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本編
8-1
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「不安なんです。皇太子である殿下が、わたくしなどと本気で婚約したいはずがない。一時の、気の迷いではないかと」
「……なるほど、それで素直に喜べなかったのですね」
頷きながらそう言うと、ホッとしたようにルドルフが紅茶を一口含む。その様子に少々の罪悪感を覚えつつ、マシェリも紅茶のカップを手に取った。
(『なんなりと』と言われても)
皇太子との婚約を円満に破棄する方法など、皇帝に忠誠を誓った騎士に相談できるはずがない。
だが、真の狙いを隠して駒にするなら、ルドルフの立場はマシェリにとって非常に都合がいい。騎士は城内の警護にあたるため、皇太子であるグレンの事はもちろん、城の内部事情にも詳しいはずだ。
(でも官僚ではない。ビビアンや大臣達とのつながりは薄いはず)
特に、あの黒い顔の宰相には気を付けなければ。
今日会ったばかりで、言葉はさほど交わしていない。だがなんとなくーー彼は、父と同じ類の人間に見えた。
ひとが話す言葉の、違和感や僅かなずれも見逃さない。財務官時代、マシェリの父はその鋭い耳と目をもって、不正の未然防止に努めていた。
確信はなく、ただの勘だが……念のため、接点はできるだけ少なくした方がいい。
「殿下の本心……一番お詳しいのは、おそらくビビアン様でしょうね」
ふむ、と顎をさすりルドルフが呟く。
早くも駒が勝手にマスを飛び越しかけ、マシェリは慌てた。
「だ、大丈夫ですわ、ルドルフ様。わたくし、まずは自分で殿下に確かめてみます」
「ええ? でもそんな、無理しなくともーー」
「無理なんてしておりません!」
マシェリは勢いよく椅子から立ち上がると、ばん、と両手をテーブルについた。
「わたくし自ら、白黒はっきりつけてまいります!」
胸の中がもやもやしてるのは確かだった。
その気持ちに嘘はない。ーーだから、脳裏をかすめた『またか』という父の嘲笑はとりあえず頭の隅にでも追いやっておく。
「分かりました。それでは今回、私は口をつぐんでおきましょう」
両手に紅茶のカップを避難させていたルドルフが、苦笑いでマシェリに応じる。
「ええ、そうして下さいませ。……ルドルフ様、今日は色々とありがとうございました」
「私の事は、どうかルドルフとお呼びください」
緑色の瞳を細め、騎士が優しく微笑んだ。
◆
翌日、太陽がちょうど真上にきたころ、調度品を乗せた荷馬車が城へ到着した。
それをいち早く報せに来たのは宰相のビビアンだった。昼の明るい日差しの下でも、やっぱり顔が黒い。
「お支度が整いましたら、三階へお越し下さい」
挨拶もそこそこに、それだけ告げて去っていく。
昨日も思ったが、ビビアンの態度は実に素っ気なく、冷ややかだ。それがマシェリに対してのみなのか、元々の性格なのかは分からない。
だが、もしもビビアンがマシェリを嫌っているとしたら。
理由ならふたつほど心当たりがある。
そのうちひとつは昨日の、皇太子であるグレンに対するマシェリの無礼な振る舞いだ。表面上は何食わぬ顔をしていたが、黒いこめかみがピクピクしていた。
実は相当、腹に据えかねていたに違いない。
もうひとつはーーおそらく、マシェリの身分に関することだろう。
皇太子の婚約者が、公国の伯爵令嬢ではつり合わない。皇帝があっさり認めたりさえしなければ、成立するはずのない婚約だった。
しかしこれは彼の宰相という立場からくるもので、マシェリを嫌いというのとは、また別の話なのかもしれないが。
側近の姿はないし、帝国で皇帝陛下の次に権力を握っているのは、間違いなく宰相であるビビアンだ。
(水脈のこともあるし、下手に目を付けられないよう気をつけなくちゃ)
「……なるほど、それで素直に喜べなかったのですね」
頷きながらそう言うと、ホッとしたようにルドルフが紅茶を一口含む。その様子に少々の罪悪感を覚えつつ、マシェリも紅茶のカップを手に取った。
(『なんなりと』と言われても)
皇太子との婚約を円満に破棄する方法など、皇帝に忠誠を誓った騎士に相談できるはずがない。
だが、真の狙いを隠して駒にするなら、ルドルフの立場はマシェリにとって非常に都合がいい。騎士は城内の警護にあたるため、皇太子であるグレンの事はもちろん、城の内部事情にも詳しいはずだ。
(でも官僚ではない。ビビアンや大臣達とのつながりは薄いはず)
特に、あの黒い顔の宰相には気を付けなければ。
今日会ったばかりで、言葉はさほど交わしていない。だがなんとなくーー彼は、父と同じ類の人間に見えた。
ひとが話す言葉の、違和感や僅かなずれも見逃さない。財務官時代、マシェリの父はその鋭い耳と目をもって、不正の未然防止に努めていた。
確信はなく、ただの勘だが……念のため、接点はできるだけ少なくした方がいい。
「殿下の本心……一番お詳しいのは、おそらくビビアン様でしょうね」
ふむ、と顎をさすりルドルフが呟く。
早くも駒が勝手にマスを飛び越しかけ、マシェリは慌てた。
「だ、大丈夫ですわ、ルドルフ様。わたくし、まずは自分で殿下に確かめてみます」
「ええ? でもそんな、無理しなくともーー」
「無理なんてしておりません!」
マシェリは勢いよく椅子から立ち上がると、ばん、と両手をテーブルについた。
「わたくし自ら、白黒はっきりつけてまいります!」
胸の中がもやもやしてるのは確かだった。
その気持ちに嘘はない。ーーだから、脳裏をかすめた『またか』という父の嘲笑はとりあえず頭の隅にでも追いやっておく。
「分かりました。それでは今回、私は口をつぐんでおきましょう」
両手に紅茶のカップを避難させていたルドルフが、苦笑いでマシェリに応じる。
「ええ、そうして下さいませ。……ルドルフ様、今日は色々とありがとうございました」
「私の事は、どうかルドルフとお呼びください」
緑色の瞳を細め、騎士が優しく微笑んだ。
◆
翌日、太陽がちょうど真上にきたころ、調度品を乗せた荷馬車が城へ到着した。
それをいち早く報せに来たのは宰相のビビアンだった。昼の明るい日差しの下でも、やっぱり顔が黒い。
「お支度が整いましたら、三階へお越し下さい」
挨拶もそこそこに、それだけ告げて去っていく。
昨日も思ったが、ビビアンの態度は実に素っ気なく、冷ややかだ。それがマシェリに対してのみなのか、元々の性格なのかは分からない。
だが、もしもビビアンがマシェリを嫌っているとしたら。
理由ならふたつほど心当たりがある。
そのうちひとつは昨日の、皇太子であるグレンに対するマシェリの無礼な振る舞いだ。表面上は何食わぬ顔をしていたが、黒いこめかみがピクピクしていた。
実は相当、腹に据えかねていたに違いない。
もうひとつはーーおそらく、マシェリの身分に関することだろう。
皇太子の婚約者が、公国の伯爵令嬢ではつり合わない。皇帝があっさり認めたりさえしなければ、成立するはずのない婚約だった。
しかしこれは彼の宰相という立場からくるもので、マシェリを嫌いというのとは、また別の話なのかもしれないが。
側近の姿はないし、帝国で皇帝陛下の次に権力を握っているのは、間違いなく宰相であるビビアンだ。
(水脈のこともあるし、下手に目を付けられないよう気をつけなくちゃ)
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