[改稿版]奴隷落ち予定の令嬢は公爵家に飼われました

茗裡

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第二章

7 同居開始

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 手続きや準備の類は、すべてアネットによって知らぬ間に進められていた。

 ルナリアが事情を理解する間もないほど、物事は驚くほど円滑に進んでいく。

 そして気が付けば──

 二日後。

 ルナリアは学生寮の一室に立っていた。

 そこは、ディオンの部屋だった。

「じゃあ、明日の昼頃ルナリアちゃんを迎えに来るから。準備して待っててね」

 アネットはいつもの調子でにこやかに手を振る。

「二人で仲良くするんだよ~」

 そう言い残して、さっさと部屋を出て行った。

 部屋に残されたのは──

 ルナリアと、この部屋の主であるディオンだけだった。

 数秒の沈黙。

「待ってください!」

 ルナリアは慌てて部屋を飛び出した。

 だが廊下には、すでにアネットとクロエの姿はなかった。

「……諦めろ」

 背後から落ち着いた声が聞こえる。

 振り返ると、ディオンがいつの間にか立っていた。

「ディオン様は、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか!」

 思わず声が大きくなる。

 これから──

 一緒に暮らすことになるのに。

 しかしディオンは、特に気にした様子もなく部屋へ戻ると、ソファに身を預けた。

 長い脚を組み、本を開く。

 そのまま視線を落とした。

 完全に──無視である。

(無視ですか!?)

 ルナリアは思わず心の中で叫んだ。

 だが、ディオンはページをめくるだけで、こちらを見ようともしない。

 しばらくして、ルナリアは小さく息を吐いた。

「……一度、下がらせていただきます」

 そう言って頭を下げる。

 ルナリアに用意されていたのは、広すぎる部屋の奥にある従者用の部屋だった。

 これから、この場所で。

 ディオンの世話をすることになる。

 ルナリアはそのまま奥の部屋へと引っ込んだ。

「どうしてこんなことに……」

 ルナリアは思わず頭を抱えた。

 アネットの世話をすることになるのかと思っていた。
 それがなぜか、ディオンの侍女にされ。

 しかも──

 グラニエ家の人々は、それを当たり前のことのように受け入れている。

 あまりにも急激に変化した環境に、ルナリアの頭はまったく追いついていなかった。

 考え事をしているうちに、いつの間にかベッドに倒れ込み──

 そのまま眠ってしまったらしい。

「……おい。おい!」

 突然、ドンドンと戸を叩く音が響いた。
 苛立った声も聞こえる。

 ルナリアははっと目を開けた。
 どうやら、かなり眠ってしまっていたようだ。

「すみません……今、開けます……っ?」

 立ち上がった瞬間、視界がふらりと揺れる。

 一瞬、立ちくらみのような感覚が走った。

 だが、今はそれどころではない。

(早くディオン様のところへ行かなくちゃ……)

 ルナリアは急いで扉へ向かい、鍵を外して開けた。

「申し訳ございません。ディオ──」

 頭を下げようとして、動きが止まる。

 目の前には、ディオンが立っていた。

 そして──

 彼の手が、そっとルナリアの額に触れていた。

「やっぱりか」
「あの……?」

 ディオンの呟きに、ルナリアは戸惑った声を漏らす。

「今日はこのまま休め」
「え、いえ……しかし」
「今日はもういいと言っている」

 きっぱりとした声だった。

 自分で呼びつけておいて「もういい」とはどういうことだろう。

 だが、それでも。

 主人より先に休む侍女など聞いたことがない。

「では、せめてお茶の用意だけでも……っ」

 そう言って一歩踏み出した瞬間。

 ぐらりと視界が揺れた。身体が前へと傾く。

「……だから無理するなと言っただろ」

 その言葉を聞いた覚えは、なかった。

 だが次の瞬間。

 倒れかけた身体を、ディオンが受け止めていた。
 頭上から、不機嫌そうな声が落ちてくる。

「申し訳ございません……」

 慌てて謝罪し、離れようとした、そのとき。

「きゃっ……。ちょ、あの……ディオン様!?」

 ルナリアは思わず声を上げた。

 視界が高くなる。

 気付けば──
 ディオンにお姫様抱っこされていた。

(うひゃーっ!? お、お姫様抱っこ!? 私、今……人生初のお姫様抱っこされてる!?)

