[改稿版]奴隷落ち予定の令嬢は公爵家に飼われました

茗裡

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第三章

12 朝の攻防

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 朝というものは、誰にでも平等に訪れるものである。

 グラニエ公爵家嫡男、ディオンに侍女として仕える身となったルナリアは――

 ただいま、朝っぱらから絶賛奮闘中だった。

「ディオン様……どうかお離しをっ……! そして直ぐにご支度くださいませっっ」

 侍女の朝は早い。

 主人が目覚める前に身支度の準備を整え、目覚めのお茶を用意する。時間を見計らって料理人が用意した朝食を受け取り、部屋まで運ぶ。

 ティーセットの準備を終えたルナリアは、ディオンが起きているか確認するため、彼の部屋の扉を軽く叩いた。

 しかし。

 いつまで待っても返事がない。

「ディオン様?」

 もう一度声をかける。

 それでも反応はない。

 このままでは学園に遅刻してしまう。

「……ディオン様、失礼いたします」

 一言断りを入れ、ルナリアは扉を開けた。

 部屋の中には、まだ朝の光が柔らかく差し込んでいる。

 そしてその中央――

 ベッドの上で、ディオンはまだ眠っていた。

「ディオン様、おはようございます。朝でございます。どうかお目覚めくださいませ」

 ベッドの傍に寄り、声をかける。

 だが。

 ディオンは枕に顔を埋めたまま、まったく反応しない。

(困った……)

 このままでは埒が明かない。

 ルナリアは仕方なく、そっと肩に手を置いた。

 軽く揺する。

 すると。

「……んー」

 低い呻き声が漏れた。

 しかし、それだけだ。

 ディオンは寝返りを打っただけで、起きる気配はない。

 もう一度揺する。

 その瞬間だった。

 布団の中から伸びた手が――

 ルナリアの手首を、がしりと掴んだ。

「えっ……?」

 次の瞬間。

 ぐいっ、と強い力で引き寄せられる。

「きゃっ……っ、せ、セーフ……!」

 掴まれた手首は、枕のある上の方へと引き寄せられた。

 その勢いでルナリアの体は前へと傾く。

 バランスを崩し、このままではディオンの上に倒れ込んでしまう。

 咄嗟にもう一方の手を伸ばし、ディオンの顔の横に手をついた。

 どうにか体勢を支えることに成功する。

(あ、危なかった……)

 主人の上に倒れ込むなど、侍女としてあまりにも失態だ。

 危機を回避したことに安堵した――

 のも、束の間。

 今度は逆の手が伸びてきた。

 そして、その腕がするりとルナリアの首の後ろへ回る。

「ちょっ……」

 首に回された腕に力がこもる。

 ぐい、と引き寄せられる。

 ルナリアの視界は一瞬で埋め尽くされた。

 目の前には――

 息がかかるほど近くなった、ディオンの整った寝顔。

 掴まれた手首はまだ離されない。

 ルナリアは必死に片手で体を支えながら、引き寄せられる力に抗った。

 ――そして。

 ここで冒頭へと話は戻る。

 現在、ルナリアとディオンの攻防は絶賛継続中である。

「ディオン様、目をお覚ましくださいませぇえ!」

 ルナリアの腕はそろそろ限界だった。

 少しでも力を緩めれば――

 ディオンの上へダイブ確定である。

(それだけは避けなくてはっ!)

 というか。

(なんで線は細いのにこんなに力強いのよ~~っ!!)

 必死に耐えているその時だった。

「……ルナリア」
「えっ?」

 寝ているはずのディオンの口から、名前が呼ばれる。

 一瞬、意識がそちらへ向いた。

 その刹那――

 さらに強い力で引き寄せられる。

 突っ張っていた腕は耐えきれず、肘が折れた。

 力勝負、完全敗北。

 そして。

 敗北の末路は決まっていた。

 ルナリアの体は、そのままディオンの上へと覆い被さる。

 顔が近づき――

 唇が、柔らかな感触に触れた。

 急いで離れようとする。

 だが、体はしっかりと固定されて動けない。

「ディオ……んっ……」

 名前を呼ぼうと口を開いた瞬間だった。

 唇を塞がれる。

 逃げ場を失ったルナリアの唇に、ディオンのそれが深く重なった。

「ん……っ」

 思わず息が漏れる。

 逃れようと身をよじるが、腕は首の後ろに回されたまま。

 完全に捕らえられていた。

 薄く口を開くと、口内に何かが侵入した。

 唇を割るように捩じ込まれたソレは口内を蠢き犯す。

 抵抗しようとするも呆気なく絡め取られる舌先。

 ルナリアの思考は徐々に白く染まっていく。

 時間にして数十秒ほどだっただろうか。

 けれどルナリアには、何分にも感じられた。

 やがて。

 首に回されていた腕の力がゆるむ。

 激しい口づけから解放されたルナリアは、はっと息を吸った。

 同時に、目の前の双眸が開かれる。

 水色の瞳。

 まっすぐにルナリアを映していた。

「おはよう、ルナリア」

 ディオンの口元には、薄く笑みが浮かんでいる。

(……謀られた!?)

 そう思った時には、もう遅かった。

 ルナリアはまだ彼の腕の中に捕らえられている。

「でぃ、ディオン様……もしかしてっ」
「さぁな」

 ディオンは肩をすくめる。

「起きたのは……多分途中から」

 さらりと言ってのけた。

(あ、これ絶対……最初から起きてたやつだ)

 ルナリアは確信する。

 やっとルナリアを解放すると、ディオンはゆっくりと上体を起こした。

 少し肌蹴たシルクのバスローブ。

 その隙間から覗く肌と、寝起きでまだどこか眠そうな表情。

 それがやけに――色っぽかった。

 文句の一つでも言ってやろうと思っていたルナリアだったが、思わず言葉を失い、その場に立ち尽くしてしまう。

「何」

 ディオンがこちらを見た。

「着替え、手伝ってくれるの?」
「っ!?」

 その言葉と同時に、彼はバスローブの帯に手を掛ける。

「し、失礼致しますっ!!」

 ルナリアは勢いよく頭を下げた。

 このままここにいたら、本当に着替えを手伝わされかねない。

 そう判断したルナリアは、慌てて部屋を飛び出した。

 その途中。

 背後から、くつくつと喉を鳴らす笑い声が聞こえてくる。

 完全に――からかわれていた。

「……マスクが欲しい……」

 ディオンの部屋を出て、ルナリアは思わず呟いた。

 顔の熱がまったく引かない。

 数分後。

 ディオンはすっかり制服に着替えて部屋から出てきた。

 その間に朝食を運んできていたルナリアは、ソファに腰掛けた彼の前へ朝食を並べる。

「ルナリア」
「はい」
「放課後の迎えは、生徒会がある時だけでいい」
「畏まりました」

 ルナリアは静かに頭を下げる。

 ――彼なりの配慮だろうか。

 生徒会がない日に迎えに行くとなれば、ディオンの教室まで行かなければならない。

 そうなれば必ずと言っていいほど顔を合わせることになるだろう。

 アメリーと。

 そして――パトリスとも。

 生徒会で殿下と顔を合わせるのは避けられない。

 だが。

 アメリーと会わずに済むだけでも、気持ちはずいぶん違った。

「ありがとうございます……」

 ルナリアは小さく礼を言った。

 ディオンから返答はない。

 だが、それで良かった。

 食べ終えた食器を片付け、今度は食後の紅茶を用意する。

 ソファに腰掛けたディオンは長い脚を組み、優雅にカップを傾けていた。

 その姿はまるで――

 一流のハリウッドスターでも目の前にいるかのようだ。

(王子様、でもいいんだけど)

 前世の記憶を思い出したルナリアにとっては、その表現が一番しっくりくる。

 それにしても。

(肌、綺麗……)

 陶器のように整った肌。

 伏せたまつ毛は、おそらくルナリアより長い。

 そして――

 形のいい唇。

 その唇に。

 何度も口づけられたことを思い出す。

 途端に頬が熱くなった。

(……って。何を思い出しているのよ、私は!?)

 ルナリアはぶんぶんと頭を振り、脳裏に浮かんだ光景を必死に追い払う。

 そのときだった。

 カップを傾けたまま、ディオンがこちらを見ていることに気付く。

 視線がぶつかった。

 ディオンはゆっくりと人差し指を立てる。

 そして。

 クイクイ、と手招きをした。

(……何だか嫌な予感がする)

 ルナリアの背筋に、ぞくりとした予感が走った。

「御用でしたら、こちらでお伺いいたします」

 ルナリアはその場から動かず、にこりと笑顔を浮かべて答えた。

 すると――

 一瞬だけ、ディオンの目が細められる。

 いつもの、鋭く冷たい視線。

(あ、これ……怒ってる)

 ルナリアは泣く泣く、ディオンの傍へ歩み寄った。

 すると彼は、あっさりと言った。

「もう出るから、ルナリアも用意しろ」
「……はい」

 それだけだった。

(……え?)

 何かされるのではないかと警戒していたルナリアは、拍子抜けする。

 いや。

 何もされないに越したことはないのだけれど。

 ルナリアは鞄や必要な物をまとめ、再びディオンの元へ戻った。

 用意が終わったのを確認すると、ディオンはゆっくり立ち上がる。

 外へ繋がる扉を開いた。

 ルナリアは主人を先に通し、後に続こうとする。

 その時だった。

「忘れ物した」
「忘れ物ですか?」
「ああ」

 前を向いたまま答えるディオンに、ルナリアは首を傾げる。

 するとディオンは頷き、振り返った。

 次の瞬間。

 チュッ。

 耳に覚えのある、小さなリップ音。

 ルナリアの唇に、軽く触れる。

「さっき、物欲しそうな顔してたから」

 それだけ言うと、ディオンは何事もなかったかのように歩き出した。

 ルナリアはその場に立ち尽くす。

 頬は真っ赤だ。

 羞恥に顔を染めながら、ルナリアは心の中で固く誓う。

(帰ったら絶対、マスク作ろう……)
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