白雪日記

ふたあい

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91日目(1)

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 ふと、気付く。

 フィルがいた。
 背景には大きな本棚。知らない場所だ。私はフィルの名を呼ぼうとする。だけど、どうしたことだろう?声が出ない。
 フィルが、なにか話しかけてくれている。だけど、おかしい。聞こえているのに、なにを言っているのか理解できない。

 フィルが笑った。
 あ…心臓がひと跳ね。動悸が止まらない。

 フィルが行ってしまった。
 待ってと、叫びたい衝動。でも、身体の自由が利かない。叫ぶべき言葉もない。
 待って、待って、待って!
 手を伸ばそうとするが、腕が上がらない。
 行かないで。傍にいてほしい。言葉が、心が、空回る。

 止めどなく、涙が溢れた。

   ✢

 不可解な夢を見た。

 フィルがいた。なにかを話していた。笑っていた。
 嬉しかった。ドキドキした。切なかった。
 それって、どういうこと?それではまるで、私がフィルに恋ーー

 いや、ない。多分。

 夢というものは、起きてから時間の経過とともに、その記憶は薄れてゆくものだ。大抵の場合は。
 だけど、私は起きてすぐにそれを反芻してしまった。そのため、抜群の記憶力を持つ白雪の脳に、今朝見た夢は鮮明に刻み込まれた。

 失敗した。

 これではフィルの顔を、しばらくまともに見られないではないか。
 困った。フィルと顔を合わせない日なんて、ほとんどない。だって私は、彼の直接の部下なのだから。
 考え込んで頭を抱えると、声がかかった。
「どうした?頭痛か?」
 見事なタイミング。相手はフィルだった。
「ガッサ班長…」
 返事しながら、一歩引く。
「……シロ?」
「あ、すみません。ちょっと考え事をしていて。大丈夫です」
 フィルが訝しげに私を見る。今の動きは、失礼だっただろうか?
「気が散っているのでは困るな」
「はい。すみません」

 今は朝の修練中だ。

 修練は特別な任がない限り、欠かすことのない近衛の努め。準備運動から始まり、ランニング、体術、剣術、槍術、その他云々ーー忙しいったらありゃしない。

 ああ、疲れる。

 親衛塔の修練場では、近衛が整然と列を成し、その技を磨くべく真摯に剣を振っていた。手を止めれば目立つわけだ。フィルが、私に声をかけるのは道理である。
 まいったな。今は話しかけないでほしいのに。でも、内心嬉しかったりするような、しないような?どっちなんだろう?
 意味不明なことを考えていると、フッとフィルが笑った。

 ギュウっと。

 心臓を鷲掴みされた感覚。痛い、胸が。
「疲れているみたいだな。無理もない。先日の賊も、結局お前が一人で捉えたのだし。そうだな……」
 フィルが顎に手を添え、考える仕草をする。
「あ、いえ……それは…」
 本当は一人で捉えたのではないと、喉まで出かかった。フルルクスがいたのだと。
 あの夜、他の追撃部隊が駆けつけて来るのを察知した途端じっ様は、面倒はご免と言わんばかり、その場を去った。その際、「俺のことは黙ってろよ、シロガキ!」なんて捨て台詞を残してくれたものだから、言うに言えないでいる。お陰で、私一人の手柄になってしまっていた。

「午後から休むか?」

 フィルが言った。するとすぐさまーー
「ええっ!?ズリいぞ、シロ!」
 カクカが大音量で叫んだ。彼は私の前に並んで、剣を振っていたのだ。それにしても、やかましい。
 すかさずフィルが、スパンッとカクカの頭をはたく。おお、良い音。ハリセンが欲しいところだ。
「静かにしろ!シロは陛下が連れ回していて、余分に働いている。配属からここまで、休みなしの状態が続いていた」
「え?そうなのか、シロ?」

 苦笑い。

 そうだな。なにかと主上に呼ばれているのは確かだ。休憩時間が削られているのも。
 それはアランサに会いに行ったり、こっそり稽古をつけてもらったりという理由なのだけれど、はたから見れば主上と特別な任務を行っているように見えるだろう。
「休めないのは、皆同じです。大丈夫です」
「しかし……」
 フィルが眉根を寄せ、不安げに見る。あまり…マジマジ見ないでください。体温が上がっていくのが分かる。顔に表れないと、いいのだけれど。

 優しくされると、どうしようもなく戸惑ってしまう。

 私はフィルの部下だ。だから彼が気を配ってくれることは、特別でもなんでもない。解っている。解っているのだけど。
 ああ、初めて会った時から、こんな状態が続いている。理由は、いまだに不明。初めてその姿を見た時から、その声を聞いた時からーー

 ん?そういえば…

 初めてフィルの声を聞いたのは、ノーツの研究室でだった。あの、暗い地下室でーー

 一つ、疑問が生じた。

「あの時…」
 声になっていた。
「なんだ?」
 カクカが、真っ先に反応する。
「あ、いや…ノーツの研究室に、飛び込んだのって、確かうちの班だったなと思いだして。あの時点でノーツはまだなにも事を起こしていなかったのに、よく踏み切ったな…と」
 あの時点どころか、いまだにノーツはアランサに対してなにも事を起こしていない。起こす役目を担っていたのは、反占者派御一行、もしくは他ならぬ私だったのだから。ついでに言うなら、雫の横流しの件すら証拠がない。
「ああ、そりゃ諜報班から報告が来たからな。すぐに裏を取って動いたんだよ。アイツ馬鹿だぜ?まったく憚りもせず、『自分のために占者を殺す』なんて言い回って、近所中に気味悪がられていたんだからな」 

 阿呆だ。だから紙一重なんて、近衛内で言われてるんだ。

「ずいぶん唐突に、思い出したな」
 カクカとのやり取りを聞いて、フィルが呆れたように言った。まったくだ。どういう思考経路でそんなことを言い出したかなんて、とても言えやしない。
 とりあえず、適当に誤魔化してしまおう。
「それが、配属からここまでのことを考えていたら、急にあの時を思い出してしまって。思えば、あれが始まりだったんだって…」
 苦笑がもれる。
「それで?ほぼ休みなしだったということには、気づいたか?」
 フィルも苦笑した。優しい、笑顔だ。

 ……不覚。見とれてしまった。
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