テンシを狩る者

小枝 唯

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蠱毒のテンシ

蠢く繭の中

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 裏切り者を始末して数日経った、とある昼下がり。休業中の宝石店【ロイエ】のドアを、あまが開けた。ちょうど店内掃除をしていたリーラは、いつも通りの笑顔で友を迎える。

「やあいらっしゃい、アマ君」
「遊びに来たよ」
「珍しい。今日は通りかかったんじゃないのかね」

 彼は時々、新作の茶菓子を持ってやって来る事があった。今日もその手に、彼御用達の店の紙袋を持っている。
 本人は遊びに来たとは言わず、偶然通りかかったと言い張るが、入り組んだところにあるロイエに通りかかる用事が月に何件もあるはずない。そこを突いてやると慌てるから面白いが、何度も意地悪をするのも可哀想かと、リーラもその体で受け入れている。

「たまにはね。あ、抹茶買ったから淹れてよ」
「作法が分からんよ」
「しょーがないなぁ、特別に私が淹れてあげる。お茶菓子出しといて」
「はは、ありがとう。三人分頼むよ」
「知ってるー」

 対面はまだだが、天には少しリーベの事を話している。今彼は部屋で夢の中だ。起きたら来るようメッセージを残しているし、もし何かあったら連絡しろと、スマートフォンを渡している。

(この店……好きだなぁ。今度桜堂に行く時、土産に買ってあげようか)

 リーラは天ほど和菓子に詳しくない。和菓子の美味さは分かるが、やはり洋菓子を好むのが多かった。それでも天がしょっちゅう話すため、行った事のない店舗やメニューの知識が自然とついた。
 この店は前も買って来た、個人店のもの。老夫婦で経営していて、常連になった天はその愛想の良さで二人に好かれている。彼も夫婦の人柄が気に入っているのか、あの関係が羨ましいと、よく言っていた。

「おや?」

 紙袋から出したのは饅頭。箱のイメージ図からして、中身は白餡のようだ。リーラは緩く握った拳を、考え込むように口元に当てた。
 とりあえず箱を開け、三つそれぞれ椅子の前に置く。その隣に、湯気が上がる湯呑みが添えられた。

「ありがとう。白餡かね?」
「そうだよ。ここの美味しいからね」
「へえ?」

 天はリーラと向き合うソファに座り、慣れた手つきで饅頭の包装を解く。小さめの饅頭をひと口で食べ、緑茶を飲むと幸せそうに息ついた。

「ご夫婦は元気そうだったかい?」
「相変わらずの仲良しだったよ。いいよね、おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒って」
「そうだね。キミの浮いた話は?」
「んー、出会いはないかなぁ。リーラ紹介してよ」
「ははは……ところで」

 天は饅頭をもう一つ食べようと、箱に伸ばした手を止める。冷たく硬い物が、額に押し付けられた。突き付けられているのは銃口。引き金に指を置くリーラは、片足をローテーブルに乗せて身を乗り出している。
 だが天は冷たい穴よりも、彼女の表情にゾッとするのを感じていた。今リーラの顔は、普段は欠かされない笑顔が微塵もなかった。無表情で、とても冷たい顔で見下ろしている。

「……何? 怖い顔してさ」
「キミはいつから、白餡を克服したのかな?」

 天は根っからの和菓子好き。だが唯一、白餡は苦手だった。食べられないわけではないが、好んではいない。

「あれ、言ってなかったけ? ここのは好きなんだよ」
「遺言は以上か?」
「ちょっと」
「アマ君はね……永遠にユウガ君だけを想い続けているんだ。叶わないと知っても、彼を守るために人間になった。分かるかね? オマエが語っていい子じゃあないんだよ」

 昔、一人の天使が人間の少年に恋をした。彼と添い遂げたいと望み、女の性を受けて人間に堕ちようとするほどの愛だった。だがある時、彼が恋愛ができず、訳あって異性が苦手である事を知る。それでも天使は性欲ではなく、彼を人として尊敬し、愛している。だから友として側で見守りたいと決意して、男の性を受けて堕ちた。それが天と優牙の関係だった。
 彼はずっと優牙の事を想っている。二人を見守って来たリーラはその想いの強さも、健気さも知っていた。だから余計に、彼らを侮辱するような輩は許せない。
 若干引き攣る笑顔だった天の顔はたちまち鬼のように歪み、らしくない舌打ちをする。しかし、今まさに引き金が引かれる直前──クローゼットが開いた。

「リーラ?」
「!」

 黒い霧を抜け、やって来たのはリーベ。まだ慣れないのか、髪が編まれていない姿でそっと客室を覗いていた。

「戻れ!」

 リーラの声に、リーベはすぐクローゼットを閉めようと力を入れる。だがもう相手は狙いを彼へ変えていた。天を模した何かは、不気味な笑顔を見せる。

「みぃつけた」

 突風が吹き、閉まりかけていたクローゼットのドアが乱暴に解放される。部屋中の物が飛び散り、相手を止めようとしたリーラの目の前を邪魔した。彼女は飛んできた花瓶を蹴り落とし、なんとか視界を開ける。
 その頃には、散らかった部屋にはリーラしか居なかった。おそらくはリーベを追って、クローゼットの奥へ入ったのだろう。

(まずい、教会に行かれた……!)

 保護しているテンシたちと万が一接触なんてしたら、大惨事になる。リーラは急いでクローゼットに広がる暗闇へ飛び込んだ。


 リーベは重い眼を擦りながら、妙な感覚を覚えて目を覚ました。何かの気配がした。嫌なものではなく、なんだか懐かしい気配だ。体の奥、水が流れるような不思議な鼓動を打つ胸の奥深くが、気配の源を欲しがっている。

「わたしの、核?」

 リーラから各地に散らばったと聞いた。もしそうなら、力を少しでも手に入れたい。その方が役に立てるから。その思いで気配をたどれば、行き着いたのはロイエに続くクローゼット。一人で飛び込むのは怖いが、勇気を出さなければ。しかし潜り抜けた暗闇の先にあった景色は、あまりにも間が悪かった。
 感情が読み取れるリーベは、知らない誰かに銃口を向けるリーラからただならぬ殺意を感じた。幼い脳でも、今声をかけたのは間違いだと分かる。しかし後悔先に立たず、戻れの声と共に、とにかく霧の中へ駆け込んだ。
 リーベは暗闇の中で振り返る。奇妙だ。あそこには二人しかいなかったのに、三人分の感情があった。

(あそこに入ってて、リーラと一緒なら、友達?)

 見ず知らずの相手を客室に通して、お茶を嗜むなんてしないだろう。それに、銃の引き金を引こうとしていたリーラの感情には、強大な殺意の中に焦りが隠れていた。そして銃を向けられていた彼の中にあるもう一人の感情は、助けを求めている。
 無知は良くないとリーラが言っていた。だからリーベは考え、教会へ戻ると逃げるのをやめた。
 続けてクローゼットの霧を駆け抜けて来たのは、先程とはまるで別人だった。まるで蚕の繭が人の形を作っている。

『その力をよこせ!』

 濁った声に歪んだ笑顔。しかしその顔に見覚えがある。どくだ。歪だが、記憶の中の彼と一致する。
 だがあくまでそれは彼を模した存在でしかなく、リーベにぶつかる直前、口を開けるように糸の塊が解けた。リーベは予想していなかった独の面影に驚き、ただ目を瞑る事しかできない。

「……っ?」

 しかしそれだけだった。痛みもなければ、糸が絡み付く感覚すらない。一体何が起こっているのか分からないが、視界を覆う糸のもどかしそうな動きからして、どうやら触らないのではなく触れないようだ。
 眩しく見える糸の中、必死に出口を探す。そこで一つ、別のものが視界に入った。それは人の手。

「リーベ、聞こえるか!」
「! リーラ」

 外から、何十もの壁を隔てているくらいの小さな叫びが届いた。リーラがクローゼットを通ってここへ来たのだ。しかし駄目だ。このままにしていれば、バケモノ諸共手の主を殺してしまう。
 リーベは必死に空気を掴もうとする、華奢な男の手を両手で掴んだ。そして精一杯空気を吸い込む。

「リーラ、中に、人が居るんだ! たぶん、リーラの友達! 手がある……!」
「分かった、手を」

 声は途切れる。その代わり、耳を劈く悲鳴がリーベの鼓膜を刺激した。脳を揺らすような音に思わず耳を塞ぎそうになるが、耐えてぎゅっと手を掴んだ。救いなのは、その手も握り返してくれた事か。

「リーベ!」

 そう呼ぶ声は、間近で聞こえた。ぱっと顔を上げれば、ナイフで糸を切り裂いたリーラが居た。強引にナイフで繭を割り、かき分けてきたのだ。
 彼女の顔を見た途端、青かった瞳は緑に変わり、涙で潤う。

「いい子だ、よく頑張ったね。離すんじゃないぞ」
「うんっ」

 まだ泣くのは早い。ここで泣けば彼女の手を煩わせる。
 リーラの大きな手が、リーベと糸に飲まれた手を握った。「引っ張れ!」という声の勢いと共に、二人はぐっと後ろへ体重をかける。だがびくともしない。
 リーラはナイフを外に放り投げ、開いたもう片方の手も掴ませる。そこで再び力を込める時、彼女の紫の目が僅かに瞬いた。瞬間、糸の中心から天がずるりと引き抜かれる。

「よし……!」

 リーラは二人を抱きしめ、繭の中から引き摺り出した。するとあれほど活発だった繭は萎れ、ぴくりとも動かなくなった。
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