宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

それぞれの幸せを。

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 アウィンとルルが去ったのを、コーパルは視界の端で留める。安堵も束の間、強い衝撃が腹部を襲った。シリカの足が、彼の腹を全力で蹴り上げていた。衝撃の重さに、体内でミシリと軋んだ音がする。おそらく生身だったら、風穴が空いていただろう。内臓が押し潰されるような、なんとも気味の悪い痛みに顔が歪む。
 シリカはそれに、してやったという笑みを浮かべた。だがそれはすぐ驚きに変わる。足が抜けない。無造作に伸びた前髪の影になったコーパルの口元は、反対に笑っている。
 ただ蹴られて黙っているなんて、つまらない。コーパルは腹部にある足を抱き込み、体を軸にしてぐるりと回った。シリカはそのまま引っ張られ、勢いよく振られて壁に吹っ飛ぶ。アンブルには申し訳ないが、彼は派手に本棚にぶつかり、衝撃で本が数冊かぶさるように落ちた。
 彼女が読む本は基本分厚い。ただの人間だったら、重さや角のせいですぐには動けないだろう。しかし数秒と置かず、本の山からシリカはすぐに起き上がった。その顔は怒りに歪み、まるで獣のようだ。足元に広がった本を無視し、踏み越えるとコーパルへ組みつく。

「ルースぅう……ッ。お前、僕に楯突くのか!」
「当然だろ……!」
「僕に勝てると思ってるのか? 毒を飲んで平和ボケでもしたか!」
「そうだな、ボケたかもしれない。俺がお前に、勝てるわけがないんだっ」

 腕力や体の硬度など、全てシリカの方がコーパルより勝る。アパティアの趣味で取っ組み合いを何度もした事があるが、上手くいって引き分けだった。
 きっとできても足止めだけだ。体も粉々になるだろう。分かっているのに立ち向かうのは、完全に平和ボケだ。

「それでも、お前に勝たなければいけないんだ……!」

 破壊されていい。どれだけ無様な壊れ方でもいい。もうアンブルたちと過ごせなくなってもいい。だがシリカだけは、ここで倒す。

「お前に僕の計画が邪魔されるなんて、ありえない!」

 シリカは半狂乱のまま、体を捻った力を利用して再び蹴りつける。しかも今度は二度立て続けで、足を掴ませる隙を与えない。耐えようとしたが、休まずに拳が降り注いだ。案の定コーパルは抵抗できず、壁に叩きつけられる。ぶつかった拍子、左腕に亀裂が入った。
 同じ体を持つからこそか、その亀裂が深いのはシリカも分かったようだ。彼は憐れむように鼻で笑う。

「僕は、お前と違って幸せになるんだ」

 壊す時間がもったいない。これ以上は構う必要が無いと見て、シリカは背中を向ける。しかしその瞬間、体を何かが強く押した。よろけてそれ以上進めず、思わずその場に倒れ込む。後ろを見れば、足にコーパルがしがみついていた。

「お前は、ほん、とうに、可哀想な、やつだ」
「なん、だってぇ……っ? もう一度言ってみろ! 僕が可哀想? 死に損ないで、何もできない、お前が、僕を蔑む資格なんて……ない!」

 空いている片足で、コーパルの顔を踏み付ける。最後に思い切り踏み込むと、ガシャンと音を立ててついに左腕が壊れた。さすがに限界を迎えたようだ。しかしコーパルは、距離を取ろうとしたシリカに負けじと体当たりする。

「このっ邪魔するなぁあ!」

 しつこさのあまり、僅かに残った冷静さが掻き消えた。シリカは怒りに任せて、デタラメに殴り、蹴る。その手に、キラリと反射したのが見えた。それは鉱石の刃。手を変形させたのだ。
 宝石化したシリカの体は、特に鉱物との相性が良かった。そのため、短時間だが体の一部を鉱石にする事ができる。
 刃が明るい金色の片目を深く貫く。コーパルは頭が揺れる感覚と、冷たい刃先が眼球の奥にある骨に当たるのを感じた。音が意識と共に遠のく。右目を抑えながら、足元は不安定に揺れた。その隙を見たシリカは、近くにあった一人がけのソファをコーパルへ投げつける。

 思い出す。最後、衝撃を受けたコーパルの顔を。笑顔だった。笑っていた。こんな状況で、幸せそうだった。まるで勝ち誇っているような、そんな笑顔。許せない。自分より劣っているはずの彼がそんな顔をするなんて。抜け駆けなんて、絶対に許さない。

「お前なんかが、僕より幸せなわけがないんだ!」

 整頓された室内でも、この有様だ。ソファのせいで埃や細かなゴミが舞って、視界が悪い。しかし息を切らしながらよく目を凝らしても、コーパルが立ち上がる気配は無かった。

(さすがに粉々だ。僕より硬度も無いんだから)

 こんなやつに、ここまで足止めされるとは思っていなかった。少々油断しすぎていたようだ。アパティアも洗脳した獣人も、多少手こずっているが、次期に決着がつく。
 そう判断して先へ進もうとした体が、不自然に止まる。

「行かせないと、言ったんだ」

 手首を、所々ひび割れた右手が掴んでいる。力は子供より弱く、振りほどくまでもない。それなのにシリカは、消え入りそうな弱々しい声に振り返るのでやっとだった。

「お、まえ……なんでっ」

 背後に立ったコーパルを見る漆黒の瞳には、動揺と困惑、そして珍しく恐怖の色を含んでいる。
 これは誰だ? 目の前に居るのは、確かに弱々しい同胞。誰も勝てず、いつも自らの生よりも死を望んだ彼。諦め癖のせいで、目は常に物憂げだった。なのに、今こちらを見つめる目は、黄金と言える。こんな輝きを見た事がない。

(怖い、怖い、誰だ、これは!)

 足が震えて動かない。シリカは生まれて初めて、自分よりあきらかな弱者に恐怖を抱いていた。当然だろう。彼の記憶にあるルースと目の前のコーパルは、もはや全くの別人なのだ。
 シリカは、平和ボケと馬鹿にした。しかしコーパルにとって、その平和ボケさせてくれたここは、意地でも壊されたくない。今まで散々他人に人生を譲ってきたが、ここでは引けない。自分の幸せを人に任せるシリカに、負けるわけにはいかない。たとえ崩れた片腕がもうくっ付かなくても、壊れた右目が戻らなくても。


 投げ飛ばされたコーパルに、ジプスは思わず一瞬だけ視線をずらした。コーディエがそれを見過ごすわけなく、鋭い剣先が目前に迫る。反射で避けるが、頬に赤い線が描かれた。
 周囲ばかりを見て、肝心な目の前に集中しないのは、昔からの悪い癖だ。彼らは大丈夫だ。ここ数日で、何度も助け合った強い人だと分かっているじゃないか。だったら、存分に集中するべきだ。そうしなければコーディエには勝てない。番人となるため、もう二度と過去を繰り返さないために、影で努力していたのを誰よりも知っている。対等になるには、まず武器を離さないといけない。
 ジプスは基本魔法と素手で戦う。まだ体も万全ではないため、強力な魔法を連続では放てない。だから器用に両剣で向かってこられるのは、分が悪かった。

(操られてはいるけど、大きく魔法を使おうとすればバレる)

 コーディエは武術の鍛錬に注力していたのがあって、魔法は多少劣る。そのため、鋭い門番の目を掻い潜るには、やはり小さな動きが必要だ。
 ジプスは詰められた距離をあえてそのままに、絶えず降り注ぐ足と刃を避け続けた。時間がかかればその分体力は消耗する。それでも少しずつ、違和感を覚えさせないよう、大きな動きを小さくしていった。
 攻撃を受け流すジプスの真っ白な手に、黒い渦が見えた。音も気配も、この乱闘騒ぎではコーディエの耳に入らない。
 その時だ。ジプスの足が僅かにもつれ、手の動きが崩れた。好機だと、両剣の刃先が真っ直ぐ心臓を狙う。しかしその刃は軌道がズレ、心臓ではなく空気を貫いた。
 標的を逃して手元の揺らぎを見て、ジプスは剣の腹を蹴り上げる。両剣は弾き飛ばされ、天井に深く突き刺さった。

(よし、上手くいった……!)

 最も集中するのは、一撃を決めようとする瞬間。その時の視線は的に向き、それ以外は疎かになる。そこが狙い目だった。コーディエは常に隙なく動く。だから、唯一視線が外れる瞬間はそこしかなかった。とは言え賭けだった。瞬きでもしていれば、きっとあの刃には心臓が刺さっていただろう。
 操られていたとしても、絶対に彼に誰かを傷つける事はさせない。彼は強いが、誰よりも心の傷を深くしやすいから。

 コーディエの視線は武器を追った。だがそれを確認した時、ジプスの視界は黒く染まる。それが布で、コーディエの衣装だと理解した時には、頭が揺れ、音が遠のいた。ジプスの体はふらりと不安定に後ずさる。

(倒れちゃ、ダメだっ)

 衝撃が強すぎたせいか、痛みは鈍いが視界がぼやける。脳へのダメージが強いようだが、今は耐えなければ。
 ジプスはおぼつかない足取りのまま、次に備えてなんとか構えた。しかし数秒、二人の間で沈黙が流れる。不思議に思っていると視界が安定し、コーディエの姿がハッキリ見えた。彼は何かに耐えるように、頭を抱えている。

「コーディエ?」

 先程まで表情の無かった顔は苦痛に歪み、ジプスは思わず目を瞬かせた。一体何が起こっているのか。ギロリと睨んだ目は、微かに懐かしい光があった。
 それに気付いてあっと小さく声を零した時、苦しみを無視するようにコーディエは駆け出した。集中が切れたジプスはすぐ反応できず、その場に組み伏せられる。しかしギシリと軋んだ背中は柔らかい。倒れた場所は、ちょうどさっきまで寝ていたベッドの上だった。
 助かった。あのまま倒れていたら、痛みに抵抗できなかった。しかし敷かれたままでは、簡単に動けない。どうするべきか思考を巡らせていると、チャラリと金属が擦れる音が聞こえてきた。
 コーディエの首元から目の前に垂れてきたのは、見知った白い翅。それは彼に渡したお守りだ。しかしそこには元々、赤黄岩があったはず。

「……っ」

 降りかかる圧力が、ぐっと強くなる。だが同時、パタパタとジプスの頬に水が落ちてきた。それは、名前の由来でもあるコーディエライトのような瞳から、絶えず流れていた。そうか、彼はずっと戦っているんだ。

(ああ、僕は何をしているんだ)

 彼に涙を流させてしまった。不甲斐ない。捕まったのは自分のせい。だから責任を取る。彼が掴んだ、自分が掴んだ幸せをこんな形で壊さないために。

「ごめんねコーディエ。ちゃんとするよ。だから──帰ってきて!」

 言葉に想いと力を乗せ、思い切りコーディエと額同士をぶつけた。互いの視界に火花が散る。
 コーディエはよろよろとその場から数歩離れ、腰を床に打ちつけた。ジプスは赤く熱を持った額を抑え、揺れる視界の中で起き上がる。

「……この、石頭が」

 頭を抑えながらの弱々しい声は、確かに彼の意思を持っていた。ジプスはそれが嬉しく、たまらずコーディエに飛びつく。コーディエは珍しく彼の肩を強く抱き返した。しかしすぐ我に返ったのか、くすぐったそうにしているジプスを、慌てて剥がす。こんな事をしている場合ではない。まだ帰還を喜ぶには早いのだ。
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