宝石少年の旅記録(29日更新)

小枝 唯

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【宝石少年と2つの国】

それぞれの門出

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 脳内はとても静かだった。ただ互いのぬくもりを記憶に刻むよう、言葉も交わさない。しかしそれを邪魔したのは、今まで大人しく息をひそめていた国宝の悲鳴。
 ルルは突然頭に響きだした音に、ビクッと肩を跳ねさせる。何度聞いても、やはり彼らが嘆く音は苦手だ。ルービィはそれに気付いたのか、そっと体を離す。

「どうしたの?」
『……国宝の音が、聞こえたの』

 それが何を意味するのか彼女も理解したようだった。しかしその瞳には、未練の色は一切見えない。ルルも未練というより、王の使命に邪魔をされたのが不満だったようだ。
 ルービィは凛と背筋を正し、向き合うと微笑む。

「貴方の旅路を祈っているわ。この国に来てくれてありがとう。そして、私と出会ってくれて、本当にありがとう」

 言葉の終わりと共に立ち上がり、手を差し伸べた。ルルは頬を緩めて目を細めると、手を取って腰を上げ、そっと両手で包む。

『僕の方こそ。出会ってくれて、ありがとう。そして──』

 ノイスでの時間は、旅してきた2年という月日の中では、比較的短い。しかし日数の少なさを疑うほど充実した記憶が心に刻まれた。この記憶は、旅路を明るく照らす思い出となってくれる。

『僕を、想ってくれて、ありがとう』

 ルービィはその言葉に目を丸くし、思わず涙を溜める。最後の最後まで、彼はずるい人だ。彼女は小さく「もう」と仕方なさそうに呟く。少しの間、じっと二人の視線が合わさる。すると、ルービィの顔がルルへ近づいた。
 ルルは突然の柔らかな感触にポカンとし、そこを指で触る。そこは唇に触れたか触れていないか、一瞬では判断が難しい場所だった。ルービィはその顔に、してやったと笑みを浮かべる。それから無邪気に笑うと、いつも通り彼の手を取った。

「行きましょう?」

 彼女は楽しそうに走り出す。ルルは半ば足をもつれさせたが、その姿を眩しそうに見るように目を細める。そのまま手を離さず、ノイスの門へと向かった。

 空は太陽が登り始めて間も無く、所々にある雲をオレンジ色に染めていた。そんな光景を背に、門へたどり着いた彼らは目を瞬かせる。門を中心に道を開けるようにして人集りができていた。
 驚いているルルに、シェーンが申し訳なさそうな笑みで頭を下げた。

「申し訳ありません、ルル様。私がそろそろかと呟いたばかりに」

 旅路を再開するだろうという予想を、どこからか国民たちが聞きつけ、見送りに集まったのだ。しかし会場で呟けば、噂の回りが早いノイスではこうもなるかもしれない。

『ううん。みんな、ありがとう』

 こんなに大勢での見送りは初めてだったが、賑やかな旅立ちも悪くない。皆口々に感謝の言葉を呟き、見送ってくれた。その中には、ルービィと出会うきっかけとなった賞金稼ぎたちも居る。彼らは恐る恐るといった様子で前に出てきた。非礼を詫びたいらしいが、ルルは首を横に振る。

『覚えて、いないんでしょ?』
「なんでそれを……」

 ヘリオスで再会して勝負を仕掛けてきた時、彼は追われたと愚痴をこぼした事に対し、「何の事だ?」と言っていた。おそらくはアダマスの洗脳だろう。自分の粗を探るルービィを捉えるため、大々的に追えるよう、賞金をつけて追わせたのだと検討がつく。元より自分は一度しか追われていないため、怒りなど毛頭も無かった。

「ルル」
「ルルさん!」

 ルルを囲んだ周りはワイワイと人々の声で溢れていたが、その呼び声はハッキリと耳に入る。音を辿れば、やはり人混みにバッカスとトパズが紛れていた。

『2人とも、来てくれたんだ』
「もちろんです。バッカスから聞きました。あの晩、助けてくれてありがとうございます」
『ううん、無事で良かった。それに僕こそ、ありがとう。2人にはとっても、お世話になったよ』

