ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第二章 魔ノ胎動編

夜の出立、約束の灯火

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 ルゥナの話によると、彼女の故郷は五十人ほどの小さな獣人の村だったという。
 村には子供がルゥナ一人しかおらず、老人たちは見せしめとして殺され、“商品”として価値があると判断された年齢の獣人たちは、残らず連れ去られた。

 獣人は本来、人族よりも身体能力に優れ、戦闘にも長けた種族だ。
 そんな彼らが、不意打ちとはいえ、あっさりと捕らえられたということは、襲撃者は素人ではない。
 計画的かつ組織的に動いた者たちであり、実力も相当だったと見て間違いない。

 おそらく、大人たちは決死の覚悟で、ルゥナひとりに希望を託して逃がしたのだ。

「みんなを……助けて」

 少女の願いは、あまりにも重かった。
 すでに捕らわれた者たちを救うというのは、この世界では簡単なことではない。
 ましてや、奴隷制度が合法として存在しているこの大陸において、一度「所有物」として扱われた者を取り戻すことは、ほぼ不可能に近い。

 三人は、しばし沈黙のまま顔を見合わせた。
 その表情には、それぞれに言葉にできない戸惑いと困惑が浮かんでいる。

「……捕まった人たちって、今どこにいるの?」

 エリーが、慎重に言葉を選びながら尋ねた。
 ルゥナは少し考えたあと、まっすぐティアたちを見つめて、はっきりと答える。

「……南にある町。名前、わかんない。でも……大きな門があって、人間がいっぱい。奴隷商って人に、みんな……連れていかれた……」

 町に入る前に大人たちがルゥナを逃がしてくれたのだという。
 その町には、噂に聞く合法の奴隷市場がある。
 きっとルゥナの家族も、そこに売られてしまったのだろう。

 胸の奥がざわつく。
 ルゥナの望みを叶えようとすれば、商隊にも仲間たちにも迷惑がかかる。
 もし見つかれば、ティア自身もただでは済まない。最悪、奴隷として売られる危険だってある。

 それでも。

 目の前の少女の訴えを、見過ごすことはできなかった。
 親を奪われ、村を焼かれ、それでも生き延びた少女の、震える声。

 ティアは……かつて、レティシアと呼ばれた少女は、誰からも愛されなかった。
 けれど、どこか遠い前世では、たしかに誰かに愛されていた記憶がある。
 それが今、ルゥナを放っておけない理由として胸の奥で脈打っていた。
 「人を見捨てられない」──日本人だった頃の、偽善的でお人好しな感覚かもしれない。

 けれど、泣きじゃくるルゥナの姿は、幼い頃のレティシアとしての自分と重なって見えた。
 誰かに抱きしめてほしくて、愛してほしくて、ただ泣くことしかできなかった、あの夜の自分に。
 ルゥナはまだまだ、親の愛情や温もりが必要な時期だ。

 ティアは、ゆっくりと拳を握りしめた。

「……ルゥナ。両親のところへ行こう。助けられるかは分からない。でも、せめて……様子だけでも見に行きたい」
「ティア……!?」

 エリーが驚いて声を上げ、ノアも慌ててティアの腕を掴む。

「だめだよ!危なすぎるよ!相手は奴隷商だよ?ただじゃ済まないって!」
「私もそう思う……団長や仲間たちに迷惑がかかるよ……!」

 当然の反応だった。
 ティアはそれでも、視線をそらさずに言葉を返す。

「わかってる。でも、それでも……私は見て見ぬふりなんてできない。たった一人の子どもから、両親まで奪われるなんて……そんなの、私には耐えられない」

 エリーとノアは、ティアの目を見て、言葉を失った。

「……ティア、戻ってこれなかったらどうするの?」
「これは私の我儘だから、二人はここに残ってね。もし私が戻らなかったときは……商隊には先に進んでもらって。団長には、私が勝手な行動を取ったって伝えて謝ってほしい。それと……拾ってくれたこと、仲間にしてくれたこと、ちゃんと感謝してるって伝えて」

 その眼差しに、迷いはなかった。

「エリー、ノア。あなたたちと友達になれて、本当に嬉しかった。……ありがとう」

 ──もう、決めている。
 そんな覚悟の強さを、エリーとノアはよく知っていた。
 今さら何を言っても、この頑固な友人の心は揺るがないだろう。
 二人は、ただ黙って視線を交わす。

 短い沈黙のあと、ノアがそっとティアに歩み寄り、強く抱きしめた。

「止めても行くんでしょ?」

 ノアの問いに、ティアは無言で頷いた。

「……分かった。でも、お願い。約束して。絶対に……帰ってきて」

 その声には、恐れと願いが滲んでいた。

「絶対、無事に帰ってきてよ……ティア、ルゥナ」

 エリーの声もまた震えていたが、その瞳はまっすぐティアを見据えていた。

 その夜。
 皆が寝静まり、野営地が静寂に包まれた頃。
 ティアは、ルゥナと共にそっとテントを抜け出した。
 夜の闇へと足を踏み出したその瞬間だった。

「どこに行く気だ?」

 低い声に足を止める。
 振り返ると、テントの前にカイとレイが立っていた。

「カイ……レイ……なんで……?」

 ティアが驚きに目を見開くと、レイが腕を組んで小さくため息をついた。

「夕飯の時から様子が変だったからね。エリーとノアに聞いたけど、うまく誤魔化された。でも、これは何かあるなって思ってさ。来てみたら……やっぱりね」

 カイはティアを無言で見つめていたが、やがてルゥナの姿に気づくと、視線を細めた。

「……この子のことで何かあったんだな?」

 ティアは小さく息を吐き、覚悟を決めるように口を開いた。
 ルゥナの故郷が襲われ、彼女だけが逃げ延びたこと。
 捕らわれた家族を救いたいという願い。
 そして、その想いに心を動かされた自分の気持ちを、隠さずに語った。

 静かな夜に、ティアの声だけが響いていた。
 全てを聞き終えたカイは、しばし沈黙し──やがて、低く言った。

「無理だ。相手は奴隷商。それも、合法的に商売してる連中だ。俺たちみたいな素人が首を突っ込んだところで、どうにかできる相手じゃない」
「……それでも行くの。どうしても、ルゥナの願いを見過ごせないの」

 ティアの声は震えていたが、その目は真っすぐで、強かった。
 カイは眉間に皺を寄せ、短く尋ねた。

「商隊を……抜けるつもりか?」
「……うん。わがままだって、わかってる。でも……それでも、行きたいの」

 カイは黙り込み、ティアと見つめ合う。
 わずかの間に、いくつもの感情が交錯していた。
 その瞳に宿る覚悟を見て、カイは大きく息を吐いた。

「ったく……どうしてお前は、いつもそうなんだよ……!」

 頭をぐしゃぐしゃと掻きむしると、カイはティアの前に歩み出た。

「もういい。俺も行く」
「えっ……!?」

 今度はティアの方が目を見開いた。

「だ、だめだよカイ、これは私が勝手に──」
「バカ言うな。お前一人で乗り込んで、どうにかなる話じゃないだろうが。……それに」

 カイはちらりとルゥナを見た。

「子どもの前で、仲間を見殺しにする人間にはなりたくない」
「俺たちが止めなかったら、一人ででも行ってたんだろ?なら、後悔しないように手を貸すさ」

 レイも続いて言った。
 ティアは言葉を失い、何度も瞬きを繰り返した。
 その時、草陰から足音が聞こえた。

 現れたのは、商隊に同行している獣人の三人。
 狼のゼルク、虎のライガ、熊のグラド──それぞれ、鋭い目をしていた。

「俺たちも、連れてってくれないか」

 先に口を開いたのは、灰色の毛並みを持つゼルクだった。

「君たちは……」
「俺たちは元々、十人ほどの仲間で旅をしていた。けど、迫害と奴隷狩りで、捕まるか、命を落とすか……今では三人だけだ」

 ライガが悔しそうに語る。

「外の世界に絶望しかけてたところを、団長に拾われた……その恩はあるが、同じ獣人として、この子を放っておくことはできない」

 大柄なグラドが、真剣な目でティアを見つめる。

「命を懸ける価値がある。俺たちは、そう判断した」

 ゼルクの言葉は、簡潔で力強かった。
 ティアは、胸がいっぱいになり、やがてそっと頷いた。

「……わかった。でも、絶対に……生きて帰ろう。全員で」

 こうして、ティア、ルゥナ、カイ、レイ、ゼルク、ライガ、グラド。
 七人の、小さな救出隊が結成された。

 密かに野営地を離れようとしたその時だった。

「……おい」

 湖畔の小道に、屈強な影が立っていた。
 団長だった。

「だ、団長……!」

 ティアが小さく叫ぶ。
 緊張が一気に広がる。一同は、思わずその場で硬直した。
 怒鳴られるか、止められるかと構える中、団長は腕を組んで静かに言った。

「この先、ドワーフの国までは、まだ一月はかかる。補給も馬の整備もあるしな。……というわけで、この湖畔で二日、滞在することにした。出発は、三日目の朝だ」

 言葉の意味を理解するまで、しばし時間がかかった。
 だが、団長の意図は、誰の胸にも確かに届いた。
 二日間の猶予を与えてくれたのだ。
 ティアは、思わず駆け寄り、深く頭を下げた。

「必ず……必ず戻ってきます。ありがとうございます、団長……!」

「夏とはいえ、夜は冷える。馬を走らせれば、なおさら体が冷えるだろう。それに──逃げた子供を追って、不穏な連中が町の外に出てきているかもしれん。……これを持っていけ」

 団長が無造作に投げ渡してきたのは、商品でもあるはずの一着のケープだった。

 見慣れたそれは、魔法具。身にまとう者の気配や存在感を薄め、周囲に認識されにくくする効果を持つ特殊な装備である。本来、一般人の手には決して渡らず、犯罪防止の観点から厳重に管理されており、貴族の中でも信用ある者にしか販売されない高級品だ。

 それを、ためらいもなくティアたちに託した。その意味を、全員が悟った。

 ──馬を使え。
 ──絶対に、帰ってこい。

 団長は直接的には何も言わない。だが、「馬を走らせれば冷える」とあえて口にしたことで、それが許可であると示していた。町までは人の足で一日以上。馬を使えば、半日で戻ってこられる。その意図を読み取れ、ということだ。

「嬢ちゃん──」

 団長はそっとルゥナに歩み寄ると、そのケープを彼女の肩に優しくかけた。

「……一人で、よく耐えたな」

 ごつごつとした手が、小さな頭をそっと撫でる。言葉は少ないが、その仕草には確かな労いと優しさが込められていた。ルゥナの肩がわずかに震えたのを、誰も気づかないふりをした。

「出発は三日目の朝、日の出とともにだ」

 団長は背を向け、静かに言葉を続ける。

「遅れたやつは置いていく。……追いつくつもりがあるなら、それくらい自力でやってみせろ」

 鼻を鳴らし、団長はそのまま暗がりに消えていった。
 その背中に、ティアたちは誰一人として言葉を返せず、ただ深く頭を下げた。
 不器用ながらも確かに伝わったその想いを胸に、彼らは改めて心を一つにする。
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