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第3章
48・白い玄関口
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コミィの話は、僕らの思考を止めるには十分、妙な
ものであった。甲板の一角で行われた告白は、少々
信じ難い。
気づくと別の場所に居る事がある、という不可解な
事を言い始めたコミィ。この周囲に怯え、腰の引けて
いる青年の話は、魔法の横行するこの世界においても
なかなかに突飛なものに聞こえる。
もちろん、全く有り得ないは思わない。僕自身、
少し前に強制的に"転移"させられる経験をしている。
それが他人の"意図した"発動なのか自己の"無意識"
の発動なのかという違いがあったとしても、現象
そのものは荒唐無稽とは言い難い。
その経験を引き合いに出し、コミィに多少の共感
を示したところ、彼は「本当ですか!?」と嬉しそう
に僕の手を取った。言葉にし難い感激が、表情に
現れている気がする。ルアさんはそんな僕を見て、
「お前、妙な経験してんな」と怪訝な声をあげた。
……あ、ルアさん、今、引きましたね?そんな気色
悪い虫でも見たような顔で僕を見ないでください。
そんな僕らのやり取りを見ていたのか、もう1人の
乗客が人懐っこそうな笑顔と共に声を掛けてきた。
身なりを見る限りおそらく商人。魔物襲来時には甲板
に居たはずだが、少しの間、姿を見ていなかった。
その男性は両手をヒラヒラさせながら笑っていた。
「いやぁ、すんごい揺れッシたねぇ。そのまま倒れ
るんじゃないかと思ったッスよ」
あっはっはと笑う商人。コミィとは対照的だ。
「あ、ごめんさい、ご迷惑おかけしました」
僕の謝罪にその男は手をパタパタと仰ぐ。全体的に
身振り手振りが大きく、男の動きは、どことなく
はしゃいでいるような印象を受けた。顔つきや
背格好はどう見てもコミィと同じく青年なのに、
動きや表情から少し若く見える。
「いいッスよぉ。手っ取り早く片付いてスカッとした
ッス。今、ちょっと心配で荷物見てきたんスけど、
無事ッシた。ガッチリ括り付けといて良かったッス
よ。あっはっは」
男は大きく腰を屈め、お辞儀をしながら言った。
「初めまして!オイラ見た通り商人のポロンッス。
助けて貰った恩ッスからね。あんたらの顔、覚えとく
ッスよ。この顔見かけたら是非寄ってって!」
顔を上げつつ満面の笑みを見せ、自らその顔を
指さすポロンと名乗った男。……なんだろう、この
絶妙な胡散臭さは。ザバンで既に商人の印象が多少
揺らぐ事件もあった。そう考えると僕の中で相対的に
グナエさんの株が今更上がっていく。
ポロンがグイッとルアさんに顔を寄せる。今まで
興味無さそうにポロンの自己紹介を聞いていた彼女も
流石にギョッとしたらしく、1歩後ずさった。
「いやぁ、戦い見てたッスよ。お嬢さん、最高に
美しかったッス!あの金色の御御足!オイラ魔物
そっちのけで見惚れてしまい……!」
「気色悪ぃ。アタシを見んな」
ルアさんの蹴りがポロンの腹にめり込む。「おごぉ」
と短く叫ぶも、依然として彼は笑顔を崩さない。随分
たくましい商人魂だ。
「あぁ、なんという光栄……!」
……ポロンのその言葉に、僕は何かを察した。いや、
詳しく考えるのはやめておこう。思考を巡らせては
いけない。きっとこれは他人が口出しする事ではない
……気がする。
「なぁ、デニス……コイツキモいんだが」
ルアさんが僕を見る。いや、そう言われましても。
転がっていたカイルが、同じく転がっているポロンを
