113 / 220
【宝石少年と2つの国】
彼なりの答え
しおりを挟む
舞踏会が終わって直後の事。ルルは、ルービィからの言葉に呆然としていた。再び賑わう舞台上の中、立ち止まっているのは彼だけだろう。どのくらいそうしていたか分からない。すると誰かに肩を叩かれ、過剰に体を跳ねさせた。
「おい、大丈夫かルル? こんなど真ん中で、何してるんだよ」
ベリルは振り返った不安定に色を変える虹の目に、訝しそうに首をかしげる。皆舞踏会を終えて表情は晴れ晴れとしているのに。何か失敗でもしたのだろうか。
「どうした、舞踏会楽しくなかったのか?」
大きな垂れ目を半分ほど伏せて、ルルはただ頭を振る。それでも不安げなのは相変わらずだった。今日はハメを外せる宴の日。そして国に大きく貢献したのに、こんな沈んだ顔をしてほしくない。
ベリルはルルの手を取って、人々の流れとは真逆の方向へ歩き出した。
「行くぞ、あそこ」
『どこ?』
宴の音が遠退いていく。腰に腕を回せと言われ、ギュッと彼にしがみ付いた。ベリルは腰のホルダーからワイヤーを取り出すと、それを遠くにある木の枝へ投げる。
ルルは飛び降りた浮遊間に、既視感を覚えた。やがて目的地を理解する頃には、足が複雑に絡んだ枝に降り立つ。
「到着」
『……鳳凰の巣?』
「おう。何か食ったか?」
『ううん』
「手、出してみろ」
ベリルはゴソゴソと懐を漁り、小さく折り畳んだ紙袋を取り出した。差し出された薄青い両手へ逆さにすると、カラフルな玉が数個落ちた。星の影と呼ばれるこれは、砂糖と蜜を混ぜた甘い菓子だ。キラキラとした見た目と蜜の違いで様々な味を楽しめる。だが親しみがあると言うには少し難しい値段で、子供の頃には憧れるものだ。
ルルは一粒指で拾い、月の輝く空へかざす。月光が星の影を通し、蓄えた光がその身を覗く虹の瞳に落ちる。弾けるような輝きに、今はノイスでは何より暗いここが眩しく思えた。
互いに一粒ずつ放り、しばらく口の中で転がしながら国を眺める。国民全員が女神像が佇む土地に集まっているからか、住宅街や繁華街に明かりが無い。そのため暗くなっている二つの地区は、月光によって淡い光をまとっていた。金属の皮をかぶった一軒一軒の建物が灯りを反射し、遠いここからは星のように見える。
「楽しかったか? ノイス」
『うん。ベリルたちと会えたから……とっても、楽しかった』
ベリルは得意げに笑うと、ルルの頭をクシャクシャと掻き回すように撫でた。そしてくすぐったそうにする彼を見ると、少し顔を逸らしてボソリと呟く。
「俺も、お前と会えて、楽しかったよ」
言った直後やはり恥ずかしくなり、ベリルはルルの頭にフードを無理やりかぶせる。押さえつけるように頭を撫でながら、フードの下で笑うような音が聞こえた。
ルルはフードを取りながら、静かに地上の星を見つめた。
『……ねえ、好きって何?』
「アバウトだな」
好きにも様々な種類がある。ルルはそう言うと、少し困ったように膝を抱えた。藪から棒な問いに、ベリルはルービィと何かあったのだと察しがついた。さらには告白をされたのだろうと予想できる。試しに尋ねてみれば、やはり彼は頷いた。
「嫌だったのか?」
『……ううん。ただ、分からないの』
「何が?」
『僕の感情、言葉が……考えれば考えるほど、ボヤけるんだ。今まで、いろんな人を、大好きに、なってきた。それは、分かるのに』
「ルービィが言った好きの意味は、分かるのか?」
『うん、本で読んだ。僕も……彼女には、友達として……とは違うって、分かる。でも』
意外だとベリルは思った。彼は感情に素直で忠実だ。分からないと言いつつもそこまで感情がハッキリしているのに、どうして言葉にならないのだろう。たとえ頭を抱えるほど鈍感であっても、ここまでくれば嫌でも理解するはずだ。
頭に響く声は苦しげで、まるで泣いてしまいそうだった。ルルは息苦しそうに胸元を握りしめ、目元をしかめる。すると歪んだ宝石の瞳に、僅かに暗い色が混ざったのをベリルは見た。彼が悩み続けると、更に汚い色は増える。その時ふと、脳裏に父親が言っていた王についての言葉が、フラッシュバックする。