 顔に一気に熱が集まる。

 頬がみるみる赤くなった。

 だが、そんなルナリアの動揺など意に介さず。

「んぶっ……」

 ディオンはそのままルナリアをベッドへと放り込んだ。

 続けて、乱暴に布団をかける。

 顔まで、すっぽりと。

「ほらみろ。顔が赤くなっている。熱が上がったんじゃないか」

 そう言って、ディオンはベッドの空いたスペースに腰を下ろした。

 影が落ちる。

 ルナリアの視界に、彼の顔が近づいてきた。

 思わず息を呑む。

 見蕩れるほど整った顔立ちだった。

 くるんと上向きに伸びた長い睫毛。
 切れ長の瞳。
 色素の薄い、きめ細やかな肌。

 すっと通った鼻筋。

 線が細い体つきに見えて、実際にはしっかりとした骨格をしている。

 パトリスが陽だまりのような、明るい陽の王子なら──
 ディオンは、冷たい氷を纏った陰の王子のようだった。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、ディオンの顔はかなりの至近距離まで迫っていた。

 彼の右手がルナリアの頭を軽く押さえ、前髪を持ち上げる。

(ちょ、ちょ……)

 思考が追いつかない。

「ちょっと待ってください! い、今なにを……?」

 慌ててディオンの肩を掴み、ぐいっと押し返す。

 ディオンはわずかに眉をひそめた。

「何って、熱を測ろうとしただけだが」

(測り方!!)

 ルナリアの心の中で叫び声が響く。

(測り方がいちいちあざとい! どこの乙女ゲームのキャラですかっっ!)

 そこまで考えて──

 ふと、思考が止まる。

(……って。乙女ゲームに似た世界なんだった……)

 ルナリアは思わず天井を見上げた。

「大丈夫です。熱はありませんので。恐らく、環境の変化に身体が追いついていないだけだと思います」

 ルナリアはそう言って、少し身を引いた。

 本当に。

 無駄に顔が整っている分、心臓に悪い。

 こんな至近距離でイケメンを直視していたら、そりゃあ顔だって熱くなる。

 何とかディオンが身体を離してくれたことに、ルナリアはほっと息をついた。

「君は……」

 低く呟く声。

 ルナリアは首を傾げた。

 ディオンの端正な眉が、ほんの僅かに寄る。

「無理に行かなくてもいいんだぞ」

(どこに……?)

 一瞬考えて、すぐに思い至る。

 ──学園のことだ。

 きっと、ディオンはそれを気にしているのだろう。

 婚約破棄されたばかりの身だ。

 しかも、ディオンの侍女として学園に行けば、パトリスとも顔を合わせることになる。

 だが。

「大丈夫ですわ」

 ルナリアは静かに答えた。

「わたくしはアネット様に拾われ、ディオン様の侍女として任を頂きました。私情は挟みませんので、ご安心ください」

 言葉は穏やかだった。

 だが、その決意ははっきりとしていた。

 目まぐるしい状況の変化のせいか、婚約破棄の出来事など、どこか遠いもののように感じられる。

 それに──

 もう、心の中では折り合いもついている。

 まだ、あの二人を見るのは辛いかもしれない。

 それでも。

 こちらから関わることさえなければ、向こうも気に留めることはないだろう。

 そう、ルナリアは思っていた。

「……何故、笑える……」

 ぼそりと落とされた声に、ルナリアは瞬きをした。

「え?」

 思わず聞き返す。

 だがディオンは、すぐに視線を逸らした。

「いや、何でもない」

 小さくそう言って、言葉を切る。

(今、何か言った……?)

 確かに呟いた気がした。

 けれど、気のせいだったのかもしれない。

 ディオンはいつものように、冷たい空気を纏ったまま立ち上がる。

 そして扉へ向かいながら、振り返らずに言った。

「明日からは俺の侍女として、こき使ってやるからな。しっかり体調を治しておけ」

(……俺? こき使う……??)

 ルナリアの思考が一瞬止まる。

 ディオンは扉の前で、ふっと小さく笑った。

 そのまま部屋を出て行く。

 残されたルナリアは、ベッドの上で呆然と瞬きをした。

(……誰?)

 今のは本当に、あのディオンだったのだろうか。

 急な変化に理解が追いつかない。

 ルナリアは目を白黒させる。

 次々に浮かぶ疑問に、頭の中は完全にキャパオーバーを起こしていた。

 そして。

 混乱したままの意識は、やがて限界を迎え──

 ルナリアはそのまま、深い眠りへと落ちていった。
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