【R18】月しずくのワルツ~ツンデレ令嬢の初恋~

イチニ

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20.ロマンチストな男2

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 ミシェルは幼い頃に母親を亡くしているせいか、強がることが多かった。
 父親の愛情を欲しがり、必死で良い娘であろうとしていた。
 両親の愛情を知らないのはクラウスも同じだったのだが、生まれ持っての性格のせいなのか育ちなのか、母の愛情を欲したことはなかったし、父親を欲しいと思ったこともなかった。
 だからだろうか。ミシェルのひたむきに愛情を得ようとする姿は、クラウスの目に眩しく映った。

 モーリスも決してミシェルが可愛くなかったわけではない。
 ミシェルを見つめる目は、他の誰を見るときよりも優しかった。ただ、言葉が足りなかっただけで。
 もともと口数は多くなかったらしいが、早くに妻を亡くしたこともあり、幼い娘にどう接してよいかわからないようであった。
 そして、ピアノに向かうミシェルに厳しかったのは、本人の意思を一応は尊重していたものの、ピアニストになることを内心では反対していたからだろう。
 女性だから、だけではなく、生涯モーリスの娘として見られるであろうことを案じていた。
 そんな親心を知らぬミシェルは、もっと上手くなれば認めてもらえるはずと、熱心に練習するようになった。
 親子間の問題に、他人であるクラウスが口を挟むわけにもいかず、出来ることといえば父に愛されていないと思い込み、落ち込むミシェルを慰めることぐらいだった。

『よろしく……クラウス』
 握手をし、和解してからというもの、ミシェルはクラウスを慕うようになっていた。
 クラウスもまた、天使のような少女を愛おしんだ。
 妹という存在を持ったことがないのでわからないが、とにかく、何をしても愛らしくて憎めなかった。
 家族の縁がなく、友人もいない。他人と関わらず生きてきたクラウスは、他人のことを信用できずにいた。
 けれどミシェルは幼く、裏表がない。すべてが顔に出てしまう。
 八歳年下の少女とともにいると、心が穏やかになり優しく、清らかな気持ちになれた。
 ミシェルを慰めながら、クラウスもまた彼女の存在に慰められていた。

 彼女のピアノを見てやるようになってから、下世話な者達から、モーリスの息子の座を狙っている、と噂されるようになった。
 それを耳にするたび、クラウスは腹立たしくなった。
 クラウスにとってミシェルは、『女』ではない。
 彼女は母や、孤児院でクラウスと寝た女とは違う。
 天使のように、清らかで。無垢で。月のように神々しく、美しい存在だった。
――後から考えれば、八歳年下の年端もいかない少女が、母や初体験の相手である十歳年上の女と同じなわけがないのだが……。
 その頃のクラウスは、ミシェルとの関係や想いに、利害や欲などの不純な動機が混じると、彼女へ向ける気持ちが汚れてしまう気がしていた。ミシェルとの関係は、高尚で尊いものでなければならないと、頑なに思っていたのだ。
 ミシェルはクラウスが十五年生きてきた中で初めて出会った……音楽と同じくらいに、『美しい』存在だった。


 時が穏やかに流れ、クラウスはモーリスの下で、着実に己の地位と将来を築き始めていた。
 時折、気まぐれに作曲もしていた、そんな頃。
 最近、蕾みが開くように美しさを増してきたミシェルから、音楽祭でクラウスの作った曲を弾きたいと言われた。
 ミシェルの演奏は、まだ拙くはあるが、その分、無邪気で情熱的だ。
 彼女の指が自分の曲を奏でるのを聴いてみたい気がした。
 クラウスは、以前に何となく作っていた曲を、ミシェルが弾けるかたちに整えていく。

『クラウス。ピアノは女だ。女だと思って弾け。音楽は女だ。女への崇高な想いが、音をつくるんだ』
 クラウスにピアノを教えてくれたアルコール中毒者の言葉を思い出す。
 確かに。ミシェルを想い音楽をつくるのは、素晴らしいことのように感じた。


――先生、どういうことですか、あれは、俺の……。
 モーリスの新曲として発表された楽曲を聴き、愕然としたクラウスは、彼に詰め寄った。
 モーリスは渋い顔をしたまま、一度もクラウスと目を合わせることなく、黙っていた。

 彼には返しきれないくらいの恩義があった。
 指導を受けたことだけではない。孤児院を出てからの生活費も彼が負担してくれていたし、どこに出ても恥ずかしくないようにと、教養やマナーの教師もつけてくれた。
 彼のおかげで、今の自分があるのだ。
 弟子の楽曲を盗まねばならぬほど、彼は落ちぶれてしまったのか、と思うと失望もしたが、きっと何かしらの事情があるのだと、何とか己を納得させようとしていた。
 しかし数日後、彼から大金を渡され、ライネローズを、ラトワナ王国を出てダトル皇国へ行くように言われた。
 クラウスのことを信用していないというよりも……彼への失望を隠しきれないクラウスが目障りで、己の矜持を守るためだったのだろう。
 身を寄せる先を用意してくれていたとはいえ、恩師に捨てられた事実は変らなかった。

 出て行くとき、以前からしつこく言い寄って来ていた男爵家の若いメイドに見つかった。
 メイドはクラウスが盗みを働いたと思ったのだろう。黙っていてあげるから、一緒に行きましょう、と誘われた。もちろん、断った。
 ミシェルに別れを告げるか迷ったが、何をどう説明してよいのかわからなかった。
 彼女に嘘も吐きたくなかったし、涙を見たくなかった。

 辻馬車に乗り、隣国を目指した。
 クラウスをしばらく預かってくれるという、モーリスの知人に会うためであった。
 馬車の中で、この期に及んでまでも、モーリスの命令に大人しく従っている自分が酷く滑稽に思えた。
 金を渡され受け取ってしまったことも、自分が彼に自身の曲を売ったようで、気分が悪い。
 モーリスが音楽家としてあるまじき行為をした、と公表してしまえばよい。
 恩義があり出来ないのだとしても、このままモーリスの言う通りに動かずともよい。この大金を手に、遊んで暮らすことだって出来るのだ。
 しかし、結局、クラウスはモーリスの意志に逆らうことはしなかった。
 モーリスを尊敬していた。彼に目を掛けて貰っていることが、彼の弟子であることが誇りであった。
 だからこそ赦せなかったし、赦したいとも思った。
 相反する想いを抱いたクラウスは、ダトル皇国で名をあげて、彼以上のピアニストになろうと決めた。
 そうすることが、モーリスへの一番の復讐のような気がしたのだ。
 そして、以前以上に、熱心にピアノに向かい、後援を得るために、己の容姿も売りにした。
 金を持て余した貴族の未亡人に近づいては、甘い言葉を囁いてみせた。
 ある日、行き過ぎてしまったのか刃傷沙汰を起されそうになり……それを救ってくれたのがベンター公爵だった。
 後に知ったことだが、ベンター公爵はモーリスと親交があった。
 おそらく、何かあれば手助けするようモーリスから頼まれていたのだろう。

 そうして、遠い地で、モーリス・オービニエの死を知った。
 クラウスは母が死んだときすら流さなかった涙を、初めて零した。
 復讐できなかった……彼を超えることができなかった悔しさか、それとも単に彼への思慕か。
 モーリスへの想いは色々な感情が絡み合ってしまっていた。
 あの時、なぜ泣いたのか。その理由を、クラウスは今もわからないでいる。

 裏切られたと思った。許せないとも、思った。傷つきもした。悔しかったし、失望もした。
 あの曲がモーリスの曲として披露されるたび、複雑な気持ちになる。
 駄作扱いされるのを耳にすると、屈辱と羞恥とが、入り混じった気持ちにもなった。
 なぜこんな不本意な扱いをされねばならぬのか。
 彼が死んだからといって、モーリスへの恨みがなくなったわけではなかった。

 ミシェルには、もう終わったことだ、と言ったが、八年ぶりにライネローズに来るまでは、モーリスへの感情を終わりになど出来ていなかった。
 盗作されたことを、公表しようとは思ってはいなかった。公表して傷つくのは、モーリスよりも……何の咎もないミシェルだったからだ。
 憎しみも恨みも赦しも、ぶつける先をなくしてしまった今、鬱屈とした思いを永遠に抱えて生きていくのだろうと。モーリスの墓の前で、空しく思っていた。
 しかし――。

『私この曲、一番好きなの』
 ミシェルがそう言い、あの曲を弾いた。
 クラウスがクラウスの天使のために作った曲だ。
 それをあの子が弾いてくれた。
 クラウスの天使……いや、女神と一緒に、連弾をした。
 それだけで、何かが報われた気がした。
 終わりにしようと、思えたのだ。



 バラティエ公爵家の別邸の一室で、ピアノを弾いていたクラウスは指を止め、このひと月のことを思い出す。
 かつて『女への崇高な想いが音をつくるんだ』と言われたこともあり……ダトル皇国で熱心にピアノに向かっているとき、頭の中には、いつもクラウスの天使がいた。
 脳裏に描くのは出会った頃の幼い姿。そして別れたときの、少女の姿。
 大人の女性になった天使を想像もしていなかった。
 ミシェルは幼い頃の純粋な危うさを持ったまま、美しく魅力的な女性へと成長していた。

 ミシェルが自分を蔑んでいると知っても、真実を話す気にはなれなかった。父親を慕っているミシェルを傷つけたくなかった。
 クラウスに憎しみをぶつけることで、彼女の気持ちが晴れるならばそれで良かった。
 だが――。
(最初から、本当のことを話していれば良かったのかもしれない)
 そうすれば、ミシェルがおかしな態度で迫ってくることなどなく、劣情のままクラウスが彼女を抱いてしまうこともなかった。
 クラウスは彼女を抱いてしまったことを後悔していた。
 クラウスの天使は別の男によって、純潔を散らされているのだと思った。
 しかし天使は純潔のままで……それを、自分の手で汚してしまった。
 欲情を抑えきれず、彼女の誘いにのってしまった。
 今のミシェルに惹かれてしまうことは、過去の自分への裏切りのような気がして、苦しかった。

 ダトル皇国へ戻れば、もう会うことはないのかもしれない。
 それでよいような気がした。
 彼女との関係は昔のような美しいだけのものではなくなった。
 性的な関係になってしまったことだけでない。
 モーリスという存在は大きく、ミシェルはクラウスに対し負い目を抱き続けるだろう。
 かといって真実を公表すれば、彼女の負い目は軽くなっても、彼女のピアニストとしての道に影を落とすこととなる。
 かつての純真無垢な天使であるミシェルのことも愛しかったが、今のミシェルのことも可愛くて愛しくてしかたがない。彼女が苦しむ姿など見たくはなかった。
 だから、このまま、何事もなかったように、うやむやなまま、別れたほうが良いと。
 彼女のためと言いわけをしながら、クラウスは自身の心と向き合うこともせず、臆病に逃げようとしていたのだ。
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