テンシを狩る者

小枝 唯

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蠱毒のテンシ

蠱毒を完成させるには

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 【蠱毒】──それは昔あった、恐ろしい呪術。人を呪う方法だ。とは言え、それにしては手順は簡単で、虫に抵抗さえなければ誰でもできる。
 やる事は、数匹の毒虫を壺の中に入れる。たったそれだけ。育成するわけではなく、餌は壺に入っていない。そんな中、閉じ込められた毒虫は何をすると思う? 生き延びるため、互いの体を食い合うのだ。
 最後の一匹として生き残った毒虫を使い、相手を呪う呪術だ。

───                **───                    **

 二人の男が、林の地面に埋まった岩の側を一心不乱に掘っている。それだけでも異様な光景だが、彼らの焦点が合わない目が何よりも不気味だ。手で掘っているのに汗ひとつかかず、更には爪が割れても、全く動じない。まるで死人が動いているようだった。
 やがて掘り終わったのか、ふらりと立ち上がる。岩の下は、人が屈めば通れる程度の洞穴があった。何かに引き寄せられるかのように、おぼつかない足取りで彼らは中へ進んでいく。そんな様子を、赤い目をした大きなカラスが、空に円を描きながら見下ろしていた。

 中は薄暗く、アリの巣穴のようだ。四つん這いになって進み、開けた場所に出た。薄暗いそこは、白い糸が張り巡らされている。中央には、ゆっくり呼吸するように脈を打つ巨大な繭があった。
 二人は何かに導かれるままに、繭に歩み寄る。そして巨大な繭を抱きしめるように、両腕を広げて体を密着させた。

「うぅ」
「あぁ……ああ」

 小さなうめき声をあげる顔が、そこで初めて苦痛に歪んだ。やがて少しずつ、筋肉や脂肪が溶けて骨が細く衰え、肌の艶もなくなり、顔に老人と見間違うほどのシワができる。その様子はまるで、彼らの時間だけが早送りされるかのようだ。
 生命のエネルギーは一滴残らず消え失せ、ただの入れ物になった体はその場に崩れ落ちる。よく見ればそこは、そんな彼らが大勢集まって山となっていた。
 乱雑な墓の上で、繭の中身は苛立たしそうにしている。

『まだ、足りない。まだ腹が満たされない』

 こんな人間からでは、いくら経っても力が溜まらない。毒虫の王にならなければいけない。王となり、あの飄々とした女に復讐するには、もっともっと力を持った人間を食い、強い毒を制さなければ。

『強い……毒?』

 憎悪に染まり切った頭が、そのワードにぼんやりと過去を見せる。モヤのかかった頭の中で、ポツンとたたずみこちらを見るのは、あの女に恩があると言った毒使い。
 無数の牙が覗く口が、ニタリと不気味に弧を描く。

『メインディッシュに最適だ』

 巨大な蛾を模したテンシは、真っ白な翅を羽ばたかせると勢いよく繭を突き破り、空へ飛んだ。

───                **───                    **

 草を靴裏が踏む、サクサクという音が心地いい。紾は一人、山菜取りに来ていた。彼は少食だが、食材を調達するのには骨が折れる。
 皆はスーパーやコンビニやらで簡単に手に入るだろうが、紾はそれが食べられない。まだ自分の体質に気付かなかった幼い頃、買ってもらったチョコレートを食べて吐き出したのはトラウマだ。
 お目当ては、毒キノコや毒性を持つ草花。整備されている場所では、あまりお目にかかれない。だから紾は、テンシ狩りの報酬でこの山を買った。

(ん、あった。美味しそう)

