テンシを狩る者

小枝 唯

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楽園へのプロローグ

二つの未来

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 時代にそのまま取り残されたような教会の一室。そこは中でも、最も最近作られた部屋だった。
 白い壁に取り付けられた数台のモニター。棚の中は様々な薬品がきっちり並んでいる。ここは、保護したテンシのために用意された治療室。中央のベッドに、リーラが連れてきたテンシが静かに眠っていた。
 部屋主は白衣姿の男。彼がリーラの言っていた先生、レーレだ。彼の手が、テンシの体を確かめるように優しく触れていく。基本テンシ化した者は、個体差はあれど数日は人間の姿を保つ。しかしこのテンシは、この体になってまだ時間が浅いのにすでに変化が見えた。
 レーレは、印刷したこのテンシの元の姿の写真と見比べる。テンシ狩りのトップであるマスターが山崎竜真に聞き出した情報から、元は六切玻璃という18歳の少年であるのが分かった。

「まるで別人だな」

 歳のわりには落ち窪んだ顔つきは、比較的健康そうに頬もふっくらし、全体的に幼い印象となった。日本人特有の黄色味のある肌は異常に白くなり、手足の指に爪が無い。閉じられた目蓋を開けさせて見れば、天使のような金と緑、青が混ざった不思議な色彩をしている。無差別に伸びた髪だって、肌と同色に抜けていた。
 性別だけが、唯一彼の特徴を残している。しかしここまで変化していて、安定しているのは珍しい。基本的にテンシ化した人間は、数日間は姿が大きく変わらないのだ。
 レーレはベッドから離れ、作業机に置いた顕微鏡を覗く。彼は中で蠢く細胞に目を疑った。

「こいつ……テンシじゃない」

 失敗作であるテンシの細胞は、人間と天使の細胞が反発し合い、別の物質が誕生する事で出来上がる。しかし今見ている物は、完全に天使と一致していた。しかし、それにしては妙に活発に思える。
 レーレは棚の奥から、何本ものコードを取り出すと、シール状になっている先端をテンシの頭や手足に取り付ける。しかしじっと見つめたバロメーターはうんともすんとも動かない。故障でもしたのかとも思ったが、そうではないようだった。
 この機械は、天使ならびにテンシの力を測る物。しかし信じられない。顕微鏡で見た細胞の動きは、あきらかに活発で、下手をすればバロメーターの数値が100を超えてもおかしくないと思ったのに。

「どうなってるんだ。そもそも、こんな数値で生きてる事だっておかしいぞ」

 考えられるのは、失敗作という説だ。そもそもテンシは、天使の成り損ない。力が無いとなれば、矛盾はするが完璧な失敗作だからかもしれない。しかしレーレの頭は残り二つの予想を出した。
 まだ誕生して間もないせいで、力が測れないという説。そしてもう一つは、できれば外れてほしい予想だ。しかしそう思いながらも、彼の脳はこれが事実だと主張している。
 長い指が、机に置かれたノートパソコンのキーボードを叩く。そこには、ついさっき放映されたニュースが映った。主役は突然空に流れた大量の流れ星。映像に映る晴れ渡った空に、色とりどりに輝く星が流れている。動画投稿サイトにも、同じ時間に流れ星の動画が上がっている。
 レーレは何かおかしいと踏み、マスターに頼んで衛星からの映像を入手した。
 流れ星は本来、小さな隕石や宇宙に漂うゴミなどだ。しかし解析したその流れ星は、そのどれでもない。流れていたのは、色鮮やかな宝石によく似たもの。テンシの核だった。

(核が分散したせいで、力が測れない可能性が高い。だがもしあれが、このテンシの核だったら……)

 もしそうなったら、どんな影響を及ぼすだろうか。テンシにも、人間にも強すぎる力だ。もしその力に気付いた者はきっと、悪用する。
 なんてものを産んでくれたんだ。そう心の中で悪態つき、テンシへ視線を戻した。が、ベッドにあった体が忽然と消えている。

「はっ? どこ行った?!」

 まさかあんな状態で起き上がるなんて思っていなかった。あのテンシの動きは読めない。ここには保護した者が沢山いる。大人ならまだしも、子供に会って万が一危険が及んだら。
 レーレは結い上げた髪を、焦りにかき乱す。薄ら開いているドアを乱暴に開け、廊下を慌ただしく走って行った。

        ───                **             ───                    **

 リーラは部屋を出る直前で振り返り、息もなく眠る義明を見る。レーレに解剖と核の旨を伝えなければ。しかし、そう思って部屋から一歩出た足が止まる。
 目の前に、気を失っていたテンシが居た。黄、緑、青を混ぜた美しい瞳は、空虚を見ている。ここに来る前に感じた強い感情は無く、今は何を考えているのか全く分からない。
 リーラはドアを後ろ手に閉め、いつもの調子で笑みを描いた。

「ぐっすり寝ていたが、いい夢は見れたかね?」

 テンシの色素のない唇は結ばれたまま、ピクリともしない。すると、どこかを見ていた瞳が、声に引き寄せられるように紫の目に向いた。少しの間じっと見つめ、真っ白な指がリーラを示す。

(……ポーチ?)

 指をたどれば、普段身に付けている足のレッグポーチに行き着いた。この中には葉巻とジッポー、化粧品や念のための包帯などが雑多に入っているだけ。特にテンシが欲しそうな物は入れていない。
 そう結論づけたが、すぐ思い出す。そういえば、欠けた核の一つをここにしまっていた。
 リーラは試しに、外側に付いている小さなポケットから水色と赤に変化する核を差し出した。テンシはじっとそれを見つめ、受け取る。そして、おもむろにそれを口の中へ放った。飲み込んだのか、噛んだ音は聞こえない。
 目が、まるで生気を取り戻すかのように瞬いた。しかしそれも束の間、すぐ長いまつ毛に隠される。ふらりと体が揺れたと思うと、テンシはリーラの胸元へ倒れ込んだ。

Upsおっと……核を無くしていたのに、どうやってここまで。というかレーレのやつ、無事か?」

 コレがただの失敗作ではないのは分かっている。彼が負傷している可能性は高い。そんな心配を浮かべた頃、携帯がポーチを震わせた。出ると、頭に浮かべていたレーレの声。いつもの冷静さは欠け、走っているのか息が上がっている。

『すまん、テンシを逃がし──』
「そのテンシは今、ワタシの腕の中だよ。落ち着け」
『はっ? な、何だって?』
「腕の中で寝てる。誰も負傷者は居ない。一番の病室だろう? そこに行くから、オマエは大人しく待っていたまえ」

 返事は聞かず、それだけを言って通話を切った。レーレはずば抜けた知能を持つが、いかんせん冷静さに欠ける時がある。完璧を目指しすぎるゆえなのかもしれない。

(だからストレスを溜めるんだと、いつも言ってるんだがね)

 リーラはクツクツと笑いながら、必死に息を整えているであろうレーレの居る病室へ向かった。

 ドアを開けるとレーレは案の定、呼吸を落ち着かせようと水を飲んでいる。リーラがやっぱりなと笑うと、彼はカァッと顔を赤らめて大きく咳き込む真似をした。

「ヨシアキの事だが、解剖してくれ。本人の希望だ。核が残っていたら、ワタシに」
「分かった。そのテンシの事だが……コイツは失敗作じゃない」
「ふむ、そうだろうね。コレをヤマザキリュウマは『大天使』と呼んでいた」
「大天使、なぁ」
「驚かないんだな?」

 レーレはスリープモードになったモニターの、適当なキーボードをタップする。リーラはそこに映った青空を流れる無数の星と彼を見比べ、片眉を上げた。レーレの焦茶の目が、ベッドで眠るテンシに向けられる。

「核だ。全部」
「まさか」

 そう言いかけ、記憶が囁く。飛び散った核は、瓦礫の中に一つも無かった。あの衝撃を考えると現実的な結果だ。
 話に聞いていた大天使。コレを作るために、どれほどの人間が犠牲になったか。だが核が飛び散った事で、大天使は未完成の状態。殺す事は、赤子の手首を捻る程度。しかしリーラは唸るだけで行動しない。

(これは……ヤツに会うチャンスでもある)

 それはテンシ作りを始めた人物。彼に出会い、確かめ、殺す事が彼女がテンシ狩りに身を置く理由の一つ。このテンシを生かしておけば、相手は必ずやって来る。こんな機会は滅多にない。
 足元の振動が、迷いを邪魔した。スマートフォンからの着信。相手はマスターだ。出ると、いつも通りの平静を見せる声色から、普段にはない焦りの色が見えていた。

『やあリーラ。大天使、殺してしまった?』
「今ちょうど、そうしようか思案していたところさ」
『そう、なら良かった。その子、殺してはいけない』
「理由は?」
『一つ、未来を見た。全世界が眠りにつく……いわゆる、楽園が完成した未来を。そこに、その子が居た』

 未来予知は、彼の能力の一部だ。意図して見ようとする事もできれば、突然夢の世界に放られたように、見せられるという事もあるらしい。

「尚更じゃないか」
『もう一つ、麗君が予知をした。僕とは真逆の未来を』
「なんだって?」

 あらゆる超能力を持つ麗も、未来予知はお手の物だ。そんな彼が見たのは、人々がなんら変わりのない平穏な暮らしをしている世界。そこに天使はいれども、もうテンシの存在は無かった。そしてその様子を見守るかのように、大天使が居たそうだ。
 マスターが言うとおり、真逆だ。しかし彼らの未来予知が外れた事は一度もない。

「つまり、どちらの未来にもなりうる……という事かね」
『そういう事だね』
「引き金になりそうなのは、核くらいか」
『僕もそう思ってる。どのみち回収を頼むよ。影響が強いから』
「了解」

 リーラは通話を切ると、スマホをベッドの端へぽいっと投げた。そして大きなため息と共に、椅子の背もたれに身を預ける。

「殺すなって?」
「ああ。しかも核の回収もだ。できるだけ早い方がいいだろうから……はぁ、面倒な事になったなぁ」

 あれだけ派手に散らばったんだ。日本だけでなく、各国に渡っただろう。どのくらいか、考えるだけで再びため息が出た。するとそこに、コツコツと窓を叩く音が混ざる。
 音はしばらく続き、レーレは迷惑そうに顔をしかめた。

「おい、お前のペットだろ。窓が傷つく」
「ちゃんと加減してるさ」

 カーテンと窓を開け、リーラは腕を差し出す。そこに止まったのは、一羽のカラス。彼女の使い魔だ。主には人間が忌み嫌う存在──黒猫、カラス、蛇などを従順にさせられる。彼らはリーラの目で、何かあればすぐ報告に来る。
 カラスのクチバシに、煌めく何かが咥えられていた。手の平を差し出すと、ポロリと落とす。手袋の上に転がったのは、核の一部だった。

「見つけてくれたのか? いい子だね。ありがとう」

 リーラはカラスの頭を撫で、クチバシに軽くキスをする。カラスは一つ鳴くと、夕闇へ飛び去って行った。

「カラスは頭がいいな」
「ワタシの子は特にね」

 手に入れたのは、紫色に輝く核。リーラはそれを、テンシの口の中に入れた。本能なのか、テンシは詰まらせずに飲み込む。そうして喉が上下した直後、目蓋がゆっくり開かれた。
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