 特にバッカスには感謝している。ノイスに来た初日、声をかけられなければ、まず国の情報を掴めなかっただろう。もし出会わなかった場合を考えると、その差は大きい。しかし感謝の意を込めて言うと、彼は相変わらず鼻を鳴らす。

「なら次は、高い酒を頼みに来い」
「もう、今日くらい素直になっていいんだよ?」
「思った事言っただけだ」

 バッカスは誰が見ても不機嫌そうな顔を逸らす。しかし長年共に居るトパズには、突かれた図星を隠そうとしているのがバレバレだった。

「……まあ、一杯ぐらいは奢ってやる」

 とても小さく、聞きこぼしそうな声で付け加えられた言葉に、2人は顔を合わせて笑った。

 一通り彼らの感謝を受け取り返し終えた頃には、もう朝焼けも済んでいた。ルルはキョロキョロと周囲を見渡す。誰かを探しているようだ。

「どうしたの?」
『ベリルが、居ないの』

 これを永遠の別れにする気は無いが、それでも会えないのは寂しさが残る。ルービィも手伝って、人混みを見渡す。しかし見えない。親しくしていた彼がまさか、見送りに訪れないなんて考えられなかった。
 ルルが肩を落とした時、空から人が降って来た。目の前に降り立ったのはベリルだった。彼は急いで来たのか、少し呼吸を乱している。ワイヤーを手元に戻すと、抱きついてきたルルに苦笑いした。

「悪い悪い、ギリギリだったな」
『んーん。ありがとう』
「元気でやれよ、兄弟」
『うん』

 ルルは充分に彼の鼓動を聞き、体温を堪能すると体を離す。ベリルは自分よりひと回りほど小さな手を握り、肩まで上げさせた。不思議そうにする彼に、拳を作らせてそこに自分の拳を当てた。

「じゃあな」

 ルルは離れた手とベリルを見比べ、唇の端を僅かに緩ませると再び拳をぶつけた。

 門の外へ14日ぶりに足を踏み出し、振り返る。コランとルービィ、シェーンが先頭に並び、静かに旅立ちを見守っていた。一歩、コランが代表するように前へ出て手を差し伸べる。

「ルル、この国へ来てくださり、本当にありがとうございました。貴方の旅路を、遠くから祈っています」
『こちらこそ、ありがとう。さようなら。また、会う時まで』

 言葉と共に、握り返した手を離した。彼は国に背を向けて歩き出す。その足取りは普段と何ら変わらないように見える。そんな小さくなりかけた背中に、ルービィが門から出る。

「ルル! 貴方の旅が、美しくある事を!」

 ルルは足を止めて振り返り、大きく手を振った。もう姿が遠くて、顔が見えない。それでもその顔はきっと、穏やかな微笑みを浮かべているだろう。


 背中が消えても、シェーンはいつまでも見つめていた。その瞳はどこか不安げで、旅立ちを見送る晴々とした今日には、あまり似合わない顔だった。その理由を唯一悟ったルービィは、隣に並んで微笑む。

「大丈夫よ、姉様。ルルは確かに歴代の王様と違う。でも、だからこそ罪人を正しく裁くわ。相手がたとえ、私やベリル……クーゥカラット様であったとしても。愛しているからこそ、相応しい罰を言い渡す。あの人は、そういう人よ」
「……そうかもしれないな」

 これまでと異なるというものには、不安はやはり付きまとう。愛を知っている世界の王。知っているからこそ、彼にしか言い渡せない正しい罰があるのかもしれない。


 見送りを終えた民たちは、ここ数日の思い出語りをしながら、それぞれの地区へと帰っていく。人集りが散り散りになっていく中、ヴィリロスが残った。

「コラン、今後について話がしたい」
「ええ、私もですヴィリロス」
「まずは五大柱を決めよう。3人席が空く」
「彼らを下ろすのですか?」
「当然だ。彼らはノイスの柱には相応しくない。なにせ、コソコソと他人の物を盗る癖があるからな。仲間を被害に合わせる者たちは、必要ない」

