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第2章
真価と進化
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「これはもはや、摩擦を減らすなんてちゃちなモン
じゃねぇ。言っちまえば、"接触の拒絶"だ」
ルアさんの言葉に、僕は電流が走るのを感じた。
接触の……拒絶……?
「お前、今日、蜘蛛の糸を能力で引き剥がしてたろ。
あんときゃお前焦ってて気づかなかったんだろうが
な、"粘着は摩擦とは違う"んだよ」
……考えてみればそうだ。ナイフが刺さっている
状態は、床や天井から挟まれる形での圧力が
かかっている。摩擦が抜けたからと言って、そんな
簡単に刃が抜けるはずはなかったんだ。蜘蛛の糸は
もっとおかしい。分子同士の結合による粘着という
現象が、摩擦を抜いただけで剥せるはずがない。
自分の能力を克明に言語化された事も衝撃的だった
が、何より驚嘆すべきはルアさんの洞察力だ。カイル
を滑らせたリサイドでの一件と今回の蜘蛛の一件。
その2つを見ただけで、ここまでの推理を組み立て、
わかりやすい実験まで思いつく。これは凄まじい
を通り越して恐ろしい。
「対象として選んだ物に、接触の拒絶を付与する……
だとしたら、もしかするとこんな実験をしてみると
いいかもな」
ルアさんが僕にコップを2つ投げ渡す。それを両手
でキャッチし、僕は首を傾げた。彼女の意図は、
読み切れない。
「今から片方のコップの底面を滑らせておけ。どっち
だかは言わなくていい。底面をこっちに向けて、
両手で構えろ」
言われた通り、僕は右手のコップ底面に《滑れ》
と念じ、左右の手でコップを肩の高さに構えた。
……なんか、間抜けな絵面だ。
「今からアタシが両方のコップ目掛けて同じ強さで
小さな水滴を放つ。しっかり持ってろ」
人差し指と中指を立て、狙いをつけるルアさん。
彼女の指先にそれぞれ小さな水の球が形成され、
それは銃弾のように放たれた。左右同時に着弾。その
瞬間、破裂音とともに左のコップが手から吹き飛ぶ。
同じく破裂音はしていたはずだが、右のコップは……
ほぼほぼ、衝撃自体がなかった。
「こ……これは……」
吹き飛んだコップが地面に落ちる。カラカラと
木の軽い音を立て転がるそれと、右手に残ったそれを
交互に見比べる。
「デニス。……お前は今、強力な防御の力を手に入れた
んだ。……上手く使え」
その言葉に、僕は何かがカチカチとはまる音を
聞いた気がした。僕は自分の能力を、"滑って転んで"
得た皮肉的な能力だと思っていた。でも今ルアさんの
実践によって、それが大きな勘違いだったのかも
しれないと思い始めた。
この力は"守る為"にも使える。むしろそれが本質
だったのかもしれない。そして"接触の拒絶"。人と
比べ、自己を卑下し、他人を立てるという答えを
出した前世の僕。1歩引いて、なるべく衝突や摩擦を
避けてきた生き方そのもの。それはすなわち、
"人との接触を拒絶"した人生観がそのまま今世の才能
として発現しているのではないか。皮肉なんて言葉で
は到底表現できない程の、ほぼ必然の能力。それが
この滑らせる力なのではないか。飛躍し過ぎ
かもしれないが、そんな事を考えていた。
「カイル!」
僕は突き動かされるように立ち上がっていた。
なんでそんな事を考えたのかもよく分からない。僕の
脳はこの時、完全に"痺れて"いたんだ。
「僕を、殴ってみてくれないか」
己の手に全神経を集中させ、掌に《滑れ》と
念じる。接触の拒絶とわかった今でも、この発現
ルーティンは変わらない。腰を落とし、腕を前に突き
出して、掌に強靭な盾が形成されているかの如く。
「良いのか!?ふっ飛ぶぞ!?」
「あー、おい、デニス、それは……」
カイルの軽い踏み込みと、流れから放たれる右
ストレート。その拳を受けた僕の掌は衝撃を感じず、
身体ごと盛大に吹き飛んでいた。
・
・
・
地面を転がる感覚は今までも何度かあった。しかし
今日ほどボウリングの球の気持ちを理解した日は、
