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【宝石少年と霧の国】
森の異変
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光すら届かない場所で、静かに鼓動する心臓。それは、神の手が来るのを今か今かと待っている。この森に、新たな命をと。静かな命の源が大きく震え、泣き叫んだ。すると、それを宥めるように、しなやかな腕が包み込む。
~ ** ~ ** ~
それまで誰も邪魔しなかった、無音の脳内。それを突然、つんざく叫びが震わせた。ルルは痛みすら感じる鋭い音に飛び起きる。深く眠っていたせいか、心臓が強く胸を叩いて痛かった。だがそれ以上に、未だ続く音が頭を揺らす。
ルルは頭を抱えて蹲った。これは国宝の音だ。こんなに大きく聞こえた事は、今まで一度も無い。目をギュッと閉じて耐えていると、徐々に静かになっていった。
恐る恐る目を開き、縮めた体を起き上がらせる。音は先程の激音が嘘のように消えていた。今はもう、側を流れる滝の音しか聞こえない。
(───止まった?)
ルルは安堵に胸を撫で下ろした。しかし、再び寝そべろうとした瞬間だ。外から激しい音がし、ビクッと体を跳ね上がらせる。それはギャアギャアという濁った鳴き声と、バサバサという羽ばたき。カーテン越しに無数の影が床へ落ち、過ぎ去って行った。
ルルは一体何かと身構える。静けさに取り戻された安心を遮られた事で、心臓は落ち着かずに激しく跳ね続けた。
(……鳥?)
頭をグルグルと回し、その正体をなんとか理解して言い聞かせる。何も見えない世界での強烈な音は、不意打ちなのだ。
「……、……」
何も驚く必要は無い。森に鳥なんて数え切れないほど居る。ただ彼らが偶然、窓辺を通り過ぎただけなんだ。それなのに、どうしてこんなに不安なのか? どうして、いつまで経っても心臓がうるさいのだろう。
無意識に毛布を握った手から、いつまでも力が抜けない。こんな状況では、安心して眠れない。まずは言葉にできない不安感を取り払わなければ。
(アンブルは、まだ起きてるかな?)
ルルに時間の経過は分からない。眠ってどれほど経ったのか予想もできないが、それでも頼りは彼女だけだった。アンブルならば、国宝や森に詳しいはずだから。
ベッドから降りて、試しに壁を撫でてみる。
『アンブルの部屋、どこか分かる? 行きたいの』
果たして木に届いたのだろうか。その疑問はすぐ晴れる。触れていた壁の感触がたちまちに扉へと変化した。気遣いなのか、ちょうど手元にノブが現れる。
『……ありがとう』
ルルは驚きながらも、部屋へ振り返って囁き、扉をくぐった。
長い廊下の末、突き当たったのは大きな扉。アンブルの部屋であり、できたら起きている事を願ってノブを回す。それでも、寝ていた場合を考えて音を立てないよう、そぉっと開けた。
「誰だ!」
「っ!」
飛んで来たのは、予想していなかった男の声。針のような鋭く低い声は不意打ちで、ルルは体をビクッと震わせる。しかし数秒遅れて、声に聞き覚えを感じた。
「こらコーディエ、大きな声を出すんじゃないよ。坊やが怖がるだろう」
「しかし」
「ルル、おいで」
中へ促す優しい声はアンブルのもので、ルルはホッと胸を撫で下ろす。しかしコーディエという名前で思い出した。そうだ、彼は森に来たばかりの時に出会った、厳格そうな門番だ。確か、ジプスと親しい印象を受けた。
アンブルと何か話していたようだ。しかもこんな時間にとなると、世間話をしているとは思えない。ルルは少し身を引いて、扉から顔を半分だけ覗かせた。
『ごめんなさい。邪魔、しちゃった?』
「大丈夫だよ。ほら、私の隣においで」
