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第一章
僕固懐恩
しおりを挟む翌日、厳祖江に見送られて野営地を出発した五十騎は、僕固懐恩のいる霊武を目指した。
反乱鎮圧に助力すると称し、吐蕃の勢力圏との合間の地を選んで、慎重に北上する。途中の城塞にはほとんど守備兵がいなかった。徴兵しても逃亡してしまうのでなかなか兵が集まらないのだという。残っている兵も士気の低いことこの上なかった。また吐蕃が攻めて来たら、たちまち城を明け渡してしまうことだろう。
さらに山間を進んで行き、原州に入ると、唐の兵を見ることもなくなってしまった。
ここからは馬に牧を噛ませてひと通りのある街道を避けた。雪の積もる杣道や獣道を、転がり落ちぬよう助け合いながら、日と月と星の光を頼りに必死に越える。やがて山々は次第になだらかになり、土地が開けた。茶色の土漠に緑をもたらす広大な河水を目の前にして、ようやくみなの緊張が解けた。
霊州の平原に出たのだ。
大河に沿ってさらに北上し、霊武に着いたとき、二月は終わろうとしていた。
さすがに霊武周辺は、これまで通過して来た土地にはない緊張感が漂っている。五十騎の騎馬隊は即座に見咎められ、僕固懐恩配下の鉄勒兵に囲まれた。馬を降り敵意のないことを示すと、彼らを束ねる上官と見える将校が進み出て誰何した。呂日将は一瞬言葉につまった。自分の身分をなんと称してよいかわからなかったからだ。が、まだ解官の通知は来ていないのだし、下手ににごして疑念を抱かせるよりはましだろう。
「鳳州刺史呂日将と申します。僕固将軍にお目通りを願いたい」
呂日将が名乗ると、将校は慌てたようすで城に駆け込んで行き、一刻ほどで、ひとりの男を伴って帰って来た。
「わたしは僕固軍の副将、范志誠と申す。失礼ながら、まことに盩厔で吐蕃を迎え討たれた呂将軍にあらせられるか」
「はい、その呂日将です」
「京師からの使者にござるか」
「いいえ。駱奉先の部下を斬り、逃亡中の身にございます」
「ほう。駱奉先にはこちらも含むところがござる。わが君の前で、詳しいいきさつをお話しくだされ。呂将軍ともうおひとりだけ、入城を許可する。申し訳ないが、他の者は城外にて待ってもらう」
「もちろん、承知いたしております」
呂日将と楊志環は范志誠に剣を預けると、その後に従った。
拱手する呂日将に、僕固懐恩は鋭い視線を向けた。
「二千騎で二十万の吐蕃に挑んだという噂は聞いている。その貴公が、なにゆえ駱奉先の部下を斬るはめになったのだ」
「駱奉先に命じられ勅使を装った王徳浩という宦官が、わたしを殺しに来たのでその首を斬り、逃亡したのです」
「アヤツらしいやり口だ。が、なぜここに来た。わたしが朝敵であることはわかっていよう」
「わたしも遅かれ早かれ駱奉先に朝敵に仕立て上げられるでしょう。なれば将軍とともに戦わせていただきたいのです。将軍のご忠勤には以前から尊敬の念を抱いておりました。安史の乱を鎮圧するため、将軍は四十人以上のご一族を犠牲にされたとうかがっております」
僕固懐恩は、呂日将のこころを見透かそうとするかのように目を細めた。
「四十六人だ。わたしは自分の息子たちのいのちまでも捧げて、唐のために戦った。娘を迴紇の王子に嫁がせ、唐と迴紇との和平にも尽力した。だが乱が収まった途端、それが迴紇と通じて反逆を企んでいる証と問責されたのだ」
「それは、まこと帝のおこころにございましょうか」
「主上はおひとが変わられた。昔は臣下の言いなりになられるお方ではなかった。それがいまでは、すっかり宦官に骨抜きにされていらっしゃる」
「なれば、宦官を除くことで、唐のまことの復興がなるのではありませんか。先ほどご自身のことを朝敵と仰せにございましたが、まことの朝敵は宦官どもではありませんか」
僕固懐恩の視線がやわらぎ、遠くを見るような目をした。が、それは一瞬のことで、すぐに力強い光が呂日将を見据える。
「貴公が、確かに味方であるという証はあるか」
そんなものはない。駱奉先が偽勅使を使った暗殺の失敗を表沙汰にするとは思えなかった。呂日将は力を込めて、僕固懐恩の目をまっすぐに見返した。
「わたしの言葉をお信じくださいと申すしかございません」
「なれば、わたしの頼みを聞いてくれたら、信じよう」
「ご命令をくださりませ」
「昨年の吐蕃の戦いぶりは、これまでにない平地でのいくさにも関わらず巧みなものだった。すべて馬重英という男の指揮か」
「はい、若いころ唐に潜り込み、兵法を学んだそうです」
「その力が欲しい。隴右に残っている吐蕃の兵とは連絡しているが、彼らだけでは関中でのいくさはこころもとない」
「そのために、わたしになにをせよと」
「その馬重英とやらを引っ張り出してこい。わたしが京師をとることが出来たら、その代償に隴右をくれてやると言えば吐蕃王も乗ってくるだろう」
僕固懐恩は、はじめて笑顔を見せた。
会見を終え、呂日将は別室に下がった。後ろに控えてやりとりを聞いていた楊志環は青い顔をしている。
「吐蕃に行けということですか? そんなの無茶です」
「これは天命かもしれない」
「天命?」
「苗侍中は『馬重英に出会ってしまったのが天命なら、自然と吐蕃に行くことになるかもしれない』とおっしゃられた。まさかそのとおりになるとは思わなかったが」
「吐蕃は将軍を恨んでいるでしょう。それに僕固将軍のおっしゃりようは、本気で吐蕃に隴右を渡す気があるとは思われませんでした。騙されたと気づけば、どんな目に会うか。死にに行くようなものです」
「なるようにしかならん。ここを追い出されれば、結局国外にでも逃れるしかない」
「ならば、わたしも参ります」
「ひとりで行く。待っていてくれ」
「将軍が失敗したらわたしも殺されるのではありませんか。僕固将軍とはそういう厳しさをお持ちの方と聞いています。どうせなら、生きるも死ぬも、将軍とともにしたいのです」
「オレだって同じ気持ちだ。だが、残される部下たちのことが気がかりだ。みなを守ってくれ。これはおまえにしか頼めぬ」
楊志環はうつむいた。が、すぐに顔をあげると言った。
「わかりました。彼らのことはおまかせください。どうかこころ置きなく行かれますよう」
まもなく、范志誠がやって来た。
「吐蕃の都には天を衝くような山々を越えて行かねばならない。高地にはここにはない病があって、対処を誤ればいのちを失うそうだ。経験豊かな者を案内につけよう」
「おこころ遣い、ありがたい。范将軍、厚かましいが、さらにお願いしてもよろしいですか」
「なんなりと仰せあれ。聞くだけはタダだ」
范志誠は人懐こい笑顔を見せた。
「吐蕃にはわたしひとりで参ります。残る部下たちですが、僕固将軍の兵としていただけまいか。お役目を果たせなかったときはわたしのいのちにて贖いまする。彼らに罰を与えるようなことはなさらないでいただきたい」
「わたしの直属の配下として他の兵と公平に扱おう。それでよろしいか」
「かたじけない」
「こちらこそ、難しい要求を呑んでいただいて礼を申す。わが君は軽くおっしゃったが、吐蕃が本腰を入れてくれるかどうかで、われらの死生が決するのだ。時間がかかってもよい。粘り強く交渉して欲しい」
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そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
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