強気な伯爵令嬢は水竜皇子との婚約破棄を狙ってます

水上 華

文字の大きさ
87 / 94
挿話1

水竜のあいさつ

しおりを挟む
「こ、ん、に、ち、は」
「……」
「あ、り、が、と、う」
「…………」

 顎がだんだん痛くなってきた。
 表情が微動だにしない水竜の鼻先にぐったりもたれ、冷たい鱗を撫でる。──本当は分かっているのだ。

 水竜は人語を理解はしても喋れない。

(もっともっと長生きすれば、魔法で話せるようになるらしいけど、この子はまだ生まれて三十年ちょっとだものね……)

「もう今日はそれくらいにしといたらどうだ? 姫」
「ガレス」
「昼飯もまだだろ。王子様が心配してたぞ」

 サンドイッチのトレイを片手に王城の階段を降りてきた無精髭の料理人が、湖から顔だけ出した水竜をチラッと見て苦笑いを浮かべる。

「すっげーだるそうな顔してるな……あいつ。ムキになる気持ちも分かるけど、あんまり無理させるなよ」
「分かってますわ。でも、でも……! 市場の皆んなが馬鹿にするんですもの。オウムですらきちんと挨拶できるのに、ケルトは竜のくせに高級メロンを貰っても礼のひとつも言えないのか、って。……わたくし、もう悔しくて悔しくて」
「あー、まあ……俺からすると、竜を市場に連れて来ることに関しては何の苦情も出てないってのが、凄いと言うか驚きと言うか」
「まあ、そんなの当然ですわ。ケルトはテラナ公国の救世主ですもの」

 貯水湖が常に満タンなのはもちろん、国中の畑や果樹園にまで出張し、水まきや用水池への補給までほぼ無償で行っている。
 役立たずの雨季だった昨年も作物は順調に実り、小さな農村や辺境地でも飢餓に陥ることはなかった。市場に毎朝、水分たっぷりの野菜や果物が並んでいるのは、働き者の水竜のおかげなのである。

「わたくし、絶対に諦めなくってよ! あの恩知らずどもを必ずぎゃふんと言わせてみせますわ!」
「あー、そうか。うん、頑張れ」

 雑な応援を残し、ガレスは王城へと戻って行った。

(もう、薄情なんだから。あとでユーリィに言いつけてやりますわ)

 怒ったらなんだかお腹が空いてきた。
 サンドイッチをぺろりと平らげると、ケルトにも小さいチーズを一個だけ口に入れてやる。基本的には草食なのであまり消化にはよくないのだが、好物らしいので、頑張ったご褒美としてたまに与えているのだ。

「美味しい?」
「……」

 やはり無言か。
 ため息をつきつつ紅茶を口に含む。その肩をポン、と後ろから叩かれた。

「ただいま、マシェリ」
「殿下? ……って、どうしたんですの? その格好!」
「ああ、剣と魔法の鍛錬をしてきたからね。少しばかりボロボロになってしまった」

 麗しい顔をすっかり泥だらけにして、グレンが笑う。
 だがマシェリは笑えなかった。
 慌ててベンチから立ち上がると、湖で濡らしたハンカチでグレンの頰を拭う。訓練用の服も、上下ともあちこち裂けたり汚れ放題だ。焦げてる部分も何箇所かある。

(一体どんな訓練をしたらこうなるのかしら?)

 憤慨しながらグレンの黒髪のほこりを払う。

「教官は誰ですの? わたくしがひと言文句を言ってやりますわ! これはいくらなんでもやり過ぎじゃありませんか」
「剣はルディ。魔法はユーリィとビビアンに教わってる。ふたりとも精霊魔法の達人だからね」
「王城の教官じゃないんですの?」
「うん。魔王を倒すには、普通の訓練じゃダメだろう。特に僕は障壁を作るのが下手だから、このままだと君を護ることもできない」
「殿下……」

 マシェリはハンカチをぎゅっと握り締めた。──どうしよう。

(今すぐに抱き締めたい)

 でも、とチラリと見上げる。
 いつの間にかケルトが湖から陸に上がり、ふたりをじっと見下ろしていたのだ。

「ケルト、ただいま」
「……」
「"ありがとう"って言う練習してるんだって? 調子はどう?」
「…………」

 やはりダメか。ガックリ項垂れたマシェリの肩を、グレンが抱き寄せる。

「そんなに落ち込むことはないよ。ケルトが声を我慢してるのは、たぶん君のためだから」
「わ、わたくしのため? それってどういうことですの?」
「竜は仲間の声を聴き分ける。空を飛ぶ竜もいるから、水竜の声に惹かれて魔界から飛来してこないとも限らない。それがもしも水竜より強くて大きな竜だったら、君が襲われても護ってやれないだろう。だからきっとケルトは、どんなに皆に馬鹿にされても君に怒られても、だんまりを決め込んでいるんだよ」
「……」

