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第3章
47・滑らせるだけではない
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船上に蠢く無数の魚。最早魚類に分類して良いのか
悩む脚の生えた魔物と、僕らは対峙していた。
初撃のカイルの打撃は、体表のヌメリによって威力
を削がれ、ダメージを最小限に抑えられてしまった。
彼が横っ腹を打ち抜く刹那、魔物は僅かに身体を傾け
ることで、その滑面の効果を最大化しているように
見えた気がする。……これは、今後の為に練習して
おきたい技巧かもしれない。
以前の僕は、自分の能力がただの"滑らせる事"で
しかないと思い込んでいた。だから同じく滑らせる
魚に対して、対処法を見出すことはできなかっただ
ろう。でも、今は違う。
能力の真価は"接触の拒絶"。木箱に水滴を垂らした
実験の事を考えれば、あの不可思議な撥水玉の事を
考えれば、僕にはそれができるはずなのだ。
「カイル!もう一度同じ場所を狙って!」
構えるカイルの動作を目に入れつつ、先程彼が
殴った場所付近に狙いを定め、《滑れ》と念じる。
体表に膜を貼るヌメリが一部、"滑り落ちて"いく。
接触自体を拒絶された脂は、その体表に留まる事を
拒絶され、流れ落ち、カイルの拳が迫る着弾点を
無防備に露出した。打撃がめり込むまでには能力を
消し、"滑らない面"の完成だ。
先程とは違う、骨を砕く音。不安定な足場とはいえ
カイルの拳打はやはり威力が桁違いだ。大きな抉れ
傷を負った魔物は、自分の身に何が起きたのか把握
する間もなく、船の反対端まで吹き飛んだ。
「滑らなかった!……うぷ」
カイルが喜びの拳を天に突き上げた直後、また
船酔いの嘔気が彼を襲う。今の彼からすれば、眼前の
魔物よりも、自らの胃の収縮運動の方が遥かに手強い
敵なのかもしれない。
魚に対して決定打を持つカイルがヨレヨレなのは、
状況としてはあまり良くない。彼の拳に頼りきる
のは、戦略として宜しくないはずだ。
「デニス。同じのもっかいやれ」
ルアさんが片膝を立てしゃがみ、こちらに指示を
出す。彼女の脚が輝きだし、蜘蛛戦で見せた跳躍を
思い出した。視線の先の魔物の正面、顔面に向け、
《滑れ》と念じる。てかてかとしたヌメリが溶ける
ように滑り落ち、攻撃点が露出した瞬間、彼女の身体
は強化された脚によって弾丸のように"発射"された。
半回転宙返りの後、ルアさんの脚は金色の軌跡を
残して魔物の額を撃ち抜く。踵が刺さるような飛び
蹴り。体重の軽い彼女では、カイルほどの破壊力は
期待できない。だが目と目の間から砕けた鱗が飛び
散る様子を見る限り、かなりのダメージは与えて
いるようだ。
「ったく、トレントといいコイツといい、凹むぜ!