「あ……そうか、お前は」
『? 僕は、何?』
不思議そうにするルルに、ベリルは答えられずにいた。そうだ、彼があまりにも感情豊かだったから忘れていた。本来の王の姿を。彼らが感情を持たないという事を。
王は全ての生き物から信頼され、愛される。しかしその信頼を、王は決して受け取らない。理解もしない。誰かと親しくなったり嫌ったりする事は、全てを等しく見て裁かなければいけない王には、あってはいけない感情なのだ。
そして純粋でなければいけない彼らにとって、恋や愛などと言った感情は汚れるものでしかない。それでもルルは、理解しようとしている。理解しかけている。しかし彼の体は、王としての本能が理解する事を拒絶している。そのせいで虹の目に汚れが見えたのだ。
ルルが恋を理解するのは不可能だ。心を持つ彼にとって、なんて理不尽な命(めい)なのか。しかもそれは、天が与える覆してはならないもの。
「言われて、想われて、嫌だったか?」
『……ううん、嫌じゃない』
「じゃあ、もし俺からそういうふうに見られてら?」
ルルはキョトンとすると、しばらく遠くを見つめた。不思議と考えるまでもなく、嫌だと答えが出た。だって彼とは友達で、兄弟だ。それ以外には見れない。見られたくない。もしそうだったら嫌悪すら感じるだろう。考えてみる。もし他の女性からそういった好意を向けられたらどう思うのか。不思議と答えがすぐに出た。
ルルはベリルに応えるよりも前に立ち上がる。
『行かなきゃ』
心が急きたてる。見出せない言葉ばかりを追っていたって意味が無い。ルービィは彼女なりの表現で想いを伝えてくれた。きっと不確かで頼りない言葉になってしまうだろう。それでも、1秒でもはやく彼女へ言葉として伝えよう。旅立ちの時はもう迫っているのだから。
ベリルはルルの表情から迷いが晴れたのが見え、ニッと笑うと立ち上がる。
「よし、行きたい場所まで送るぞ」
ルルはスッと立ち上がった。その瞳から汚れはすっかり消え去り、どこまでもまっすぐ前だけを見つめていた。表情から迷いの霧が晴れたのはよく分かった。
「行くか」
『うん。ありがとう、ベリル』
「頼りがいある兄貴だろ?」
ニヤッと得意げに笑った彼に、ルルはおかしそうに目を細めて頷いた。
ワイヤーが枝を自我を持っているかのように伝って進んでいく。ノイスには7日間しか居ないのに、この振り子のような感覚には慣れてしまった。もうあと何回体験できるだろうか。もしかしたら最後かもしれない。
「着いたぞ」
2人が降りたのは、クァイット家の敷居内。玄関前から薔薇の良い香りがする。ベリルが送ると言ってくれたため、言葉に甘えたのだ。
ルルは、暗闇でも不思議と目立つ金の目をジーッと見つめる。別れを告げようとした彼にギュッと抱きついた。抱擁する腕には、なんだかいつもよりも力がこもっているように感じた。
「なんだよ甘えん坊」
『今日が終わったら、国を立つよ』
からかいながらも背中を優しく摩っていた手が、ピタリと止まる。アダマスの件や宴やらで、彼が旅人である事をすっかり忘れていた。世界で唯一の色彩を持つ虹の瞳に自分の姿が映る。色とりどりに流れ続ける中、目が合う数秒間は黄金色が強く混ざった。もう二度と混ざらないかもしれない色だ。それでもベリルは満足そうな笑みを浮かべ、ルルの頭にポンと手を置く。
「未練残すなよ?」
寂しさを見せるどころか、彼は意地悪そうに笑う。ルルは驚いたように目をパチクリさせたが、すぐ微かに口角を上げて意気込むように強く頷いて見せた。
「またな」
『うん。送ってくれて、ありがとう』
ベリルはいつも通り、ワイヤーを遠くの枝に巻き付けて去って行った。ルルは少しの間名残惜しそうに、誰も居なくなった木々の間を見つめる。目を閉じ、深く、深く呼吸をした。吸いすぎたのか、体が余分な空気を咳で吐き出させた。