興味深そうにつんつんつついていた。手をブンブンと
振り、「やめろー!」と拒絶する間も、ポロンの笑顔は
微塵も崩れなかった。……なんなんだ、この人は。
・
・
・
たまたま同じ船に乗り合わせただけ。その場限りの
乗客同士は、魔物の乱入というきっかけによりお互い
名を知る間柄になった。ルアさんは最後までポロンに
名を明かす事を渋っていたが、彼の執拗な懇願の前に
ついに折れた。ポロンに「ルア様」と呼ばれ顔面を
踏みつけるルアさん。しかし彼は、やはり嬉しそうに
頬を染めるのみだった。……ある意味無敵だ、この人。
コミィはただただポロンに怯えている。パーソナル
スペースの柵をへし折り侵入してくる理解不能なモノ
に対し、どう接して良いのか分からないといった様子
だ。安心してくださいコミィさん。僕も同じ感情を
抱いてますので。
そして、ふと気づいた。ルアさんが時々見せていた
不機嫌なのか考え事なのかどちらともつかない表情。
それがひとまず消えていることに。もしかしたら藪蛇
かもしれないが、「少し表情が晴れましたね」と聞くと
「お前が馬鹿すぎて、何考えてたか忘れちまったよ」
と、呆れ顔で笑っていた。
・
・
・
途中、コミィが海鳥のフンを頭に受けたり、カイル
が限界を迎えて海に向け酸っぱいものを戻したり、
ポロンがルアさんに絡んで粛清されたりなど色々
あったが、数日の航海自体はそこそこ平和なもの
であった。閉塞感のある人間サイズの棚、としか形容
しようのない寝台や湿気の多い毛布にはなかなか慣れ
ることは出来なかったが。
空と海の境界線でしか無かった横一線が、いつの間
にやら厚みを帯び、凹凸ある陸地が徐々に目視可能に
なってきた。
「……さて、そろそろ到着ッスね。いつもなら退屈な
数日なんスけどね、今回は良い旅ッシた」
片手を胸に当て、もう片腕を背に回した独特で妙に
芝居がかったお辞儀をしながら、ポロンは言った。
「ポロンさんも、この後エイシスですか?」
ようやくポロンのノリに慣れてきたと思われる
コミィが質問する。僕らの目的地は既にエイシスで
決定しているが、よく良く考えればポロンがどうする
のか全く知らない。この数日間、誰も彼の行き先に
興味すら抱かなかったというのは、なかなかに味わい
深い人間関係だ。
「いや、オイラはルディアダで仲間と落ち合って、
荷物担いでシンガ行きッス。今回こそあの街に拠点を
構えてやるッスよ」
何やら野望を抱いているようだが、生憎シンガの
事情をよく知らない僕には少々共感し難い。確か、
木札での出金が出来ない、とは言われてたっけ。と
いうことは、今はまだ商人ギルドが拠点を置けて
いないということなのだろうか。もしそうだとしたら
確かに野心的な試みなのかもしれない。
程なくして、大きく貼り出た桟橋と、海路の終着点
が船を迎えた。ザバンの平坦な街並みと違い、数段の
階段状に並ぶ建物。やや白みがかった壁面が日を反射
して目にじわりと染みる。多くの屋根がオレンジ色
で構成され、段々の中央には小聖堂と思しき建造物
が鎮座していた。海を渡った。その実感が、光景と
共に押し寄せてくる。トラブルこそ少なかったとは
いえ、常に揺れ続ける床での数日は、安定した地面の
ありがたみを知るには十分な時間であった。
無事綱取りを終え停泊した船に、数人の港番が乗り
混んでくる。船員乗客含め全員に軽い確認をした後、
船を下りることを許可された。
木の板に滑り止めの横棒を打ち付けただけに見える
頼りないタラップから桟橋に下りる。まだ足元が揺れ
ているような錯覚が残り、時折目眩のようなものを感じた。
ズルズルと這い降りるように下船したカイルは、