アンブルは柔らかな微笑みを浮かべ、座っているベッドの隣をトントンと叩く。ルルは恐る恐る入り、そこにすとんと腰を下ろした。すると、少しシワのある大きな手が頭を撫でてくれた。
「この子の耳は、音をよく拾うんだ。だからそんな大きな声を出しちゃいけないよ」
コーディエはうっと言葉を詰まらせると、気まずそうに腕組みをして顔を逸らした。ルルはじっと彼を見上げる。
『ジプスの、友達だよね?』
「友ではない。単なる腐れ縁だ」
『腐れ?』
「友達よりも仲が良いって事さ」
「アンブル様!」
「ん? 違うのかい?」
「……からかうのはお止しください」
ニヤニヤと意地悪そうな笑顔に、コーディエは負けたように顔を背ける。どうやら否定はできないらしい。
そんなやりとりを聞いていたルルの紫の唇から、ふふっと小さな息が聞こえた。それをコーディエは笑ったものだと理解したのか、ムッとした顔を向ける。するとそんなしかめっ面に、すっと彼の薄青い手が差し出された。一体何かと警戒したが、それは微笑みにも満たない笑みを向けられ、心臓が跳ねるのを感じた。
『僕はルル。よろしく』
「あ、あぁ……コーディエだ」
そういえば、会うのはこれが二度目で、まともな自己紹介がまだだったのを思い出した。柔らかく細くなった虹の目はまるで弧を描いているように見え、何だか落ち着かない。どうにも、警戒するのが気が引けるほどに素直だ。
コーディエはまだ差し出されている薄青い手を、控えめに握り返した。その時だった。意識せずに見惚れていたルルの瞳が、大きく変化したは。
(赤と、黒と、黄……?)
その色は混ざり合わず、決して綺麗には見えない。見ているこちらまで、心を掻き乱す。離れそうになった手が、グッと両手で握られた。
『コーディエ、今、何を持ってるの?』
「な、何?」
「どうした坊や?」
『変な匂いが、したんだ』
獣人は人よりも倍以上嗅覚が鋭い。だから体臭だってそれなりに気にしている。臭いの強い物を持っているわけでもない。だからコーディエ自身には、心当たりはなかった。
それでもルルの瞳の色は変わらない。そして、彼の鼻腔をくすぐる妙な香りも途絶えなかった。
「持っている物と言えば───もしかして、コレか?」
コーディエはルルがオリクトの民である事を知っている。だから、可能性として、腰のホルダーの中を漁った。今日新しく持っている物とすれば、これくらいしかない。
二人へ差し出されたのは、煤に汚れたように黒くなった鉱石だった。端が脆くなっているのか、空気に触れるだけで細かく崩れている。
「どこのだ?」
「東の、火の洞窟からです」
「ならコレは赤黄岩か」
イリュジオンには数えきれないほどに、大小様々な洞窟がある。そのうち、東西南北に大きな洞窟がそれぞれ一つずつあった。火の洞窟は、その一つだ。本来赤黄岩は、名の通り赤と黄が混ざった鉱石で、洞窟の名付け理由ともなった、炎のように揺らぎ続ける美しい石だ。そのおかげで暗いはずの洞窟を、外のように明るくしてくれていた。
「火の洞窟は、心臓部を除いてもう全滅です。明日は水の洞窟の様子を見に行きます」
「そうか……ずいぶん酷い姿になったね」
アンブルは眉根をしかめ、労るようにそっと石へ手を伸ばす。すると、その手が薄青い両手に包まれて遮られた。ルルを見れば、その表情は悲痛そうだった。
『ダメ。これ、触っちゃ、ダメ。この石、死んでる。でも……それだけじゃない』
言葉にはできない。しかしこの鉱石からは、生命を侵すものが滲み出ている。ルルはコーディエの手から攫うように石を取った。
「あっ」
「いい。この子の言う通りにおし。坊や、コレをどうする?」
『……新しくする』
そのままにしておくわけにはいかない。放置していれば、ここに住む者たちにも影響が出る。自分にできるのは、この穢れを取る事だ。
