ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第四章 澄幻国編

腐敗の城影

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 一人の男が亀駕籠から龍泉郡の港に降り立った。
 港と言っても、賑やかな船着場を思わせる場所ではない。下層の郡にあるため活気は乏しく、観光客の姿も皆無だ。亀駕籠で行き来するのも、龍泉郡に商いを持つ者くらいに限られている。

 入国は容易だが、出国には厳しい検問が敷かれている──そのため、ここを好んで訪れる者はいなかった。

「ここも相変わらずだのう」

 葵仁は閑古鳥が鳴く港を一瞥し、独りごちる。
 桟橋の脇には、数人の柄の悪い男たちが腰を下ろし、亀駕籠から降りてくる人々を値踏みするように眺めていた。

 だが葵仁は意に介さず、両袖に手を突っ込んだまま歩き出す。
 それに合わせるように、男たちも立ち上がり、道の反対側から近づいてきた。

 すれ違いざま、一人がわざとらしく肩をぶつけてくる。

「いってぇ!きさん、どこ見て歩いとんか!あ~、これ折れたわ~……治療費もらわんとなぁ」
「痛い目見る前に、さっさと金置いて帰んな」

 下卑た笑みを浮かべながら絡みつくチンピラたち。

「おう。すまんな」

 葵仁は両袖に手を入れたまま、軽く口先だけで謝罪すると、そのまま歩みを進めた。

「おいこら、待たんかい!折れたっち言ったの、聞こえとらんのか!」
「きさん、舐め腐っとったら喰らすぞ!」
「さっさと治療費払えちゃ!」

 怒声を張り上げながら、男たちが葵仁の前に立ちはだかり、行く手を塞ぐ。

「その方言……お前ら、北野村の者だな」
「だったらなんや?」
「文句あるんか、あァ?」

 睨みを効かせて威嚇する男たちに、葵仁は小さく笑みを浮かべた。

「どうやら噂は本当やったみたいやな……」

 主郡にいた頃、耳にした噂を思い出す。──龍泉郡では龍供祭が廃止されて以降、余所者を寄せ付けぬため、チンピラを雇って追い返している、というものだ。

「おい!聞いとんのか!」

 一人の男が苛立ち紛れに手を伸ばした、その瞬間。
 葵仁の姿がふっと揺らいだかと思うと、瞬きの間に男の手首を掴み、背後へと回り込んでいた。

 ぐい、と力を込める。

「ぐあああ!折れる、折れるって、本当に折れるッ!」

 悲鳴を上げながら、男は地面に膝をついた。

「喧嘩を売る相手を間違えたな。──答えろ。お前たちは誰に雇われとる?」
「調子乗んじゃねーぞ、この野郎!」
「その手を離さんか!」

 他の者たち怒筋を立てて襲ってくる。中には刃物を取り出す者もした。

「はぁ……これだから北野村のチンピラは好かん。話が通じる奴はおらんのか」

 葵仁は後頭部をかき、ため息をひとつ吐いた。
 囲むチンピラたちの目は血走り、理屈など最初から通じる気配はない。

「話ができん奴ばかりやな。……まあ、ええか」

 掴んでいた腕を軽く捻ると、悲鳴を上げた男を無造作に前へ投げ飛ばした。
 その拍子に、取り囲んでいた輪が一瞬だけ崩れる。

「いくぞォ!」
「ぶっ殺せぇ!」

 刃物を構えた男が飛びかかってくる。
 だが次の瞬間、葵仁の影が掻き消えたかのように視界から消え、背後に回っていた。

「ぐっ……!」