鳴らない喉を鳴らす真似をし、意を決するように館に振り返った。一歩門に入れば、たちまち薔薇の香りが包んでくる。意識せず、指先が彼女の顔の輪郭を脳裏に浮かばせた。きっと今後香りを感じれば、脳裏を綺麗な微笑みが描くだろう。悪い気はしない。
館の庭は迷路のようだが、毎日過ごせば短い期間でも覚えられるものだ。ルルは薔薇たちが足元を見守る中、館の扉を通り過ぎた。そのまま壁を伝うようにして裏庭へ周り、更にまっすぐ突き進む。一本の道を開ける木に括られた月型の照明が、彼の後ろを追うようにボンヤリと灯った。
辿り着いたのは、ルービィが愛してやまない箱庭。扉に触れると、何の抵抗も無く開いた。鍵として扉を飾る国石がまだムーンストーンだから、機能していないのだ。
(1人で来るのは、初めてかも)
いつもは彼女と一緒に入るから新鮮だ。気のせいだろうが、植物たちも主人の姿が隣に居ない事に、不思議がっているように思える。
静かに水を流す噴水前のベンチに腰かける。初めてここに訪れた時以来、ルルの定位置となっていた。
じっと、扉が開くのを待った。館に来る前に、ルービィにここへ来てくれるよう頼んだのだ。彼女は頷いてくれたが、少し戸惑っていたように感じた。
(未練は、残さない)
やり残して、この14日間を悲しい記憶にしたくない。彼女たちとの記憶は波乱があれど、美しいものだから。
もうすぐで月が太陽の明るさに消えていくだろう。その前に、旅立つ前に彼女が来てくれるのをただ祈った。
キィと、小さな鳴き声のような音がした。扉が開かれたのだ。
「──ルル」
小さく声が聞こえた。心構えしていたと言うのに、ルルは心臓がギュッと小さくなったような痛みを感じた。それを逃すように、背筋を正す。普段落ち着いている心臓がこんなふうになるのはきっと、名を呼んだルービィの声が緊張に震えているからだろう。閉鎖的な小屋は比較的響きやすいのに、ほとんど反響しなかった。
ルルは感染した緊張を悟られないよう、目を細めて笑う真似をした。じゃないと、まともに会話ができなさそうだから。
『来てくれて、ありがとう』
促すように、手を差し伸べる。ルービィは迷うように目を左右に揺らし、深呼吸するとゆっくり歩み寄り、隣に腰を下ろした。
沈黙が流れる。たった数秒でも、いつもと違う空気感での静かな時間は、異常に長く思えてしまう。ドレスの裾を巻き込んで握る拳が汗ばむ。
『僕は貴女が大切だ』
「!」
『出会って、お喋りして……大切な人ができたと、嬉しかった。でもそれは、他の友達と、同じ大切だと、思ってた』
思い出すのは、舞踏会に誘われたあの夜。無意識に友達とルービィを分けて考えていたと気付いた日。2年以上の旅で、計り知れないほど多くの人と出会い、たくさんの感情で手を取り合った。そんな中で、彼女だけはポツンと1人、分けている。
友愛ではない。家族のような愛でもない。それでも、本に書かれるような性的欲求などは全く感じない。
『でも、それ、でも』
「ルル……?」
言葉が半端な所で止まる。最後に聞こえた音は苦しげで、ルービィは心配そうに顔を覗いた。そして瞳に濁りを見て、シェーンの言葉を嫌でも実感する。考えれば考えるほど、その身を、奇跡的に作られた心を蝕んでいくのだ。
ルービィはルルの手に自分のを重ねた。答えなどもう要らないと思うほど、こちらの胸も痛い。彼は気付くと目を合わせ、そっと頬に指を滑らせる。
『…………それでも、友達とは、やっぱり違うんだ』
「ルル、ごめんなさい、私」
『僕なりに、考えたんだ。もし、他の親しい女性(ひと)から、同じ感情を、貰ったら……どうかって。そうしたら』
腹の辺りがグルグルする。静かにゆっくりと、汚れた何かに体の奥が侵食されていくのがよく分かった。感覚があるのに、まるで他人の体のようだ。そんな状況下で、ルルは言葉を詰まらせないよう、必死に頭の中で綴り続けた。自分の感情を言葉にする事くらい、邪魔をしないでくれ。
『──嬉しくない。貴女からの言葉は、胸を暖かくするのに、他の人だとむしろ、嫌だと分かるの』
