テンシを狩る者

小枝 唯

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蠱毒のテンシ

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 リーラが医療室から出て行って、少しした頃。何もできる事がなかったリーベは、天の手を握っていた。彼をここへ寝かせる時、リーラはとても悲しい感情をしていた。だからとにかく目を覚ましてほしくて、ぎゅっと握っていた。
 すると、華奢でも大きな手がぴくりと動いた。リーベは少し弱くも握り返された事で、彼の意識が覚めたと気付く。

「う、ん……頭、いったぁ」

 天は端正な顔を歪め、めまいを起こす頭を支えて起き上がる。そこで小さな手を握っているのを知り、雪のような腕をたどった。
 天とリーベは初対面だ。まるで西洋人形のような顔立ちと、少女が憧れそうにぱっちりした緑の瞳。絵に描いたような美少年という印象。しかし相手が誰だが、天には検討がつく。

「もしかして、リーベ君?」
「! うん、リーベだ!」
「そっか、君だったんだね」
「?」
「ほら、私の手、握ってくれてたでしょ? 繭の中でさ。あれがあって、凄く安心したんだ。ありがとう」

 あの時、天の体は繭の糸に絡まれたせいで、身動きが取れなかった。リーベを見つけた繭が、彼へ意識を移した事でようやく手だけが自由を取り戻したのだ。しかしその頃には意識が朦朧とし、死ぬのかと不安が襲った。だから、リーベが手を握ったのはとても救いだった。
 リーベの瞳が黄色に輝く。それが喜びを示すのだと、天はリーラから事前に聞いていた。しかしそう思っていれば、可愛らしい瞳にみるみる涙が溜まる。

「そっか、そっか、よかったぁ」

 その言葉をきっかけに瞳は緑色へ変化し、ボロボロと涙が溢れ出す。まさか泣かれると思わなかった天は、ひとまず側にあったタオルで慌てて涙を拭う。

「ど、どうしたの? あ……やっぱり怖かった?」

 リーベは一気に気が抜けたのか、わんわん泣きだす。天はそういえば、リーラが彼を「泣き虫なおちびちゃん」と称していたのを思い出した。しかし狩人と言えども実戦はまだなのだから、怖がるのも無理はない。
 そう思ったが、リーベは怖かったのかという問いに対し、何故か頭を横に振った。確かに、涙で濡れた瞳は安心している時の緑色。

「り、らの、友達、たすかって、よかったぁ」
「え……もしかして、私が無事な事に泣いてるの?」

 天はこくこくと頷いて泣き続けるリーベに唖然とする。このくらいの子供なら、怖さで泣くのが当たり前だ。それなのに、他人の無事にこんなに涙するなんて、想像していなかった。
 とにかく今は泣き止ませようと、天はリーベを抱きしめた。大人しく包まれながらも震える背中を、優しく撫でる。

(これは……リーラが恨めないのも分かるなぁ)

 彼女が日本に来て間もない頃、楽園化と大天使誕生の計画を知って「大天使も楽園も壊してやる」と殺気立っていた。なにせ大天使が生まれる実験の中で、最も深い傷を受けた犠牲者だから。
 だから、大天使が完成して一緒に過ごしているなんて聞いた時には、なおさら驚いた。しかしリーベを見ればそうなるのも納得できる。

(むしろアイツには良かったかもね)
「もうどこも、いたくないか?」
「うん、もう大丈夫。心配してくれてありがとう。あ、まだ自己紹介してなかった」

 天は体を離して、涙の跡を残すリーベの濡れた顔を優しく拭う。

「私は天。リーラとはまあまあ長い付き合いなんだ。よろしくね」
「よろしく、天! あっリーラに連絡しないといけないんだ!」

 リーベはハッとすると、放置したスマホをの画面を慌てて操作する。まだ貰って数日だから、入力も操作も慣れていない。
 天は改めて部屋の中を見渡す。音や声は聞こえていたが、自分がどんな行動をしていたかまでは把握できていない。最初は店か屋敷の客室だと思っていたが、現代的な設備を見れば、教会の医療室だと分かった。という事は、そろそろ彼が来るのではないだろうか。
 そう思って視線を向けたドアが、スライドして開いた。鍵を開けたのは予想していたレーレ。

