龍供祭のたびに逃げ出す人がもっといたはずです。なのに、そうじゃない」
宗烈の顔が苦く歪む。
「亀駕籠で逃げられるのなら、わざわざ生贄を待つ必要なんてありません。……違いますか?龍泉郡の民には乗ることが許されないか、あるいは法外な金を要求される。だから、龍泉郡の民は逃げる手段がない」
宗烈は押し黙った。
ティアはさらに続ける。
「山に逃げても、役人に捕まれば一族ごと処刑される。……そうなるから誰も逆らわない」
ティアの冷静な言葉に、宗烈も澄音も息を呑み、声を失った。
その推測は的を射ていた。
「……妻は、俺と澄音を生かすために自ら生贄になったんじゃ!」
宗烈の声が震え、血を吐くような叫びに変わる。
「けど今度は澄音が人柱にされて、俺だけが残される……そんなもの、生きている意味はなか!澄音がどのみち殺されるなら、少しでも生き残れる方を……」
「ですから!」
ティアは宗烈の言葉を鋭く遮った。
「私が行くんです!」
その言葉に、場が一瞬凍りつく。
「……私が澄音さんになります。そうすれば、あなたたちは逃げる必要はない」
ティアは淡々と言いながらも、口元に自嘲めいた苦笑を浮かべた。
「澄音さんは外に出られなくなっちゃうかもしれませんけどね」
「ティア!?ルゥナとずっと一緒にいるって言った!あれは嘘だったの!?」
ルゥナが涙声で食い下がる。
「嘘じゃないよ」
ティアは柔らかく笑みを浮かべ、ルゥナの頭を優しく撫でた。
「私は澄音さんの身代わりとして人柱になる。けど、死ぬ気はない。……人柱は澄音さん一人だけじゃないんですよね?」
「……役人は、若い娘を各村から選んで集めていると……」
宗烈がしぶしぶ答えると、ティアは真剣な顔で頷いた。
「生贄の儀式が廃止されたはずなのに、また郡の民を苦しめるなんて……そんな勝手は許せない」
瞳に決意の光を宿しながら、ティアは強い調子で続けた。
「しかも城主は貴族。澄幻国は近年、他国との交流を盛んにしている。ならば、他国との摩擦は避けたいはず……利用できるはずです。私に考えがあります」
宗烈と澄音は、彼女の口から放たれる策に、ただ黙って耳を傾けるしかなかった。
それから、ティアは決意を固めるように行動を開始した。
タンニン酸と鉄分で髪を黒く染め、澄音の着物を借りる。
「背格好もほとんど同じ。しっかり顔を見られさえしなければ、誤魔化せるはず」
「ティアちゃん……本当に大丈夫?私のせいで……」
澄音が震える声で問うと、ティアは腕をまくり、力こぶを作ってみせた。
「大丈夫!こう見えて、私強いんだから!」
力こぶは頼りなかったが、その笑顔には不思議な強さがあった。
「それに……」
ティアは表情を引き締める。
「二日前にルゥナが龍泉郡を出て、商隊のみんなを探してくれているはず」
彼女たちが所属する商隊は、ドワーフ国での功績から名を馳せ、今や世界に轟く存在となっていた。
澄幻国はこれまで孤立気味だったが、新将軍の代になってからは他国との繋がりを強化している。そんな中、世界で最も勢力を伸ばす商隊を敵に回すことは避けたいはずだ。
ティアの目論見は人柱計画を潰し、助けが来るまでの時間を稼ぐこと。
その華奢な体からは想像できないほどの覚悟が、確かに宿っていた。
港と言っても、賑やかな船着場を思わせる場所ではない。下層の郡にあるため活気は乏しく、観光客の姿も皆無だ。亀駕籠で行き来するのも、龍泉郡に商いを持つ者くらいに限られている。
入国は容易だが、出国には厳しい検問が敷かれている──そのため、ここを好んで訪れる者はいなかった。
「ここも相変わらずだのう」
葵仁は閑古鳥が鳴く港を一瞥し、独りごちる。