 グレンの言葉に、水竜が静かに耳を傾ける。
 鋭い牙の並ぶ大きな口が、気のせいか、ほんの少しだけ笑ったように見えた。

 じわ、と新緑色の瞳に涙が滲む。

「ケルト……わ、わた、わたくし」
「……」
「ご、ごめんなさい。知らなくて」
「…………」
「大好きよ、ケルト」
「…………!」

 鼻先に抱きつき、冷たい鱗に頰ずりすると、ぱちぱちと蒼い眼がまばたく。

「なんだか少し妬けちゃうなあ。マシェリ、僕とも……」
「……」

 ケルトがじとりとグレンを睨む。もしや、やきもちを焼いたのだろうか。
 ますます可愛い。マシェリは思わず、ちゅっと鼻先にキスした。

「あっ!」
「!!!」
「もう、無理してご挨拶しなくてもよろしくてよ。あなたの悪口を言う方々は、わたくしが返り討ちにして差し上げますわ」

 何を言われようと、ケルトは自分が護ってみせる。
 三十年前の湖で出会ったあの瞬間から、マシェリはこの水竜にとって、ただひとりの主人になったのだから。




 ◇


「これならどうだ! テラナ公国が誇る最高級品のメロンだぞ。ケル公、勝負だ!!」
「……クジャ様。その呼び名はやめてくださらない? なんだか犬みたいで嫌ですわ」
「そうだな、犬のほうがあいつより賢いか。ガーッハッハッハッ!」

 背後の賑やかな声にげんなりしてしまう。
 朝日が昇るのを横目で見ながら、空箱を馬車の荷台に積み終えると、マシェリはため息をついた。
 ──今日はどうにか顔を合わせずに帰れそうだと思ったのに。

(出口でばったり会うなんて、ついてないわ)

 テラナ公国の市場の朝は早い。
 まだ暗いうちから、荷を満杯に積んだ馬車がどんどん入って来る。忙しなく人が行き交う市場の隅で、首に縄を付けられた水竜が、欠伸をしながらマシェリの帰りを待っていた。
 こうしていると、いつの間にかその周りに野菜や果物が供えられてしまう。
 通りすがりの子どもたちが、それをひょいひょい水竜の口に運ぶものだから、市場の仕事を終えてマシェリが戻って来るころには、お腹は既にパンパンだ。

(別腹も無理そうだわ。かと言ってクジャ様の分だけ残したら、それこそ何を言われるかわからないし)

 下手をすれば、俺のメロンが食えねえのか、とキレて暴れ出すかもしれない。
 豊かな髭を自慢げにさすりつつ、ドヤ顔で差し出された大ぶりのメロンを渋々受け取ると、マシェリはしばし考えこんだ。

「素晴らしい出来栄えのメロンですわね。水竜には勿体ないんじゃありませんの? なんでしたら、クロフォード伯爵家で買取りますわよ」
「食いたきゃ別に買え。こいつはケル公に食わせてやろうと俺が手塩にかけて育てた世界でたった一つのメロンなんだからな。お前にゃ食わせん」

 腕組みをしてにやりと笑う。──ダメだ。相手は百戦錬磨の市場長。父にすら口で勝てないマシェリが、説き伏せられるはずがない。

「ケ、ケルト。これ、市場長から貴方へのプレゼントよ。お腹がまだ平気ならお食べなさい」

 そろそろと鼻先へ持っていく。背後で片眼鏡の奥の目をギラつかせる大男の視線が痛い。
 冷や汗を流すマシェリの手から、ケルトがひょい、と鼻先でメロンを奪い取る。

 そしてポン、と上に弾ませた。

「え」
「おお⁉︎ な、何だ、こりゃ??」

 クジャが片眼鏡を外し、鼻先で器用にメロンをキャッチした水竜をポカンと見上げる。

 ポン、と弾ませては受け止めること十回。大きな口を開き、曲芸のボールと化していたメロンをぱくりと食べた。
 いつの間にか集まってきた見物人たちが見守る中、もぐもぐ咀嚼していた口がぴたりと止まり、ごくんと飲み込む。

「………………」
「くっそう、やっぱり無言かコノヤロウ」

 ぎりぎりと歯ぎしりするクジャを、カッと見開いた蒼い眼が見下ろす。
 そして──パチンとウィンクした。

「え??」
「は……ガッハッハッハッ。美味かったってか。そうか、そうか。可愛いじゃねえか、コノヤロウ!!」

 バンバン、とケルトの腹をクジャが叩く。その後ろで、わっ、と拍手が沸き起こった。

「ちゃんとご挨拶できたんですのね。偉かったわ。ケルト」
「……」

 鼻先をマシェリに撫でられたケルトは相変わらず無言だったが、なぜか少々不満げに眼を逸らした。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は死んで生き返ってついでに中身も入れ替えました

蒼黒せい
恋愛
侯爵令嬢ミリアはその性格の悪さと家の権威散らし、散財から学園内では大層嫌われていた。しかし、突如不治の病にかかった彼女は5年という長い年月苦しみ続け、そして治療の甲斐もなく亡くなってしまう。しかし、直後に彼女は息を吹き返す。病を克服して。 だが、その中身は全くの別人であった。かつて『日本人』として生きていた女性は、異世界という新たな世界で二度目の生を謳歌する… ※同名アカウントでなろう・カクヨムにも投稿しています

初夜の床で「愛はない」と言った自分に返ってきたのは「愛はいらない食はくれ」と言う新妻の言葉だった。

いさき遊雨
恋愛
「僕に君への愛はない。」 初夜の床でそう言った僕に、 「愛はいらないから食事はください。」 そう言ってきた妻。 そんな風に始まった二人の夫婦生活のお話。 ※設定はとてもふんわり ※1話完結 の予定 ※時系列はバラバラ ※不定期更新 矛盾があったらすみません。 小説家になろうさまにも登録しています。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行
恋愛
王都の洗礼式で「厄災をもたらす」という烙印を持っていることを公表された令嬢・ルーチェ。 社交界では腫れ物扱い、家族からも厄介者として距離を置かれ、心がすり減るような日々を送ってきた彼女は、家の事情で辺境伯ダリウスのもとへ嫁ぐことになる。 辺境伯領は「貧乏」で知られている、魔獣のせいで荒廃しきった領地。 冷たい仕打ちには慣れてしまっていたルーチェは抵抗することなくそこへ向かい、辺境の生活にも身を縮める覚悟をしていた。 けれど、実際に待っていたのは──想像とはまるで違う、温かくて優しい人々と、穏やかで心が満たされていくような暮らし。 そして、誰より誠実なダリウスの隣で、ルーチェは少しずつ自分の居場所を取り戻していく。 静かな辺境から始まる、甘く優しい逆転マリッジラブ物語。 【追記】完結保証タグ追加しました

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

悪役令嬢としての役割、立派に努めて見せましょう〜目指すは断罪からの亡命の新しいルート開発です〜

水月華
恋愛
レティシア・ド・リュシリューは婚約者と言い争いをしている時に、前世の記憶を思い出す。 そして自分のいる世界が、大好きだった乙女ゲームの“イーリスの祝福”の悪役令嬢役であると気がつく。 母親は早くに亡くし、父親には母親が亡くなったのはレティシアのせいだと恨まれ、兄には自分より優秀である為に嫉妬され憎まれている。 家族から冷遇されているため、ほとんどの使用人からも冷遇されている。 そんな境遇だからこそ、愛情を渇望していた。 淑女教育にマナーに、必死で努力したことで第一王子の婚約者に選ばれるが、お互いに中々歩み寄れずにすれ違ってしまう。 そんな不遇な少女に転生した。 レティシアは、悪役令嬢である自分もヒロインも大好きだ。だからこそ、ヒロインが本当に好きな人と結ばれる様に、悪役令嬢として立ち回ることを決意する。 目指すは断罪後に亡命し、新たな人生をスタートさせること。 前世の記憶が戻った事で、家族のクズっぷりを再認識する。ならば一緒に破滅させて復讐しようとレティシアには2つの目標が出来る。 上手く計画に沿って悪役令嬢を演じているはずが、本人が気が付かないところで計画がバレ、逆にヒロインと婚約者を含めた攻略対象者達に外堀を埋められる⁉︎ 更に家族が改心して、望んでいない和解もさせられそうになるレティシアだが、果たして彼女は幸せになれるのか⁉︎

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

処理中です...