仰向けのまま世界が回る感覚に悩まされているよう
だった。特に何ともなさそうなルアさん、ポロンと、
タラップから下を覗いて震えるコミィ。
桟橋から今来た方向の海を見渡すと、そこには出航
時と同じく、海と空を分かつ線のみが青く横たわって
いた。その絵画のような青一色に、対岸の見えない
船旅の、その距離を改めて実感した。
ポロンは「では、良い旅を」と僕達に言うと、出迎
えの商人らしき人々と少し話をし、それらを率いて
荷降ろしのため船倉へと向かった。
「入港税結構高ぇなここ」
ルアさんがそんな事をボヤく。一般的にどのくらい
取られるのか知らない上、キャラバンでザバンに
入った時は個人として支払っていなかった。今回
取られたのは、だいたい10日分の昼食代くらい……
と考えると、確かに結構な金額だ。腰の財布はほぼ
空になってしまった。念の為、また少し下ろしておか
なければ。
お金を渡してくれた両親に改めて感謝する。僕が
貯めていた小遣いなど、この入港料でほぼ消える程度
のものだった。……やはり、適度に依頼をこなすなど
して路銀は常に確保しなければ、すぐに底を尽きて
しまうだろう。
「ルディアダは、周辺だけで言えば大して大きな街は
ありません。ただ、少し北にあるグレザルン王国の
玄関口でもあるのでその影響ですね」
ようやく落ち着いてきたコミィが説明する。なる
ほど、大きな国があればそこの影響を受けるのも納得
だ。彼の地元人としての案内が早速ありがたい。
ルディアダのおすすめ食事処に関しても、間違いは
無かった。よく見る木製テーブルに着いた僕達は、
そこに置かれた料理に各々別の意味で目を奪われた。
「生……魚……?」
ただ魚を切っただけ。それを木皿に並べた、それ
だけの料理。にも関わらず、僕はその光景に胸を
踊らせた。表面を覆う脂と黄金色のオイルが織り成す
艶。横に添えられた香草と塩の山。これは、前世では
時折食卓に上がるものの、この世界では1度たりとも
お目にしたことのない……刺身だ。
「……食えんのか?これ……」
僕の高鳴りと対象的に、明らかに奇妙な物を見た
表情のルアさん。これが、生食文化に触れていない者
との認識の差か。僕は口内を満たす涎に溺れないよう
必死なのに対し、彼女は、酷く警戒する姿勢を崩さ
ない。カイルは鼻が着く程顔を近づけ、くんくんと
匂いを嗅ぐ。
「ルディアダでは、魚を生で食べる文化があるん
ですよ。最初は珍妙に見えるかもしれませんが、食べ
てみるとなかなかどうして、イけるものですよ」
コミィの説明に、僕は心の中で激しく頷いた。
15年振りの生魚の味を堪能する。鼻判定で無害と
判断したであろうカイルも、1口を皮切りに無言で次
を口へ運ぶ。僕らの様子を見たルアさんも、1切れ
味わった後、小さく笑った。
「……なるほど、悪かねぇ。食わず嫌いは良くねぇな」
続けて2切れ目を口に放り込みながら、彼女は少し
目を細めて言った。
「……知らねぇは罪だ。この辺りでハッキリさせと
くぜ。ダガー」
テーブルに置かれたダガーは静かに1度沈み込む。
肯定を示すその様子は、まるで人が重々しく頷く
ように見えた。
突然、何の話だ?僕は完全に置いていかれている。
ルアさんはテーブルに肘をつき、やや行儀の悪い姿勢
で話し始めた。
「ちょうど"感性がマトモ"な奴もいる事だ。この先の
為にも、デニスは少し学んだ方がいい。お前は確かに
賢いが、そのまま他所に行くにゃだいぶ危険だ。故郷
はさぞ寛大な土地だったんだろうな」
以前サグロにズレを指摘された時とはまた違う。
今回僕はまだ、自分が何を指摘されているのかさえ
よくわかっていない。だが彼女の目は真剣だ。決して