桟橋の脇には、数人の柄の悪い男たちが腰を下ろし、亀駕籠から降りてくる人々を値踏みするように眺めていた。
だが葵仁は意に介さず、両袖に手を突っ込んだまま歩き出す。
それに合わせるように、男たちも立ち上がり、道の反対側から近づいてきた。
すれ違いざま、一人がわざとらしく肩をぶつけてくる。
「いってぇ!きさん、どこ見て歩いとんか!あ~、これ折れたわ~……治療費もらわんとなぁ」
「痛い目見る前に、さっさと金置いて帰んな」
下卑た笑みを浮かべながら絡みつくチンピラたち。
「おう。すまんな」
葵仁は両袖に手を入れたまま、軽く口先だけで謝罪すると、そのまま歩みを進めた。
「おいこら、待たんかい!折れたっち言ったの、聞こえとらんのか!」
「きさん、舐め腐っとったら喰らすぞ!」
「さっさと治療費払えちゃ!」
怒声を張り上げながら、男たちが葵仁の前に立ちはだかり、行く手を塞ぐ。
「その方言……お前ら、北野村の者だな」
「だったらなんや?」
「文句あるんか、あァ?」
睨みを効かせて威嚇する男たちに、葵仁は小さく笑みを浮かべた。
「どうやら噂は本当やったみたいやな……」
主郡にいた頃、耳にした噂を思い出す。──龍泉郡では龍供祭が廃止されて以降、余所者を寄せ付けぬため、チンピラを雇って追い返している、というものだ。
「おい!聞いとんのか!」
一人の男が苛立ち紛れに手を伸ばした、その瞬間。
葵仁の姿がふっと揺らいだかと思うと、瞬きの間に男の手首を掴み、背後へと回り込んでいた。
ぐい、と力を込める。
「ぐあああ!折れる、折れるって、本当に折れるッ!」
悲鳴を上げながら、男は地面に膝をついた。
「喧嘩を売る相手を間違えたな。──答えろ。お前たちは誰に雇われとる?」
「調子乗んじゃねーぞ、この野郎!」
「その手を離さんか!」
他の者たち怒筋を立てて襲ってくる。中には刃物を取り出す者もした。
「はぁ……これだから北野村のチンピラは好かん。話が通じる奴はおらんのか」
葵仁は後頭部をかき、ため息をひとつ吐いた。
囲むチンピラたちの目は血走り、理屈など最初から通じる気配はない。
「話ができん奴ばかりやな。……まあ、ええか」
掴んでいた腕を軽く捻ると、悲鳴を上げた男を無造作に前へ投げ飛ばした。
その拍子に、取り囲んでいた輪が一瞬だけ崩れる。
「いくぞォ!」
「ぶっ殺せぇ!」
刃物を構えた男が飛びかかってくる。
だが次の瞬間、葵仁の影が掻き消えたかのように視界から消え、背後に回っていた。
「ぐっ……!」
鳩尾に一撃を受け、男はその場に崩れ落ちた。周囲の者たちは息を呑み、動きを止める。海風に混じった喧噪が一瞬にして薄れるようだった。
葵仁は蹲った男めがけて足を踏み込み、手際よく刃物を奪い取ると、その刃先を男の首元に突きつけた。月光に冷たく光る刃先が、港の湿った空気を切る。
「さて……答えを聞かせてもらおう。お前らは、誰に雇われた?」
低く静かな声が、港の静けさに溶け込むように響いた。男の視線がわずかに泳ぐ。
「だ、代官の時枝って奴や。招待状を持たん奴は入れるな、って命令で──その通りにやっただけや!」
男は震える声でまくしたてる。背後の連中も口元を引き結び、逃げ場を探すように互いを見るだけだ。葵仁の冷たい視線がじわりと全員を押しつぶす。
「招待状が無い者を入れるな、とな。今日は何の催しだと、時枝は言うたか?」
葵仁の問いに、男は喉を鳴らしながら小声で答える。
「──城主の計らいで、祭りの余興だと。権力者や貴族向けの催しで、外様を入れるなと。招待の無い者は追い返せっち、役人に命令されたんよ」
葵仁は一息つき、港の方角を見やる。閑散とした桟橋、ちらほらと灯る提灯。祭りの「気配」はここまで届いていない。男の言葉は、何かを隠すための方便にも聞こえた。