ルービィは言葉の意味を理解して、鮮やかなピンクの瞳を大きく見開いた。感情を理解できない。受け取れない。それでもその言葉が出るのはつまり、自分からの好意は嬉しいという感情に近いと言う事だ。これが彼の答え。穢れに侵されながらも、必死に、自分だけの感情を言葉にしてくれた。
拒否でも肯定でもない。だが充分だ。充分、彼の感情は伝わった。
しかしルルはハッキリとしなかったのが不満なようだった。ムッとした、泣くのを堪えるような顔をして俯く。
『……これが、精一杯なの。ごめんね、ルービィはハッキリ、答えを出したのに。望む事を、したいのに、できない』
薄く開かれた瞳に、ドロリと汚れた色が流れる。伝えなければ。充分だという事を。今度は言葉ではなく、行動で。
ルービィはルルの顔を胸元に寄せ、そっと抱きしめた。驚いたのか、僅かに身動ぐ。
『ルービィ──』
「ありがとう」
「?」
「貴方の考えた答えが聞けて、本当に嬉しいわ。好きよ、ルル。私の感情を受け止めてくれて、ありがとう」
鉱石の耳を通し、トクントクンと、何か脈打つのが聞こえる。その柔らかな音は彼女の鼓動。それはルルの心臓の音と溶けるように重なった。二つは速さも大きさも違うというのに。しかし確かに合わさった鼓動は、眠気を誘うような安心感を与えた。こんなに安心するのは、きっと彼女だからだと、ルルは何故か確信できた。
オリクトの民は人間よりも体温が低い。加えてルービィは体温が高いのか、とても暖かかった。離れるのが恋しく、ルルは思わずせがむように、彼女の背中に腕を回す。目の濁りは、いつの間にか姿を消していた。
「おい、大丈夫かルル? こんなど真ん中で、何してるんだよ」
ベリルは振り返った不安定に色を変える虹の目に、訝しそうに首をかしげる。皆舞踏会を終えて表情は晴れ晴れとしているのに。何か失敗でもしたのだろうか。
「どうした、舞踏会楽しくなかったのか?」
大きな垂れ目を半分ほど伏せて、ルルはただ頭を振る。それでも不安げなのは相変わらずだった。今日はハメを外せる宴の日。そして国に大きく貢献したのに、こんな沈んだ顔をしてほしくない。
ベリルはルルの手を取って、人々の流れとは真逆の方向へ歩き出した。
「行くぞ、あそこ」
『どこ?』
宴の音が遠退いていく。腰に腕を回せと言われ、ギュッと彼にしがみ付いた。ベリルは腰のホルダーからワイヤーを取り出すと、それを遠くにある木の枝へ投げる。
ルルは飛び降りた浮遊間に、既視感を覚えた。やがて目的地を理解する頃には、足が複雑に絡んだ枝に降り立つ。
「到着」
『……鳳凰の巣?』
「おう。何か食ったか?」
『ううん』
「手、出してみろ」
ベリルはゴソゴソと懐を漁り、小さく折り畳んだ紙袋を取り出した。差し出された薄青い両手へ逆さにすると、カラフルな玉が数個落ちた。星の影と呼ばれるこれは、砂糖と蜜を混ぜた甘い菓子だ。キラキラとした見た目と蜜の違いで様々な味を楽しめる。だが親しみがあると言うには少し難しい値段で、子供の頃には憧れるものだ。
ルルは一粒指で拾い、月の輝く空へかざす。月光が星の影を通し、蓄えた光がその身を覗く虹の瞳に落ちる。弾けるような輝きに、今はノイスでは何より暗いここが眩しく思えた。
互いに一粒ずつ放り、しばらく口の中で転がしながら国を眺める。国民全員が女神像が佇む土地に集まっているからか、住宅街や繁華街に明かりが無い。そのため暗くなっている二つの地区は、月光によって淡い光をまとっていた。金属の皮をかぶった一軒一軒の建物が灯りを反射し、遠いここからは星のように見える。
「楽しかったか? ノイス」
『うん。ベリルたちと会えたから……とっても、楽しかった』
ベリルは得意げに笑うと、ルルの頭をクシャクシャと掻き回すように撫でた。そしてくすぐったそうにする彼を見ると、少し顔を逸らしてボソリと呟く。
「俺も、お前と会えて、楽しかったよ」
言った直後やはり恥ずかしくなり、ベリルはルルの頭にフードを無理やりかぶせる。押さえつけるように頭を撫でながら、フードの下で笑うような音が聞こえた。
ルルはフードを取りながら、静かに地上の星を見つめた。
『……ねえ、好きって何?』
「アバウトだな」
好きにも様々な種類がある。ルルはそう言うと、少し困ったように膝を抱えた。藪から棒な問いに、ベリルはルービィと何かあったのだと察しがついた。さらには告白をされたのだろうと予想できる。試しに尋ねてみれば、やはり彼は頷いた。
「嫌だったのか?」
『……ううん。ただ、分からないの』
「何が?」
『僕の感情、言葉が……考えれば考えるほど、ボヤけるんだ。今まで、いろんな人を、大好きに、なってきた。それは、分かるのに』
「ルービィが言った好きの意味は、分かるのか?」
『うん、本で読んだ。僕も……彼女には、友達として……とは違うって、分かる。でも』
意外だとベリルは思った。彼は感情に素直で忠実だ。分からないと言いつつもそこまで感情がハッキリしているのに、どうして言葉にならないのだろう。たとえ頭を抱えるほど鈍感であっても、ここまでくれば嫌でも理解するはずだ。
頭に響く声は苦しげで、まるで泣いてしまいそうだった。ルルは息苦しそうに胸元を握りしめ、目元をしかめる。すると歪んだ宝石の瞳に、僅かに暗い色が混ざったのをベリルは見た。彼が悩み続けると、更に汚い色は増える。その時ふと、脳裏に父親が言っていた王についての言葉が、フラッシュバックする。
「あ……そうか、お前は」
『? 僕は、何?』
不思議そうにするルルに、ベリルは答えられずにいた。そうだ、彼があまりにも感情豊かだったから忘れていた。本来の王の姿を。彼らが感情を持たないという事を。
王は全ての生き物から信頼され、愛される。しかしその信頼を、王は決して受け取らない。理解もしない。誰かと親しくなったり嫌ったりする事は、全てを等しく見て裁かなければいけない王には、あってはいけない感情なのだ。
そして純粋でなければいけない彼らにとって、恋や愛などと言った感情は汚れるものでしかない。それでもルルは、理解しようとしている。理解しかけている。しかし彼の体は、王としての本能が理解する事を拒絶している。そのせいで虹の目に汚れが見えたのだ。
ルルが恋を理解するのは不可能だ。心を持つ彼にとって、なんて理不尽な命(めい)なのか。しかもそれは、天が与える覆してはならないもの。
「言われて、想われて、嫌だったか?」
『……ううん、嫌じゃない』
「じゃあ、もし俺からそういうふうに見られてら?」
ルルはキョトンとすると、しばらく遠くを見つめた。不思議と考えるまでもなく、嫌だと答えが出た。だって彼とは友達で、兄弟だ。それ以外には見れない。見られたくない。もしそうだったら嫌悪すら感じるだろう。考えてみる。もし他の女性からそういった好意を向けられたらどう思うのか。不思議と答えがすぐに出た。
ルルはベリルに応えるよりも前に立ち上がる。
『行かなきゃ』
心が急きたてる。見出せない言葉ばかりを追っていたって意味が無い。ルービィは彼女なりの表現で想いを伝えてくれた。きっと不確かで頼りない言葉になってしまうだろう。それでも、1秒でもはやく彼女へ言葉として伝えよう。旅立ちの時はもう迫っているのだから。
ベリルはルルの表情から迷いが晴れたのが見え、ニッと笑うと立ち上がる。
「よし、行きたい場所まで送るぞ」
ルルはスッと立ち上がった。その瞳から汚れはすっかり消え去り、どこまでもまっすぐ前だけを見つめていた。表情から迷いの霧が晴れたのはよく分かった。
「行くか」
『うん。ありがとう、ベリル』
「頼りがいある兄貴だろ?」
ニヤッと得意げに笑った彼に、ルルはおかしそうに目を細めて頷いた。
ワイヤーが枝を自我を持っているかのように伝って進んでいく。ノイスには7日間しか居ないのに、この振り子のような感覚には慣れてしまった。もうあと何回体験できるだろうか。もしかしたら最後かもしれない。
「着いたぞ」
2人が降りたのは、クァイット家の敷居内。玄関前から薔薇の良い香りがする。ベリルが送ると言ってくれたため、言葉に甘えたのだ。
ルルは、暗闇でも不思議と目立つ金の目をジーッと見つめる。別れを告げようとした彼にギュッと抱きついた。抱擁する腕には、なんだかいつもよりも力がこもっているように感じた。
「なんだよ甘えん坊」
『今日が終わったら、国を立つよ』
からかいながらも背中を優しく摩っていた手が、ピタリと止まる。アダマスの件や宴やらで、彼が旅人である事をすっかり忘れていた。世界で唯一の色彩を持つ虹の瞳に自分の姿が映る。色とりどりに流れ続ける中、目が合う数秒間は黄金色が強く混ざった。もう二度と混ざらないかもしれない色だ。それでもベリルは満足そうな笑みを浮かべ、ルルの頭にポンと手を置く。
「未練残すなよ?」
寂しさを見せるどころか、彼は意地悪そうに笑う。ルルは驚いたように目をパチクリさせたが、すぐ微かに口角を上げて意気込むように強く頷いて見せた。
「またな」
『うん。送ってくれて、ありがとう』
ベリルはいつも通り、ワイヤーを遠くの枝に巻き付けて去って行った。ルルは少しの間名残惜しそうに、誰も居なくなった木々の間を見つめる。目を閉じ、深く、深く呼吸をした。吸いすぎたのか、体が余分な空気を咳で吐き出させた。
鳴らない喉を鳴らす真似をし、意を決するように館に振り返った。一歩門に入れば、たちまち薔薇の香りが包んでくる。意識せず、指先が彼女の顔の輪郭を脳裏に浮かばせた。きっと今後香りを感じれば、脳裏を綺麗な微笑みが描くだろう。悪い気はしない。
館の庭は迷路のようだが、毎日過ごせば短い期間でも覚えられるものだ。ルルは薔薇たちが足元を見守る中、館の扉を通り過ぎた。そのまま壁を伝うようにして裏庭へ周り、更にまっすぐ突き進む。一本の道を開ける木に括られた月型の照明が、彼の後ろを追うようにボンヤリと灯った。
辿り着いたのは、ルービィが愛してやまない箱庭。扉に触れると、何の抵抗も無く開いた。鍵として扉を飾る国石がまだムーンストーンだから、機能していないのだ。
(1人で来るのは、初めてかも)
いつもは彼女と一緒に入るから新鮮だ。気のせいだろうが、植物たちも主人の姿が隣に居ない事に、不思議がっているように思える。
静かに水を流す噴水前のベンチに腰かける。初めてここに訪れた時以来、ルルの定位置となっていた。
じっと、扉が開くのを待った。館に来る前に、ルービィにここへ来てくれるよう頼んだのだ。彼女は頷いてくれたが、少し戸惑っていたように感じた。
(未練は、残さない)
やり残して、この14日間を悲しい記憶にしたくない。彼女たちとの記憶は波乱があれど、美しいものだから。
もうすぐで月が太陽の明るさに消えていくだろう。その前に、旅立つ前に彼女が来てくれるのをただ祈った。
キィと、小さな鳴き声のような音がした。扉が開かれたのだ。
「──ルル」
小さく声が聞こえた。心構えしていたと言うのに、ルルは心臓がギュッと小さくなったような痛みを感じた。それを逃すように、背筋を正す。普段落ち着いている心臓がこんなふうになるのはきっと、名を呼んだルービィの声が緊張に震えているからだろう。閉鎖的な小屋は比較的響きやすいのに、ほとんど反響しなかった。
ルルは感染した緊張を悟られないよう、目を細めて笑う真似をした。じゃないと、まともに会話ができなさそうだから。
『来てくれて、ありがとう』
促すように、手を差し伸べる。ルービィは迷うように目を左右に揺らし、深呼吸するとゆっくり歩み寄り、隣に腰を下ろした。
沈黙が流れる。たった数秒でも、いつもと違う空気感での静かな時間は、異常に長く思えてしまう。ドレスの裾を巻き込んで握る拳が汗ばむ。
『僕は貴女が大切だ』
「!」
『出会って、お喋りして……大切な人ができたと、嬉しかった。でもそれは、他の友達と、同じ大切だと、思ってた』
思い出すのは、舞踏会に誘われたあの夜。無意識に友達とルービィを分けて考えていたと気付いた日。2年以上の旅で、計り知れないほど多くの人と出会い、たくさんの感情で手を取り合った。そんな中で、彼女だけはポツンと1人、分けている。
友愛ではない。家族のような愛でもない。それでも、本に書かれるような性的欲求などは全く感じない。
『でも、それ、でも』
「ルル……?」
言葉が半端な所で止まる。最後に聞こえた音は苦しげで、ルービィは心配そうに顔を覗いた。そして瞳に濁りを見て、シェーンの言葉を嫌でも実感する。考えれば考えるほど、その身を、奇跡的に作られた心を蝕んでいくのだ。
ルービィはルルの手に自分のを重ねた。答えなどもう要らないと思うほど、こちらの胸も痛い。彼は気付くと目を合わせ、そっと頬に指を滑らせる。
『…………それでも、友達とは、やっぱり違うんだ』
「ルル、ごめんなさい、私」
『僕なりに、考えたんだ。もし、他の親しい女性(ひと)から、同じ感情を、貰ったら……どうかって。そうしたら』
腹の辺りがグルグルする。静かにゆっくりと、汚れた何かに体の奥が侵食されていくのがよく分かった。感覚があるのに、まるで他人の体のようだ。そんな状況下で、ルルは言葉を詰まらせないよう、必死に頭の中で綴り続けた。自分の感情を言葉にする事くらい、邪魔をしないでくれ。
『──嬉しくない。貴女からの言葉は、胸を暖かくするのに、他の人だとむしろ、嫌だと分かるの』
ルービィは言葉の意味を理解して、鮮やかなピンクの瞳を大きく見開いた。感情を理解できない。受け取れない。それでもその言葉が出るのはつまり、自分からの好意は嬉しいという感情に近いと言う事だ。これが彼の答え。穢れに侵されながらも、必死に、自分だけの感情を言葉にしてくれた。
拒否でも肯定でもない。だが充分だ。充分、彼の感情は伝わった。
しかしルルはハッキリとしなかったのが不満なようだった。ムッとした、泣くのを堪えるような顔をして俯く。
『……これが、精一杯なの。ごめんね、ルービィはハッキリ、答えを出したのに。望む事を、したいのに、できない』
薄く開かれた瞳に、ドロリと汚れた色が流れる。伝えなければ。充分だという事を。今度は言葉ではなく、行動で。
ルービィはルルの顔を胸元に寄せ、そっと抱きしめた。驚いたのか、僅かに身動ぐ。
『ルービィ──』
「ありがとう」
「?」
「貴方の考えた答えが聞けて、本当に嬉しいわ。好きよ、ルル。私の感情を受け止めてくれて、ありがとう」
鉱石の耳を通し、トクントクンと、何か脈打つのが聞こえる。その柔らかな音は彼女の鼓動。それはルルの心臓の音と溶けるように重なった。二つは速さも大きさも違うというのに。しかし確かに合わさった鼓動は、眠気を誘うような安心感を与えた。こんなに安心するのは、きっと彼女だからだと、ルルは何故か確信できた。
オリクトの民は人間よりも体温が低い。加えてルービィは体温が高いのか、とても暖かかった。離れるのが恋しく、ルルは思わずせがむように、彼女の背中に腕を回す。目の濁りは、いつの間にか姿を消していた。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。
國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。
声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。
愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。
古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。
よくある感じのざまぁ物語です。
ふんわり設定。ゆるーくお読みください。
笑い方を忘れた令嬢
Blue
恋愛
お母様が天国へと旅立ってから10年の月日が流れた。大好きなお父様と二人で過ごす日々に突然終止符が打たれる。突然やって来た新しい家族。病で倒れてしまったお父様。私を嫌な目つきで見てくる伯父様。どうしたらいいの?誰か、助けて。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる