まよねちゃん、クッキーを焼く

青茄子

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まよねちゃん、愛情を込める

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「おーいまよー、開けて―」
 テラスからパパが私を呼ぶ声が聞こえる。パパもママも、私のことを昔からマヨ、マヨ、と呼ぶ。それならば私の名前はマヨで良かったのではないか。マヨネ、とネを付けることによってむしろマヨ感がぐっと増してしまっている。
 ソファから立ち上がり、リビングと大きな窓を隔ててフラットなデッキになっているテラスへ向かうと、大きなカゴを抱えたパパが待っていた。カゴの中には収穫された野菜等がいっぱい入っているのだろう。
 我が家の庭はとても広く、その大部分でパパによって様々な植物の栽培が行われている。普通の野菜が取れる畑もあれば、色とりどりの花が咲いている庭園もあるし、ハウスの中にはあまり日本では見られないような珍しい熱帯の植物があったりする。パパは会社に勤めてはいないのだが、生産物を卸してはいないので農家ではないし、学位を持っていたりもしないようなので研究者でもない。一応庭の一角を植物園として開放しており、百円を入れるとがちゃんと回転する簡易なゲートがついているので、肩書としては園長、ということになると思われる。もちろんそこからの収入はほぼ皆無と言っても良く、家計はもっぱら世界的に有名な画家であるママによって支えられている。パパはほとんど趣味同然の庭いじりをして毎日を過ごしているわけだ。とは言えママは海外をあちこち飛び回っていて家にいない時の方が多く、パパは実質専業主夫として私の面倒を見てくれている。私はずっとパパの作ったご飯を食べてすくすく育ってきた。

「まよ、サツキの出来がとてもいいんだ。これは今年の皐月賞狙えるかもしれないよ」
 ダイニングにカゴを下ろしながらパパは機嫌良さそうに言った。私の知識に誤りがなければ、多分皐月賞はサツキの品評会ではなく、サラブレッドによって競われるレースだったはずだ。咲の影響を受けた私は、全国女子高生の平均値よりはおそらく競馬に詳しい。咲は世間一般の女の子がアイドルや俳優に向けるような目線で競走馬を語る。咲のスマホの壁紙はトウカイテイオーという馬の写真で、彼女曰く史上最高のイケメンであるらしい。そしてその父親はシンボリルドルフ。もう耳にタコができるくらい聞いた。
「残念だけど、無理じゃないかな。奇跡的に参加できたとして、絶対最下位になると思う」
 ゲートが開いて各馬がいっせいに飛び出していく中、ぽつねんとその場で咲き誇るサツキ。他の馬が皆ゴールし終えた頃になっても、スタート地点から十センチすら動いている見込みがない。
「そうかい? お父さんがディープインパクトだから、結構いけると思うんだけどね」
 ちょっと待って欲しい。そうするとだいぶ話が変わってくる。勝てる可能性が絶対ないとは言い切れなくなったし、そもそもパパはどうやって奇蹄目ウマ科とツツジ目ツツジ科のラブロマンスを取り持ったのだろう。その手腕で結婚相談所でもやってみてはどうだろうか。
 そこまで考えて、はたと思い当たる。動物と植物の垣根すら軽々飛び越えるこの人物が父親であるというファクターが、私が人間ではないという説を強力に支持するのではないだろうか?

「ねえパパ、私って人間じゃないの?」

 我知らず問いが口をついて出た。パパはこちらを振り返り、にこりと微笑んだ。

「大丈夫、まよは全然人間だよ」

 零点だ。

 娘にいきなり「私は人間ではないのではないか」と問われた際の父親の模範解答は、「は?」とか「お前、何言ってんだ」等である。
 まず「大丈夫」とか口走った時点でもう大丈夫ではないし、「全然人間だよ」なんて絶対に言ってはいけない類のミスである。
  私は愕然とした。人間じゃないかもしれない、と人間じゃないです、の間に横たわる差は、簡単に飲み込めるほど小さくはない。
「どうしたんだい? 急に変なことを聞くね」
 パパはその台詞を先に言うべきだった。私は無言でパパの袖を引っ張ってキッチンに連れていき、相変わらずそこで空を睨み続けていたメタルモアイの一団を指差した。
「ははあなるほど、クッキーを焼こうとしてこんなのができたんだね」
 何故私が自身の存在に疑念を持つに至ったかも含めて経緯を説明すると、パパは興味深げにメタルモアイの内の一体をつまみ上げてためつすがめつし始めた。そう言えば私はビビってしまってそれらに一度も触れてはいなかった。
「うん、なかなか見事な造形だね」
 感心したようにつぶやいてから、パパはメタルモアイを戻した。
「まよが自分が人間じゃないかもしれない、と考えた気持ちもわかった。でも、まずはこの場合オーブンを疑うべきなんじゃないかな? 焼き始める前は普通のクッキーの生地だったわけだから」
 極めて論理的な正論である。言われてみると確かに、としか思えない。私はショックのあまり結論を急ぎ過ぎていたかもしれない。
「まずは僕が全く同じ手順でやってみよう。それで結果が再現されるなら、悪いのはまよじゃなくてきっとオーブンだね」
 パパがクッキーの生地を成形し、オーブンに火を入れた。私は焼き上がりを祈るような気持ちで待った。

「そろそろ時間だね」
 オーブンの扉を開けると、そこには美しく透き通るガラスのようなボディを持った、はにわが並んでいたのだった。

「これは……どっちなの?」
 可能性は二つ思い付く。
 一つ目は、オーブンがランダムな素材とランダムな形状を出力する謎の超科学マシーンと化している。
 二つ目は、パパはパパで私とは別種の人間ではない何者かである。
「でも僕は今までこのオーブンでずっと普通に料理してきたからね。ピザだってケーキだって。今までまよも普通に食べてたわけだし。やっぱりオーブンが故障しちゃったんだと思うけどなあ」
 確かにパパは今日初めてオーブンを使ったわけではない。そうなるとやはり超科学マシーン説が有力なのか。ひとまず私は人間でいられる可能性を残すことになった。オーブンがそんな訳のわからない故障の仕方をしたこと自体に怪しげな気配を感じなくもないが、もう疲れてしまったので深く考えることはやめにした。
「それにしても、まよも好きな男の子にお菓子を作ったりする歳になったんだね」
 感慨深げにパパが言うのを聞いて、私は恋愛事情を丸々自分の父親にぶちまけてしまったことに今さら気付いた。
「怒ったりしないの?」
「しないよ。そういう経験も大切なことだと思うしね。もちろん男の子とは節度を持ったお付き合いをして欲しいけど」
「パパ、学生時代ものすごくモテてそうだしね」
 パパは今でもとんでもない美形だ。テレビ、雑誌、ありとあらゆる媒体で見るどんな男性よりも整った顔をしている。その遺伝子を引いているという思いが、私自身の容姿への自信にも繋がっている部分はある。パパがサラリーマンなどせずに隠遁生活をしているのは正解だと思う。社会に出してしまったら、本人が望まなくても周囲の女性によってとんでもないトラブルが巻き起こるであろうことは火を見るより明らかだ。
「やっぱり誕生日にはいっぱいプレゼントをもらったりしたの?」
「うん、まあそうだね」
「一番覚えてるプレゼントは何だった? やっぱりママからもらったの?」
 パパとママは高校の同級生だと聞いていた。当時にはやはり青春らしい甘酸っぱいエピソードがあったのだろう。
「そうだね、絵梨ちゃんからのプレゼントは絶対忘れられないね」
 絵梨はママの名前だ。パパとママは今でも絵梨ちゃん、歩くんの間柄である。
「毎年夏に遊びに行く軽井沢の別荘があるでしょ? あれをもらったんだよ」
「え、高校生で別荘をプレゼントされたの? そんなの困ったでしょ」
 さすがママ、スケールが大き過ぎるし、発想がぶっ飛んでいる。大勢の女の子たちがそれこそクッキーだのといった可愛らしいプレゼントをパパに渡そうと列をなす中、別荘あげますの存在は恐怖でしかない。
「うん。だから絵梨ちゃんに『固定資産税とか払えないから困るよ』って言ったんだ。そうしたら名義はそのままにして、いつでも使っていいよって鍵だけくれたんだよ」
 パパの困り方も少しおかしい。この二人が高校時代に出会い、夫婦になってくれて世界中のみんなが助かったと思う。大げさではなく。
「大事なのは結局気持ちだからね。まよもきちんと気持ちを込めて渡してあげるのが一番いいよ」
 不動産の贈与はさぞかし気持ちが伝わったことだろう。私もせめてクッキーに気持ちを託したいのだが、頓挫したままになっている。