やっぱ体格が足りてねぇか、クソ」
カイルのようなことを言い出すルアさん。一撃で
致命傷を与えられなかった事に対する不満。少女の
ような己の体に対する不満。それらのイラつきが
語気を荒らげさせていると見える。……それなら、
分業すればいい。
「ルアさん!足払いで!」
言うと同時に僕は駆け出す。着地でしゃがんでいた
ルアさんはそれを聞いて瞬時に察する。その場で
低い姿勢のまま甲板を削り取るかの如く半周回転。
遠心力を乗せた金色の脚が、魚の両脚を跳ね飛ばす。
横倒しになった魔物目掛け、僕は飛びかかる。
平らな面なら上から押し潰せる。まな板に乗せられ、
捌かれる時を待つ魚ような体側に、鞘付きダガーを
押し当て、叫ぶ。
「ダガー!重く!」
『おうよ!』
ドゴンという破裂に近い音を立て、魔物の腹骨を
折り潰す。口から謎の液体を吐き出しながら、魔物
は動かなくなった。魔物1体を圧殺する加重に船が
僅かに横揺れした。
達成感もそこそこに、周りを見渡す。まだだいぶ
魔物はいる。今、船員3人がかりで1匹の魔物を船外
に押し出すのが見えた。船長までハンマーを振り回し
ている。おそらく操舵手以外は水夫総出だ。
今、厄介なのは、数の問題。船員たちは確かに
航海の途中でこのような事も時折あるのだろう。怯え
たり逃げ出すことも無く、果敢に敵に向かっていく。
だが決定打に欠ける。彼らは戦闘に慣れている訳では
なく、あくまで対処に慣れているのだろう。
「数が、少しでも減れば……」
そんな僕の呟きに、ダガーが悪戯っぽく言う。
『デニス。……少し無茶苦茶してみんか?』
僕は彼女の"無茶苦茶"の提案を聞き、内容を把握
して、応戦中のドンテルに叫ぶように質問する。
「この船、どのくらい揺れに耐えられますか!?」
「ああ!?ナメてもらっちゃ困るぜぇ!大嵐の日
だろうが昼寝のデキる快適さだ!」
揺れには強い、と考えて良いのだろう。僕はダガー
との作戦を実行に移す。甲板右端。端に散らかる
ロープを拝借し、ダガーを手すりの柱に括り付ける。
雁字搦めでピクリとも動かない事を確認し叫んだ。
「皆さん!どこかに掴まってください!!」
全員が一斉に反応する。腰砕けの挙動不審男を
カイルが小脇に抱え、ルアさんはロープに。水夫も
慌てて柱や手摺りにしがみつくのを確認。全員の
安全確保完了。
「お、おい、デニス……?まさかお前……」
青ざめるルアさんの顔に、にこりと微笑みを返す。
彼女が全てを察した次の瞬間、僕はありったけの声で
合図した。
「うんと重くなれ!ダガーー!!」
ギイと音を立て、巨大な帆船が右に大きく傾いた。
帆柱はメトロノームの針の様に振れ、甲板の角度は
約45度。足だけで立っていられるわけが無い!
ざばざばと音を立て、海に投げ出されて行く魔物の
群。ひしめいていた敵影は、"おきあがりこぼし"の
ように左に揺れる頃には、その殆どが船上から一掃
されていた。
「とんでもねぇ事しやがるな!デニス!」
ルアさんが"まさか"と言ったところを見ると、
ダガーの無茶苦茶作戦に、あの瞬間気づいたという
ことだ。帆から伸びたロープに片手で掴まっている
彼女は、船の揺れにあわせ旗のように振られながら
も、妙に楽しそうであった。
・
・
・
「助かったぜ。スゲぇなアンタら。まさか船ごと
ブチ揺らすとは思わなかったな」
揺れのおさまった船上でドンテルは僕らに言った。
ダガー発案の乱暴な船体揺らしは功を奏し、断崖とも
言える甲板にたまたま引っかかって残った1体も無事
撃退して、今に至る。水夫は皆、船の被害状況確認と
魔物の再来に備え周囲を警戒していた。
カイルが抱えていた不審男は、顔を青くしガタガタ
を震えていた。甲板の落ち着きとともに緊張の糸が
切れたのか、カイルはへなへなと男の足元に伸びて
しまった。「むり……」という力の抜けた声と共に、口
の端に詳細を分析したくない液体を垂らす。
「……で、あんた大丈夫かよ」
ルアさんが問いかける。不信男はまだ膝が笑って
いるようで、カイルの横にしゃがみ込んだ。
「は、……はひ、いや、大丈夫じゃ、ないかも、で」
それはそうだ。本来、魔物に襲われるというのは、
こういう事だ。怯え、恐怖、過度なストレスによる
動悸や目眩。僕だって狼に襲われた時はそうだった。
ここまでに何度か、人や魔物と戦う経験を積み、その
結果として、今はある程度落ち着いていられるという
だけの事。リサイドからザバンに至るまで、周りに
いた人達が異常に戦闘慣れしていたが故に、少し感覚
が麻痺していたかもしれない。
「あ、あぁの、ありがとうございました。えと、その、
皆さん凄いですね。お若いのに、傭兵さんか何か
ですか?」
その男性は、誰とも視線を合わせずに、甲板の
木目でも観察するかのように言った。若い……確かに
この3人は、傍から見ればそう見えるか。僕は今世
ではまだ15歳。ただし、前世の記憶を引き継いで
しまったが故に少しおかしな中身ではある。ルアさん
にしたって、見た目は僕よりも幼い少女だ。実年齢
は置いておいて。そしてカイルは、僕と同世代の
はずだが、体つきや身長からすると最も年長者に
見える……気がする。口を開けばおそらくすぐにその
印象は崩れると思うが。
「ただの旅の者です。デニスと申します」
「あぁ、なるほど、旅の人なのですね!えと、デニス、
さん。ボクは、その、コミィといいます。なんか
ごめんなさい、ボクが船に乗ったばかりに、こんな」
自分が乗ったばかりに……?どういう事だ?先程の
襲撃は、このコミィという青年が要因だったとでも
言うのだろうか?
「……あんた、ザバンで見たぜ。酒場の宿で、デカい
男が暴れてる時に隅っこで震えてただろ。サグロに
避難させてもらってたはずだ」
ルアさんが言う。……全く気づいてなかった。
というか、あの場にいた人の顔なんて僕は全く覚えて
いない。アルフが大暴れした酒場、確かに数人の
一般人がサグロやヴィリに避難させられていた。だが
あの緊急時、いちいち面識のない人間の顔など見て
いられない。彼女の視野の広さと記憶力は、改めて
並外れているのだと実感した。
「え、ええ……そうなんです……昔から何故か、色々
妙な事に巻き込まれる体質でして……きっとさっきの
変なやつも、ボクのせいな気がしてしまって……」
ルアさんは呆れた顔で「んなわけねぇだろ」と腕を
組む。突き放すような言い方をしてはいるが、いつも
通り言葉自体に攻撃的な棘はない。
「悪ぃ面ばっか見てっからそう思うだけだ。"襲われ
た"って考えるか、"襲われたのに助かった"って考え
るかの差だろ。くだらねぇ」
前世の世界に、こんな言葉があった。曰く、
落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地
する確率は、カーペットの値段に比例する。
マーフィーの法則、だったか。不運な事ほど記憶に
色濃く残りやすく、"そんなことばかりだ"と認識が
歪む事を皮肉的に語ったジョークだ。僕は何故か
このコミィという青年に、妙な共感を覚えずには
いられなかった。
ひょっとして、僕の中にこびりつく劣等感も、
ベッタリとバターのついたカーペットばかりを見つめ
続けた結果、形成されただけなのかもしれない。
もっとも、1度強固に固着してしまった呪いを
一朝一夕で引き剥がすのはなかなか難しい。無意識下
での反応は、その場では自分で認識できないのだ。
「そういう、ものですかね……」
コミィはなお視線を落としたまましょげている。
『そうじゃぞ。このデニスを見てみい。以前のこやつ
なら、"大勢を巻き込みかねない"船揺らしなんぞ、
間違っても実行できなかったはずじゃ。認識の変化は
徐々に行動の変化に繋がるものじゃよ』
コミィが顔を上げる。キョロキョロと辺りを見回し
みるみる青ざめていった。
「この船……幽霊船か何か……ですか……?」
ダガー……その評価はとても嬉しいですが、それは
悪手だと思います……僕は無理やりな笑顔と共に、
この船に乗る僕ら以外の"唯一の聞こえる人"に、
ダガーの説明をした。
・
・
・
「なるほど……喋る短刀……良かったです。幽霊の
類でなくて」
「僕は、このダガーの事を詳しく知りたくて、
エイシスに向かう途中です」
ざっくりとした説明で、コミィは納得してくれた。
ドンテルや船員は皆各々の持ち場に戻っているため、
僕らの会話など聞いている余裕は無いだろう。
「あの、ボク、エイシスの人間です。良かったら、
その……案内しましょうか?」
相変わらず視線は床を貫いているが、コミィはそう
提案してきた。エイシスの村民という事であれば、
断る理由はない。ダガーが自ら話しかけたという事は
ガンドの時のような不穏な雰囲気は感じ取れなかった
という事だろう。異様に見えた怯えの理由もわかった
わけで、彼を疑う要素はほとんど無くなった。
「コミィさん。是非、よろしくお願いします」
コミィはその言葉を聞いて、初めて上目遣いで
僕の顔を見た。
「つーかアンタ、エイシスのモンなら、なんでザバン
にいたんだ?観光好きにゃ見えねぇが」
確かに、ルアさんの言うこともごもっともか。理由
なく海を渡ってはいけないわけでは無いが、海を渡る
にはそれなりの理由があるものだ。特に航海中、何か
しらの危険を伴う可能性の高いこんな世界では。
「あはは、それが、お恥ずかしいのですが、イマイチ
覚えてないんですよね……気づいたらザバンに居て、
せっかくだから友人達にお土産でも買って、そして
帰ろうと、今に至ります」
「……はぁ?」
「よくあるんですよね……気づくと変なところに居る
事が。最初の頃は怖かったのですが、何度も
繰り返すうちに、慣れてきてしまいまして……
司祭様にも相談したことがあるのですが、心穏やかに
安静にしましょう、としか……」
何か、妙な話になってきた。ザバンに来た理由を
覚えていない?それどころか、気づくと別の場所に
いる、という表現が少々寒気を覚える。突然、自覚
なく、気づいたら自分が知らない場所に居る、なんて
考えただけで恐ろしい。
「そんな事に慣れるって……一体どんな頻度で……」
コミィは腕を組み、少し考えると言った。
「だいたい10日に1度は、ありますね」
悩む脚の生えた魔物と、僕らは対峙していた。
初撃のカイルの打撃は、体表のヌメリによって威力
を削がれ、ダメージを最小限に抑えられてしまった。
彼が横っ腹を打ち抜く刹那、魔物は僅かに身体を傾け
ることで、その滑面の効果を最大化しているように
見えた気がする。……これは、今後の為に練習して
おきたい技巧かもしれない。
以前の僕は、自分の能力がただの"滑らせる事"で
しかないと思い込んでいた。だから同じく滑らせる
魚に対して、対処法を見出すことはできなかっただ
ろう。でも、今は違う。
能力の真価は"接触の拒絶"。木箱に水滴を垂らした
実験の事を考えれば、あの不可思議な撥水玉の事を
考えれば、僕にはそれができるはずなのだ。
「カイル!もう一度同じ場所を狙って!」
構えるカイルの動作を目に入れつつ、先程彼が
殴った場所付近に狙いを定め、《滑れ》と念じる。
体表に膜を貼るヌメリが一部、"滑り落ちて"いく。
接触自体を拒絶された脂は、その体表に留まる事を
拒絶され、流れ落ち、カイルの拳が迫る着弾点を
無防備に露出した。打撃がめり込むまでには能力を
消し、"滑らない面"の完成だ。
先程とは違う、骨を砕く音。不安定な足場とはいえ
カイルの拳打はやはり威力が桁違いだ。大きな抉れ
傷を負った魔物は、自分の身に何が起きたのか把握
する間もなく、船の反対端まで吹き飛んだ。
「滑らなかった!……うぷ」
カイルが喜びの拳を天に突き上げた直後、また
船酔いの嘔気が彼を襲う。今の彼からすれば、眼前の
魔物よりも、自らの胃の収縮運動の方が遥かに手強い
敵なのかもしれない。
魚に対して決定打を持つカイルがヨレヨレなのは、
状況としてはあまり良くない。彼の拳に頼りきる
のは、戦略として宜しくないはずだ。
「デニス。同じのもっかいやれ」
ルアさんが片膝を立てしゃがみ、こちらに指示を
出す。彼女の脚が輝きだし、蜘蛛戦で見せた跳躍を
思い出した。視線の先の魔物の正面、顔面に向け、
《滑れ》と念じる。てかてかとしたヌメリが溶ける
ように滑り落ち、攻撃点が露出した瞬間、彼女の身体
は強化された脚によって弾丸のように"発射"された。
半回転宙返りの後、ルアさんの脚は金色の軌跡を
残して魔物の額を撃ち抜く。踵が刺さるような飛び
蹴り。体重の軽い彼女では、カイルほどの破壊力は
期待できない。だが目と目の間から砕けた鱗が飛び
散る様子を見る限り、かなりのダメージは与えて
いるようだ。
「ったく、トレントといいコイツといい、凹むぜ!
やっぱ体格が足りてねぇか、クソ」
カイルのようなことを言い出すルアさん。一撃で
致命傷を与えられなかった事に対する不満。少女の
ような己の体に対する不満。それらのイラつきが
語気を荒らげさせていると見える。……それなら、
分業すればいい。
「ルアさん!足払いで!」
言うと同時に僕は駆け出す。着地でしゃがんでいた
ルアさんはそれを聞いて瞬時に察する。その場で
低い姿勢のまま甲板を削り取るかの如く半周回転。
遠心力を乗せた金色の脚が、魚の両脚を跳ね飛ばす。
横倒しになった魔物目掛け、僕は飛びかかる。
平らな面なら上から押し潰せる。まな板に乗せられ、
捌かれる時を待つ魚ような体側に、鞘付きダガーを
押し当て、叫ぶ。
「ダガー!重く!」
『おうよ!』
ドゴンという破裂に近い音を立て、魔物の腹骨を
折り潰す。口から謎の液体を吐き出しながら、魔物
は動かなくなった。魔物1体を圧殺する加重に船が
僅かに横揺れした。
達成感もそこそこに、周りを見渡す。まだだいぶ
魔物はいる。今、船員3人がかりで1匹の魔物を船外
に押し出すのが見えた。船長までハンマーを振り回し
ている。おそらく操舵手以外は水夫総出だ。
今、厄介なのは、数の問題。船員たちは確かに
航海の途中でこのような事も時折あるのだろう。怯え
たり逃げ出すことも無く、果敢に敵に向かっていく。
だが決定打に欠ける。彼らは戦闘に慣れている訳では
なく、あくまで対処に慣れているのだろう。
「数が、少しでも減れば……」
そんな僕の呟きに、ダガーが悪戯っぽく言う。
『デニス。……少し無茶苦茶してみんか?』
僕は彼女の"無茶苦茶"の提案を聞き、内容を把握
して、応戦中のドンテルに叫ぶように質問する。
「この船、どのくらい揺れに耐えられますか!?」
「ああ!?ナメてもらっちゃ困るぜぇ!大嵐の日
だろうが昼寝のデキる快適さだ!」
揺れには強い、と考えて良いのだろう。僕はダガー
との作戦を実行に移す。甲板右端。端に散らかる
ロープを拝借し、ダガーを手すりの柱に括り付ける。
雁字搦めでピクリとも動かない事を確認し叫んだ。
「皆さん!どこかに掴まってください!!」
全員が一斉に反応する。腰砕けの挙動不審男を
カイルが小脇に抱え、ルアさんはロープに。水夫も
慌てて柱や手摺りにしがみつくのを確認。全員の
安全確保完了。
「お、おい、デニス……?まさかお前……」
青ざめるルアさんの顔に、にこりと微笑みを返す。
彼女が全てを察した次の瞬間、僕はありったけの声で
合図した。
「うんと重くなれ!ダガーー!!」
ギイと音を立て、巨大な帆船が右に大きく傾いた。
帆柱はメトロノームの針の様に振れ、甲板の角度は
約45度。足だけで立っていられるわけが無い!
ざばざばと音を立て、海に投げ出されて行く魔物の
群。ひしめいていた敵影は、"おきあがりこぼし"の
ように左に揺れる頃には、その殆どが船上から一掃
されていた。
「とんでもねぇ事しやがるな!デニス!」
ルアさんが"まさか"と言ったところを見ると、
ダガーの無茶苦茶作戦に、あの瞬間気づいたという
ことだ。帆から伸びたロープに片手で掴まっている
彼女は、船の揺れにあわせ旗のように振られながら
も、妙に楽しそうであった。
・
・
・
「助かったぜ。スゲぇなアンタら。まさか船ごと
ブチ揺らすとは思わなかったな」
揺れのおさまった船上でドンテルは僕らに言った。
ダガー発案の乱暴な船体揺らしは功を奏し、断崖とも
言える甲板にたまたま引っかかって残った1体も無事
撃退して、今に至る。水夫は皆、船の被害状況確認と
魔物の再来に備え周囲を警戒していた。
カイルが抱えていた不審男は、顔を青くしガタガタ
を震えていた。甲板の落ち着きとともに緊張の糸が
切れたのか、カイルはへなへなと男の足元に伸びて
しまった。「むり……」という力の抜けた声と共に、口
の端に詳細を分析したくない液体を垂らす。
「……で、あんた大丈夫かよ」
ルアさんが問いかける。不信男はまだ膝が笑って
いるようで、カイルの横にしゃがみ込んだ。
「は、……はひ、いや、大丈夫じゃ、ないかも、で」
それはそうだ。本来、魔物に襲われるというのは、
こういう事だ。怯え、恐怖、過度なストレスによる
動悸や目眩。僕だって狼に襲われた時はそうだった。
ここまでに何度か、人や魔物と戦う経験を積み、その
結果として、今はある程度落ち着いていられるという
だけの事。リサイドからザバンに至るまで、周りに
いた人達が異常に戦闘慣れしていたが故に、少し感覚
が麻痺していたかもしれない。
「あ、あぁの、ありがとうございました。えと、その、
皆さん凄いですね。お若いのに、傭兵さんか何か
ですか?」
その男性は、誰とも視線を合わせずに、甲板の
木目でも観察するかのように言った。若い……確かに
この3人は、傍から見ればそう見えるか。僕は今世
ではまだ15歳。ただし、前世の記憶を引き継いで
しまったが故に少しおかしな中身ではある。ルアさん
にしたって、見た目は僕よりも幼い少女だ。実年齢
は置いておいて。そしてカイルは、僕と同世代の
はずだが、体つきや身長からすると最も年長者に
見える……気がする。口を開けばおそらくすぐにその
印象は崩れると思うが。
「ただの旅の者です。デニスと申します」
「あぁ、なるほど、旅の人なのですね!えと、デニス、
さん。ボクは、その、コミィといいます。なんか
ごめんなさい、ボクが船に乗ったばかりに、こんな」
自分が乗ったばかりに……?どういう事だ?先程の
襲撃は、このコミィという青年が要因だったとでも
言うのだろうか?
「……あんた、ザバンで見たぜ。酒場の宿で、デカい
男が暴れてる時に隅っこで震えてただろ。サグロに
避難させてもらってたはずだ」
ルアさんが言う。……全く気づいてなかった。
というか、あの場にいた人の顔なんて僕は全く覚えて
いない。アルフが大暴れした酒場、確かに数人の
一般人がサグロやヴィリに避難させられていた。だが
あの緊急時、いちいち面識のない人間の顔など見て
いられない。彼女の視野の広さと記憶力は、改めて
並外れているのだと実感した。
「え、ええ……そうなんです……昔から何故か、色々
妙な事に巻き込まれる体質でして……きっとさっきの
変なやつも、ボクのせいな気がしてしまって……」
ルアさんは呆れた顔で「んなわけねぇだろ」と腕を
組む。突き放すような言い方をしてはいるが、いつも
通り言葉自体に攻撃的な棘はない。
「悪ぃ面ばっか見てっからそう思うだけだ。"襲われ
た"って考えるか、"襲われたのに助かった"って考え
るかの差だろ。くだらねぇ」
前世の世界に、こんな言葉があった。曰く、
落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地
する確率は、カーペットの値段に比例する。
マーフィーの法則、だったか。不運な事ほど記憶に
色濃く残りやすく、"そんなことばかりだ"と認識が
歪む事を皮肉的に語ったジョークだ。僕は何故か
このコミィという青年に、妙な共感を覚えずには
いられなかった。
ひょっとして、僕の中にこびりつく劣等感も、
ベッタリとバターのついたカーペットばかりを見つめ
続けた結果、形成されただけなのかもしれない。
もっとも、1度強固に固着してしまった呪いを
一朝一夕で引き剥がすのはなかなか難しい。無意識下
での反応は、その場では自分で認識できないのだ。
「そういう、ものですかね……」
コミィはなお視線を落としたまましょげている。
『そうじゃぞ。このデニスを見てみい。以前のこやつ
なら、"大勢を巻き込みかねない"船揺らしなんぞ、
間違っても実行できなかったはずじゃ。認識の変化は
徐々に行動の変化に繋がるものじゃよ』
コミィが顔を上げる。キョロキョロと辺りを見回し
みるみる青ざめていった。
「この船……幽霊船か何か……ですか……?」
ダガー……その評価はとても嬉しいですが、それは
悪手だと思います……僕は無理やりな笑顔と共に、
この船に乗る僕ら以外の"唯一の聞こえる人"に、
ダガーの説明をした。
・
・
・
「なるほど……喋る短刀……良かったです。幽霊の
類でなくて」
「僕は、このダガーの事を詳しく知りたくて、
エイシスに向かう途中です」
ざっくりとした説明で、コミィは納得してくれた。
ドンテルや船員は皆各々の持ち場に戻っているため、
僕らの会話など聞いている余裕は無いだろう。
「あの、ボク、エイシスの人間です。良かったら、
その……案内しましょうか?」
相変わらず視線は床を貫いているが、コミィはそう
提案してきた。エイシスの村民という事であれば、
断る理由はない。ダガーが自ら話しかけたという事は
ガンドの時のような不穏な雰囲気は感じ取れなかった
という事だろう。異様に見えた怯えの理由もわかった
わけで、彼を疑う要素はほとんど無くなった。
「コミィさん。是非、よろしくお願いします」
コミィはその言葉を聞いて、初めて上目遣いで
僕の顔を見た。
「つーかアンタ、エイシスのモンなら、なんでザバン
にいたんだ?観光好きにゃ見えねぇが」
確かに、ルアさんの言うこともごもっともか。理由
なく海を渡ってはいけないわけでは無いが、海を渡る
にはそれなりの理由があるものだ。特に航海中、何か
しらの危険を伴う可能性の高いこんな世界では。
「あはは、それが、お恥ずかしいのですが、イマイチ
覚えてないんですよね……気づいたらザバンに居て、
せっかくだから友人達にお土産でも買って、そして
帰ろうと、今に至ります」
「……はぁ?」
「よくあるんですよね……気づくと変なところに居る
事が。最初の頃は怖かったのですが、何度も
繰り返すうちに、慣れてきてしまいまして……
司祭様にも相談したことがあるのですが、心穏やかに
安静にしましょう、としか……」
何か、妙な話になってきた。ザバンに来た理由を
覚えていない?それどころか、気づくと別の場所に
いる、という表現が少々寒気を覚える。突然、自覚
なく、気づいたら自分が知らない場所に居る、なんて
考えただけで恐ろしい。
「そんな事に慣れるって……一体どんな頻度で……」
コミィは腕を組み、少し考えると言った。
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普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
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15歳になった男子は、冒険者になる。それが当たり前の世界。だがクテュールは、冒険者になるつもりはなかった。男だけど裁縫が好きで、道具屋とかに勤めたいと思っていた。
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断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
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断罪まで、あと10分。
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