ルルは迷わず石を口へ招き、ガリッと噛み砕いて飲み込む。コーディエはそれをハラハラとした様子で見守った。当然だ。いくら王だと分かっていようとも、あんな石を体内に入れるのだから。
「おい……大丈夫なのか?」
耐えるように丸くなった細い背へ、咄嗟に手を添えようとすると、アンブルに遮られた。彼女は自身の口へ指を当ててしーっと息をつく。こんな状態を見守るしかできないなんて、なんてもどかしいのか。
ルルの胸元で握り締められた両手から、小さな赤い光が漏れる。ゆっくり開かれた手の器には、美しい赤黄岩が転がっていた。同時に目蓋から見えたルルの瞳は変わらない美しさで、コーディエは思わず、ほっと安堵の息を吐いた。
「いつも、こうして石を新しくしているのか?」
『うん、そうだよ?』
「……そうか」
「それがこの子の使命さ」
アンブルはコーディエだけに聞こえるよう小さく囁き、彼の艶のある黒髪を撫でた。二人のやりとりを理解できず、当の本人は不思議そうに首をかしげている。アンブルはそんな彼の頭も優しく撫でた。
「ありがとうね、坊や」
『ううん。でも、どうしてこんなふうに、なっているの?』
「最近ね、森が騒がしいんだよ」
「この石以外、今までに動物や魔獣たちの様子がおかしいんだ。たとえば、夜行性ではない鳥が、夜に何かから逃げるように動き出したり」
ルルはそれに、部屋へ来る前に聞いた鳥の慌ただしい羽ばたきを思い出す。
コーディエは森の番人。鷹の獣人である彼は、毎日イリュジオン全体をパトロールし、その様子を森の主人であるアンブルへ、報告をしに来ているのだそうだ。彼は難しそうに腕を組むと小さく唸った。
「異変はここ数ヶ月間だ。それまではこんなに毎日、アンブル様の睡眠を遮る事も無かった。異変は止まらず、毎日少しずつ侵食していっている」
『どうして……?』
「おそらく国宝が原因だろうね」
ルルは静かに呟かれた予想に、ルルの頭は体を引き裂くような鋭い国宝の悲鳴を思い起こさせる。彼は縋るように、アンブルの胸元を手で握った。
『国宝……国宝は、どこ?』
「ど、どうした、急に」
『音が、聞こえたんだ。国宝が……凄く大きな声で、泣いたの。頭が、痛くなるくらい』
「そうか、それで起きてしまったんだね?」
『うん』
「国宝の声か。どんなものなんだ?」
『泣きそうで、怒っていて、恨めしそうで……分かんない。聞いていると、苦しくなるの』
言葉では表現ができない。あえて言うのならば、そう言った負の感情だ。体を蝕む、引き裂かれる叫び声。聞くとそれに飲まれそうになる。
顔を歪めたルルの音は震えていて、感情の色は淡いのに、まるで泣きそうだった。アンブルは優しく抱きしめながら、背中を撫でて慰める。
「国宝の音を言葉で聞くのは初めてだが……坊やにはずいぶん酷だね。でもすまない、国宝の在処は分かっていないんだ」
『どんな石かも?』
「加護を受けている石は、アメトリンだと分かっているんだ。だけど、国を隅々まで探したが、見つかっていないんだよ」
森に尋ねても、ただ国石を渡されるだけだそうだ。隅々まで探したが、それらしい気配すら無いらしい。もちろん現在も探し続けているようだが。
アンブルの茶の瞳が、無言でコーディエへ向けられる。彼は視線に乗った意味にコクリと頷いた。
「ルル、もしまた何か変化を感じたら、教えてくれるかい?」
『うん。国宝を探すの、僕も手伝う』
「あぁ、ありがとう。コーディエも、報告ありがとう。今夜はもうゆっくりお休み。たまにはジプスに顔を出すんだよ?」
「……暇があれば、考えておきます」
飛び立とうと窓辺に移動したコーディエを、ルルが呼び止める。彼は先程新しくした赤黄岩を差し出した。
『これ、お守り。コーディエが持って。守ってくれるよ』
「……受け取ろう」
手にした赤黄岩は、不思議と生きているような鼓動を感じた。自然に発生する岩には無い、落ち着く暖かさがある。
コーディエは、生まれ変わった『お守り』を、ホルダーの中にそっと入れた。二人へ会釈をして紺色の目を閉じると、たちまちコーディエの体は小さくなった。しかし羽が落ちる翼は、広げると人一人分の大きさがあるだろう。艶やかな茶色の翼の動きに、ルルの長い髪が流れる。窓の桟から勢い良く飛び立った彼に、ルルは手を振って見送った。
~ ** ~ ** ~
それまで誰も邪魔しなかった、無音の脳内。それを突然、つんざく叫びが震わせた。ルルは痛みすら感じる鋭い音に飛び起きる。深く眠っていたせいか、心臓が強く胸を叩いて痛かった。だがそれ以上に、未だ続く音が頭を揺らす。
ルルは頭を抱えて蹲った。これは国宝の音だ。こんなに大きく聞こえた事は、今まで一度も無い。目をギュッと閉じて耐えていると、徐々に静かになっていった。
恐る恐る目を開き、縮めた体を起き上がらせる。音は先程の激音が嘘のように消えていた。今はもう、側を流れる滝の音しか聞こえない。
(───止まった?)
ルルは安堵に胸を撫で下ろした。しかし、再び寝そべろうとした瞬間だ。外から激しい音がし、ビクッと体を跳ね上がらせる。それはギャアギャアという濁った鳴き声と、バサバサという羽ばたき。カーテン越しに無数の影が床へ落ち、過ぎ去って行った。
ルルは一体何かと身構える。静けさに取り戻された安心を遮られた事で、心臓は落ち着かずに激しく跳ね続けた。
(……鳥?)
頭をグルグルと回し、その正体をなんとか理解して言い聞かせる。何も見えない世界での強烈な音は、不意打ちなのだ。
「……、……」
何も驚く必要は無い。森に鳥なんて数え切れないほど居る。ただ彼らが偶然、窓辺を通り過ぎただけなんだ。それなのに、どうしてこんなに不安なのか? どうして、いつまで経っても心臓がうるさいのだろう。
無意識に毛布を握った手から、いつまでも力が抜けない。こんな状況では、安心して眠れない。まずは言葉にできない不安感を取り払わなければ。
(アンブルは、まだ起きてるかな?)
ルルに時間の経過は分からない。眠ってどれほど経ったのか予想もできないが、それでも頼りは彼女だけだった。アンブルならば、国宝や森に詳しいはずだから。
ベッドから降りて、試しに壁を撫でてみる。
『アンブルの部屋、どこか分かる? 行きたいの』
果たして木に届いたのだろうか。その疑問はすぐ晴れる。触れていた壁の感触がたちまちに扉へと変化した。気遣いなのか、ちょうど手元にノブが現れる。
『……ありがとう』
ルルは驚きながらも、部屋へ振り返って囁き、扉をくぐった。
長い廊下の末、突き当たったのは大きな扉。アンブルの部屋であり、できたら起きている事を願ってノブを回す。それでも、寝ていた場合を考えて音を立てないよう、そぉっと開けた。
「誰だ!」
「っ!」
飛んで来たのは、予想していなかった男の声。針のような鋭く低い声は不意打ちで、ルルは体をビクッと震わせる。しかし数秒遅れて、声に聞き覚えを感じた。
「こらコーディエ、大きな声を出すんじゃないよ。坊やが怖がるだろう」
「しかし」
「ルル、おいで」
中へ促す優しい声はアンブルのもので、ルルはホッと胸を撫で下ろす。しかしコーディエという名前で思い出した。そうだ、彼は森に来たばかりの時に出会った、厳格そうな門番だ。確か、ジプスと親しい印象を受けた。
アンブルと何か話していたようだ。しかもこんな時間にとなると、世間話をしているとは思えない。ルルは少し身を引いて、扉から顔を半分だけ覗かせた。
『ごめんなさい。邪魔、しちゃった?』
「大丈夫だよ。ほら、私の隣においで」
アンブルは柔らかな微笑みを浮かべ、座っているベッドの隣をトントンと叩く。ルルは恐る恐る入り、そこにすとんと腰を下ろした。すると、少しシワのある大きな手が頭を撫でてくれた。
「この子の耳は、音をよく拾うんだ。だからそんな大きな声を出しちゃいけないよ」
コーディエはうっと言葉を詰まらせると、気まずそうに腕組みをして顔を逸らした。ルルはじっと彼を見上げる。
『ジプスの、友達だよね?』
「友ではない。単なる腐れ縁だ」
『腐れ?』
「友達よりも仲が良いって事さ」
「アンブル様!」
「ん? 違うのかい?」
「……からかうのはお止しください」
ニヤニヤと意地悪そうな笑顔に、コーディエは負けたように顔を背ける。どうやら否定はできないらしい。
そんなやりとりを聞いていたルルの紫の唇から、ふふっと小さな息が聞こえた。それをコーディエは笑ったものだと理解したのか、ムッとした顔を向ける。するとそんなしかめっ面に、すっと彼の薄青い手が差し出された。一体何かと警戒したが、それは微笑みにも満たない笑みを向けられ、心臓が跳ねるのを感じた。
『僕はルル。よろしく』
「あ、あぁ……コーディエだ」
そういえば、会うのはこれが二度目で、まともな自己紹介がまだだったのを思い出した。柔らかく細くなった虹の目はまるで弧を描いているように見え、何だか落ち着かない。どうにも、警戒するのが気が引けるほどに素直だ。
コーディエはまだ差し出されている薄青い手を、控えめに握り返した。その時だった。意識せずに見惚れていたルルの瞳が、大きく変化したは。
(赤と、黒と、黄……?)
その色は混ざり合わず、決して綺麗には見えない。見ているこちらまで、心を掻き乱す。離れそうになった手が、グッと両手で握られた。
『コーディエ、今、何を持ってるの?』
「な、何?」
「どうした坊や?」
『変な匂いが、したんだ』
獣人は人よりも倍以上嗅覚が鋭い。だから体臭だってそれなりに気にしている。臭いの強い物を持っているわけでもない。だからコーディエ自身には、心当たりはなかった。
それでもルルの瞳の色は変わらない。そして、彼の鼻腔をくすぐる妙な香りも途絶えなかった。
「持っている物と言えば───もしかして、コレか?」
コーディエはルルがオリクトの民である事を知っている。だから、可能性として、腰のホルダーの中を漁った。今日新しく持っている物とすれば、これくらいしかない。
二人へ差し出されたのは、煤に汚れたように黒くなった鉱石だった。端が脆くなっているのか、空気に触れるだけで細かく崩れている。
「どこのだ?」
「東の、火の洞窟からです」
「ならコレは赤黄岩か」
イリュジオンには数えきれないほどに、大小様々な洞窟がある。そのうち、東西南北に大きな洞窟がそれぞれ一つずつあった。火の洞窟は、その一つだ。本来赤黄岩は、名の通り赤と黄が混ざった鉱石で、洞窟の名付け理由ともなった、炎のように揺らぎ続ける美しい石だ。そのおかげで暗いはずの洞窟を、外のように明るくしてくれていた。
「火の洞窟は、心臓部を除いてもう全滅です。明日は水の洞窟の様子を見に行きます」
「そうか……ずいぶん酷い姿になったね」
アンブルは眉根をしかめ、労るようにそっと石へ手を伸ばす。すると、その手が薄青い両手に包まれて遮られた。ルルを見れば、その表情は悲痛そうだった。
『ダメ。これ、触っちゃ、ダメ。この石、死んでる。でも……それだけじゃない』
言葉にはできない。しかしこの鉱石からは、生命を侵すものが滲み出ている。ルルはコーディエの手から攫うように石を取った。
「あっ」
「いい。この子の言う通りにおし。坊や、コレをどうする?」
『……新しくする』
そのままにしておくわけにはいかない。放置していれば、ここに住む者たちにも影響が出る。自分にできるのは、この穢れを取る事だ。
ルルは迷わず石を口へ招き、ガリッと噛み砕いて飲み込む。コーディエはそれをハラハラとした様子で見守った。当然だ。いくら王だと分かっていようとも、あんな石を体内に入れるのだから。
「おい……大丈夫なのか?」
耐えるように丸くなった細い背へ、咄嗟に手を添えようとすると、アンブルに遮られた。彼女は自身の口へ指を当ててしーっと息をつく。こんな状態を見守るしかできないなんて、なんてもどかしいのか。
ルルの胸元で握り締められた両手から、小さな赤い光が漏れる。ゆっくり開かれた手の器には、美しい赤黄岩が転がっていた。同時に目蓋から見えたルルの瞳は変わらない美しさで、コーディエは思わず、ほっと安堵の息を吐いた。
「いつも、こうして石を新しくしているのか?」
『うん、そうだよ?』
「……そうか」
「それがこの子の使命さ」
アンブルはコーディエだけに聞こえるよう小さく囁き、彼の艶のある黒髪を撫でた。二人のやりとりを理解できず、当の本人は不思議そうに首をかしげている。アンブルはそんな彼の頭も優しく撫でた。
「ありがとうね、坊や」
『ううん。でも、どうしてこんなふうに、なっているの?』
「最近ね、森が騒がしいんだよ」
「この石以外、今までに動物や魔獣たちの様子がおかしいんだ。たとえば、夜行性ではない鳥が、夜に何かから逃げるように動き出したり」
ルルはそれに、部屋へ来る前に聞いた鳥の慌ただしい羽ばたきを思い出す。
コーディエは森の番人。鷹の獣人である彼は、毎日イリュジオン全体をパトロールし、その様子を森の主人であるアンブルへ、報告をしに来ているのだそうだ。彼は難しそうに腕を組むと小さく唸った。
「異変はここ数ヶ月間だ。それまではこんなに毎日、アンブル様の睡眠を遮る事も無かった。異変は止まらず、毎日少しずつ侵食していっている」
『どうして……?』
「おそらく国宝が原因だろうね」
ルルは静かに呟かれた予想に、ルルの頭は体を引き裂くような鋭い国宝の悲鳴を思い起こさせる。彼は縋るように、アンブルの胸元を手で握った。
『国宝……国宝は、どこ?』
「ど、どうした、急に」
『音が、聞こえたんだ。国宝が……凄く大きな声で、泣いたの。頭が、痛くなるくらい』
「そうか、それで起きてしまったんだね?」
『うん』
「国宝の声か。どんなものなんだ?」
『泣きそうで、怒っていて、恨めしそうで……分かんない。聞いていると、苦しくなるの』
言葉では表現ができない。あえて言うのならば、そう言った負の感情だ。体を蝕む、引き裂かれる叫び声。聞くとそれに飲まれそうになる。
顔を歪めたルルの音は震えていて、感情の色は淡いのに、まるで泣きそうだった。アンブルは優しく抱きしめながら、背中を撫でて慰める。
「国宝の音を言葉で聞くのは初めてだが……坊やにはずいぶん酷だね。でもすまない、国宝の在処は分かっていないんだ」
『どんな石かも?』
「加護を受けている石は、アメトリンだと分かっているんだ。だけど、国を隅々まで探したが、見つかっていないんだよ」
森に尋ねても、ただ国石を渡されるだけだそうだ。隅々まで探したが、それらしい気配すら無いらしい。もちろん現在も探し続けているようだが。
アンブルの茶の瞳が、無言でコーディエへ向けられる。彼は視線に乗った意味にコクリと頷いた。
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「あぁ、ありがとう。コーディエも、報告ありがとう。今夜はもうゆっくりお休み。たまにはジプスに顔を出すんだよ?」
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飛び立とうと窓辺に移動したコーディエを、ルルが呼び止める。彼は先程新しくした赤黄岩を差し出した。
『これ、お守り。コーディエが持って。守ってくれるよ』
「……受け取ろう」
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