「よう、起きたか」
「うん。ベッドありがと」
「念の為検査するぞ」

 ベッドの隣に座ったレーレの手には注射針。天はあからさまに嫌そうな顔をする。

「採血やだぁ……。道具もったいないよ」
「念の為だって言っただろ。後々もしなんかあれば、俺が痛い目に遭うんだよ」
「良かったじゃん」
「倍取るぞ」

 抗議も虚しく、渋々腕をまくる。別に針の痛みなんて大した事ない。血が吸われている感覚がなんだか嫌なのだ。
 採血が終わると、レーレは手早く他の検査も終わらせて早々に部屋を出て行く。すると彼と入れ違いでリーラが部屋に入って来た。連絡を貰って急いで来たのか、少し肩で息をしている。
 リーラはほっと安堵したようだったが、椅子に座らずリーベに囁いた。

「暖かい飲み物を頼めるかね? キッチンは突き当たりのドア向こうにある」
「うん、持ってくる!」

 手伝いが好きな彼は早速立ち上がり、意気揚々とキッチンへ向かった。そんな背中を見送ったあとも、リーラはまだ座らない。
 彼女はベッドに片膝をついて乗り上げると、天の体を探るように触れる。長い指が擦れるのは服越しでもくすぐったい。

「ちょ、ふふっ怪我は、ないってば」

 リーラは何も言わず、最後に天の顔を両手で包み、確かめるようにじっと見つけた。鼻先が触れそうで、お互いの青と紫が瞳に混ざっている。あまりの近さに、天は思わず呼吸を止めた。
 しかし次の瞬間、むぎゅっと頬を圧迫され、引っ張られる。急になんだという顔をした天に、リーラは満足そうに笑った。

「うん、この柔らかさは本物だ」
「はあ? 何それ!」

 リーラはケラケラ笑い、椅子に腰を落とす。そして葉巻を取り出すと、天はギョッとした。さっき近付いた時、甘い香りがしたのだ。つまりはここに来る短い間に一本吸い終えているという事。
 本物の葉巻ではないのは知っているが、鎮痛剤だって毒になる。本数だって一日10本と決まっているはずだ。

「ちょっと、吸いすぎだよ」

 リーラはそれに何も言わず、深く吸って細く長い紫煙を天へ吐いた。紫色の瞳に少し怒りが含まれているのが、煙越しでも分かる。

「無茶をしたね?」
「ご、ごめんって」
「勘弁してくれよ。ワタシは誰が敵でも撃たないといけなんだ」
「分かってる。あのさ、それ考えてたんだけど」

 天は繭に乗っ取られた時、漠然と考えていた事があった。それを言えばきっとリーラは怒るし困る。それでも、切実な願いだった。

「私がさっきみたいに、誰かを傷つけちゃったりする側になったらさ、絶対にリーラが撃って」
「何を言って」
「他に殺されるなら、私はリーラに殺されたい」
「…………ずいぶん残酷言うじゃないか」
「知ってる」

 これは意地悪で言っているのではない。そうすれば、もしもの時、リーラの心に刻まれる傷が少しは浅くなると思ったからだ。

「そんな未来、ワタシが壊すさ」

 リーラはドアへ目線を転がす。天は気付かないが、人より耳のいい彼女にはドアの外の騒がしさが聞こえていた。二人分の話し声が聞こえる。分厚くて防音に長けた部屋だから、内容までは聞こえないが。
 ドアが開き、居たのはリーベとレーレ。呆れた顔をしているレーレはカップを三客乗せたトレーを持っている。隣に居るリーベは、茶菓子を入れた皿を慎重に持っていた。
 リーベが三人分のカップにお茶を注いでいる時、ちょうどレーレも用があってキッチンにいた。
 無事注ぎ終えたのはいいが、水分の重さでよろよろと不安定な足取りは、見るに絶えなかった。そのうちリーベの通った道に雨が降ったようになる。そうなれば掃除する羽目になると、仕方なく手伝う事にしたそうだ。

「いいお兄さん役をしているね」
「やりたくてやってるんじゃない」
「リーベ、お手伝いありがとう。飲み物は今度練習しようね」

 レーレはただ兄役をしに来たわけではなさそうだ。視線でリーラは気付き、手を差し伸べる。そこに、先ほど分析のために渡した繭の一部が置かれた。

「テンシのだ。間違いない。で、大天使の成分が少し含まれている。プラス、裏切ったヤツのDNAもな」
「やっぱり彼は生きていたか。天使が望みを叶えたというより、事前に何者かが核を渡していたんだろうね。アマ君、キミが繭になった経緯を教えておくれ」

 ことの発端は、やはり彼の働く喫茶店『桜堂』で腰を落ち着けた客の会話。どうやら、平凡なブログでとある画像が貼られ、話題となったのだそうだ。写真に映るのは、いつの間に忍び込んだか、家の中に居座る繭。
 ただの繭ならば、皆見向きもしないだろう。しかしソレは、恐ろしいスピードで成長した。気まぐれにブログの投稿者が成長日記なんてものを書き出し、たった三日で、羽化するどころか顔ほどの大きさに成長した。

「みんなフェイクだって言ってたんだ」
「今の時代、そんなのはごまんとあるからな」

 しかし皆は面白いものが好きだ。注目は止まず、やがて繭は人と同じ大きさになった。

「そこから、ブログの人が投稿しなくなっちゃってさ」

 それこそ「逃げた」だの「喰われた」など面白おかしく盛り上がった。そして急に、一つの住所が張り出された。

「行ったのかね」
「そ。なんか臭いから」
「それでミイラ取りがミイラになったってわけだな」
「うるさいなぁ」

 もしものため、被害が増えないように人伝に住所は消去させた。しかしさすがはネット。たった一日で何百人と広がった。これはどうしようもできない。

「噂話よりも回りが速いなぁ」
「ネットは全人類が持てる兵器だからね」

 向かったのは崩れかけた廃ビル。マイナーな心霊スポットだ。足の踏み場に注意しながら進んだ奥に、糸のような線状のもので扉を作られた部屋があった。
 相手は虫だという事で、念のため天はライターを持っていた。それで燃やして入ろうとした時、無数の目に見られているのに気付く。

「ドアになってたのは、虫だった。蜘蛛だよ」

 引き下がろうとした瞬間、天に無数の蜘蛛が飛びかかって来た。その拍子、口の中に一匹が入った感覚を覚えている。

「それで、気付いたら身動きできなかったんだ」
「その蜘蛛は……おそらくテンシの血を飲んだな。だからドク君の姿が見えたんだろう」

 話を聞いた限り、蜘蛛は体内に入った人物を繭で覆う事で成り代われるのだろう。

「それでやばいのがさ、最近の私物が落ちてたんだよね。たぶん、ブログを見て来た人だと思う」

 廃墟に最近の物が落ちているのは、新しい客人があった証拠だ。その場に居なかったという事は、もう一般人に紛れ込んでいるのだろう。

「ふむ、そのブログの……なんだ、ゆーえる?」
「URLだ」
「それと廃墟の場所を教えてくれ。あとはワタシたち狩人に任せて、キミはゆっくり休みたまえ。ユウガ君が心配しているよ」

 昨日の夜、優牙から天が帰ってこない事を聞いていた。だから今日店に来た時、無事帰って来たか、天ではない何かか判断できずにいたのだ。

 蜘蛛を飲んだ人間も、テンシの力を帯びる。となれば、魔法陣を踏んで外へ向かう事はできない。早急に都内の狩人へ連絡をして、体制を整える。

「リーベ、オマエは親玉の在処ありかが分かる。頼りにしているよ」

 これはどんな優秀な狩人にも不可能だ。リーベは頷くと、意気込んで両手に拳を作った。

 検査した結果、天の体には異常は見られなかった。優牙に連絡すると迎えに来ると返信が来たため、三人で店に帰ろうとクローゼットの前に立つ。しかしリーラは一歩後ろへ引いた。

「少し用があるんだ。リーベ、アマ君を頼むよ」
「うん、ちゃんと手をつないでるから、大丈夫だぞ」
「あはは、ありがとうリーベ君」

 白く小さな手を握り返し、天は見送るリーラを見る。少し青い目を逸らし、ボソッと独り言のように呟いた。

「……ありがと」
「ふふふ、またおいで」
「通りかかったらね」

 いつも通りな彼の返答に、リーラはカラカラ笑った。背を向けた彼の耳が赤くなっているのが見える。
 リーラは暗い霧が隠す二人の背中に、静かに手を振った。
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