テンシを狩る者

小枝 唯

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楽園へのプロローグ

望むもの

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 雪のようなまつ毛が、重たそうに持ち上がる。青、緑、黄色の瞳はまだ睡魔に浸っている様子だ。意識は朦朧としているのか、大天使はまだ起き上がりそうにない。
 リーラはレーレに目配りする。彼は意味を理解して頷くと、静かに部屋を出て行った。

 しばらく沈黙が続く。大天使がぼーっと天井を見つめてから数分が経過した。リーラはただ何も言わず、彼が起き上がるのをじっと待ち続ける。
 大天使は体の重さに違和感を感じていた。まるで他人の体を持ち上げているような感覚。視界も白いモヤが邪魔をして、ハッキリしない。
 自分は何をしようとしていただろう。遠い遠い昔、誰かの夢を聞かされた気がした。そして、誰かに知らない幸せがあると教えてもらった。それはつい最近の出来事に感じる。

「!」

 大天使は数秒前ののんびりさが嘘のように、ガバリと起き上がった。思い出したのだ。最後の夢を。自分を拒絶しなかった器。彼はどうなった?

「お目覚めかね、大天使」

 低い声の方を向き、見知らぬ女に大天使は目をパチクリさせた。リーラは足を組んで肘掛けに頬杖をつくと、品定めするような視線を送る。彼は小さく尋ねた。

「少年は?」
「ムツギリ ハリの事か」
「んっと……多分。自己紹介、できなかったんだ」

 大天使は少し残念そうに目線を下げて言った。リーラは彼の体へ指をさす。大天使は不思議そうに体を見下ろし、驚愕に目を丸くする。そして確かめるように手を握り、再びリーラに顔を向けた。なんだかその視線は、すがるような苦しみを混ぜている。
 リーラは彼の表情が理解できず訝しんだが、すぐギョッとする。大天使が綺麗な顔をクシャッとさせると涙を流し始めたのだ。

「玻璃、死んじゃったのか? わ、わたしが、知りたいって、言ったから? 玻璃も、幸せになりたいって、言ってたのにっ」
「お、おい、急にどうしたんだ?」
「うぅ、うぁああっ」

 まさか泣かれるだなんて思っていなかった。リーラは耐えられず立ち上がり、ベッドに座ると大天使の小さな体を抱き寄せ、背中さする。
 これは一体、どういう状態なのか。相手がもしかしたら世界を滅ぼすかもしれない存在なのに、何をしているのだろう。そう自分に問いながらも、リーラはただ、大天使が泣き止むまで肩を抱いた。

 スンスンと、水気混じりで鼻息をすする音が部屋に響く。大天使はあれから、涙に溺れそうになりながらも、生まれる直前の事を語った。
 それはリーラを驚かせた。まさか器と会話して、それを覚えているだなんて。それだけじゃなく、そのために涙を流すとは。

「大天使、オマエは……何を望む?」

 零れそうなほどいっぱいに涙を溜めた目が、リーラを見上げる。
 絵に描いたような、純粋無垢な大天使。こんな子供が世界を滅ぼすだなんて、全く予想できない。しかし現実にありえる未来。だからあえて、尋ねたかった。

「さっき、ぎゅってしてくれた。あったかかった。楽園ができたら、それも無くなっちゃうのか?」
「そうなるだろうね」
「ヤダ。そんなのヤダ! でも……分からないんだ。どうすればいいんだ? わたしは、楽園のために生まれたんだ。でも……また、ぎゅってしてほしいんだ」

 楽園のための道具として作られ、それ以外の何物でもないのを自覚している。しかしそれは、愛を望み、触れてしまった彼には、あまりにも残酷ではないだろうか。

「ワタシとおいで」

 瞬きに零れ落ちた涙を、黒い指先が掬い取る。頬を撫でるその手は、鋭い爪を持つ恐ろしい見た目なのに、温かい。大天使はそれに安心したように目を閉じて頷いた。
 だがすぐ顔をしかめると、クシュンッとクシャミをした。病院着では少し寒いのだろう。リーラは近くのタオルを適当に攫うと、大天使の小さな肩にかぶせる。

「体に痛みはないかね?」
「うん」
「それじゃあ、お風呂で暖まるといい。体の拭き方や湯船の使い方は、レーレ……白い服を着た人に言えば、教えてくれる。終わったら、またここへおいで」

 大天使は幼なげにコクンと頷き、ドアを開ける。その時、視界の端に人影を見てビクッと肩を跳ねさせた。驚いてドアの隣を見ると、レーレが壁に背を預けていた。ずっと待っていたのだ。
 眼鏡の奥にある鋭い瞳がじっと大天使を見据える。その表情は彼にとっては氷のようで、恐ろしさに顔を強張らせた。

「指示は?」
「え、えっと、おふろ?」
「こっちだ」

 それだけ言って歩き出した背中を、大天使は慌てて追った。しかしまだ体の扱いに慣れていないのか、足をもつれさせる。
 レーレは後ろで聞こえたベタッという音に振り返り、呆れて顔を横に振った。

「倒れる時に手を出さないやつがあるか」
「ん、ごめ」
「いいか、お前の存在は貴重なんだ。人間の体は、思ってるより脆いぞ」

 重力に従うまま転んだせいで、顔面が痛い。肌が白いせいか、ぶつけた赤みの目立つ鼻を両手で撫でていると、レーレの手が伸びてきた。
 その時一瞬、脳内に知らない記憶が走った。浮かび上がるのは、顔のボヤけた男と女。二人も手をこちらへ伸ばしている。しかし、その手はやがて痛みを生んだ。
 大天使は反射的に体を縮こませる。それは明らかに身を守る姿勢。虐待児が見せる行動だ。
 レーレは目を僅かに丸くさせるが、すぐ仕方なさそうに閉じる。立ち上がる助けに差し出したつもりの手を真っ白な頭に移動させ、ポンと置いた。驚いてこちらを見上げる大天使に、変わらない表情で応える。

「次から気を付けろ」
「つ、次?」
「そうだ。別に、次から気を付ければいいだけの話だ。ほら、だから行くぞ」

 ポカンとしている大天使の手を取って立ち上がらせ、レーレは先程よりもゆっくりとした調子で歩き出した。大天使はその理由に気付き、また唖然と彼の後ろ姿を見つめる。
 それ以上何も言おうとしない寡黙な背中には、最初にあった恐怖は嘘のように消えていた。

        ───                **             ───                    **

 リーラは放置していたスマホを拾う。同時に振動で通話の報せが届いた。画面には、ちょうどかけようと思っていたマスターの文字。出ると、彼の声はどこかどこか呆れを含んでいる。

『今テレビ観れる?』
「テレビ? ちょっと待ってくれ」

 ベッド付近に置かれた小さなテレビの電源をつける。昼間のニュースがやっていた。内容は今回の違法治験について。
 リーラは顔をしかめた。あれはまだ世間に流す予定ではなかったはず。疑問を覆うように、さらに画面向こうのキャスターが被害者の名前を挙げていく。その中に、玻璃の名前があった。
 おかしい。彼は生きている手筈だ。中身は違えど器は無事。だから、家族に説明をして判断をするまで被害者として名は伏せる予定だった。

『国に買われたのが一人いたんだ』
「……お国は国民を生かしたいのか、殺したいのか、どっちなんだろうなぁ。まったく、ハリ君の家族も悲しむだろうに」

 呆れながらの言葉に、応答が僅かな時間途絶えた。何やら言葉を迷わせているように思える。やがて気まずそうに吐き出された言葉に、リーラは耳を疑った。
 六切玻璃の両親は、彼の死とその見舞金に喜んだのだ。元々どこかでのたれ死んでくれればいいと思っていた子が、役に立ったと。嬉々とした様子に、誤解を解こうとしたマスターも、思わず口を閉ざしたと言う。

「そうか……そういう家族だったか」

 リーラは大天使の体を思い出してみる。抱きしめた時、十八にしては小さく細いのを感じた。骨の位置が分かるほどの体に、もしやと思ったが。
 そんな玻璃が愛を教えるだなんて、なんだか皮肉的だ。

「とりあえず、情報を漏らした駄犬はどうにかしてくれよ」
『もうしたよ。あ、山崎竜真さんも終わってる』
「はは、さすがだ。あぁそうだ、ちょうど、ワタシも電話しようと思っていてね。大天使の事だが……アレはワタシが躾ける」
『へぇ?』

 驚きの中、ほんの微かに何かを察したような、面白そうな声色が混ざっていた。リーラはそれに眉を小さく痙攣させると、一つ咳き込んで続ける。

「パートナーとして迎える事にするよ。その方が監視しやすいだろう?」
『そう』
「……マスター? 何か勘違いをしているようだが、単に利害が一致するからだぞ? アレが居れば、奴を殺すチャンスが来る」
『うん。でも、もしもの時は分かっているよね?』

 そのもしもというのは、破滅の未来に天秤が傾いた時だ。リーラはからかうような問いに、笑って返す。

「心外だな。ワタシは慈善家じゃあないぜ? テンシ狩りだ」

 他人はリーラを、保護活動をするような慈愛の持ち主だと思うだろう。もちろんその姿も本物だ。しかし、テンシ狩りたちに最も冷酷なのは誰かと尋ねれば、間違いなく彼女の名が上がる。何故なら今まで一度も、敵に情けを掛けた事がないからだ。
 ただの敵ではない。戦いの中、時には元仲間と対峙する事がある。その時、誰しも一瞬は武器を下ろす。だが彼女はその一瞬で仕留めるのだ。たとえ相手が友だとしても。

『頼りにしているよ。一度、落ち着いたら連れてきてね』

 通話が切れ、画面が暗くなる。リーラは疲れ切ったように椅子にもたれ、深く溜息を吐いた。

「やれやれ……あの人、読心術でも使えるんじゃないのか?」

 とは言え、正しい忠告ではあった。今は、大天使が楽園以外を知ろうとしているから、平穏な未来に傾いている。それでもまだ、どちらにもなりうるのだ。純粋な者は染まりやすいのだから。

「正しく愛せばいい。そうだろう? 大丈夫。ワタシは間違えないさ」

 それにはまず、一つ目の愛を与えよう。
 リーラは思い立ったように椅子から腰を上げ、様々な本が並ぶ棚を物色し始めた。
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