 その言葉に、机に入れていたはずの薬が無かった日の事が思い出される。特にあの3人には嫌われている自覚はあったが、まさかあれが無くなったのは、彼らの懐にあったからか。それが分かると、ヴィリロスが言った「厳重にしまっておけ」という言葉が理解できる。まさかと思って視線を送ると、彼は目を閉じて肯定を示した。

「ありがとう、ヴィリロス」
「……仲間として当然だろう。次からは気をつけろ。貴方は狙われやすい」
「ふふ、ええ」
「何が可笑しい?」
「いえ、貴方に嫌われていると思っていたから。嬉しいんです」

 少年のようにあどけなく笑う彼に、ヴィリロスはあっけに取られていた。まさか嫌っていると思われているだなんて、想像していなかったのだ。むしろ同じ柱として尊敬しているというのに。しかし伝わらなかったのは彼が鈍感なだけではなく、自分にも間違いなく非がある。表情を変えるのは得意ではないのだ。

「……貴方を嫌ってなどいない」
「本当ですか? 私も、貴方と友になりたい。太陽と月が合わさる、いいキッカケにもなるでしょう」

 含みを持たせた言葉にヴィリロスは首をかしげる。

「我々は再び一つになるべきだと、思いませんか?」

 意図を理解し、氷のような鋭い目を驚きに丸くすると、コランは変わらない微笑みを向けた。

「見ましたか? 先程の民たちの姿を。中にはすでに、太陽と月同士も居ました。そんな彼らが、人目を気にして会わなければならないなんて、おかしな話だと思いませんか。何故、友に会うのに許可がいるのでしょう?」

 促されるように視線が民たちへ向く。驚いた。集まった数十人が、地区に関係なく友人として顔を合わせているじゃないか。地区に幅からない交流は少なからずあると思っていたが、こんなに大勢だったとは知らなかった。
 皆、嫌っているフリをしているのだ。数百も前に他人が決めたルールを守るためだけに。そこに何の意味があるのか。もう我々は争っていないのに。

「どうでしょう? 私は変えたい。彼らが何も気にせず、共に肩を並べて歩ける未来へ」

 コランは手を差し伸べる。ヴィリロスは何も言わない。それでも彼が手を取るのに、時間はかからなかった。

「変わるな、この国は」

 やりとりをさりげなく聞いていたベリルは、独り言のようにルービィへ呟く。彼女は静かに頷いた。

「ええ。時間はかかるけれど、それでも、いい方向に。あ、それにしても、どうしてこんな大事な日に遅刻なんてするの?」

 忘れてくれていると思っていた遅刻の件に、ベリルは小さく両手を上げて降参を訴える。

「準備に手間取ったんだよ、悪かったって」
「一体何の準備?」
「旅に出る準備」
「えっ?」
「俺さ、次の満月の時には、旅に出るよ」

 彼の計画は、今に始まったものではない。ドラゴンが自由に飛び立つ空を見たあの日からだ。世界に散らばっていたはずの1匹が飛ぶ、脳裏に焼き付いたあの勇ましい姿。それを見た日から、もう、居ても立っても居られなくなった。
 国の中だけでは見られないもので世界は溢れている。それはみんな分かっている。それでもそれだけでは、危険の方が身を引いてしまうからだ。しかしあんな、心臓を震わせるような光景を見てしまえば、旅の危険なんてどうでも良くなる。そんな生への本能は、はちきれんばかりに膨らんだ好奇心の前では役に立たなくなるものだ。
 本当はルルについて行こうかとも思ったが、彼とは目的が違うためやめた。

 ルービィは驚いた顔をしたが、すぐに微笑む。せっかく友達となった相手と別れるのは寂しいが、それよりも彼らの門出に立ち会える事が嬉しかった。

「お見送り、ちゃんとさせてね」
「おう」
「遅刻しちゃダメよ?」
「う……わ、分かってますよ」

 日はすっかり登り、朝食を求めて腹が音を立てる。屋台に食べに行こうと誘う彼の背中を追いながら、ルービィは壊れた女神像を見上げた。
 これから何もかも新しく変わる。それは恐ろしさをまとうはずなのに、心臓の鼓動を大きくするその理由の中に、不安は一切無いと言いきれる。そんな新たな日を迎える彼らの背中を、太陽の光に隠れた一等星が静かに見守っていた。
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