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本編
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「こちらですわ。マシェリ様」
侍女のターシャの案内で三階へ向かう。
長い回廊の突き当たりのドアから、屈強そうな侍従が数人、ぞろぞろと出てくるのが見えた。届いた調度品を運び終えた所らしい。
「ご苦労様」
すれ違いに声を掛けながら、奥へ向かって進んでいく。ドアの前にいた二人の若い近衛が、マシェリを見るなり「おめでとうございます!」と頭を下げてきた。どうやら謁見の間でグレンと婚約した際、拍手をした護衛たちの中にいたらしい。
きらきらした目でこうもお祝いの言葉を並べたてられると、なんだかだんだん申し訳なくなってくる。とりあえず笑顔で応えていたマシェリだが、内心かなり複雑だった。
(絶対、口が裂けても言えないわ。実は皇太子との婚約破棄を狙ってます、だなんて……!)
マシェリ達は近衛が開けてくれたドアから中へ入ると、さほど広くないふたつの部屋を通り抜け、一番奥の寝室へと向かった。
薄暗がりの中、ひとつの人影が動く。
「マシェリ? 随分遅かったね」
やや高めの男性の声。目を凝らしてよく見てみれば、それは侍従の仕事着姿で振り返ったグレンだった。
広々とした寝室の真ん中、天蓋付の豪華なベッドの脇に立っている。その手にはなぜか折りたたまれたシーツ。それを見て、マシェリはサッと青ざめた。
「一体なにをなさってるんですか、殿下!」
「なにって……見て分からない? ベッドメイクだよ。やらなきゃ君、今晩寝られないじゃないか」
グレンはさも当然のように言い放つと、鼻歌まじりにシーツをベッドに敷き始めた。はっと我に返ったターシャが、グレンを止めるもやんわり断られてしまい、半べそですごすごとマシェリの元へ戻って来る。
マシェリはターシャの肩を抱いて慰めつつ、大きく息を吐いた。
「……っ。殿下、それはもうターシャに任せますから、殿下は執務に行って下さいませ!」
つい叫ぶように言ってしまい、はっとして口を押える。グレンはシーツの端を持ったまま、固まってしまった。
ターシャがカーテンを開くと、明るい光の中でグレンがゆっくり振り返る。
人形のように無表情な、黒い瞳が翳っていた。
「迷惑だったんだね。ーーごめん、僕は出て行くから」
そう言いすてるとシーツから手を離し、マシェリの脇をすたすたと通り過ぎていく。そのグレンを間近で見たマシェリは、思わず目を見張った。
グレンの白い頰に、黒い汚れがこびり付いている。よく見れば着ているシャツもズボンも埃まみれで、汗もにじんでいた。
もしかしたら、侍従と一緒に調度品運びもしたのかもしれない。今日からここで暮らす、マシェリの為に。
「後はよろしく頼む」
ターシャに声を掛け、グレンがドアへと向かう。
その背中を、マシェリは無意識のうちに追いかけていた。
思い切って手を伸ばし、グレンの腕にしがみ付く。
「待ってください、殿下!」
「マ、マシェリ? いったいどうしーー」
グレンが、狼狽えた声を上げる。
もしやと思い見上げれば、ぱっと顔を逸らす。ーーが、真っ赤な耳は隠せない。
(まさか……照れてる?)
マシェリは目をまばたかせた。
「殿下……」
「離してくれ」
グレンがマシェリの腕を振りほどく。その頰からはもう、赤みが消えていた。
「ほんとは君も、僕と一緒にいるのが嫌なんだろう? 無理しなくていいよ、慣れてるから」
「何でそこまで大袈裟な話になるんですか? 意味がわかりません。嫌でも、迷惑でもありませんから。誤解なさらないでください、殿下」
「だって冷たすぎる。せっかく引っ越しの手伝いをしにきた婚約者を、さっさと仕事に行けって追い出すなんて」
「そ、それ、は……」
マシェリがぐっと詰まる。
当たってるだけに言い返せない。自分でも、もう少し言い方を考えるべきだったと反省していた。
「傷ついたなあ。僕、今夜は寝つけないかもしれない」
大仰にため息を吐いた皇子様が、ちらりとマシェリを見る。
なんだか嫌な予感がした。
「責任、とってくれるよね? マシェリ」
侍女のターシャの案内で三階へ向かう。
長い回廊の突き当たりのドアから、屈強そうな侍従が数人、ぞろぞろと出てくるのが見えた。届いた調度品を運び終えた所らしい。
「ご苦労様」
すれ違いに声を掛けながら、奥へ向かって進んでいく。ドアの前にいた二人の若い近衛が、マシェリを見るなり「おめでとうございます!」と頭を下げてきた。どうやら謁見の間でグレンと婚約した際、拍手をした護衛たちの中にいたらしい。
きらきらした目でこうもお祝いの言葉を並べたてられると、なんだかだんだん申し訳なくなってくる。とりあえず笑顔で応えていたマシェリだが、内心かなり複雑だった。
(絶対、口が裂けても言えないわ。実は皇太子との婚約破棄を狙ってます、だなんて……!)
マシェリ達は近衛が開けてくれたドアから中へ入ると、さほど広くないふたつの部屋を通り抜け、一番奥の寝室へと向かった。
薄暗がりの中、ひとつの人影が動く。
「マシェリ? 随分遅かったね」
やや高めの男性の声。目を凝らしてよく見てみれば、それは侍従の仕事着姿で振り返ったグレンだった。
広々とした寝室の真ん中、天蓋付の豪華なベッドの脇に立っている。その手にはなぜか折りたたまれたシーツ。それを見て、マシェリはサッと青ざめた。
「一体なにをなさってるんですか、殿下!」
「なにって……見て分からない? ベッドメイクだよ。やらなきゃ君、今晩寝られないじゃないか」
グレンはさも当然のように言い放つと、鼻歌まじりにシーツをベッドに敷き始めた。はっと我に返ったターシャが、グレンを止めるもやんわり断られてしまい、半べそですごすごとマシェリの元へ戻って来る。
マシェリはターシャの肩を抱いて慰めつつ、大きく息を吐いた。
「……っ。殿下、それはもうターシャに任せますから、殿下は執務に行って下さいませ!」
つい叫ぶように言ってしまい、はっとして口を押える。グレンはシーツの端を持ったまま、固まってしまった。
ターシャがカーテンを開くと、明るい光の中でグレンがゆっくり振り返る。
人形のように無表情な、黒い瞳が翳っていた。
「迷惑だったんだね。ーーごめん、僕は出て行くから」
そう言いすてるとシーツから手を離し、マシェリの脇をすたすたと通り過ぎていく。そのグレンを間近で見たマシェリは、思わず目を見張った。
グレンの白い頰に、黒い汚れがこびり付いている。よく見れば着ているシャツもズボンも埃まみれで、汗もにじんでいた。
もしかしたら、侍従と一緒に調度品運びもしたのかもしれない。今日からここで暮らす、マシェリの為に。
「後はよろしく頼む」
ターシャに声を掛け、グレンがドアへと向かう。
その背中を、マシェリは無意識のうちに追いかけていた。
思い切って手を伸ばし、グレンの腕にしがみ付く。
「待ってください、殿下!」
「マ、マシェリ? いったいどうしーー」
グレンが、狼狽えた声を上げる。
もしやと思い見上げれば、ぱっと顔を逸らす。ーーが、真っ赤な耳は隠せない。
(まさか……照れてる?)
マシェリは目をまばたかせた。
「殿下……」
「離してくれ」
グレンがマシェリの腕を振りほどく。その頰からはもう、赤みが消えていた。
「ほんとは君も、僕と一緒にいるのが嫌なんだろう? 無理しなくていいよ、慣れてるから」
「何でそこまで大袈裟な話になるんですか? 意味がわかりません。嫌でも、迷惑でもありませんから。誤解なさらないでください、殿下」
「だって冷たすぎる。せっかく引っ越しの手伝いをしにきた婚約者を、さっさと仕事に行けって追い出すなんて」
「そ、それ、は……」
マシェリがぐっと詰まる。
当たってるだけに言い返せない。自分でも、もう少し言い方を考えるべきだったと反省していた。
「傷ついたなあ。僕、今夜は寝つけないかもしれない」
大仰にため息を吐いた皇子様が、ちらりとマシェリを見る。
なんだか嫌な予感がした。
「責任、とってくれるよね? マシェリ」
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