テンシを狩る者

小枝 唯

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蠱毒のテンシ

大天使の核

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 無事外へ脱出したが、天はぐったりしている。リーラは床に寝かせた彼の薄い胸板へ耳を当て、ほっと安堵の息をついた。聞こえる鼓動も、口からする呼吸も正常で、ただ気を失っているだけだ。
 不安と恐怖に瞳を紫にしたリーベの頭を、慰めるように優しく撫でる。

「よくやった。もう心配ない」
「そ、そっか、よかった……よかったぁ」

 リーベは、可愛らしいフリルが飾る胸に両手を当て、何度も「よかった」と確かめるように呟く。

 繭のような糸の塊は、うんともすんとも言わなくなった。リーラはナイフで分厚い中を切る。もしテンシなら、核があるはずだ。それを取り除かなければ終わりではない。

「さっき、独を見たんだ」
「なんだって?」
「独の顔が、一瞬……。それでな、わたしの核があるかもしれないって思って」

 リーベは拙くも、起きてからクローゼットを開けるまでに感じていた事を伝えた。
 確かにリーベの核の場所は把握できていない。可能性は低いが、独が持っていたというのはゼロではない。しかし独はもうマスターに処分されたはず。彼の能力は幻覚であるため、外傷はない。だから後々、焼却するという別の処理が必要になる。

(それも行ったと聞いたが……もし事前に大天使の核を持ち、体内に入れていたとしたら、生き残ってもおかしくはない)
「おい、何の騒ぎだ」

 孤児院へ繋がる扉を開けたのは、保護対象者たちの担当医であるレーレ。声が聞こえていたのだろう。彼は散らばった物体に顔をぎょっとさせた。
 リーラにとって彼の登場はタイミングが良かった。近くにある繭の残骸を適当に選び、それをレーレに差し出す。

「これの分析を頼む。大天使の核が動き出したかもしれん」
「うえ……虫は嫌いだ」
「繭だよ、虫本体じゃない」
「知ってるか? 繭や蛹の中でアイツらは液体状況になってるんだぞ」
「最悪な豆知識をありがとう。あと、医療ベッドを一つ貸してくれ」

 レーレは繭の一部を指先でつまむように持ちながら、背後で横たえる天を見る。天とは顔見知りだ。たまにリーラと一緒に、孤児院に遊びに来る。愛想が良くて子供に人気だ。そして、彼女が大事にしている人間の一人だというのを知っている。

(そのテンシ……手を出す相手を間違えたな)

 白衣の胸ポケットから病室用のカードキーを取り出した。彼女はそれをパンツのポケットに入れると、天を抱えて歩き出す。どうすればいいのか戸惑うリーベは「おいで」と言う声に、遅れてリーラの背中を追った。
 時間は午後過ぎ。幼いテンシたちは寝ているのか、病室へ向かう時に通り抜ける大部屋はしんとしていた。いくつもあるドアを通り過ぎ、病室の鍵を開けてそっと天を寝かせる。彼を見るリーラの横顔は黒い髪に隠れて、よく見えない。
 感情が読めるのに、今のリーベには彼女が何を思っているのか分からない。それがとても怖く、居た堪れなかった。

「わたしの……せいだ」
「オマエじゃなく、核を利用したヤツが悪いんだ」

 確かにリーベの存在は世界の命運を揺るがす。しかし楽園を拒否し、核が散らばった事は不幸中の幸いだ。そのおかげで楽園化しない未来が作られたのだから。
 リーラはリーベの前でしゃがむと、黒い手で純白をした頬を包む。

「いい事を教えてあげよう。自責というのは、美徳になりがちだがね、時には逃げているだけになる。幸せになりたいと願うオマエに、自責をしている暇はない。覚えておきたまえ」
「ん、うん」
「……おいで」

 リーラはそれまでの鋭い表情を柔らかく微笑ませると、そっとリーベを包み込んだ。

「これから先、たくさんの事を知れば知るほど、もっと苦しくなる。それは、幸せになるために覚悟しなければいけないよ。それでも、ワタシの手を取ったあの時を後悔させない。約束だ」
「リーラは、いなくならないか?」
「当たり前だ。ワタシはオマエを独りにしない。もしオマエが過ちを犯すのなら、こうして抱きしめて止めよう」

 リーベは柔らかな胸元に顔を埋め、こくんと頷いた。それでもいつまでも甘えていたくはない。少しでも役に立ちたいという気持ちは、軟弱でも変わらなかった。

「わたしも、役に立ちたい」
「なら今、手伝いをしておくれ」

 体を離したリーラは、いつも通りの笑顔。彼女は手頃な椅子を引くと、そこにリーベを座らせた。

「リーベ、核を感じたと言ったね? 近くにまだ感じるか?」
「うん。場所までは分からないけど……遠くにはいない」
「よし。少し外で用事を済ませてくる。その間、ここでアマ君の事を見ておいてくれ。起きたら連絡を頼むよ」
「分かった!」

 リーラは意気込んで頷いたリーベのまだ結われていない頭を撫で、病室から出た。
 長い廊下を進み、クローゼットに向かう足取りはいつもよりもどこか歩幅が広く、強く地面を踏んでいる。誰も居ないせいで、教会にゴツゴツという足音はよく響いていた。
 今、彼女は少しだけ気が立っている。他人にではなく自分にだ。

(あの時、リーベが開けなければワタシは彼を撃てなかった。いや、撃てても、急所は外していただろう)

 あの一瞬の迷いが、どれだけ周囲の命を奪うのか。この仕事に私情は関係ないのだ。代表である以上、誰よりも冷酷でなければならない。どんな相手でも率先して撃たなければいけない。誰よりも分かっているつもなのに。
 クローゼットの霧を通り、荒らされた客室を見て大きくため息をついた。片付けが面倒だ。せっかく気に入っている家具もあったのに。
 リーラは蹴り落として粉々な花瓶の下敷きになった薔薇を拾う。そこ一帯、茶色のカーペットが事件現場かのように赤く染まっている。この薔薇は、彼女が自身の血で育てたものだ。使いすぎるなとレーレに言われているが、そういうわけにもいかない。

 closeの看板が揺れる店のドアから出た彼女は、歩かずに背中に漆黒の翼を生やし、街の中心へ飛んだ。平日の昼過ぎと言えど、さすが中心都市。空から見ても出歩いている姿が分かる。

「ここでいいか」

 だいたい、都心の中心だろう。そう頷き、リーラは持って来た赤黒い薔薇を口元に持っていく。呪文のような、現代の言語とは異なるような音を囁き、最後に祈るように口付けする。そして、いまだに血を滴らせる薔薇を掲げ、地面へ向けて思い切り投げた。
 薔薇は矢のごとく空気を切り裂き、コンクリートに突き刺さる。リーラはまた同じ音を口ずさむ。彼女の髪が風を無しに踊ると同時、薔薇を中心に赤い魔法陣が都市全体に現れた。淡く、それでも強く輝き、地面に染み込むように消えていった。

「ふぅ、これ疲れるんだよなぁ」

 これは結界で、封じ込めるタイプのもの。まだ中にいるであろう繭の元凶となったテンシを逃がさない。リーベの証言からして、おそらくまだ都内には居るはずだ。
 リーラは適当な影になった路地に降りて翼をしまい、レッグポーチから葉巻とジッポーを取り出す。一回煙を深く吸うと、スマホでマスターに通話をかけた。

「ごきげんようマスター。どうやら、駄犬を殺し損ねたみたいだぞ」
『なんだって? 焼却したはずだよ』
「リーベ……大天使の核を持っていたようでね。おそらくだが、ソイツは他人に化られる。その焼却したというのも、本体じゃなかったんだろう」
『けれど脳を……あ……うぅん』
「? マスター?」

 彼にしては歯切れ悪い。何か気付いたようで、もどかしそうにしている。しばらくして、弱々しいため息が聞こえた。

『すまないリーラ。僕のミスだ』

 マスターは仕事での立ち振る舞いと、それ以外では人称を変える。俺ではなく僕と自分を呼ぶ時は、基本的に素だ。どうやらそこに気を遣えないほどの何かがあったのだろう。

「ミスはお互い様さ。また詳細を連絡するから、そっちはそっちで、繭や虫についての被害がないか、情報を集めておいてくれたまえ」
『分かった』

 通話を終えた画面に、リーベからのメッセージがあった。天が目を覚ましたとの旨で、リーラは一度畳んだ翼を再び開き、どの鳥よりも早く帰路を飛んだ。
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