テンシを狩る者

小枝 唯

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導きの天使

拒絶する瞳

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 パトカーから降ろされ、リーラは空を見上げた。琴音は怪訝そうにしながら、彼女の視線を辿る。見つけたのは1羽のカラス。クラレだ。リーラの指示でパトカーを追い、ここまで来たのだ。
 クラレは大きな翼を広げて電柱から飛び立つ。だが真っ直ぐ2人へ向けて飛んだと思ったが、なぜかクラレはリーラを無視した。琴音の帽子をはたき落とし、服の上から鋭い爪で引き裂こうとしている。さすがの琴音も突然のことで恐怖にたじろいだ。通常のカラスより3倍も大きいのだから、殺意を感じればより恐ろしいだろう。

Neinおやめ!」

 鋭いクチバシが琴音の焦茶の目を貫こうとした時、リーラの怒声が飛ぶ。クラレは驚いたように動きを止めた。

「ワタシはそんな命令を出したか? クラレ」

 冷たく静寂な声に、なぜかクラレだけじゃなく、思わず琴音もゾッと背筋を震わせた。クラレからすれば、相手は主人に理不尽な罪を着せた人物だ。行動の理由は分かる。しかしリーラにとっては余計でしかない。
 睨まれていると気づいたクラレは、謝罪するように琴音の帽子を拾って渡す。手錠で不自由な手を琴音に差し出すリーラの肩に、大人しく留まった。

「すまない。うちの子なんだ」
「は、え……?」
「あぁ、服がボロボロだね。後日新しいのを送るよ」

 琴音は慌てたように、先ほどクラレに掴まれた肩を見る。ワイシャツまで貫通していて、肌着が見えていた。リーラの声があと少し遅ければ、間違いなく肌に到達していただろう。警察の服は、普通の布よりも丈夫な素材。鳥の爪は確かに鋭いが、こんなあっさりと破けるわけがない。
 一体全体、何が起こっているのか。混乱しながらリーラを見ると、彼女はクラレにボソボソと囁いていた。カラスは賢い鳥だ。しかし琴音にとって、得体の知れない個体であると体で理解する。そしてそんなカラスをものともせず操るリーラは──。

(まるで、魔女……)
「はは、さすがに魔女ではないよ」
「!」

 琴音はバッと口を手で隠した。今この瞬間を、反射的に思い返す。心で思っただけで、口は動かしもしなかった。そもそもリーラは琴音を見ていなかったのに。リーラは意識すれば、ある一定の範囲内に居る人間の心を読める。しかしクラレは驚いていた。なぜわざわざ、琴音にそれを仄めかすのか。
 驚愕と戸惑いに揺れる深い茶色の瞳は、リーラの暗く怪しい紫の瞳に釘付けだ。リーラはそんな彼女にクスリと笑い、クラレを飛ばすと背を向ける。

「さあ、案内してくれたまえ」

 そこで我に返った琴音は、リーラを追おうとしてもう1つの変化に気づく。肩が暖かい。見れば、破けた制服の上にリーラの上着がかけてあった。

(い、いつの間に)
「おーい、どこへ行けばいいんだね?」
「あ……か、勝手に動かないでください!」

 琴音は言葉にできないもどかしさを覚えながらも、カラカラ笑うリーラを案内した。

 殺風景な取調室。100年以上生きてきたが、ここに来るのは初めてだ。リーラは興味深そうに見渡しながら、仲間の趣味で一緒に見た刑事ドラマを思い出していた。フィクションでは恫喝をする迫真ある場面が展開されるが、現実ではどうなのだろうか。

(何年生きても、経験しないことってあるんだねぇ)

 しかし、こんなに長時間1人で放置するものだろうか。内ポケットから懐中時計を取り出すが、連れてこられてからもうすぐ20分が経つ。手荷物はこれ以外全て没収されたから、どうにも手持ち無沙汰だ。
 鎮痛剤である葉巻の効果が少し薄れて来た。今日はずっとショッピングモールに居たから、起床時以来吸えていない。これはまずい。そう思った頃、取調室のドアが開いた。入って来たのは、源郎げんろうと琴音。源郎はリーラの普段とは違う様子に気づき、荷物をまず差し出す。

「やあ、ゲンロウ君。助かるよ」
「ったく……お前は人間相手に」
「仕方ないだろ? 銃を向けたんだから、向けられる覚悟くらいあってほしいものだがね」

 鎮痛剤の効果が薄れた影響なのか、少しリーラは犯人の男へ苛立ちを滲ませる。葉巻を取り出して火をつける彼女に、琴音は顔をしかめた。だがその口が正論を飛ばす前に、源郎が止める。琴音は納得いかないようだが、上司である彼の言葉には必要以上に逆らう気はないらしい。
 深く吸った煙が、ふわりと紫色の線を部屋に漂わせる。やっと楽になってきた。

「それで? ワタシを取り調べるのかい? ドラマでは恫喝するみたいだけど」
「揶揄うな。もう釈放だ。お前の上司からも連絡をもらってる」
「おや、残念。カツ丼、食べてみたかったんだがね」
「出ないぞ」
「ワオ、アマ君に教えなければ……」

 外まで見送りに来てくれた中で、円華も合流した。彼女は思ったより早く誤解が解けて良かったと、安堵に何度もリーラの手を取ってぶんぶん振る。源郎はバツが悪そうに後頭部を掻きながら、チラリと琴音を一瞥した。

「うちのが悪かったな。どうにも頑なに聞く耳を持たない。俺から説明する」
「ふふ、キミによく似てるじゃないか」

 源郎も狩人の事件に関わるまでは、頑なにこちら側を否定していたものだ。まあ、それは彼なりの心の守り方だったのだが。本人にとっては苦い記憶なのか、小っ恥ずかしそうに顔を歪めると「やかましい」と呟いて、中へ戻って行った。
 可笑しそうに笑って源郎を見送ったリーラの視界の端で、琴音がもどかしそうにしているのが映った。握られた拳が、耐えるように震えている。用意してもらったタクシーに乗る前に、リーラは彼女へ名刺を差し出した。

「気になることがあるなら、ここにおいで。宝石店をやってるんだ」
「……営業ですか?」
「ハハハ、キミにならタダであげるよ。じゃあ、またね」

 リーラはカラカラと笑い、円華たちに見送られながらタクシーに乗り込んだ。通り過ぎていく景色を窓から外を眺めながら、思い出すのは琴音の顔。あれはまるで子供が泣き出すのを我慢しているような顔だった。あれは一方的に顔を逸らしているのではなく、壁を作っている。
 リーラは携帯でマスターへ通話をかけた。

『やあリーラ。どうやら、無事解放されたみたいだね』
「ああ、なんとかね」
『今回は不可抗力だけど、あまり目立ちすぎないようにね。普通にしていても目を惹くんだから』
「肝に銘じるよ。ところで、1つ頼みがあるんだ。今日ワタシを逮捕した子……テンシ狩りの捜査課に回してくれないか?」
『なんだって?』

 思ってもなかった要求に、マスターは珍しく声をあげる。画面の向こう側で呆気に取られているのがよく分かった。源郎から聞いた話では、科学で証明できないものは信じないような人間だと聞いているのに。

「たぶん、あの子は天使に狙われる」

 琴音は、信じていないのではない。信じたくないのだ。そんな人間は、過去に深く信仰していた影響からそうなる場合がある。天使はそんな隙をついて、甘い言葉を囁くのだ。だからそうなる前に、近くで彼女を見ておきたい。

『なるほどね……。分かった、話を通しておくよ』
「ああ、頼りにしてるよ」

 あの震える拳は、ただの毛嫌いからくるものではない。心の傷からくる、強くも脆い拒絶だ。必要以上にその傷を抉る前に、彼女には嫌でも天使とテンシの存在を受け入れさせる。多少の荒療治となるだろうが、仕方ない。
 タクシーが停車した。目的地の喫茶店『桜堂』に着いたようだ。礼を言って降りるとまず、腰に軽い衝撃がきた。見れば、小さく白い頭がくっ付いている。リーベだ。降りた直後に抱き着けるのを察するに、どうやらずっと外で待っていたようだ。

「坊や、まさか外で待ってたのか? いつ来れるかも分からないのに」
「待ってたかったんだ。おかえり、リーラ。怖くなかったか? 痛くなかったか?」
「ははは、どんな拷問を想像したんだ。大丈夫、怖いことも痛いことも無かったよ。ただいま、リーベ」

 優しく頭を撫でられると、リーベはそろりと顔を上げる。恐ろしさに染まっていた青色の瞳が緑に変化し、途端に涙が溢れる。瞳の色の変化からして、安堵から止まらなくなったのだろう。
 もしひどいことをされたら? 帰って来なかったら? リーラがいい人なのに悪い人のまま、誤解が解けなかったら? そんなふうに考え、心臓がずっと締め付けられていた。リーベは小さくしゃくり上げながら「おかえり」と、もう一度言う。
 まさか泣き出すと思ってなかったリーラは、慌ててリーベを抱きしめる。彼女にとっては些細な出来事だったのだ。

「すまないリーベ。もう大丈夫だ。だから泣かないでおくれ」
「うん……っ……ひっく」
「そうだよリーラ。本当、見ててこっちが可哀想だった。もう独り身じゃないんだからさ」

 仕方なさそうに言いながら遅れて出てきたのは、天と優牙。

「はは、世話をかけたよ。ありがとう」
「いいけどさ。リーベ君いい子だし」
「ああ。2人ならいつでも遊びに来てくれていい。それで、天と話したんだが、リーラも食事、まだだろう? よければ食べていってくれ」
「いいのかい? じゃあ、お言葉に甘えようかな。リーベ、ユウガ君の料理は美味しいよ。一緒に食べよう」

 リーベは頬を濡らす涙を両手で不器用に拭い、赤く腫らした目元をふにゃりと緩めて頷いた。

───                **───                    **

 夜遅く、琴音は納得いかなさそうに、ノートを広げていた。ノートの上には綺麗な字で、今日やる業務が書かれている。琴音は毎朝欠かさずこれを箇条書きし、夜に達成できたかを吟味していた。
 今日はイレギュラーがあったが、いつも通り自分の仕事を終えられた。それなのに、彼女の表情は険しい。頭にちらつくのは、イレギュラーの根本であるリーラ。琴音は記憶をかき消したくて、頭を横に振る。思い出すのは、強盗犯を捕まえる直前のこと。リーラの影が、明らかに意思を持ったかのように伸びて、犯人を転ばせたのだ。
 仲間は見ていなかった。だからきっと、白昼夢でも見ていたんだ。

「天使なんて、居るわけないじゃないか」

 科学だけを信じろ。先人が築いたものだけを見ろ。現実以外にうつつを抜かすな。そうすることが自分の正義だ。琴音は言い聞かせるようにぎゅっと目を閉じ、ノートを少し乱暴に閉じると部屋の電気を消す。その姿を、彼女が信じたくないものが見ているとは、気づかなかった。
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