茶化しや冗談の類でない事は明白。知らず知らずの
うち、僕はフォークを握る手に力が入っていること
に気づいた。
「ハッキリ言って、お前がリサイドやザバンで会った
人間は、どいつもこいつもマトモじゃねぇ。あの
ピエラでさえも、手元にある知識によって、常識の目
を知性が蓋してやがる。……コミィ。もし仮に、今
この場に"禁書"が置かれていたとしたら、お前は
どうする?」
ガタリと椅子を鳴らして反応するコミィ。先程まで
の落ち着いていた様子が一転。酷く動揺して目を
見開いている。何をそんなに……
「な、なななに言ってるんですか……?そんな異教の
邪な戯言が記されたと噂されるモノ、目にする事すら
汚らわしい。仮にの話だとしても、言うに事欠いて
何を、ルアさん……」
異常なまでの拒絶。大袈裟にすら見える反応。それ
は僕が想像していた回答とは全く違う、恐怖や嫌悪に
も似たものであった。いや、むしろ、それを異常と
見る僕が異常なのか……?ルアさんはこちらを「な?」
とでも言いたげな目で見ている。
「……とまぁ、そういう訳だ。ついでにアタシは背徳的
なコト抜かすぞ、コミィ。アタシが仮に"何かに命を
与えたい"と考えてたら、お前、どう思う?」
……!これは……ひょっとして……いや、ルアさんに
は旅の目的、つまりダガーに動ける身体を与えると
いう最終目的に関しては一言も言っていないはずだ。
以前それを口にしようとした瞬間、ダガーは即座に
それを静止した。ピエラの家で欲しい知識を聞かれ、
"魂と肉体について"を求めたあの時、彼女はそれを
完全に把握した……ということか?
コミィがテーブルを叩く。怯えだった表情は既に
やや怒りにも似たものに変わっている。
「ルアさん……冗談も程々にしてください。それは、
神に対する冒涜です。あまりに馬鹿げていて、この世
の理に対する、侮辱です」
コミィの言葉が胸に突き刺さる。ルアさんは
あくまで主語を"アタシ"としていた。それは、コミィ
の言葉が僕を完全に刺し貫き砕くのを避けるため、
自らを盾とする予防策だったのだ。
目の前で交わされる会話に目眩がする。確かに
宗教的な概要や教え、この世の常識は学んでいたはず
だ。だがそれは、1歩引いた"知識"として僕の本棚に
しまわれていただけで、思考の礎としては機能して
いなかった。その事を突きつけられている。
「落ち着け、悪かった、コミィ。アタシは少し頭が
トンでるんだ。神は大事だよな。わかるわかる。この
世は神の慈愛に満ちてんだろ。簡単にゃ死なねぇのも
飯がうめぇのも、神様様々ってワケだ。死んだらその
神と一体化して、この世を見守り照らすモノとなる。
それが、神の施しを享受してきた人間ができる、唯一
の恩返しであり、幸福なんだろ。知ってはいるぜ。
イマイチ信じちゃいねぇがな」
「ルアさん……あなたは、異教徒ですか……?」
「そんな過激じゃねぇよ。無神論者と呼んでくれ」
「それだって十分……危険思想ですよ。ここだから
まだ良いものの、グレザルンなんかでそんな事言い
出したら、一体どうなることか……」
……何を言いたいかが、正確にわかってきた。
「……だ、そうだ。デニス。アタシはだいぶ気をつけ
ねぇといけねぇらしい。難儀なもんだな、おい。
異端の者は、生きてること自体がしんどいぜ」
彼女はコミィとのやり取りを通して、僕の目的が
あまりにもこの世の理からズレている事を伝えようと
してくれている。そのまま他所に行くには危険……
確かにその通りだ。たまたま看過される環境にいた
だけで、状況が違えば、僕は1歩踏み出すと同時に
首が落ちていたのかもしれない。
そして僕は、彼女の次の言葉に、脳を砕かれた。
「"生きてるだけで、死んじまうかんな"」
ものであった。甲板の一角で行われた告白は、少々
信じ難い。
気づくと別の場所に居る事がある、という不可解な
事を言い始めたコミィ。この周囲に怯え、腰の引けて
いる青年の話は、魔法の横行するこの世界においても
なかなかに突飛なものに聞こえる。
もちろん、全く有り得ないは思わない。僕自身、
少し前に強制的に"転移"させられる経験をしている。
それが他人の"意図した"発動なのか自己の"無意識"
の発動なのかという違いがあったとしても、現象
そのものは荒唐無稽とは言い難い。
その経験を引き合いに出し、コミィに多少の共感
を示したところ、彼は「本当ですか!?」と嬉しそう
に僕の手を取った。言葉にし難い感激が、表情に
現れている気がする。ルアさんはそんな僕を見て、
「お前、妙な経験してんな」と怪訝な声をあげた。
……あ、ルアさん、今、引きましたね?そんな気色
悪い虫でも見たような顔で僕を見ないでください。
そんな僕らのやり取りを見ていたのか、もう1人の
乗客が人懐っこそうな笑顔と共に声を掛けてきた。
身なりを見る限りおそらく商人。魔物襲来時には甲板
に居たはずだが、少しの間、姿を見ていなかった。
その男性は両手をヒラヒラさせながら笑っていた。
「いやぁ、すんごい揺れッシたねぇ。そのまま倒れ
るんじゃないかと思ったッスよ」
あっはっはと笑う商人。コミィとは対照的だ。
「あ、ごめんさい、ご迷惑おかけしました」
僕の謝罪にその男は手をパタパタと仰ぐ。全体的に
身振り手振りが大きく、男の動きは、どことなく
はしゃいでいるような印象を受けた。顔つきや
背格好はどう見てもコミィと同じく青年なのに、
動きや表情から少し若く見える。
「いいッスよぉ。手っ取り早く片付いてスカッとした
ッス。今、ちょっと心配で荷物見てきたんスけど、
無事ッシた。ガッチリ括り付けといて良かったッス
よ。あっはっは」
男は大きく腰を屈め、お辞儀をしながら言った。
「初めまして!オイラ見た通り商人のポロンッス。
助けて貰った恩ッスからね。あんたらの顔、覚えとく
ッスよ。この顔見かけたら是非寄ってって!」
顔を上げつつ満面の笑みを見せ、自らその顔を
指さすポロンと名乗った男。……なんだろう、この
絶妙な胡散臭さは。ザバンで既に商人の印象が多少
揺らぐ事件もあった。そう考えると僕の中で相対的に
グナエさんの株が今更上がっていく。
ポロンがグイッとルアさんに顔を寄せる。今まで
興味無さそうにポロンの自己紹介を聞いていた彼女も
流石にギョッとしたらしく、1歩後ずさった。
「いやぁ、戦い見てたッスよ。お嬢さん、最高に
美しかったッス!あの金色の御御足!オイラ魔物
そっちのけで見惚れてしまい……!」
「気色悪ぃ。アタシを見んな」
ルアさんの蹴りがポロンの腹にめり込む。「おごぉ」
と短く叫ぶも、依然として彼は笑顔を崩さない。随分
たくましい商人魂だ。
「あぁ、なんという光栄……!」
……ポロンのその言葉に、僕は何かを察した。いや、
詳しく考えるのはやめておこう。思考を巡らせては
いけない。きっとこれは他人が口出しする事ではない
……気がする。
「なぁ、デニス……コイツキモいんだが」
ルアさんが僕を見る。いや、そう言われましても。
転がっていたカイルが、同じく転がっているポロンを
興味深そうにつんつんつついていた。手をブンブンと
振り、「やめろー!」と拒絶する間も、ポロンの笑顔は
微塵も崩れなかった。……なんなんだ、この人は。
・
・
・
たまたま同じ船に乗り合わせただけ。その場限りの
乗客同士は、魔物の乱入というきっかけによりお互い
名を知る間柄になった。ルアさんは最後までポロンに
名を明かす事を渋っていたが、彼の執拗な懇願の前に
ついに折れた。ポロンに「ルア様」と呼ばれ顔面を
踏みつけるルアさん。しかし彼は、やはり嬉しそうに
頬を染めるのみだった。……ある意味無敵だ、この人。
コミィはただただポロンに怯えている。パーソナル
スペースの柵をへし折り侵入してくる理解不能なモノ
に対し、どう接して良いのか分からないといった様子
だ。安心してくださいコミィさん。僕も同じ感情を
抱いてますので。
そして、ふと気づいた。ルアさんが時々見せていた
不機嫌なのか考え事なのかどちらともつかない表情。
それがひとまず消えていることに。もしかしたら藪蛇
かもしれないが、「少し表情が晴れましたね」と聞くと
「お前が馬鹿すぎて、何考えてたか忘れちまったよ」
と、呆れ顔で笑っていた。
・
・
・
途中、コミィが海鳥のフンを頭に受けたり、カイル
が限界を迎えて海に向け酸っぱいものを戻したり、
ポロンがルアさんに絡んで粛清されたりなど色々
あったが、数日の航海自体はそこそこ平和なもの
であった。閉塞感のある人間サイズの棚、としか形容
しようのない寝台や湿気の多い毛布にはなかなか慣れ
ることは出来なかったが。
空と海の境界線でしか無かった横一線が、いつの間
にやら厚みを帯び、凹凸ある陸地が徐々に目視可能に
なってきた。
「……さて、そろそろ到着ッスね。いつもなら退屈な
数日なんスけどね、今回は良い旅ッシた」
片手を胸に当て、もう片腕を背に回した独特で妙に
芝居がかったお辞儀をしながら、ポロンは言った。
「ポロンさんも、この後エイシスですか?」
ようやくポロンのノリに慣れてきたと思われる
コミィが質問する。僕らの目的地は既にエイシスで
決定しているが、よく良く考えればポロンがどうする
のか全く知らない。この数日間、誰も彼の行き先に
興味すら抱かなかったというのは、なかなかに味わい
深い人間関係だ。
「いや、オイラはルディアダで仲間と落ち合って、
荷物担いでシンガ行きッス。今回こそあの街に拠点を
構えてやるッスよ」
何やら野望を抱いているようだが、生憎シンガの
事情をよく知らない僕には少々共感し難い。確か、
木札での出金が出来ない、とは言われてたっけ。と
いうことは、今はまだ商人ギルドが拠点を置けて
いないということなのだろうか。もしそうだとしたら
確かに野心的な試みなのかもしれない。
程なくして、大きく貼り出た桟橋と、海路の終着点
が船を迎えた。ザバンの平坦な街並みと違い、数段の
階段状に並ぶ建物。やや白みがかった壁面が日を反射
して目にじわりと染みる。多くの屋根がオレンジ色
で構成され、段々の中央には小聖堂と思しき建造物
が鎮座していた。海を渡った。その実感が、光景と
共に押し寄せてくる。トラブルこそ少なかったとは
いえ、常に揺れ続ける床での数日は、安定した地面の
ありがたみを知るには十分な時間であった。
無事綱取りを終え停泊した船に、数人の港番が乗り
混んでくる。船員乗客含め全員に軽い確認をした後、
船を下りることを許可された。
木の板に滑り止めの横棒を打ち付けただけに見える
頼りないタラップから桟橋に下りる。まだ足元が揺れ
ているような錯覚が残り、時折目眩のようなものを感じた。
ズルズルと這い降りるように下船したカイルは、
仰向けのまま世界が回る感覚に悩まされているよう
だった。特に何ともなさそうなルアさん、ポロンと、
タラップから下を覗いて震えるコミィ。
桟橋から今来た方向の海を見渡すと、そこには出航
時と同じく、海と空を分かつ線のみが青く横たわって
いた。その絵画のような青一色に、対岸の見えない
船旅の、その距離を改めて実感した。
ポロンは「では、良い旅を」と僕達に言うと、出迎
えの商人らしき人々と少し話をし、それらを率いて
荷降ろしのため船倉へと向かった。
「入港税結構高ぇなここ」
ルアさんがそんな事をボヤく。一般的にどのくらい
取られるのか知らない上、キャラバンでザバンに
入った時は個人として支払っていなかった。今回
取られたのは、だいたい10日分の昼食代くらい……
と考えると、確かに結構な金額だ。腰の財布はほぼ
空になってしまった。念の為、また少し下ろしておか
なければ。
お金を渡してくれた両親に改めて感謝する。僕が
貯めていた小遣いなど、この入港料でほぼ消える程度
のものだった。……やはり、適度に依頼をこなすなど
して路銀は常に確保しなければ、すぐに底を尽きて
しまうだろう。
「ルディアダは、周辺だけで言えば大して大きな街は
ありません。ただ、少し北にあるグレザルン王国の
玄関口でもあるのでその影響ですね」
ようやく落ち着いてきたコミィが説明する。なる
ほど、大きな国があればそこの影響を受けるのも納得
だ。彼の地元人としての案内が早速ありがたい。
ルディアダのおすすめ食事処に関しても、間違いは
無かった。よく見る木製テーブルに着いた僕達は、
そこに置かれた料理に各々別の意味で目を奪われた。
「生……魚……?」
ただ魚を切っただけ。それを木皿に並べた、それ
だけの料理。にも関わらず、僕はその光景に胸を
踊らせた。表面を覆う脂と黄金色のオイルが織り成す
艶。横に添えられた香草と塩の山。これは、前世では
時折食卓に上がるものの、この世界では1度たりとも
お目にしたことのない……刺身だ。
「……食えんのか?これ……」
僕の高鳴りと対象的に、明らかに奇妙な物を見た
表情のルアさん。これが、生食文化に触れていない者
との認識の差か。僕は口内を満たす涎に溺れないよう
必死なのに対し、彼女は、酷く警戒する姿勢を崩さ
ない。カイルは鼻が着く程顔を近づけ、くんくんと
匂いを嗅ぐ。
「ルディアダでは、魚を生で食べる文化があるん
ですよ。最初は珍妙に見えるかもしれませんが、食べ
てみるとなかなかどうして、イけるものですよ」
コミィの説明に、僕は心の中で激しく頷いた。
15年振りの生魚の味を堪能する。鼻判定で無害と
判断したであろうカイルも、1口を皮切りに無言で次
を口へ運ぶ。僕らの様子を見たルアさんも、1切れ
味わった後、小さく笑った。
「……なるほど、悪かねぇ。食わず嫌いは良くねぇな」
続けて2切れ目を口に放り込みながら、彼女は少し
目を細めて言った。
「……知らねぇは罪だ。この辺りでハッキリさせと
くぜ。ダガー」
テーブルに置かれたダガーは静かに1度沈み込む。
肯定を示すその様子は、まるで人が重々しく頷く
ように見えた。
突然、何の話だ?僕は完全に置いていかれている。
ルアさんはテーブルに肘をつき、やや行儀の悪い姿勢
で話し始めた。
「ちょうど"感性がマトモ"な奴もいる事だ。この先の
為にも、デニスは少し学んだ方がいい。お前は確かに
賢いが、そのまま他所に行くにゃだいぶ危険だ。故郷
はさぞ寛大な土地だったんだろうな」
以前サグロにズレを指摘された時とはまた違う。
今回僕はまだ、自分が何を指摘されているのかさえ
よくわかっていない。だが彼女の目は真剣だ。決して
茶化しや冗談の類でない事は明白。知らず知らずの
うち、僕はフォークを握る手に力が入っていること
に気づいた。
「ハッキリ言って、お前がリサイドやザバンで会った
人間は、どいつもこいつもマトモじゃねぇ。あの
ピエラでさえも、手元にある知識によって、常識の目
を知性が蓋してやがる。……コミィ。もし仮に、今
この場に"禁書"が置かれていたとしたら、お前は
どうする?」
ガタリと椅子を鳴らして反応するコミィ。先程まで
の落ち着いていた様子が一転。酷く動揺して目を
見開いている。何をそんなに……
「な、なななに言ってるんですか……?そんな異教の
邪な戯言が記されたと噂されるモノ、目にする事すら
汚らわしい。仮にの話だとしても、言うに事欠いて
何を、ルアさん……」
異常なまでの拒絶。大袈裟にすら見える反応。それ
は僕が想像していた回答とは全く違う、恐怖や嫌悪に
も似たものであった。いや、むしろ、それを異常と
見る僕が異常なのか……?ルアさんはこちらを「な?」
とでも言いたげな目で見ている。
「……とまぁ、そういう訳だ。ついでにアタシは背徳的
なコト抜かすぞ、コミィ。アタシが仮に"何かに命を
与えたい"と考えてたら、お前、どう思う?」
……!これは……ひょっとして……いや、ルアさんに
は旅の目的、つまりダガーに動ける身体を与えると
いう最終目的に関しては一言も言っていないはずだ。
以前それを口にしようとした瞬間、ダガーは即座に
それを静止した。ピエラの家で欲しい知識を聞かれ、
"魂と肉体について"を求めたあの時、彼女はそれを
完全に把握した……ということか?
コミィがテーブルを叩く。怯えだった表情は既に
やや怒りにも似たものに変わっている。
「ルアさん……冗談も程々にしてください。それは、
神に対する冒涜です。あまりに馬鹿げていて、この世
の理に対する、侮辱です」
コミィの言葉が胸に突き刺さる。ルアさんは
あくまで主語を"アタシ"としていた。それは、コミィ
の言葉が僕を完全に刺し貫き砕くのを避けるため、
自らを盾とする予防策だったのだ。
目の前で交わされる会話に目眩がする。確かに
宗教的な概要や教え、この世の常識は学んでいたはず
だ。だがそれは、1歩引いた"知識"として僕の本棚に
しまわれていただけで、思考の礎としては機能して
いなかった。その事を突きつけられている。
「落ち着け、悪かった、コミィ。アタシは少し頭が
トンでるんだ。神は大事だよな。わかるわかる。この
世は神の慈愛に満ちてんだろ。簡単にゃ死なねぇのも
飯がうめぇのも、神様様々ってワケだ。死んだらその
神と一体化して、この世を見守り照らすモノとなる。
それが、神の施しを享受してきた人間ができる、唯一
の恩返しであり、幸福なんだろ。知ってはいるぜ。
イマイチ信じちゃいねぇがな」
「ルアさん……あなたは、異教徒ですか……?」
「そんな過激じゃねぇよ。無神論者と呼んでくれ」
「それだって十分……危険思想ですよ。ここだから
まだ良いものの、グレザルンなんかでそんな事言い
出したら、一体どうなることか……」
……何を言いたいかが、正確にわかってきた。
「……だ、そうだ。デニス。アタシはだいぶ気をつけ
ねぇといけねぇらしい。難儀なもんだな、おい。
異端の者は、生きてること自体がしんどいぜ」
彼女はコミィとのやり取りを通して、僕の目的が
あまりにもこの世の理からズレている事を伝えようと
してくれている。そのまま他所に行くには危険……
確かにその通りだ。たまたま看過される環境にいた
だけで、状況が違えば、僕は1歩踏み出すと同時に
首が落ちていたのかもしれない。
そして僕は、彼女の次の言葉に、脳を砕かれた。
「"生きてるだけで、死んじまうかんな"」
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