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二年目
生命月17日
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夜勤明けだった。
「あの…」
か細い声がした。だけどそれはーー
「シロッ、どこにやったんだよ!?」
という、後ろから私を追いかけて来た、カクカの無駄に大きな声でかき消された。
両耳に人差し指を突っ込みながら振り向く。
「え?どこって?なにを?」
「俺の剣術指南書だよ。この間、お前が片付けただろう?」
ああ、あの時のか。
少し前に、私は親衛塔にあるカクカの部屋の机周りを片付けたばかりだ。そのあまりの汚さに、見かねて。
野郎の部屋というものは汚いと相場が決まっているが、それにしたってカクカは酷かった。「そこはゴミ溜めか?」と、問いたくなる惨状で、同室の面々が比較的綺麗にしてあったのも手伝い、際立ってしまっていた。それでついつい、手を出してしまったのだ。
でも…
「書籍類は束にして、自分で分類してと言って、渡したでしょ?」
「ああ?あれ…ヤベえ、まんま捨てたかも」
「嘘でしょ?はあ…」
「あの…」
「大体、お前が片付けるからっ」
「だって、あまりに汚かったから。そもそも、自分だけでは片付かないから手伝ってくれって、カクカが言い出したんじゃない。しかも頼むだけ頼んで、途中で投げ出すし」
「うああっ。だってお前が片付けろなんて言うからっ」
喚きながら、頭を抱えるカクカ。だってではない。甘えるな。
「あの…」
「言われたから、洗濯だってしたんだし」
「それは……って!そうだ!それ!お前なあ!ありがたかったけどよ、下着まで洗うなよっ!」
あ、また蒸し返した。それはあの時に、散々文句を言っただろう。パンツ洗われて恥ずかしいと思うくらいなら、あの部屋を私に見せたことを恥じてくれ。
「なんで?先輩の洗濯物を洗うのは、後輩の勤めなんでしょ?」
「下着は別だっ!」
ほとんど半泣きになって抗議してくるカクカの頭からは、『指南書』の文字はすでに消えているに違いない。
「あの…」
三度、いや、四度目だ。控えめな声がした。カクカを相手にしていたら、いつまで経っても返事ができない。
わあわあ喚くカクカの口を塞いで、声の方へ顔を向けた。
「はい。なんですか?」
学術塔と左軍塔を繋ぐ石畳上、紺色のコートを羽織った、やや小柄な人物が立っていた。誰だろう?知らない人だ。恰好から、左軍の人であることは判るのだけど…
「あ、申し訳ありません。お引き止めしてしまって…」
ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
気弱そうな人だ。武人には見えない。まあ、軍部にだって文官はいるだろうから、別におかしくはないが。
「いえ、こちらこそ。騒々しくてすみません」
ペコリと頭を下げておく。
「あれ?アンタ、知った顔だと思ったら、大将の…?」
カクカが隣で声を上げた。
なに?大将?…………って、まさか?
「はい。ハルイ・ケルマンと申します」
深々と、お辞儀を返された。
「あ…貴方がケルマン大将…の?」
「はい」
もう一度、お辞儀する。
う、嘘でしょう!?
似てない。似てなさすぎる!この目の前の、線の細い男の人が、ケルマン大将の息子だって!?ということは…なにか?この人が私に一目惚れしたという、奇特な見合い相手…
顔を上げた大将のご子息は、私に視線を向けた。
「お噂はかねがね父から聞いております。一度ちゃんと話をしたいと思っていました。お時間があるのなら、立ち話もなんですし、どうぞ、左軍塔へ足をお運び願えますか?」
「おい、シロ…」
カクカが肘で突付いてくる。
「え?ああ、はい?左軍塔へ、ですか?」
それは嫌だ。
私はとある理由から、左軍塔へは絶対に足を踏み入れないと、心に決めている。あそこへは近寄らない方がいいのだ。あの塔の主も、それを望んでいるはず。
「ディトレット殿?」
ハルイさんが小首を傾げる。細やかそうな仕草はなるほど、父親に似ている。外見は、ぜんっぜんだけれど。
「あの、すみません。班長に呼ばれ、これから向かうところなので…」
もちろん嘘だ。ギィは呼んでなどいない。夜勤明けで部屋に戻るところだったので、時間はある。でも、そういうことにしておく。
「そうだったな。騒いでる場合じゃなかった。行こうぜ、シロ」
カクカが話を合わせてくれた。
感謝だ。カクカは、私が左軍には近付きたくないと思っていることを知っている。騒々しい子供だが、こういう機微には敏感なのだ。彼の人付き合いの上手さの秘訣である。惜しいかな、自覚はないのだけれど。
…いや、そんな打算のなさが魅力なのだろう。
「そうですか。では、またいずれ…」
三度目になるお辞儀をして、ハルイ・ケルマンは背を向けた。
「なんだったんだ、あれ?」
カクカがこちらを見る。
「さあ…」
惚けておいた。
お見合い、か。あまりのんびり構えてはいられない。早く返事をしなくては。
「あの…」
か細い声がした。だけどそれはーー
「シロッ、どこにやったんだよ!?」
という、後ろから私を追いかけて来た、カクカの無駄に大きな声でかき消された。
両耳に人差し指を突っ込みながら振り向く。
「え?どこって?なにを?」
「俺の剣術指南書だよ。この間、お前が片付けただろう?」
ああ、あの時のか。
少し前に、私は親衛塔にあるカクカの部屋の机周りを片付けたばかりだ。そのあまりの汚さに、見かねて。
野郎の部屋というものは汚いと相場が決まっているが、それにしたってカクカは酷かった。「そこはゴミ溜めか?」と、問いたくなる惨状で、同室の面々が比較的綺麗にしてあったのも手伝い、際立ってしまっていた。それでついつい、手を出してしまったのだ。
でも…
「書籍類は束にして、自分で分類してと言って、渡したでしょ?」
「ああ?あれ…ヤベえ、まんま捨てたかも」
「嘘でしょ?はあ…」
「あの…」
「大体、お前が片付けるからっ」
「だって、あまりに汚かったから。そもそも、自分だけでは片付かないから手伝ってくれって、カクカが言い出したんじゃない。しかも頼むだけ頼んで、途中で投げ出すし」
「うああっ。だってお前が片付けろなんて言うからっ」
喚きながら、頭を抱えるカクカ。だってではない。甘えるな。
「あの…」
「言われたから、洗濯だってしたんだし」
「それは……って!そうだ!それ!お前なあ!ありがたかったけどよ、下着まで洗うなよっ!」
あ、また蒸し返した。それはあの時に、散々文句を言っただろう。パンツ洗われて恥ずかしいと思うくらいなら、あの部屋を私に見せたことを恥じてくれ。
「なんで?先輩の洗濯物を洗うのは、後輩の勤めなんでしょ?」
「下着は別だっ!」
ほとんど半泣きになって抗議してくるカクカの頭からは、『指南書』の文字はすでに消えているに違いない。
「あの…」
三度、いや、四度目だ。控えめな声がした。カクカを相手にしていたら、いつまで経っても返事ができない。
わあわあ喚くカクカの口を塞いで、声の方へ顔を向けた。
「はい。なんですか?」
学術塔と左軍塔を繋ぐ石畳上、紺色のコートを羽織った、やや小柄な人物が立っていた。誰だろう?知らない人だ。恰好から、左軍の人であることは判るのだけど…
「あ、申し訳ありません。お引き止めしてしまって…」
ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
気弱そうな人だ。武人には見えない。まあ、軍部にだって文官はいるだろうから、別におかしくはないが。
「いえ、こちらこそ。騒々しくてすみません」
ペコリと頭を下げておく。
「あれ?アンタ、知った顔だと思ったら、大将の…?」
カクカが隣で声を上げた。
なに?大将?…………って、まさか?
「はい。ハルイ・ケルマンと申します」
深々と、お辞儀を返された。
「あ…貴方がケルマン大将…の?」
「はい」
もう一度、お辞儀する。
う、嘘でしょう!?
似てない。似てなさすぎる!この目の前の、線の細い男の人が、ケルマン大将の息子だって!?ということは…なにか?この人が私に一目惚れしたという、奇特な見合い相手…
顔を上げた大将のご子息は、私に視線を向けた。
「お噂はかねがね父から聞いております。一度ちゃんと話をしたいと思っていました。お時間があるのなら、立ち話もなんですし、どうぞ、左軍塔へ足をお運び願えますか?」
「おい、シロ…」
カクカが肘で突付いてくる。
「え?ああ、はい?左軍塔へ、ですか?」
それは嫌だ。
私はとある理由から、左軍塔へは絶対に足を踏み入れないと、心に決めている。あそこへは近寄らない方がいいのだ。あの塔の主も、それを望んでいるはず。
「ディトレット殿?」
ハルイさんが小首を傾げる。細やかそうな仕草はなるほど、父親に似ている。外見は、ぜんっぜんだけれど。
「あの、すみません。班長に呼ばれ、これから向かうところなので…」
もちろん嘘だ。ギィは呼んでなどいない。夜勤明けで部屋に戻るところだったので、時間はある。でも、そういうことにしておく。
「そうだったな。騒いでる場合じゃなかった。行こうぜ、シロ」
カクカが話を合わせてくれた。
感謝だ。カクカは、私が左軍には近付きたくないと思っていることを知っている。騒々しい子供だが、こういう機微には敏感なのだ。彼の人付き合いの上手さの秘訣である。惜しいかな、自覚はないのだけれど。
…いや、そんな打算のなさが魅力なのだろう。
「そうですか。では、またいずれ…」
三度目になるお辞儀をして、ハルイ・ケルマンは背を向けた。
「なんだったんだ、あれ?」
カクカがこちらを見る。
「さあ…」
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