 鳩尾に一撃を受け、男はその場に崩れ落ちた。周囲の者たちは息を呑み、動きを止める。海風に混じった喧噪が一瞬にして薄れるようだった。

 葵仁は蹲った男めがけて足を踏み込み、手際よく刃物を奪い取ると、その刃先を男の首元に突きつけた。月光に冷たく光る刃先が、港の湿った空気を切る。

「さて……答えを聞かせてもらおう。お前らは、誰に雇われた?」

 低く静かな声が、港の静けさに溶け込むように響いた。男の視線がわずかに泳ぐ。

「だ、代官の時枝って奴や。招待状を持たん奴は入れるな、って命令で──その通りにやっただけや!」

 男は震える声でまくしたてる。背後の連中も口元を引き結び、逃げ場を探すように互いを見るだけだ。葵仁の冷たい視線がじわりと全員を押しつぶす。

「招待状が無い者を入れるな、とな。今日は何の催しだと、時枝は言うたか?」

 葵仁の問いに、男は喉を鳴らしながら小声で答える。

「──城主の計らいで、祭りの余興だと。権力者や貴族向けの催しで、外様を入れるなと。招待の無い者は追い返せっち、役人に命令されたんよ」

 葵仁は一息つき、港の方角を見やる。閑散とした桟橋、ちらほらと灯る提灯。祭りの「気配」はここまで届いていない。男の言葉は、何かを隠すための方便にも聞こえた。

「ふむ。代官がそんな命を下す──となると、事は単純ではなさそうやな」

 葵仁は刃をほどき、男の首すじを軽く押さえたまま続ける。

「お前たちが要るのは金か、怯えか、それとも両方か。だが覚えておけ。こんな真似をしておいて、後になって利用されただけでは済まんぞ」

 男は震え、言葉にならない声を漏らした。葵仁は冷ややかに鼻先で笑い、背後のチンピラたちに向けて言った。

「さあ、引き上げろ。今日だけは見逃してやる。次にこがんことをしよったら……分かっとるな?」

 ぎろりと殺気の籠った瞳が男たちを射抜く。
 男たちはしばらく俯いたまま動けずにいたが、葵仁の視線が一点に定まっているのを感じると、やがておずおずと後ずさりを始めた。港に残るのは、波の音と葵仁の静かな足取りだけになった。

「城主の菅原だけじゃなく、代官まで腐っとったか……いや、こん町は役人に至るまで腐りきった人間の集まりやったな。いつも割りを食うのは、結局、郡民ばかりよ」

 葵仁は遠くに聳える城を鋭く睨みつけ、歩むべき道を定めるように足を進めた。


─────

「おら、きりきり歩け!」

 無骨な怒声が飛ぶ。
 縄で両手を縛られた女たちが二列に並べられ、足を引きずるように進む。
 ひっくひっくと、あちらこちらからすすり泣く声が漏れた。

「いやっ……死にたくない!いやぁっ!」

 耐えきれず、一人の女が列から飛び出すように逆走した。

「捕まえろ!列から出るんじゃねぇ!」

 役人風の男たちが棒を振り上げ、逃げた女を殴りつける。蹴りも加えられ、悲鳴はあっという間に泣き声へと変わった。
 その光景に、他の女たちは息を呑み、身を縮こまらせて前へ進むしかなかった。
 向かうは死出の道。進むも地獄、戻るも地獄。彼女らの足取りは涙と絶望に濡れていた。

 その列の中に、ティアもいた。

 三日前のこと。ティアとルゥナを救ってくれた父子の家に、役人がやって来た。
 娘・澄音が人柱として徴収されると告げられたのだ。
 役人が去った後、父と娘は互いに抱き合い、声を殺して泣いた。

「私が行きます」

 沈痛な空気を切り裂くように、ティアははっきりと告げた。

「ティアちゃん?何を……」

 澄音が涙の目を見開く。

「澄音さんの代わりに、私が人柱として城へ行きます」
「……澄音のことを思って言ってくれてありがとう。けど、その必要はなか」

 父・宗烈は震える手でティアの肩に触れ、強く押しとどめるように言った。

「俺たちはここば出る。逃げるんじゃ」
「逃げ切れるんですか?」

 ティアの声音は冷静で、感情に流されていなかった。

「山ン中なら役人よりも俺たちの方がよく知っちゅうけぇ、利がある。それに、港に着いて亀駕籠にさえ乗れれば、他の郡へ移って逃げ切れる」

 しかし、宗烈の言葉にティアはじっと目を細める。

「……もしそれが本当に可能なら、これまで龍供祭のたびに逃げ出す人がもっといたはずです。なのに、そうじゃない」

 宗烈の顔が苦く歪む。

「亀駕籠で逃げられるのなら、わざわざ生贄を待つ必要なんてありません。……違いますか?龍泉郡の民には乗ることが許されないか、あるいは法外な金を要求される。だから、龍泉郡の民は逃げる手段がない」

 宗烈は押し黙った。
 ティアはさらに続ける。

「山に逃げても、役人に捕まれば一族ごと処刑される。……そうなるから誰も逆らわない」

ティアの冷静な言葉に、宗烈も澄音も息を呑み、声を失った。
 その推測は的を射ていた。

「……妻は、俺と澄音を生かすために自ら生贄になったんじゃ!」

 宗烈の声が震え、血を吐くような叫びに変わる。

「けど今度は澄音が人柱にされて、俺だけが残される……そんなもの、生きている意味はなか!澄音がどのみち殺されるなら、少しでも生き残れる方を……」
「ですから!」

 ティアは宗烈の言葉を鋭く遮った。

「私が行くんです!」

 その言葉に、場が一瞬凍りつく。

「……私が澄音さんになります。そうすれば、あなたたちは逃げる必要はない」

 ティアは淡々と言いながらも、口元に自嘲めいた苦笑を浮かべた。

「澄音さんは外に出られなくなっちゃうかもしれませんけどね」
「ティア!?ルゥナとずっと一緒にいるって言った!あれは嘘だったの!?」

 ルゥナが涙声で食い下がる。

「嘘じゃないよ」

 ティアは柔らかく笑みを浮かべ、ルゥナの頭を優しく撫でた。

「私は澄音さんの身代わりとして人柱になる。けど、死ぬ気はない。……人柱は澄音さん一人だけじゃないんですよね?」
「……役人は、若い娘を各村から選んで集めていると……」

 宗烈がしぶしぶ答えると、ティアは真剣な顔で頷いた。

「生贄の儀式が廃止されたはずなのに、また郡の民を苦しめるなんて……そんな勝手は許せない」

 瞳に決意の光を宿しながら、ティアは強い調子で続けた。

「しかも城主は貴族。澄幻国は近年、他国との交流を盛んにしている。ならば、他国との摩擦は避けたいはず……利用できるはずです。私に考えがあります」

 宗烈と澄音は、彼女の口から放たれる策に、ただ黙って耳を傾けるしかなかった。

 それから、ティアは決意を固めるように行動を開始した。
 タンニン酸と鉄分で髪を黒く染め、澄音の着物を借りる。

「背格好もほとんど同じ。しっかり顔を見られさえしなければ、誤魔化せるはず」
「ティアちゃん……本当に大丈夫?私のせいで……」

 澄音が震える声で問うと、ティアは腕をまくり、力こぶを作ってみせた。

「大丈夫!こう見えて、私強いんだから!」

 力こぶは頼りなかったが、その笑顔には不思議な強さがあった。

「それに……」

 ティアは表情を引き締める。

「二日前にルゥナが龍泉郡を出て、商隊のみんなを探してくれているはず」

 彼女たちが所属する商隊は、ドワーフ国での功績から名を馳せ、今や世界に轟く存在となっていた。
 澄幻国はこれまで孤立気味だったが、新将軍の代になってからは他国との繋がりを強化している。そんな中、世界で最も勢力を伸ばす商隊を敵に回すことは避けたいはずだ。

 ティアの目論見は人柱計画を潰し、助けが来るまでの時間を稼ぐこと。
 その華奢な体からは想像できないほどの覚悟が、確かに宿っていた。
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