「ふむ。代官がそんな命を下す──となると、事は単純ではなさそうやな」
葵仁は刃をほどき、男の首すじを軽く押さえたまま続ける。
「お前たちが要るのは金か、怯えか、それとも両方か。だが覚えておけ。こんな真似をしておいて、後になって利用されただけでは済まんぞ」
男は震え、言葉にならない声を漏らした。葵仁は冷ややかに鼻先で笑い、背後のチンピラたちに向けて言った。
「さあ、引き上げろ。今日だけは見逃してやる。次にこがんことをしよったら……分かっとるな?」
ぎろりと殺気の籠った瞳が男たちを射抜く。
男たちはしばらく俯いたまま動けずにいたが、葵仁の視線が一点に定まっているのを感じると、やがておずおずと後ずさりを始めた。港に残るのは、波の音と葵仁の静かな足取りだけになった。
「城主の菅原だけじゃなく、代官まで腐っとったか……いや、こん町は役人に至るまで腐りきった人間の集まりやったな。いつも割りを食うのは、結局、郡民ばかりよ」
葵仁は遠くに聳える城を鋭く睨みつけ、歩むべき道を定めるように足を進めた。
─────
「おら、きりきり歩け!」
無骨な怒声が飛ぶ。
縄で両手を縛られた女たちが二列に並べられ、足を引きずるように進む。
ひっくひっくと、あちらこちらからすすり泣く声が漏れた。
「いやっ……死にたくない!いやぁっ!」
耐えきれず、一人の女が列から飛び出すように逆走した。
「捕まえろ!列から出るんじゃねぇ!」
役人風の男たちが棒を振り上げ、逃げた女を殴りつける。蹴りも加えられ、悲鳴はあっという間に泣き声へと変わった。
その光景に、他の女たちは息を呑み、身を縮こまらせて前へ進むしかなかった。
向かうは死出の道。進むも地獄、戻るも地獄。彼女らの足取りは涙と絶望に濡れていた。
その列の中に、ティアもいた。
三日前のこと。ティアとルゥナを救ってくれた父子の家に、役人がやって来た。
娘・澄音が人柱として徴収されると告げられたのだ。
役人が去った後、父と娘は互いに抱き合い、声を殺して泣いた。
「私が行きます」
沈痛な空気を切り裂くように、ティアははっきりと告げた。
「ティアちゃん?何を……」
澄音が涙の目を見開く。
「澄音さんの代わりに、私が人柱として城へ行きます」
「……澄音のことを思って言ってくれてありがとう。けど、その必要はなか」
父・宗烈は震える手でティアの肩に触れ、強く押しとどめるように言った。
「俺たちはここば出る。逃げるんじゃ」
「逃げ切れるんですか?」
ティアの声音は冷静で、感情に流されていなかった。
「山ン中なら役人よりも俺たちの方がよく知っちゅうけぇ、利がある。それに、港に着いて亀駕籠にさえ乗れれば、他の郡へ移って逃げ切れる」
しかし、宗烈の言葉にティアはじっと目を細める。
「……もしそれが本当に可能なら、これまで龍供祭のたびに逃げ出す人がもっといたはずです。なのに、そうじゃない」
宗烈の顔が苦く歪む。
「亀駕籠で逃げられるのなら、わざわざ生贄を待つ必要なんてありません。……違いますか?龍泉郡の民には乗ることが許されないか、あるいは法外な金を要求される。だから、龍泉郡の民は逃げる手段がない」
宗烈は押し黙った。
ティアはさらに続ける。
「山に逃げても、役人に捕まれば一族ごと処刑される。……そうなるから誰も逆らわない」
ティアの冷静な言葉に、宗烈も澄音も息を呑み、声を失った。
その推測は的を射ていた。
「……妻は、俺と澄音を生かすために自ら生贄になったんじゃ!」
宗烈の声が震え、血を吐くような叫びに変わる。
「けど今度は澄音が人柱にされて、俺だけが残される……そんなもの、生きている意味はなか!澄音がどのみち殺されるなら、少しでも生き残れる方を……」