 彼特製の毒の種を撒き、それを充分に吸って育った毒キノコ。キノコ類は他と比べて腹が満たされるし、料理のしがいがある。
 この山全体が危険というわけではなく、仲間を招待して、たまに紅葉狩りなんてものもする。一人が好きだった紾だが、狩人になってからは、仲間の賑やかさを見るのは好きになった。今度は桜を植えてみようか。今年はリーベも居るし、きっと喜ぶ。
 紾はまだ青い葉っぱを、曇り空を背景にして木陰に座った。休憩のおやつにと取り出したのは、クッキー。料理上手な律が、スズランやツツジを混ぜ、紾が楽しめる毒のクッキーを作ってくれた。相当な工夫を凝らしてくれたのか、これがとても美味い。
 毒で淹れた紅茶と、毒のクッキー。舌の上に乗れば、強い痺れが襲ってくる。彼にとってはこれが味だ。

「……?」

 見上げていた枝が、不自然に揺れた。まるで巨大な手が空をかき混ぜたような、そんな乱れた突風が巻き起こった。それを連れて来た何かは、紾が見上げる空を隠す。無数の赤い目と夜色の瞳が合わさった。
 瞬間、それは空から急降下し、紾が居た地面を抉る。重力に従うよりも早く落ちて来たソレは、白い体をゆっくりと起き上がらせた。そして体の下に、獲物が居ないと気付く。

「ちゃんと弁償してよ、そこ」

 空を覆う雲よりも真っ白な蛾。蛾は木々にぶつかる巨大な翅を閉じ、声の方に振り返る。紾が相変わらずの無表情で、少し面倒くさそうにしていた。

『よう、紾』
「? なんで僕の名前、知ってるの?」
『忘れたのか。仲間だっただろう?』

 濁った声はもう人とは呼べない、聞くに耐えない雑音。しかしかろうじて、同時に何十人と喋る中から、聞き覚えのある声を見つけた。そしてもうボヤけきった記憶の中、そう言えば裏切り者は自分を誘ったなと、曖昧に思い出した。

「断ったと思うんだけど」
『あぁ、そうだったな。だが……今回は強制だ!』

 言葉が終わるより前に、テンシは紾へ飛びかかる。紾は避けようとせず、ただ巨大な蛾を見上げていた。
 無数の手が触れる直前、パンッという鼓膜を震わせる鋭い音が二人の間を遮った。今のは銃声だ。しかしテンシは体に違和感を覚える。弾が突き破った体を見下ろせば、弾痕から小さな亀裂ができていた。

「やっぱり正確だね。凄いよ」
『あ?』

 無表情でも、紾は心から関心しているようだ。
 一体何が起きているのか。ただの弾丸のはずなのに、体が痺れる。だが正体を考える隙は無かった。
 視界に、黒い蝶が映る。無数の蝶はどこから来たのか、遊ぶようにテンシの周りを踊った。

『邪魔だ!』

 テンシは鬱陶しそうに、四本の腕で蝶を叩き落とす。しかし触れた瞬間、蝶は影のように弾けて消えた。すると、触れた場所に激しい痛みが襲いかかった。
 顔の近くで弾けた蝶は、音波となって激痛と鼓膜を破る衝撃を与えた。肌から骨に伝わる未知な痛みは、テンシの膝を地面につけさせる。

『クソが……!』

 テンシはなんとか立ち上がった。しかし足が動かない。見れば、両足が石になって固まっている。
 何かおかしい。一旦離れようとしたが、翅が動かない。禍々しくも美しい目の模様を描いた翅は、まるで最初から芸術品であったように、石化していた。
 間が悪かった。固まっていると知らず、少しでも羽ばたこうとしたせいで深い亀裂が翅に走り、たちまち砕け散る。翅を無くしたせいで体のバランスが崩れ、テンシはその場に崩れ落ちた。
 テンシは呆れたように見下ろす紾を、地面から悔しそうに見上げる。