「修理の人、今日はもう来れないよね?」
「そうだね。明日になっちゃうし、見てもらってすぐに直るかどうかもわからないしね」
 それはそうだ。超科学マシーンをただのオーブンに戻す方法はどんな分厚いマニュアルにも間違いなく記載がないはずだ。
「どうしよう」
 途方に暮れてうつむいた私の背中に、パパはそっと手を添えてダイニングへと誘った。そして先程下ろしたカゴの中から何かを取り出して私の掌の上にそっと乗せた。
「……かたつむり?」
 思えばかたつむりをこうしてしげしげと間近に見るのは随分久しぶりだ。幼い頃には這い回るかたつむりを飽くことなく眺めて過ごしたこともあったが、きっと多くの人もそうであるように、いつしか私はこの小さな生き物に対する興味を失っていたのだった。
「え、クッキーの代わりにかたつむりを白河くんにあげろってこと?」
 まさか、といってパパは笑った。
「まよ、料理をする上で一番大切なコツは何だと思う?」
「レシピ通りに作ること?」
 由紀子に刷り込まれた教えは絶対である。
「それも大事だね。でも、一番大切なのはね、愛情だよ。食べてもらう人のことを想って、気持ちを込めるのが一番のコツなんだ。陳腐な答に感じるかもしれないけど、実は料理なんて想いさえしっかり込めれば、レシピなんて全然無視したって大丈夫なんだよ」
「そうなの? いくらなんでも言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎじゃないよ。まよ、目を閉じて。その男の子、白河くんだっけ。彼のことを考えてみて」
 私はパパの言う通り目を閉じて、白河くんを思い浮かべた。彼の顔、声、助け起こしてくれた時握った彼の手の感触。
「プレゼントに乗せて伝えたかったまよの気持ちはどんなだったかな」
 パパの静かな低い声が聞こえる。私の気持ち。まだ「好き」と呼ぶにはあやふやな、くすぐったいような気持ち。彼のことをもっと知りたい、私のことをもっと知ってほしい、そんな気持ち。
「ゆっくり目を開けてごらん」
 まぶたを上げると、目の前にパパがいる。父親の目の前で気になる男の子のことを考えていたことが気恥ずかしくて、私ははにかんだ。鼻の頭でも掻こうとして、掌にかたつむりを乗せていたことを思い出し、ふと見やるとそこには一枚のクッキーがあった。
「あれ?」
「ほら、ね。愛情さえあればレシピなんて要らないんだよ」
 そうなのか。愛情さえあれば生のかたつむりからクッキーを作ることもできるのか。
 え、そうなのか? 火さえ通さずに? いやいや火を通してすら不可能なのでは?
 混乱する私にパパは穏やかに微笑むと、私の掌から元かたつむりのクッキーをつまみ取り、テーブルにティッシュを敷いた上へそっと置いた。そしてまたカゴからかたつむりを取り出して、私の手に乗せる。
「目を閉じて」
 思わず目を閉じたが、先程のように白河くんを想うどころではない。頭の中でクエスチョンマークがかたつむりの殻のようにぐるぐると渦を巻いている。
「まよ、集中して。はい、息を大きく吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー」
 パパの声音が深く、体の芯に響くように鼓膜から染み込んでくる。私の体から緊張が抜けて弛緩していくような不思議な感覚だ。
「はい、愛情込めてー」
 私は大きく息を吐きながら、愛情を込めた。非常に精神的な働きなのでその動作を具体的に描写することは難しいが、とにかく「愛情を込める」をした。
「ゆっくり目を開けて」
 目を開ける。パパがいる。かたつむりはいない。クッキーがある。
 パパはクッキーを再びテーブルに置いて、カゴからさらにかたつむりを取り出す。そもそもなんでそんなに大量にかたつむりを収穫してきたのだろう。
「よし、次行こう」
 もうここまで来たら行くところまで行くしかない。私は半ばヤケクソになって、愛情を込めまくった。一ダースほどのかたつむりと幾ばくかのカロリーがいずこかへと消え失せ、代わりに私の手元には可愛くラッピングされた一袋のクッキーが残された。
「おめでとう。がんばったね、まよ」
「ありがとう、パパ!」
「白河くんが喜んでくれるといいね」
「うん!」
 紆余曲折はあったものの、とにかく当初の目的であったクッキーの製作は無事終えられたわけだから、考えてみれば特に何の問題もない。トラブルを乗り越えただけ達成感も大きく、私は晴れやかな気持ちだった。明日白河くんにプレゼントを渡せるのが楽しみだ。
「お腹が空いただろう? すぐご飯を作るからね」
「私もお手伝いするよ」
「珍しいな、ありがたいよ」
 手伝うと申し出たものの、大したことができるわけでもない。パパに教えてもらいながら簡単な行程をいくらかやらせてもらった。その傍らまさかと思い色々監視していたが、パパは普通の食材を普通に調理して見事な夕食を完成させた。良かった、私のご飯は全てかたつむりを原材料として作られてきたわけではなかった。
「ちゃんと愛情込めたの?」
「もちろん、いつだってパパの料理は愛情たっぷりだよ」
 つまり、愛情を込めてクッキーの生地からクッキーを作ることもできるし、愛情を込めてかたつむりからクッキーを作ることもできるのだろう。そこにあるのは、愛情込めの難易度の違いなのだと思われる。なるべく自然な行程を経て完成させる方が、愛情に無理がなくて済むという理屈だ。裏を返せば、かたつむりとクッキーの間の随分と大きいように思われる隔たりを、見事克服してみせた私の愛情はなかなか大したものなのではなかろうか。それだけの想いに彩られたクッキーだ、自信を持って白河くんにプレゼントできる。
 なんとか自分を納得させ得るだけの理論を構築し、私は安心してパパとの食卓につきディナーを楽しんだ。パパの料理はいつだって絶品だ。もちろん、パパの料理が美味しいのは深い愛情の賜物であるのに違いなかった。

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