無い。僕はルアさんの持っていた治癒の水薬を頭から
ぶっかけられ、全身の擦り傷が強制的に塞がる治癒痛
に歯を食いしばって耐えていた。
「アホかお前は……そこまで都合がいいわけねぇだろ」
ルアさんの呆れ顔に僕は「ごめんなさい」と落ち
込み、その横でカイルがアワアワしている。まさか
僕がそんなに飛ぶとは思ってもいなかったらしく、
手加減したつもりがオーバーキルだった事に対して
狼狽えている。
「何しとったんや?えらい楽しそうやったやないかい」
サグロとヴィリが、僕らの焚き火に近づいてくる。
サグロはそのままドカリと腰を下ろす。あぐらをかき
猫背な姿勢で、僕に視線を刺す。その口元には薄ら
笑みが張り付いていた。彼に対しカイルは、やや控え
めにファイティングポーズをとり、威嚇している。
「お前!馬車でなんも話さなかったな!声帯の筋肉
足りてなさそうだ!」
「うっさいわ、黙っとき。俺はお前ら3人、気に
入ったわ。……これは勧誘っちゅうやつや」
勧誘……?何を言っているんだ、この人は。ヴィリ
は腕組みをしたままサグロの後ろに立っている。馴れ
馴れしい態度のサグロと違い、彼女はやや警戒の姿勢
が伺える。それはそうと、やっぱりサグロとカイルは
相性悪かったか……何となくわかってはいた事だが。
「私は言ったわよ。あんたが決めることじゃないって」
「お前もうっさいな、ヴィリ。こないなおもろい奴ら
逃したらそれこそシメられるわ」
どうやら2人の中でも意見が割れているらしい。
ヴィリが面倒くさそうに髪をかきあげた。黙って
聞いていたルアさんが、口を開く。
「要点が見えねぇよ。何が言いてぇんだ、お前らは」
両手の指を組み、背を丸めてニヤリと笑うサグロ。
「俺らザバンの"ジバル会"のモンや。聞いた事くらい
あるやろ?」
…………えと、大変申し訳ないが、なんというか。
「すみません。存じ上げません」
「知らん」
「なんだそれは!修練場か!?」
三者三様の認知不足に、サグロは顎を外す。僕に
限っていえば村を出たばかりの田舎者だから仕方ない
かもしれないが、おそらく色々と旅をしているで
あろうルアさんとカイルまで知らないとなると、
あまり知名度は無いのではなかろうか。だいたい
なんなんだろうか。ジバル会って。
「お前ら、本気で言うとんのか?ほんまに知らん
のか?」
ルアさんは耳の穴を小指をかきながら、サグロの
口調を真似て言った。
「ああ。ほんま、ほんま」
サグロの後ろでヴィリが頭を抱える。何故か
こちらがいたたまれない気分になってきた。
「恥ずかしいからもうやめて、サグロ……」
目の前にいる"サグロという男"を僕は今一度正面
から見た。彼は僕の認識を根底から揺るがした張本人
だが、彼の言葉自体には何ら悪意は無い。むしろ
彼の中では僕の抱える歪さそのものを"価値"とすら
思っている節がある。でなければここまで急激に
距離を詰めてくるはずがない。彼から見て僕は、
つい1日半前には"雑用、荷物"扱い、戦力や信用に
足る人間には全くカウントされていなかった。それが
今や名前を呼び、自分の何とか会にスカウトしようと
するまでに至っている。彼には彼なりの価値観や矜恃
があるのだろう。
「なんだか知らねぇが、悪ぃけど興味ねぇよ。他を
当たってくれ。と言っても、残りのツラは限られる
がな。ガンドにでも声掛けたらいいじゃねぇか」
「……あいつはダメや。何度か会うとるさかい、それ
なりにわかった思とったんやが……やっぱ、さっぱり
わからへん。あいつの腹ん中は探られへんねん。
俺をこんな筋肉バカと一緒に乗せやがって。こいつ
実力は良いが、うるさ過ぎてかなわんわ」
サグロもガンドの人となりはあまりわかっていない
ようだ。カイルは既に飽きたようで、芝の地面を
ゴロゴロと、天幕の方へ転がって行った。
「お前ら!飯が済んだならさっさと寝ろ!明日は
ザバン到着だぞ!」
少し離れた焚き火から、ルッソさんが叫ぶ。その
近くの大きな石の上に座り、ガンドは星を見あげて
いた。穏やかで、無表情で、どこか空虚なその顔は、
一体何を見ているのか、想像もつかなかった。彼は、
今日も寝ずの番をするつもりなのだろうか。隊に
対する責任なのか、それとも常に"全てを"見張って
いないと気が済まないのかは定かでないが、副隊長
の忠誠心は高いらしい。ルッソさんは紅茶かなにか
を淹れ、ガンドに手渡していた。
少し目に染みた煙と眠気が瞼を重くする。僕はまだ
僅かに湿気の匂いがする天幕に潜り込んだ。既に
カイルは奇妙な姿勢で寝ている。天幕越しに見える
焚き火の明かりを眺めつつ、僕は毛布にくるまった。
・
・
・
昨日より少し早め朝。僕は腰の重さで目を覚まし
た。警戒というには生ぬるく、やや控えめの加重。
ダガーは何も言わないが、何かを伝えようとしている
ようだ。
天幕の夜露が首元を濡らし、一瞬身震いする。
辺りを見回すと、第1馬車付近でガンドが誰かと
話している。あれは、出発の時に見た。第1馬車に
隊長とと乗っている、商人のトリトンだ。
今回の商隊における代表商人と、護衛隊長の
ガンド。諸々出発前に打ち合わせておく事もある
のだろう。……と、そんな事を考えたのもつかの間、
トリトンは何やら怒るような、焦る様な、やや感情的
反応を示している。何を話しているかまでは聞こえ
ないが、身振り手振りの様子から穏やかでないのは
間違いない。僕の姿に気がつくと、トリトンは
慌てて馬車に乗り込んだ。
軽く伸びをしているガンド。何を話していたのか
彼に聞いてみようか。そう思って足を進めると、
ダガーから"否定"の合図が来た。……これは、安易に
近づくなということか。僕はそのまま踵を返し、
ダガーの会話可能範囲から護衛の面々が外れるまで、
距離をとった。
『少し前からじゃ。2人が動いておったんでな、少し
気になって起こした。すまんな』
「いえ、ありがとうございます。何やら商人が慌てて
ました」
『会話までは聞こえんからのう。まぁ、むやみにあの
男に近づくでない。あれは、ちと気味が悪い』
「昨日の蜘蛛戦ですか?」
『ああ。蜘蛛を一掃したあの時、大木全体を覆う程の
泥のような魂の残滓が見えた。あれは"そういう"
才能なのじゃろう。昨日のうちに話しておきたかった
が、機会がなかったのでな』
周りに油断ならない人が多い場合、やはり会話が
通せないのはなかなかに不便だ。
ガンドが出発前の点呼として、皆を呼び集める。
3日目ともなると、全員の顔も名前も、だいたい
覚えた。
「あー、今日は目的地到着予定だ。ここから先は
あまり危険は無い筈だが、油断はしないように。
配置も特に変更はない。何か質問は?」
当たり障りの無い指示の後、サグロが質問をする。
「……隊長。今朝、なんか商人と揉めてはりませんで
したか。何かあったんです?」
今朝、僕の見た光景を、サグロも見ていたのか。
内容は気になるが、果たして踏み込んでいいのか
迷っていたので、躊躇いのないサグロに少し感謝
する。ガンドは面倒くさそうに頭を掻き、「実はな」
と話し始めた。
「今回、ちょっと襲撃個体の数が多かったから、各々
に危険手当が出せないか交渉してたんだよ。まぁ、
残念ながら決裂してしまったがな」
「ああ、」と納得する護衛面々。……だが、少し
引っかかる。本当にそうだろうか。もし本当にその
交渉をするとすれば、隊長側から話を振る事になる
だろう。正当な要求であれば、後ろめたいことは
何もないはずなので、トリトンの乗る馬車内に直接
交渉しに行かないだろうか。第1馬車には確か、
ガンドとトリトンしか乗り込んでいないはず。むしろ
車内の方が交渉はしやすいのではないか。
……考えすぎかな。トリトンが何かに気づき、
ガンドに詰め寄った、などという想像は。
動き始めた馬車は、森の道走行時に比べかなり
快適だ。多数の足に踏み固められたような道は、
揺れや滑りが少ない。僕はまたルアさんと共に
第2馬車の荷台に座っている。彼女は幌の隙間と
馬の頭越しに、第1馬車に目を配っていた。
せめてザバンまで、何も起こらない事を祈って。
僕らの目的地が近づいていることを、風にまじる
潮の匂いが、知らせていた。
じゃねぇ。言っちまえば、"接触の拒絶"だ」
ルアさんの言葉に、僕は電流が走るのを感じた。
接触の……拒絶……?
「お前、今日、蜘蛛の糸を能力で引き剥がしてたろ。
あんときゃお前焦ってて気づかなかったんだろうが
な、"粘着は摩擦とは違う"んだよ」
……考えてみればそうだ。ナイフが刺さっている
状態は、床や天井から挟まれる形での圧力が
かかっている。摩擦が抜けたからと言って、そんな
簡単に刃が抜けるはずはなかったんだ。蜘蛛の糸は
もっとおかしい。分子同士の結合による粘着という
現象が、摩擦を抜いただけで剥せるはずがない。
自分の能力を克明に言語化された事も衝撃的だった
が、何より驚嘆すべきはルアさんの洞察力だ。カイル
を滑らせたリサイドでの一件と今回の蜘蛛の一件。
その2つを見ただけで、ここまでの推理を組み立て、
わかりやすい実験まで思いつく。これは凄まじい
を通り越して恐ろしい。
「対象として選んだ物に、接触の拒絶を付与する……
だとしたら、もしかするとこんな実験をしてみると
いいかもな」
ルアさんが僕にコップを2つ投げ渡す。それを両手
でキャッチし、僕は首を傾げた。彼女の意図は、
読み切れない。
「今から片方のコップの底面を滑らせておけ。どっち
だかは言わなくていい。底面をこっちに向けて、
両手で構えろ」
言われた通り、僕は右手のコップ底面に《滑れ》
と念じ、左右の手でコップを肩の高さに構えた。
……なんか、間抜けな絵面だ。
「今からアタシが両方のコップ目掛けて同じ強さで
小さな水滴を放つ。しっかり持ってろ」
人差し指と中指を立て、狙いをつけるルアさん。
彼女の指先にそれぞれ小さな水の球が形成され、
それは銃弾のように放たれた。左右同時に着弾。その
瞬間、破裂音とともに左のコップが手から吹き飛ぶ。
同じく破裂音はしていたはずだが、右のコップは……
ほぼほぼ、衝撃自体がなかった。
「こ……これは……」
吹き飛んだコップが地面に落ちる。カラカラと
木の軽い音を立て転がるそれと、右手に残ったそれを
交互に見比べる。
「デニス。……お前は今、強力な防御の力を手に入れた
んだ。……上手く使え」
その言葉に、僕は何かがカチカチとはまる音を
聞いた気がした。僕は自分の能力を、"滑って転んで"
得た皮肉的な能力だと思っていた。でも今ルアさんの
実践によって、それが大きな勘違いだったのかも
しれないと思い始めた。
この力は"守る為"にも使える。むしろそれが本質
だったのかもしれない。そして"接触の拒絶"。人と
比べ、自己を卑下し、他人を立てるという答えを
出した前世の僕。1歩引いて、なるべく衝突や摩擦を
避けてきた生き方そのもの。それはすなわち、
"人との接触を拒絶"した人生観がそのまま今世の才能
として発現しているのではないか。皮肉なんて言葉で
は到底表現できない程の、ほぼ必然の能力。それが
この滑らせる力なのではないか。飛躍し過ぎ
かもしれないが、そんな事を考えていた。
「カイル!」
僕は突き動かされるように立ち上がっていた。
なんでそんな事を考えたのかもよく分からない。僕の
脳はこの時、完全に"痺れて"いたんだ。
「僕を、殴ってみてくれないか」
己の手に全神経を集中させ、掌に《滑れ》と
念じる。接触の拒絶とわかった今でも、この発現
ルーティンは変わらない。腰を落とし、腕を前に突き
出して、掌に強靭な盾が形成されているかの如く。
「良いのか!?ふっ飛ぶぞ!?」
「あー、おい、デニス、それは……」
カイルの軽い踏み込みと、流れから放たれる右
ストレート。その拳を受けた僕の掌は衝撃を感じず、
身体ごと盛大に吹き飛んでいた。
・
・
・
地面を転がる感覚は今までも何度かあった。しかし
今日ほどボウリングの球の気持ちを理解した日は、
無い。僕はルアさんの持っていた治癒の水薬を頭から
ぶっかけられ、全身の擦り傷が強制的に塞がる治癒痛
に歯を食いしばって耐えていた。
「アホかお前は……そこまで都合がいいわけねぇだろ」
ルアさんの呆れ顔に僕は「ごめんなさい」と落ち
込み、その横でカイルがアワアワしている。まさか
僕がそんなに飛ぶとは思ってもいなかったらしく、
手加減したつもりがオーバーキルだった事に対して
狼狽えている。
「何しとったんや?えらい楽しそうやったやないかい」
サグロとヴィリが、僕らの焚き火に近づいてくる。
サグロはそのままドカリと腰を下ろす。あぐらをかき
猫背な姿勢で、僕に視線を刺す。その口元には薄ら
笑みが張り付いていた。彼に対しカイルは、やや控え
めにファイティングポーズをとり、威嚇している。
「お前!馬車でなんも話さなかったな!声帯の筋肉
足りてなさそうだ!」
「うっさいわ、黙っとき。俺はお前ら3人、気に
入ったわ。……これは勧誘っちゅうやつや」
勧誘……?何を言っているんだ、この人は。ヴィリ
は腕組みをしたままサグロの後ろに立っている。馴れ
馴れしい態度のサグロと違い、彼女はやや警戒の姿勢
が伺える。それはそうと、やっぱりサグロとカイルは
相性悪かったか……何となくわかってはいた事だが。
「私は言ったわよ。あんたが決めることじゃないって」
「お前もうっさいな、ヴィリ。こないなおもろい奴ら
逃したらそれこそシメられるわ」
どうやら2人の中でも意見が割れているらしい。
ヴィリが面倒くさそうに髪をかきあげた。黙って
聞いていたルアさんが、口を開く。
「要点が見えねぇよ。何が言いてぇんだ、お前らは」
両手の指を組み、背を丸めてニヤリと笑うサグロ。
「俺らザバンの"ジバル会"のモンや。聞いた事くらい
あるやろ?」
…………えと、大変申し訳ないが、なんというか。
「すみません。存じ上げません」
「知らん」
「なんだそれは!修練場か!?」
三者三様の認知不足に、サグロは顎を外す。僕に
限っていえば村を出たばかりの田舎者だから仕方ない
かもしれないが、おそらく色々と旅をしているで
あろうルアさんとカイルまで知らないとなると、
あまり知名度は無いのではなかろうか。だいたい
なんなんだろうか。ジバル会って。
「お前ら、本気で言うとんのか?ほんまに知らん
のか?」
ルアさんは耳の穴を小指をかきながら、サグロの
口調を真似て言った。
「ああ。ほんま、ほんま」
サグロの後ろでヴィリが頭を抱える。何故か
こちらがいたたまれない気分になってきた。
「恥ずかしいからもうやめて、サグロ……」
目の前にいる"サグロという男"を僕は今一度正面
から見た。彼は僕の認識を根底から揺るがした張本人
だが、彼の言葉自体には何ら悪意は無い。むしろ
彼の中では僕の抱える歪さそのものを"価値"とすら
思っている節がある。でなければここまで急激に
距離を詰めてくるはずがない。彼から見て僕は、
つい1日半前には"雑用、荷物"扱い、戦力や信用に
足る人間には全くカウントされていなかった。それが
今や名前を呼び、自分の何とか会にスカウトしようと
するまでに至っている。彼には彼なりの価値観や矜恃
があるのだろう。
「なんだか知らねぇが、悪ぃけど興味ねぇよ。他を
当たってくれ。と言っても、残りのツラは限られる
がな。ガンドにでも声掛けたらいいじゃねぇか」
「……あいつはダメや。何度か会うとるさかい、それ
なりにわかった思とったんやが……やっぱ、さっぱり
わからへん。あいつの腹ん中は探られへんねん。
俺をこんな筋肉バカと一緒に乗せやがって。こいつ
実力は良いが、うるさ過ぎてかなわんわ」
サグロもガンドの人となりはあまりわかっていない
ようだ。カイルは既に飽きたようで、芝の地面を
ゴロゴロと、天幕の方へ転がって行った。
「お前ら!飯が済んだならさっさと寝ろ!明日は
ザバン到着だぞ!」
少し離れた焚き火から、ルッソさんが叫ぶ。その
近くの大きな石の上に座り、ガンドは星を見あげて
いた。穏やかで、無表情で、どこか空虚なその顔は、
一体何を見ているのか、想像もつかなかった。彼は、
今日も寝ずの番をするつもりなのだろうか。隊に
対する責任なのか、それとも常に"全てを"見張って
いないと気が済まないのかは定かでないが、副隊長
の忠誠心は高いらしい。ルッソさんは紅茶かなにか
を淹れ、ガンドに手渡していた。
少し目に染みた煙と眠気が瞼を重くする。僕はまだ
僅かに湿気の匂いがする天幕に潜り込んだ。既に
カイルは奇妙な姿勢で寝ている。天幕越しに見える
焚き火の明かりを眺めつつ、僕は毛布にくるまった。
・
・
・
昨日より少し早め朝。僕は腰の重さで目を覚まし
た。警戒というには生ぬるく、やや控えめの加重。
ダガーは何も言わないが、何かを伝えようとしている
ようだ。
天幕の夜露が首元を濡らし、一瞬身震いする。
辺りを見回すと、第1馬車付近でガンドが誰かと
話している。あれは、出発の時に見た。第1馬車に
隊長とと乗っている、商人のトリトンだ。
今回の商隊における代表商人と、護衛隊長の
ガンド。諸々出発前に打ち合わせておく事もある
のだろう。……と、そんな事を考えたのもつかの間、
トリトンは何やら怒るような、焦る様な、やや感情的
反応を示している。何を話しているかまでは聞こえ
ないが、身振り手振りの様子から穏やかでないのは
間違いない。僕の姿に気がつくと、トリトンは
慌てて馬車に乗り込んだ。
軽く伸びをしているガンド。何を話していたのか
彼に聞いてみようか。そう思って足を進めると、
ダガーから"否定"の合図が来た。……これは、安易に
近づくなということか。僕はそのまま踵を返し、
ダガーの会話可能範囲から護衛の面々が外れるまで、
距離をとった。
『少し前からじゃ。2人が動いておったんでな、少し
気になって起こした。すまんな』
「いえ、ありがとうございます。何やら商人が慌てて
ました」
『会話までは聞こえんからのう。まぁ、むやみにあの
男に近づくでない。あれは、ちと気味が悪い』
「昨日の蜘蛛戦ですか?」
『ああ。蜘蛛を一掃したあの時、大木全体を覆う程の
泥のような魂の残滓が見えた。あれは"そういう"
才能なのじゃろう。昨日のうちに話しておきたかった
が、機会がなかったのでな』
周りに油断ならない人が多い場合、やはり会話が
通せないのはなかなかに不便だ。
ガンドが出発前の点呼として、皆を呼び集める。
3日目ともなると、全員の顔も名前も、だいたい
覚えた。
「あー、今日は目的地到着予定だ。ここから先は
あまり危険は無い筈だが、油断はしないように。
配置も特に変更はない。何か質問は?」
当たり障りの無い指示の後、サグロが質問をする。
「……隊長。今朝、なんか商人と揉めてはりませんで
したか。何かあったんです?」
今朝、僕の見た光景を、サグロも見ていたのか。
内容は気になるが、果たして踏み込んでいいのか
迷っていたので、躊躇いのないサグロに少し感謝
する。ガンドは面倒くさそうに頭を掻き、「実はな」
と話し始めた。
「今回、ちょっと襲撃個体の数が多かったから、各々
に危険手当が出せないか交渉してたんだよ。まぁ、
残念ながら決裂してしまったがな」
「ああ、」と納得する護衛面々。……だが、少し
引っかかる。本当にそうだろうか。もし本当にその
交渉をするとすれば、隊長側から話を振る事になる
だろう。正当な要求であれば、後ろめたいことは
何もないはずなので、トリトンの乗る馬車内に直接
交渉しに行かないだろうか。第1馬車には確か、
ガンドとトリトンしか乗り込んでいないはず。むしろ
車内の方が交渉はしやすいのではないか。
……考えすぎかな。トリトンが何かに気づき、
ガンドに詰め寄った、などという想像は。
動き始めた馬車は、森の道走行時に比べかなり
快適だ。多数の足に踏み固められたような道は、
揺れや滑りが少ない。僕はまたルアさんと共に
第2馬車の荷台に座っている。彼女は幌の隙間と
馬の頭越しに、第1馬車に目を配っていた。
せめてザバンまで、何も起こらない事を祈って。
僕らの目的地が近づいていることを、風にまじる
潮の匂いが、知らせていた。
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ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
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