15 / 66
第二章 魔ノ胎動編
夜の出立、約束の灯火
しおりを挟む
ルゥナの話によると、彼女の故郷は五十人ほどの小さな獣人の村だったという。
村には子供がルゥナ一人しかおらず、老人たちは見せしめとして殺され、“商品”として価値があると判断された年齢の獣人たちは、残らず連れ去られた。
獣人は本来、人族よりも身体能力に優れ、戦闘にも長けた種族だ。
そんな彼らが、不意打ちとはいえ、あっさりと捕らえられたということは、襲撃者は素人ではない。
計画的かつ組織的に動いた者たちであり、実力も相当だったと見て間違いない。
おそらく、大人たちは決死の覚悟で、ルゥナひとりに希望を託して逃がしたのだ。
「みんなを……助けて」
少女の願いは、あまりにも重かった。
すでに捕らわれた者たちを救うというのは、この世界では簡単なことではない。
ましてや、奴隷制度が合法として存在しているこの大陸において、一度「所有物」として扱われた者を取り戻すことは、ほぼ不可能に近い。
三人は、しばし沈黙のまま顔を見合わせた。
その表情には、それぞれに言葉にできない戸惑いと困惑が浮かんでいる。
「……捕まった人たちって、今どこにいるの?」
エリーが、慎重に言葉を選びながら尋ねた。
ルゥナは少し考えたあと、まっすぐティアたちを見つめて、はっきりと答える。
「……南にある町。名前、わかんない。でも……大きな門があって、人間がいっぱい。奴隷商って人に、みんな……連れていかれた……」
町に入る前に大人たちがルゥナを逃がしてくれたのだという。
その町には、噂に聞く合法の奴隷市場がある。
きっとルゥナの家族も、そこに売られてしまったのだろう。
胸の奥がざわつく。
ルゥナの望みを叶えようとすれば、商隊にも仲間たちにも迷惑がかかる。
もし見つかれば、ティア自身もただでは済まない。最悪、奴隷として売られる危険だってある。
それでも。
目の前の少女の訴えを、見過ごすことはできなかった。
親を奪われ、村を焼かれ、それでも生き延びた少女の、震える声。
ティアは……かつて、レティシアと呼ばれた少女は、誰からも愛されなかった。
けれど、どこか遠い前世では、たしかに誰かに愛されていた記憶がある。
それが今、ルゥナを放っておけない理由として胸の奥で脈打っていた。
「人を見捨てられない」──日本人だった頃の、偽善的でお人好しな感覚かもしれない。
けれど、泣きじゃくるルゥナの姿は、幼い頃のレティシアとしての自分と重なって見えた。
誰かに抱きしめてほしくて、愛してほしくて、ただ泣くことしかできなかった、あの夜の自分に。
ルゥナはまだまだ、親の愛情や温もりが必要な時期だ。
ティアは、ゆっくりと拳を握りしめた。
「……ルゥナ。両親のところへ行こう。助けられるかは分からない。でも、せめて……様子だけでも見に行きたい」
「ティア……!?」
エリーが驚いて声を上げ、ノアも慌ててティアの腕を掴む。
「だめだよ!危なすぎるよ!相手は奴隷商だよ?ただじゃ済まないって!」
「私もそう思う……団長や仲間たちに迷惑がかかるよ……!」
当然の反応だった。
ティアはそれでも、視線をそらさずに言葉を返す。
「わかってる。でも、それでも……私は見て見ぬふりなんてできない。たった一人の子どもから、両親まで奪われるなんて……そんなの、私には耐えられない」
エリーとノアは、ティアの目を見て、言葉を失った。
「……ティア、戻ってこれなかったらどうするの?」
「これは私の我儘だから、二人はここに残ってね。もし私が戻らなかったときは……商隊には先に進んでもらって。団長には、私が勝手な行動を取ったって伝えて謝ってほしい。それと……拾ってくれたこと、仲間にしてくれたこと、ちゃんと感謝してるって伝えて」
その眼差しに、迷いはなかった。
「エリー、ノア。あなたたちと友達になれて、本当に嬉しかった。……ありがとう」
──もう、決めている。
そんな覚悟の強さを、エリーとノアはよく知っていた。
今さら何を言っても、この頑固な友人の心は揺るがないだろう。
二人は、ただ黙って視線を交わす。
短い沈黙のあと、ノアがそっとティアに歩み寄り、強く抱きしめた。
「止めても行くんでしょ?」
ノアの問いに、ティアは無言で頷いた。
「……分かった。でも、お願い。約束して。絶対に……帰ってきて」
その声には、恐れと願いが滲んでいた。
「絶対、無事に帰ってきてよ……ティア、ルゥナ」
エリーの声もまた震えていたが、その瞳はまっすぐティアを見据えていた。
その夜。
皆が寝静まり、野営地が静寂に包まれた頃。
ティアは、ルゥナと共にそっとテントを抜け出した。
夜の闇へと足を踏み出したその瞬間だった。
「どこに行く気だ?」
低い声に足を止める。
振り返ると、テントの前にカイとレイが立っていた。
「カイ……レイ……なんで……?」
ティアが驚きに目を見開くと、レイが腕を組んで小さくため息をついた。
「夕飯の時から様子が変だったからね。エリーとノアに聞いたけど、うまく誤魔化された。でも、これは何かあるなって思ってさ。来てみたら……やっぱりね」
カイはティアを無言で見つめていたが、やがてルゥナの姿に気づくと、視線を細めた。
「……この子のことで何かあったんだな?」
ティアは小さく息を吐き、覚悟を決めるように口を開いた。
ルゥナの故郷が襲われ、彼女だけが逃げ延びたこと。
捕らわれた家族を救いたいという願い。
そして、その想いに心を動かされた自分の気持ちを、隠さずに語った。
静かな夜に、ティアの声だけが響いていた。
全てを聞き終えたカイは、しばし沈黙し──やがて、低く言った。
「無理だ。相手は奴隷商。それも、合法的に商売してる連中だ。俺たちみたいな素人が首を突っ込んだところで、どうにかできる相手じゃない」
「……それでも行くの。どうしても、ルゥナの願いを見過ごせないの」
ティアの声は震えていたが、その目は真っすぐで、強かった。
カイは眉間に皺を寄せ、短く尋ねた。
「商隊を……抜けるつもりか?」
「……うん。わがままだって、わかってる。でも……それでも、行きたいの」
カイは黙り込み、ティアと見つめ合う。
わずかの間に、いくつもの感情が交錯していた。
その瞳に宿る覚悟を見て、カイは大きく息を吐いた。
「ったく……どうしてお前は、いつもそうなんだよ……!」
頭をぐしゃぐしゃと掻きむしると、カイはティアの前に歩み出た。
「もういい。俺も行く」
「えっ……!?」
今度はティアの方が目を見開いた。
「だ、だめだよカイ、これは私が勝手に──」
「バカ言うな。お前一人で乗り込んで、どうにかなる話じゃないだろうが。……それに」
カイはちらりとルゥナを見た。
「子どもの前で、仲間を見殺しにする人間にはなりたくない」
「俺たちが止めなかったら、一人ででも行ってたんだろ?なら、後悔しないように手を貸すさ」
レイも続いて言った。
ティアは言葉を失い、何度も瞬きを繰り返した。
その時、草陰から足音が聞こえた。
現れたのは、商隊に同行している獣人の三人。
狼のゼルク、虎のライガ、熊のグラド──それぞれ、鋭い目をしていた。
「俺たちも、連れてってくれないか」
先に口を開いたのは、灰色の毛並みを持つゼルクだった。
「君たちは……」
「俺たちは元々、十人ほどの仲間で旅をしていた。けど、迫害と奴隷狩りで、捕まるか、命を落とすか……今では三人だけだ」
ライガが悔しそうに語る。
「外の世界に絶望しかけてたところを、団長に拾われた……その恩はあるが、同じ獣人として、この子を放っておくことはできない」
大柄なグラドが、真剣な目でティアを見つめる。
「命を懸ける価値がある。俺たちは、そう判断した」
ゼルクの言葉は、簡潔で力強かった。
ティアは、胸がいっぱいになり、やがてそっと頷いた。
「……わかった。でも、絶対に……生きて帰ろう。全員で」
こうして、ティア、ルゥナ、カイ、レイ、ゼルク、ライガ、グラド。
七人の、小さな救出隊が結成された。
密かに野営地を離れようとしたその時だった。
「……おい」
湖畔の小道に、屈強な影が立っていた。
団長だった。
「だ、団長……!」
ティアが小さく叫ぶ。
緊張が一気に広がる。一同は、思わずその場で硬直した。
怒鳴られるか、止められるかと構える中、団長は腕を組んで静かに言った。
「この先、ドワーフの国までは、まだ一月はかかる。補給も馬の整備もあるしな。……というわけで、この湖畔で二日、滞在することにした。出発は、三日目の朝だ」
言葉の意味を理解するまで、しばし時間がかかった。
だが、団長の意図は、誰の胸にも確かに届いた。
二日間の猶予を与えてくれたのだ。
ティアは、思わず駆け寄り、深く頭を下げた。
「必ず……必ず戻ってきます。ありがとうございます、団長……!」
「夏とはいえ、夜は冷える。馬を走らせれば、なおさら体が冷えるだろう。それに──逃げた子供を追って、不穏な連中が町の外に出てきているかもしれん。……これを持っていけ」
団長が無造作に投げ渡してきたのは、商品でもあるはずの一着のケープだった。
見慣れたそれは、魔法具。身にまとう者の気配や存在感を薄め、周囲に認識されにくくする効果を持つ特殊な装備である。本来、一般人の手には決して渡らず、犯罪防止の観点から厳重に管理されており、貴族の中でも信用ある者にしか販売されない高級品だ。
それを、ためらいもなくティアたちに託した。その意味を、全員が悟った。
──馬を使え。
──絶対に、帰ってこい。
団長は直接的には何も言わない。だが、「馬を走らせれば冷える」とあえて口にしたことで、それが許可であると示していた。町までは人の足で一日以上。馬を使えば、半日で戻ってこられる。その意図を読み取れ、ということだ。
「嬢ちゃん──」
団長はそっとルゥナに歩み寄ると、そのケープを彼女の肩に優しくかけた。
「……一人で、よく耐えたな」
ごつごつとした手が、小さな頭をそっと撫でる。言葉は少ないが、その仕草には確かな労いと優しさが込められていた。ルゥナの肩がわずかに震えたのを、誰も気づかないふりをした。
「出発は三日目の朝、日の出とともにだ」
団長は背を向け、静かに言葉を続ける。
「遅れたやつは置いていく。……追いつくつもりがあるなら、それくらい自力でやってみせろ」
鼻を鳴らし、団長はそのまま暗がりに消えていった。
その背中に、ティアたちは誰一人として言葉を返せず、ただ深く頭を下げた。
不器用ながらも確かに伝わったその想いを胸に、彼らは改めて心を一つにする。
村には子供がルゥナ一人しかおらず、老人たちは見せしめとして殺され、“商品”として価値があると判断された年齢の獣人たちは、残らず連れ去られた。
獣人は本来、人族よりも身体能力に優れ、戦闘にも長けた種族だ。
そんな彼らが、不意打ちとはいえ、あっさりと捕らえられたということは、襲撃者は素人ではない。
計画的かつ組織的に動いた者たちであり、実力も相当だったと見て間違いない。
おそらく、大人たちは決死の覚悟で、ルゥナひとりに希望を託して逃がしたのだ。
「みんなを……助けて」
少女の願いは、あまりにも重かった。
すでに捕らわれた者たちを救うというのは、この世界では簡単なことではない。
ましてや、奴隷制度が合法として存在しているこの大陸において、一度「所有物」として扱われた者を取り戻すことは、ほぼ不可能に近い。
三人は、しばし沈黙のまま顔を見合わせた。
その表情には、それぞれに言葉にできない戸惑いと困惑が浮かんでいる。
「……捕まった人たちって、今どこにいるの?」
エリーが、慎重に言葉を選びながら尋ねた。
ルゥナは少し考えたあと、まっすぐティアたちを見つめて、はっきりと答える。
「……南にある町。名前、わかんない。でも……大きな門があって、人間がいっぱい。奴隷商って人に、みんな……連れていかれた……」
町に入る前に大人たちがルゥナを逃がしてくれたのだという。
その町には、噂に聞く合法の奴隷市場がある。
きっとルゥナの家族も、そこに売られてしまったのだろう。
胸の奥がざわつく。
ルゥナの望みを叶えようとすれば、商隊にも仲間たちにも迷惑がかかる。
もし見つかれば、ティア自身もただでは済まない。最悪、奴隷として売られる危険だってある。
それでも。
目の前の少女の訴えを、見過ごすことはできなかった。
親を奪われ、村を焼かれ、それでも生き延びた少女の、震える声。
ティアは……かつて、レティシアと呼ばれた少女は、誰からも愛されなかった。
けれど、どこか遠い前世では、たしかに誰かに愛されていた記憶がある。
それが今、ルゥナを放っておけない理由として胸の奥で脈打っていた。
「人を見捨てられない」──日本人だった頃の、偽善的でお人好しな感覚かもしれない。
けれど、泣きじゃくるルゥナの姿は、幼い頃のレティシアとしての自分と重なって見えた。
誰かに抱きしめてほしくて、愛してほしくて、ただ泣くことしかできなかった、あの夜の自分に。
ルゥナはまだまだ、親の愛情や温もりが必要な時期だ。
ティアは、ゆっくりと拳を握りしめた。
「……ルゥナ。両親のところへ行こう。助けられるかは分からない。でも、せめて……様子だけでも見に行きたい」
「ティア……!?」
エリーが驚いて声を上げ、ノアも慌ててティアの腕を掴む。
「だめだよ!危なすぎるよ!相手は奴隷商だよ?ただじゃ済まないって!」
「私もそう思う……団長や仲間たちに迷惑がかかるよ……!」
当然の反応だった。
ティアはそれでも、視線をそらさずに言葉を返す。
「わかってる。でも、それでも……私は見て見ぬふりなんてできない。たった一人の子どもから、両親まで奪われるなんて……そんなの、私には耐えられない」
エリーとノアは、ティアの目を見て、言葉を失った。
「……ティア、戻ってこれなかったらどうするの?」
「これは私の我儘だから、二人はここに残ってね。もし私が戻らなかったときは……商隊には先に進んでもらって。団長には、私が勝手な行動を取ったって伝えて謝ってほしい。それと……拾ってくれたこと、仲間にしてくれたこと、ちゃんと感謝してるって伝えて」
その眼差しに、迷いはなかった。
「エリー、ノア。あなたたちと友達になれて、本当に嬉しかった。……ありがとう」
──もう、決めている。
そんな覚悟の強さを、エリーとノアはよく知っていた。
今さら何を言っても、この頑固な友人の心は揺るがないだろう。
二人は、ただ黙って視線を交わす。
短い沈黙のあと、ノアがそっとティアに歩み寄り、強く抱きしめた。
「止めても行くんでしょ?」
ノアの問いに、ティアは無言で頷いた。
「……分かった。でも、お願い。約束して。絶対に……帰ってきて」
その声には、恐れと願いが滲んでいた。
「絶対、無事に帰ってきてよ……ティア、ルゥナ」
エリーの声もまた震えていたが、その瞳はまっすぐティアを見据えていた。
その夜。
皆が寝静まり、野営地が静寂に包まれた頃。
ティアは、ルゥナと共にそっとテントを抜け出した。
夜の闇へと足を踏み出したその瞬間だった。
「どこに行く気だ?」
低い声に足を止める。
振り返ると、テントの前にカイとレイが立っていた。
「カイ……レイ……なんで……?」
ティアが驚きに目を見開くと、レイが腕を組んで小さくため息をついた。
「夕飯の時から様子が変だったからね。エリーとノアに聞いたけど、うまく誤魔化された。でも、これは何かあるなって思ってさ。来てみたら……やっぱりね」
カイはティアを無言で見つめていたが、やがてルゥナの姿に気づくと、視線を細めた。
「……この子のことで何かあったんだな?」
ティアは小さく息を吐き、覚悟を決めるように口を開いた。
ルゥナの故郷が襲われ、彼女だけが逃げ延びたこと。
捕らわれた家族を救いたいという願い。
そして、その想いに心を動かされた自分の気持ちを、隠さずに語った。
静かな夜に、ティアの声だけが響いていた。
全てを聞き終えたカイは、しばし沈黙し──やがて、低く言った。
「無理だ。相手は奴隷商。それも、合法的に商売してる連中だ。俺たちみたいな素人が首を突っ込んだところで、どうにかできる相手じゃない」
「……それでも行くの。どうしても、ルゥナの願いを見過ごせないの」
ティアの声は震えていたが、その目は真っすぐで、強かった。
カイは眉間に皺を寄せ、短く尋ねた。
「商隊を……抜けるつもりか?」
「……うん。わがままだって、わかってる。でも……それでも、行きたいの」
カイは黙り込み、ティアと見つめ合う。
わずかの間に、いくつもの感情が交錯していた。
その瞳に宿る覚悟を見て、カイは大きく息を吐いた。
「ったく……どうしてお前は、いつもそうなんだよ……!」
頭をぐしゃぐしゃと掻きむしると、カイはティアの前に歩み出た。
「もういい。俺も行く」
「えっ……!?」
今度はティアの方が目を見開いた。
「だ、だめだよカイ、これは私が勝手に──」
「バカ言うな。お前一人で乗り込んで、どうにかなる話じゃないだろうが。……それに」
カイはちらりとルゥナを見た。
「子どもの前で、仲間を見殺しにする人間にはなりたくない」
「俺たちが止めなかったら、一人ででも行ってたんだろ?なら、後悔しないように手を貸すさ」
レイも続いて言った。
ティアは言葉を失い、何度も瞬きを繰り返した。
その時、草陰から足音が聞こえた。
現れたのは、商隊に同行している獣人の三人。
狼のゼルク、虎のライガ、熊のグラド──それぞれ、鋭い目をしていた。
「俺たちも、連れてってくれないか」
先に口を開いたのは、灰色の毛並みを持つゼルクだった。
「君たちは……」
「俺たちは元々、十人ほどの仲間で旅をしていた。けど、迫害と奴隷狩りで、捕まるか、命を落とすか……今では三人だけだ」
ライガが悔しそうに語る。
「外の世界に絶望しかけてたところを、団長に拾われた……その恩はあるが、同じ獣人として、この子を放っておくことはできない」
大柄なグラドが、真剣な目でティアを見つめる。
「命を懸ける価値がある。俺たちは、そう判断した」
ゼルクの言葉は、簡潔で力強かった。
ティアは、胸がいっぱいになり、やがてそっと頷いた。
「……わかった。でも、絶対に……生きて帰ろう。全員で」
こうして、ティア、ルゥナ、カイ、レイ、ゼルク、ライガ、グラド。
七人の、小さな救出隊が結成された。
密かに野営地を離れようとしたその時だった。
「……おい」
湖畔の小道に、屈強な影が立っていた。
団長だった。
「だ、団長……!」
ティアが小さく叫ぶ。
緊張が一気に広がる。一同は、思わずその場で硬直した。
怒鳴られるか、止められるかと構える中、団長は腕を組んで静かに言った。
「この先、ドワーフの国までは、まだ一月はかかる。補給も馬の整備もあるしな。……というわけで、この湖畔で二日、滞在することにした。出発は、三日目の朝だ」
言葉の意味を理解するまで、しばし時間がかかった。
だが、団長の意図は、誰の胸にも確かに届いた。
二日間の猶予を与えてくれたのだ。
ティアは、思わず駆け寄り、深く頭を下げた。
「必ず……必ず戻ってきます。ありがとうございます、団長……!」
「夏とはいえ、夜は冷える。馬を走らせれば、なおさら体が冷えるだろう。それに──逃げた子供を追って、不穏な連中が町の外に出てきているかもしれん。……これを持っていけ」
団長が無造作に投げ渡してきたのは、商品でもあるはずの一着のケープだった。
見慣れたそれは、魔法具。身にまとう者の気配や存在感を薄め、周囲に認識されにくくする効果を持つ特殊な装備である。本来、一般人の手には決して渡らず、犯罪防止の観点から厳重に管理されており、貴族の中でも信用ある者にしか販売されない高級品だ。
それを、ためらいもなくティアたちに託した。その意味を、全員が悟った。
──馬を使え。
──絶対に、帰ってこい。
団長は直接的には何も言わない。だが、「馬を走らせれば冷える」とあえて口にしたことで、それが許可であると示していた。町までは人の足で一日以上。馬を使えば、半日で戻ってこられる。その意図を読み取れ、ということだ。
「嬢ちゃん──」
団長はそっとルゥナに歩み寄ると、そのケープを彼女の肩に優しくかけた。
「……一人で、よく耐えたな」
ごつごつとした手が、小さな頭をそっと撫でる。言葉は少ないが、その仕草には確かな労いと優しさが込められていた。ルゥナの肩がわずかに震えたのを、誰も気づかないふりをした。
「出発は三日目の朝、日の出とともにだ」
団長は背を向け、静かに言葉を続ける。
「遅れたやつは置いていく。……追いつくつもりがあるなら、それくらい自力でやってみせろ」
鼻を鳴らし、団長はそのまま暗がりに消えていった。
その背中に、ティアたちは誰一人として言葉を返せず、ただ深く頭を下げた。
不器用ながらも確かに伝わったその想いを胸に、彼らは改めて心を一つにする。
20
あなたにおすすめの小説
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
追放された聖女は旅をする
織人文
ファンタジー
聖女によって国の豊かさが守られる西方世界。
その中の一国、エーリカの聖女が「役立たず」として追放された。
国を出た聖女は、出身地である東方世界の国イーリスに向けて旅を始める――。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
夫より強い妻は邪魔だそうです【第一部完】
小平ニコ
ファンタジー
「ソフィア、お前とは離縁する。書類はこちらで作っておいたから、サインだけしてくれ」
夫のアランはそう言って私に離婚届を突き付けた。名門剣術道場の師範代であるアランは女性蔑視的な傾向があり、女の私が自分より強いのが相当に気に入らなかったようだ。
この日を待ち望んでいた私は喜んで離婚届にサインし、美しき従者シエルと旅に出る。道中で遭遇する悪党どもを成敗しながら、シエルの故郷である魔法王国トアイトンに到達し、そこでのんびりとした日々を送る私。
そんな時、アランの父から手紙が届いた。手紙の内容は、アランからの一方的な離縁に対する謝罪と、もうひとつ。私がいなくなった後にアランと再婚した女性によって、道場が大変なことになっているから戻って来てくれないかという予想だにしないものだった……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる