天にあまねく、丹(あか)なる命 ~冷酷武王と戦乙女の契約花嫁~

茗裡

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1-1 丹命の戦乙女

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 カエリオン王国は、建国より三百年の歴史を持つ大国である。
 近隣には五つの国が接し、その国境のほとんどで小競り合いや武力衝突が絶えることはなかった。

 その中でも、終わりの見えぬ戦が続く地として知られるのが――
 王国北東部、アウレンシュタイン辺境領である。

 この地では、およそ百年にわたり、隣国ローデン公国との間で断続的な戦が続いていた。
 国境線は引かれてなお定まらず、村は焼かれ、人は奪われ、平穏は常に脅かされてきた。

 現アウレンシュタイン辺境伯、ディートリヒ・フォン・アウレンシュタインには六人の子がいる。
 五人の息子と、ただ一人の娘――ロザリアである。

 軍事貴族として国境防衛を担ってきたアウレンシュタイン家の男たちは、例外なく剣を取り、戦場に立ち、兵を率いてきた。
 その血の中に生まれたロザリアもまた、幼い頃から軍の営みを日常として育った。

 兄弟に囲まれ、遊び場は訓練場。
 学ぶべきは礼儀作法よりも、剣の握り方と陣形の意味。

 十四の歳、ロザリアは自ら望んで戦場に立った。
 この家では、剣を取る覚悟こそがすべてだったからだ。

 赤毛と浅緋の瞳。
 その姿は戦場ではひどく目立った。

 血が注ぐ地にあって、彼女の赤はやがて血と溶け合い、深い緋色となる。
 敵には恐怖を、味方には希望を与えるその姿に、いつしか畏敬を込めた呼び名が生まれた。

 ――「丹命(たんめい)の戦乙女」。

 血に染まりながらも、命を選び続ける者。
 無益な殺しを避け、救える命を見捨てぬ戦いぶりが、その名を定着させた。

 ロザリアを戦士として育て上げたのは、紛れもなく兄たちである。

 長男のカールハインツは、父ディートリヒの右腕として副司令官の任に就いている。
 冷静沈着で責任感が強く、感情に流されぬ判断力を持つ彼は、次期当主として誰もが認める存在だった。

 次男のルートヴィヒは、前線指揮官を務める武闘派である。
 豪胆かつ実践主義。
 常に先頭に立ち、剣を振るうその姿は兵士たちの憧れであり、信頼も厚い。
 ロザリアを女戦士として鍛え上げた張本人でもあった。

 三男のエーベルハルトは物静かだが、鋭い観察眼を持つ策士である。
 情報戦や交渉術に長け、敵を踊らせて自滅へ導いたことも一度や二度ではない。
 近隣諸侯への援軍要請や物資調達を一手に担い、長き戦の中でも兵が困窮せずに済んでいるのは、彼の手腕によるところが大きい。

 四男と五男はロザリアの弟たちであり、一卵性双生児――フェリクスとフィデリス。
 瓜二つの容姿とは裏腹に、その性格は正反対だった。

 兄のフェリクスは直情型で、前線で戦うルートヴィヒやロザリアに強い憧れを抱いている。
 血気盛んで、剣を振るうことに迷いがない。

 一方、弟のフィデリスは理知的で慎重派。
 地図や戦術を好み、戦況を読む力に長けた彼は、将来の参謀候補として期待されていた。
 若く荒ぶる兄フェリクスの抑え役でもある。