「ですから!」
ティアは宗烈の言葉を鋭く遮った。
「私が行くんです!」
その言葉に、場が一瞬凍りつく。
「……私が澄音さんになります。そうすれば、あなたたちは逃げる必要はない」
ティアは淡々と言いながらも、口元に自嘲めいた苦笑を浮かべた。
「澄音さんは外に出られなくなっちゃうかもしれませんけどね」
「ティア!?ルゥナとずっと一緒にいるって言った!あれは嘘だったの!?」
ルゥナが涙声で食い下がる。
「嘘じゃないよ」
ティアは柔らかく笑みを浮かべ、ルゥナの頭を優しく撫でた。
「私は澄音さんの身代わりとして人柱になる。けど、死ぬ気はない。……人柱は澄音さん一人だけじゃないんですよね?」
「……役人は、若い娘を各村から選んで集めていると……」
宗烈がしぶしぶ答えると、ティアは真剣な顔で頷いた。
「生贄の儀式が廃止されたはずなのに、また郡の民を苦しめるなんて……そんな勝手は許せない」
瞳に決意の光を宿しながら、ティアは強い調子で続けた。
「しかも城主は貴族。澄幻国は近年、他国との交流を盛んにしている。ならば、他国との摩擦は避けたいはず……利用できるはずです。私に考えがあります」
宗烈と澄音は、彼女の口から放たれる策に、ただ黙って耳を傾けるしかなかった。
それから、ティアは決意を固めるように行動を開始した。
タンニン酸と鉄分で髪を黒く染め、澄音の着物を借りる。
「背格好もほとんど同じ。しっかり顔を見られさえしなければ、誤魔化せるはず」
「ティアちゃん……本当に大丈夫?私のせいで……」
澄音が震える声で問うと、ティアは腕をまくり、力こぶを作ってみせた。
「大丈夫!こう見えて、私強いんだから!」
力こぶは頼りなかったが、その笑顔には不思議な強さがあった。
「それに……」
ティアは表情を引き締める。
「二日前にルゥナが龍泉郡を出て、商隊のみんなを探してくれているはず」
彼女たちが所属する商隊は、ドワーフ国での功績から名を馳せ、今や世界に轟く存在となっていた。
澄幻国はこれまで孤立気味だったが、新将軍の代になってからは他国との繋がりを強化している。そんな中、世界で最も勢力を伸ばす商隊を敵に回すことは避けたいはずだ。
ティアの目論見は人柱計画を潰し、助けが来るまでの時間を稼ぐこと。
その華奢な体からは想像できないほどの覚悟が、確かに宿っていた。
1
あなたにおすすめの小説
転生社畜、転生先でも社畜ジョブ「書記」でブラック労働し、20年。前人未到のジョブレベルカンストからの大覚醒成り上がり!
nineyu
ファンタジー
男は絶望していた。
使い潰され、いびられ、社畜生活に疲れ、気がつけば死に場所を求めて樹海を歩いていた。
しかし、樹海の先は異世界で、転生の影響か体も若返っていた!
リスタートと思い、自由に暮らしたいと思うも、手に入れていたスキルは前世の影響らしく、気がつけば変わらない社畜生活に、、
そんな不幸な男の転機はそこから20年。
累計四十年の社畜ジョブが、遂に覚醒する!!
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
没落領地の転生令嬢ですが、領地を立て直していたら序列一位の騎士に婿入りされました
藤原遊
ファンタジー
魔力不足、財政難、人手不足。
逃げ場のない没落領地を託された転生令嬢は、
“立て直す”以外の選択肢を持たなかった。
領地経営、改革、そして予想外の縁。
没落から始まる再建の先で、彼女が選ぶ未来とは──。
※完結まで予約投稿しました。安心してお読みください。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる