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並んで食べる、昼休み~春のお弁当~
しおりを挟む中庭の奥のベンチに腰を下ろすと、木陰の空気がひんやりと肌に触れた。
葉擦れの音がして、遠くで誰かが笑っている。
昼休みの学園は、どこか気が抜けている。
僕は弁当袋を膝の上に置き、口を開いた。
「今日は、ここでいいですか」
「ああ」
短い返事。
カイルさんはすでにベンチの背に片腕を回し、外套の裾を整えている。
昼食に対する熱意は、相変わらず表情に出ない。
弁当箱を二つ、並べる。
いつものことだ。
一つは自分の分。
もう一つは――言うまでもない。
「……今日は何だ」
「春キャベツのやわらか炒めと、ポテトサラダと水底根の団子焼きです」
「ふうん」
興味があるのかないのか、分からない声。
けれど、弁当箱の位置をわずかに自分のほうへ寄せる仕草は、もう見慣れていた。
ふと、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「あ、いらっしゃいました……!」
聞き覚えのある、少し息を弾ませた声。
顔を上げると、レリーナさんが中庭の小道を小走りでやってくるところだった。
両手には、白い布に包まれた弁当。
「ウィン先輩、カイル先輩、」
「こんにちは」
「……来たのか」
カイルさんの声は相変わらず素っ気ない。
けれど、レリーナさんは気にした様子もなく、ベンチの前でぴたりと足を止めた。
「……あの」
「はい?」
「今日は、その……ご一緒しても?」
言葉の最後が、少しだけ揺れる。
断られる可能性を、ほんの少しだけ考えている声だった。
「もちろんです」
「……座れ」
二人分の返事が、ほぼ同時に重なった。
レリーナさんは、ほっとしたように笑い、僕の隣――ではなく、少し間を空けて腰を下ろした。
控えめで、でも離れすぎない距離。
「ここ、落ち着きますね」
「そうだね」
「ウィン先輩のお気に入りなんですよね」
どうして知っているのだろう、と思ったけれど、否定するほどのことでもない。
レリーナさんは自分の弁当を膝に置き、ふと視線を下に落とした。
「……あれ?」
「どうかした?」
「お弁当箱、二つ……ですよね」
確認するような口調。
僕は頷いた。
「はい。二つです」
「……ですよね」
一瞬、納得したような顔をしてから、今度は弁当袋の横を見た。
そこに置いてあったものに、視線が止まる。
「……カトラリーは」
「はい」
僕は、袋の横ポケットから包みを取り出した。
中身は、スプーンとフォークのセット。
一つ。
二つ。
そして――
「……三つ目」
「はい」
レリーナさんの目が、少しずつ大きくなる。
「……え?」
「どうした」
「い、いえ……」
言葉を探すように視線が泳ぎ、やがて僕の顔に戻ってくる。
「あの……」
「はい?」
「その三本目は……」
僕は、少しだけ間を置いてから答えた。
「レリーナさん用です」
「……え?」
今度こそ、完全に固まった。
「……わ、私、ですか」
「はい」
レリーナさんの反応は予想以上だった。
「……え、あの……」
「?」
「……ええと……!」
レリーナさんは両手で口元を押さえ、肩は小刻みに震え始める。
「……どうした」
「カイル先輩……!」
「何だ」
助けを求めるように視線を向けられ、カイルさんは一瞬だけ眉を寄せた。
「……意味が分からん」
「そ、そうですよね……!」
でも、嬉しさは隠せていない。
目がきらきらしている。
「……ウィン先輩」
「はい」
「私……ここに来るって、言ってませんでしたよね」
「ええ」
だからこそ、三本目を用意した。
来ない可能性も、もちろんあったけれど。
「……なのに」
「はい」
「……用意、されてる……」
ぽつりと落とされた言葉は、驚きと感動と、少しの興奮が混ざっていた。
カイルさんが、低く鼻で笑う。
「……騒ぎすぎだ」
「騒ぎますよ……!」
「意味が分からない」
「分からなくていいです……!」
レリーナさんはそう言い切ってから、改めて僕のほうを向いた。
「……ありがとうございます」
「いえ。良かったら手を伸ばして?」
「はい!」
僕は、弁当箱の蓋を開ける。
中には、春キャベツのやわらか炒め。
甘みが出るまで火を通した、淡い緑。
その隣には、粒を残したポテトサラダ。
卵焼きは少し厚めで、水底根の団子焼きは、香ばしい匂いを残している。
「……美味しそう」
「では、いただきます」
「……」
三人で並んでお昼を食べる。
距離が、いつの間にか埋まっていることに、僕はまだ気づいていなかった。
弁当箱を開ける、ぱち、ぱち、と小さな音が続いて、レリーナさんのお弁当が目に入る。
白い箱の中に、きっちりと収まった料理たち。
色の配置まで計算されたようで、思わず姿勢を正したくなる。
小さく巻かれたローストチキン。
ハーブの香りを閉じ込めたまま、艶がある。
隣には、薄切りの野菜を重ねたテリーヌ。
ゼリー寄せの透明感が、日差しを反射している。
「……きれいだね」
「そ、そうですか?」
レリーナさんは、少し照れたように弁当箱を見下ろした。
「料理人が作ったものなので……私は、詰めただけなんです」
「自分で詰めたの?レリーナさんが?」
ご令嬢であるレリーナさんが、お弁当を詰めるなんてびっくりだった。
確かに、放課後は一緒にお菓子を作っているけど。
「レリーナさん、詰め方が丁寧で上手だね」
「ありがとうございます……」
褒められ慣れていないのか、声が少し高くなる。
カイルさんが、ちらりと横目でその弁当を見た。
「……気合い入ってるな」
「そ、そうでしょうか」
僕も自分のお昼に戻る。
湯気はもう立っていないけれど、春キャベツのやわらか炒めは、まだ香りが残っている。
火を入れすぎないようにした分、色がきれいだ。
「……あ」
「どうかした?」
「キャベツ、春のですね」
言い当てられて、少し驚く。
「分かる?」
「はい。甘い匂いがします」
レリーナさんは、身を乗り出すように覗き込んだ。
「こちらは……ポテトサラダ?」
「はい。少しだけ粒を大きめに残して」
「……好みです」
好み、という言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「卵焼きも、厚いですね」
「焼きすぎると固くなるので」
「……水底根の、これは?」
「団子焼きです」
説明するたびに、レリーナさんの反応が一段階ずつ大きくなる。
「……すごい」
「普通だよ」
「普通じゃありません」
即答だった。
「弁当……食うぞ」
「どうぞ」
カイルさんの口の中に、水底根の団子焼きが一つ消えた。
「あっ」
「?」
「それ、カイル先輩の分ですよね……」
「当たり前だろ」
当然だ、という顔。
そして、何事もなかったかのように咀嚼する。
「……いいですね」
「何がだ」
「ウィン先輩のお弁当、毎日……」
羨望が、声にそのまま出ている。
「……羨ましいです」
「そうか」
「そうです」
レリーナさんは、じっとカイルさんを見つめた。
「ずるいです」
「何が」
「……全部です」
意味が分からない、という顔をしながらも、カイルさんは食べるのを止めない。
「……レリーナさん」
「?」
僕は、三本目のカトラリーを差し出した。
「少し、どうですか」
「え……」
「よかったら、味見程度でも」
一瞬、固まってから、ぱっと表情が明るくなる。
「……いいんですか」
「はい」
「……では」
慎重に、水底根の団子焼きを小さく切って、口に運ぶ。
「……」
「……」
「……!」
目が、また大きくなる。
「……美味しいです」
「よかった」
「……すごく」
言葉を探すように、何度も頷く。
その様子を見て、カイルさんがぼそっと言った。
「……騒ぎすぎだ」
「騒ぎます」
「……そうか」
「はい」
きっぱり。
三人分の影が、足元で少し揺れる。
ベンチの上の距離は、気づけば最初より近い。
「……次は」
「?」
「……私も、簡単なものなら作れると思いますか……」
「うん。いいと思うよ」
「……教えて、いただけますか」
「もちろん」
その返事を聞いた瞬間、カイルさんがわずかに眉を動かした。
弁当を食べ終えるころ、風が少し強くなった。
木の葉が擦れる音が、ベンチの背もたれの向こうから聞こえる。
レリーナさんは、きちんとハンカチで口元を拭いてから、
弁当箱のふたを閉めた。
「……ごちそうさまでした。ウィン先輩、ありがとうございました」
「いえ」
「本当に、美味しかったです」
レリーナさんの様子が子どもっぽくて、思わず笑いそうになるのを堪えた。
「……ところで」
「はい?」
「今日は、迷わなかったんだね」
言った瞬間、レリーナさんの動きが止まった。
「……え」
「ここまで、ちゃんと辿りついてるから」
「……そ、それは……」
視線が泳ぐ。
「……努力しました」
「努力」
「はい。昨日、地図を三回見ました」
「ふふ、三回で足りたの?」
「足りませんでした」
「じゃあ、どうやって……」
そこで、カイルさんが口を挟む。
「……案内板の前で立ち止まってた」
「見てましたね?」
「遠くからな」
「カイル先輩……ぜひ次は助けていただけたら」
なぜかカイルさんが、ふい、とそっぽを向く。
「でも、たどり着けて良かった」
「……はい」
「すごいよ」
「……そうでしょうか」
「僕はすごいと思う。レリーナさん苦手でしょ?」
そう言うと、レリーナさんは少しだけ胸を張った。
「……では、次はもっと自然に来られるようにします。次も、こちらでしょうか?」
「うん、そうしよう」
即答だった。
カイルさんが、短く息を吐く。
「……場所、固定か」
「お気に入りだから」
「……そうか」
納得したのかしていないのか、分からない返事。
そのとき、少し離れた通路を、上級生らしき二人組が通り過ぎた。
一瞬、こちらを見る視線。
「……」
「……」
何も言われない。
けれど、見られた、という感覚だけが残る。
「……目立ってますか」
「え?」
「……私たち」
レリーナさんが、小さな声で訊く。
「そんなこと、ないと思うけど」
「……そうでしょうか」
不安そうに、視線を落とす。
カイルさんが、少しだけ体の向きを変えた。
「……気にするな」
「はい」
「…….だけだ」
「……はい?」
レリーナさんが首をかしげる。
「昼に、弁当食ってるだけだ」
「……そうですね」
それだけのことだ。
ただ、それだけが、少しずつ特別になってきている。
「……あの」
「はい?」
「明日も……」
「?」
「……来ても、いいですか」
確認するような声。
「もちろん。さっき道の話したのに」
「……よかった」
その返事を聞いて、
レリーナさんは、今度こそはっきり笑った。
「……迷わないようにします」
「一緒にお昼食べよう」
「はい!」
「じゃあそろそろ行こうか」
立ち上がるとき、
少しだけ足元がふらつく。
「あ」
「大丈夫ですか」
「……うん。靴紐が」
「結んでやる」
カイルさんが、平然と結びなおしてくれた。
その距離感が、少し不思議で、少しだけ安心してしまう。
「……では」
「はい」
「また、放課後に」
「はい!」
「……」
三人で、それぞれ違う方向へ歩き出す。
数歩進んでから、なぜか同時に、振り返った。
目が合って、誰も何も言わないまま、また前を向く。
昼休みが終わる。
けれど、このベンチの時間は、きっと、続いていく。
*
午後の授業は、いつもと同じはずだった。
黒板の文字も、教師の声も、特別変わらない。
それなのに、どこか落ち着かない。
理由は分かっている。
――視線だ。
こちらを見て、すぐに逸らされる。
目が合ったと思った瞬間に、急に会話が止まる。
何度か続くと、さすがに気づく。
ただ、心当たりはない。
家政魔術部で何か失敗したわけでもないし、昼に騒いだ覚えもない。
――いや。
昼だ。
あのベンチで、カイルさんと並んで食べたこと。
そして、途中から侯爵令嬢のレリーナさんが合流したこと。
でも、それだけだ。
僕からしたら、弁当を分けて、少し話をして、いつもより賑やかだった、というだけ。
それが、そんなに珍しいのだろうか。
「……ウィン」
前の席の生徒が、振り返ってくる。
「何?」
「今日さ」
「うん」
「昼……誰かと一緒だったよな」
一瞬、何のことか分からなかった。
「ああ、うん」
「……そうか」
それ以上は言わず、向き直ってしまう。
何を確認したかったのかも、分からない。
別の休み時間。
廊下ですれ違った上級生たちが、
小声で話すのが聞こえた。
「……家政の」
「だよね」
「でも、あの組み合わせ……」
途中で声を落とされ、続きは聞こえない。
名前も出ない。
はっきりした内容もない。
ただ、話題にされているらしい、という感触だけが残る。
――考えても仕方ない。
そう思って、教室に戻る。
一年生の棟は、ここから少し離れている。
だから、レリーナさんの姿はない。
カイルさんの姿ももちろんない。
戦闘科もこの棟から離れた場所にある。
昼に会えたのは、たまたま時間と場所が合ったからだ。
休み時間に話せないのは、当たり前なのに、そのことが今日は少しだけ気になった。
次の授業の準備をしながら、昼のベンチを思い出す。
三人分の影。
お弁当。
カトラリーの数。
――あれも、別に……普通だ。
多めに持っていっただけ。
よくあることだ。
――よく、ある?
一瞬、考えかけて、やめた。
深く考えるほどのことじゃない。
放課後になれば、部室で会う。
それで十分だ。
そう結論づけたところで、また視線を感じる。
理由は、やっぱり分からない。
けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
今はただ、静かなところに置いてきたはずの昼の時間が、思ったより遠くへ行ってくれない。
それだけのこと。
~~~~~~
水底根はれん根です。
迷子のレリーナちゃんを見て見ぬふりをした意地悪なカイルです。
ウィンは今日もみんな一緒でるんるんです。
葉月百合
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