 ――この六人兄弟の中で育ったロザリアは、剣を取る理由と、守るべき命の重さを、誰よりも早く知ることになった。

 ロザリアの母は、彼女が五つの時に亡くなっている。
 敵国ローデン公国の手の者が、屋敷の奥深くまで潜入していたことに誰も気づかなかった。

 狙いは、次代を担うディートリヒの子供たち。
 その殺意に最初に気づいたのは、母だった。

 母は迷わなかった。
 身を挺して子供たちの前に立ち、剣を振るう間もなく、その命を散らした。

 目の前で母が斬り伏せられる瞬間を、ロザリアと三人の兄たちは、今なお鮮明に覚えている。
 血の匂いと、倒れ伏す母の姿は、幼い彼女の心に深く刻み込まれた。

 ――戦をなくしたい。
 そう願わずにはいられなかった。

 だが同時にロザリアは理解していた。
 この戦いが、いつ終わるとも知れぬものであることを。

 ローデン公国は小国でありながら、百年に及ぶ戦の中で戦慣れしていた。
 容易に滅ぼせる相手ではない。

 彼らの目的は領土の拡大だが、無理に決戦を挑むことはしなかった。
 戦を仕掛けるのは農閑期。
 村や町を襲い、略奪を重ね、十分な成果を得ると引いていく。

 全軍をぶつけ合う決戦は避けられ、小競り合いだけが積み重なっていく。

 アウレンシュタイン辺境伯であるディートリヒは、深追いを禁じていた。
 兵を無駄に死なせぬための判断であり、その方針のもと、戦に決着がつくことはなかった。

 略奪に成功したローデンも、死者を最小限に抑えたディートリヒも、どちらも「自分こそが勝者だ」と解釈していた。

 その歪な均衡の上に、戦は続いていた。

「ロザリア! 来てくれ! アルフレートが重傷なんだ!」

 この日も、ローデン兵との小競り合いが発生した。
 近くにいたロザリアも即座に戦場へ向かい、戦いは短時間で終結した。

 ローデンは援軍が到着する前に撤退したが、被害がなかったわけではない。
 ロザリアの幼馴染であるアルフレートが、致命的な傷を負っていた。

 被害は最小限――そう言われる戦であっても、戦争である以上、死者が出ないことはない。

 幼少期から男たちに混じり、剣と武を学んできたロザリアにとって、同年代の兵士たちは幼馴染であり、アウレンシュタイン領を守る兵士たちは、皆が仲間だった。

「アルフレート! 気をしっかり持つんだ! 恋人のコルドゥラが、君の帰りを待っている!」

 ロザリアは横たわるアルフレートに駆け寄り、その手を強く握って呼びかけた。

 だが、彼の状態を見た瞬間、ロザリアの表情は険しくなり、眉間に深い皺が刻まれる。
 脇腹には深い裂傷。
 止血を施しても、血は止まる気配を見せず、次から次へと溢れ出していた。

「ありったけのワインと布を持ってこい! ……くそっ、血が止まらない。焼灼する、傷口を焼く!」
「待て、ロザリア」

 制止する声が上がる。
 同じく幼馴染であり、仲間でもあるオスカーだった。

「傷は太い血管に達している。焼いたところで……持たない」

 その言葉は、戦場に重く落ちた。

 オスカーにとっても、アルフレートは特別な存在だった。
 将来を語り合い、互いに切磋琢磨しながら、憧れの兵士になることを夢見てきた幼馴染。
 そして、命を預け合える戦友。

 どうしようもない無力感と悔恨が、オスカーの表情にはありありと浮かんでいた。

「死ぬな! 帰ったらコルドゥラと結婚するんだろ! コルドゥラを悲しませることは……許さん!!」

 ロザリアは運ばれてきたワインを掴み、ためらいなく傷口へとひっくり返した。
 消毒のためだ。
 続けて真新しい布を押し当て、必死に傷口を塞ぐ。

 だが、布は瞬く間に真紅に染まり、ロザリアの両手も、溢れ出る血で赤く染まっていった。

「ロザリア……ありがとう」

 アルフレートが、力なく彼女の手首を握り、制する。

「……自分の体のことだ。長く持たないことくらい……自分が一番、分かっている」
「そんなこと……!」
「オスカー……俺の首にかけてあるペンダントを……」

 アルフレートに促され、オスカーは彼の兜を外した。
 首元に下げられていたロケットペンダントをそっと取り外し、彼の手に渡す。

 アルフレートは震える指でそれを開いた。

 中には、恋人コルドゥラの肖像が収められていた。
 彼はそれを愛おしそうに見つめ、指先で、何度も、何度もなぞる。

 呼吸が、次第に浅くなっていく。

「……コルドゥラに……伝えてくれ……どうか……幸せに……なって……」

 その言葉を最後に、アルフレートはロケットペンダントを握りしめたまま、静かに息を引き取った。

「アルフレート……! アルフレート……!!」

 ロザリアの喉から、嗚咽混じりの叫びが漏れた。
 堰を切ったように涙が溢れ、止まらない。

「コルドゥラは……君を、愛していた……」

 声が震える。

「愛する人がいなくて……どうやって幸せになれって言うんだ……。君が……君が幸せにしてやらなくて、どうするんだよ……」

 ――ばかやろう。

 言葉にならない叫びを胸に押し殺し、ロザリアは、物言わぬアルフレートの体に顔を埋めた。

 戦場には、ただ風の音だけが残っていた。
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