『なんだ、何をした!』
「……君、頭悪いでしょ」
『はあ?!』
狩人僕らの事、馬鹿にすぎ」

 ガサガサと周囲で音がした。新たにテンシを囲んだのは、五人。現れたのはアゲハ、すみ、ヨアケ、リーラ、リーベだ。

『お前、一人なんじゃ』
「一人になるわけないじゃん。蠱毒を実践しようとしてるんでしょ? それが分かって、君が僕を狙うのは予想できたよ」

 あのあとリーラに蠱毒を説明してから、紾は自分が囮になる事を申し出た。
 独は常々リーラと力を比べたがった。だが一度負けた身なのだし、恨みもある。ただテンシになっただけで対峙しようとは考えないだろう。だから、最も強い毒である紾を取り込もう狙うという予想は、簡単だった。
 恨めしそうに紾に伸ばされた手が、リーラのブーツに踏み潰される。彼女はいつもと変わらない笑顔だ。

「メインディッシュをお預けになったキミに、ここまでの調理過程を教えてあげよう」

 紾がここに来た時、目視では届かない程度の場所で、五人は待機していた──。
 ──アゲハと澄は、初任務に緊張しているのか、表情を固めている。澄の白く染まった右目は、数千キロ離れている小さなものを見る事ができる。だからテンシに勘付かれない距離を保ちつつ、その右目で状況を把握し、皆に伝えるために呼ばれた。

「スミ君」
「は、はいっ!」
「キミには先制攻撃を頼むよ。メグル君に襲いかかった瞬間だ」
「承知致しました」

 澄はその目の良さで、狙った的に百発百中で弾を当てる腕を持つ。狩人に誘った時、リーラが地下に作った訓練場で付きっきりで練習をし、さらに磨きをかけている。
 強張った表情のまま頷く澄に、リーラは足のレッグポーチから白い銃弾を渡した。見た事のない弾を、彼は不思議そうに眺める。

「ソレは特別仕様なんだ。メグル君が作った、毒の体を無効化する毒……だそうだ。凄いよね」
「そんな物が。あ、あの、一発だけ、ですか?」
「ああ、キミなら余裕さ」

 確かに、これでもかと訓練とインスピレーションを重ねた。だが緊張のあまり、心臓が胸を突き破りそうなくらい跳ねている。今朝何も食べられなかった胃袋が、胃液だけを押し戻して気持ち悪くなってきた。

「そう肩肘つくな。自信を持ちたまえ」
「張るな、だろ。ついてどうすんだ」
「それだ。……なんで肘を張るんだ?」

 リーラは心底分からないと言ったように、紫の目を遠くに転がす。その様子に澄は思わず小さく吹き出した。
 意味を尋ねられたヨアケは、面倒くさそうにリーラから離れる。たまにバグった翻訳のようになる彼女の日本語に関わるのは嫌だ。戦闘前に疲れたくない。
 ヨアケはメガネを取ればいいだけだから、特に準備も要らなければ緊張もない。そんな彼女は、二人目の新人であるアゲハの動きを目で追った。さっきから、自分の武器である喉に触りながら、咳払いを繰り返している。

「コウモリ女」
「……」
「おい、コウモリ女」

 アゲハは驚いて戸惑いながら自分を指さす。そんなあだ名は初めてだ。確かにコウモリは超音波を発するが。

「お前、喉やってんのか」

 アゲハはびくっと肩を跳ねさせると、瞳を潤ませながらも首を横に振る。スマホの音声が『違和感を感じただけ』と読み上げた。それはつまり不調寸前。ヨアケは呆れたように「やってんじゃねえか」と呟く。
 申し訳なさそうに足元に落とされた視界に、ヨアケの手が入る。差し出された手の平にあったのは、のど飴。アゲハはどういう事かと、飴とヨアケを交互に見やる。

「やるっつってんだよ」
『どうして飴を?』
「あ? タバコ吸わねえ代わりに持ってるだけだ」

 ヨアケはポカンとしているアゲハに、飴をポイッと投げた。彼女は慌てて受け取る。それを見届けると、ヨアケは「味に文句言うんじゃねえぞ」と言って、離れた木陰に座った。

「彼女は優しいね。喉、大丈夫かね?」
「!」

 後ろからのリーラの声に、アゲハはこくこくと頷いた。飴の包み紙をそっと開き、大事そうに口で転がす。体の中に風が吹いたように心地がいい。

「口は悪いが、面倒見のいい子なんだ」
『ヨアケさんの、お役に立ちたいです』
「おや? ふふ、気に入ったんだね? その飴が無駄にならないように、キミの力を精一杯発揮すればいい。それが恩返しだ」

 アゲハはチラリとヨアケを見ると、リーラに振り返る。そしてマスクの下に隠されていた、鋭い牙が覗く口でにこっと笑った。

「来る」

 いつもの元気の良さはなく、リーベは空を見上げながら小さな声で呟いた。核の鼓動が近づいてくるのが分かった。リーラは不安そうな彼の視線に微笑んで頷き返し、全員に目配りする。
 そこからは早かった。襲いかかった瞬間澄の弾丸が胸を捉え、アゲハの音波がテンシの姿勢を崩す。そして体制を改めようとした翅と足を、ヨアケが石化して食い止めた──。

「というわけだ。キミは我々を下に見ていたようだから、都合が良かったよ」

 テンシはわなわなと体を震わせ、化け物のような顔をさらに醜く歪める。そして叫んだ。

『強くなる事の何が悪い!』

 響き渡る声に誰も答えない。しかし風の音だけになった時、リーベが口を開いた。

「独は、何になりたいんだ?」
『あ……?』
「リーラを殺して、その先はなんだ?」

 その答えは返ってこない。もしかしたら、過去は先の姿を思い描いていたかもしれない。しかしテンシとなり強さを求める以外の思考は断たれている。
 リーベの小さな肩に、とんと黒い手が置かれる。リーラは「もういい」と囁き、赤黒い刃をした鎌を振り上げた。今にも刃がテンシの首を刎ねようとした時、もぞもぞと口が動いた。

『蠱毒は──まだだ!』

 笑い声の直後、ドパンッと大きな水風船が割れたような音と共に、テンシの体が破裂した。
 ヨアケは石像を盾にアゲハと澄を守り、リーラは翼を広げてリーベと紾を抱き寄せた。飛び散ったのは、石像も溶かす毒液。

「リーラっ」
「大丈夫だ。ワタシから離れるんじゃない」

 しかし何を企んでいるのだろう。鎌はまだ触れてすらいなかった。あれはテンシが望んでした行動。しかし何の利益があるか分からない。
 核を取りに近寄ろうとしたリーラを、リーベは毒液の池に沈む残骸に目を向けながら止めた。

「まだ居る……!」

 まだ核の生きる鼓動がする。すると、毒液はぷつぷつと沸騰するように泡立ち始めた。その時、紾は黒い瞳を見開いて「あ」と呟く。思い出した。蠱毒の最終工程を。

「ごめんみんな。蠱毒、完成したかも」

 その懺悔を肯定するように、ドロドロとした毒液が蠢き出した。毒の体液は残骸へ集まり、一つの生き物を構成する。生まれたのは、巨大な毒蜘蛛。
 ただの毒蜘蛛ではなく、その見た目は先程まではあった美しさの欠片もない化け物。人間の姿を残していて、八本の人の四肢に膨れ上がった蜘蛛の胴体、頭部は独の顔を挟むように、食らったであろう人間の頭蓋が八つ並んでいる。
 恐ろしさにアゲハと澄はヨアケに抱き付いている。リーベは紾に守られながら、テンシの核を見つめていた。本来美しいはずの色が暗い。力に浸食されているのが、彼だけに見えた。

『ははははっ! お前たちのおかげで、蠱毒は、完成した!』

 そう、蠱毒を完成させるためには、最後は生き残った毒虫を呪う対象を恨みながら殺すという、最終工程がある。蠱毒のテンシは、ついに完成した。
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