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二年目
八年前の転寝月31日(3)
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なんで?どうして?どういうこと?アリアさんって…じっ様が待ち続けている女ではないの?
頭をグラグラさせながら、先を歩くじっ様の背中を見つめていた。
速い。やたらと。競歩でもしているのかというくらいに、前を行くじっ様の歩みは速かった。さっきまで主上たちとともに腰を据えていた店が、ぐんぐん遠ざかってゆく。
中座したのだ。
互いに挨拶をして、私が「爺様の知り合いなのだ」と同じでまかせをくり返し、二、三、杯を空けたところで。強引に。
「用がある」そう言ったかと思うと、じっ様は問答無用とばかりに、すぐに席を立った。私は、慌ててそれに続いた。
先ゆく広い背中から、目を逸らさず思考を巡らせる。
「アリア・ユノワだ。よろしく」ーー若い主上はそう言った。
私は軽いパニック状態。「あ、どうも。クロです」なんて、気の抜けた挨拶を返した。
……まだ少し、混乱気味である。つまりーー
アリアさんとは、主上のことだった。
じっ様の待ち人の女というのは、私の勘違い。そういうことだ。
師匠が「アリア」の名を、口にした時のことを思い出す。いきなり拳を出したじっ様。素直に非を認めた師匠ーーなるほど、合点がいく。
あれは本当に、失言だったのだ。王の名は、実は星の雫を蓄える国庫の鍵。口にしてはいけない決まりなのだから。
師匠…やっちまいましたね。まあ、根っから小市民である私がそれを知ったところで、悪用するはずもなく。問題はない。
「で、なんだ?」
いきなりじっ様が言った。振り向きもせず。
思考を中断する。生前の私だったら確実に聞き逃していた、そんな突然の言葉である。
「はい?」
「ゲード商会は明日の夜、なにを取引するんだ?」
前置きなしで、中断していた話の続きとは…。しかし、どこまで歩くつもりなのだろう?少し、ペースを落としてもらえないだろうか。
「絵画を二点。表に出せないものを、南から買い入れます」
「表に出せないもの?裏で転売でもする気か?」
「いえ。純粋にゲード氏のコレクション。目がないようで。……どうやらそれが、雫の闇取引の元みたいですね。盗品を手放す見返りに、北から南への闇ルートを確保するよう働きかけた者がいる」
「チッ。手引きしたのは、南の仲買人か」
ガリガリとじっ様は頭を掻く。顔は見えないけれど、すごく怒っていそうだ。
「おそらく」
「しかし…お前、どこでそんな情報を?」
「え?ああ、それは…ゲード氏の書斎をちょっと……」
「は?」
「うわっ?」
いきなり立ち止まるものだから、背中にぶつかってしまった。じっ様は、そのまま振り向く。
……近い。
「ちょっと、か?」
ニヤニヤして、私を見下ろした。
「ええっと…隅々まで?額の裏にあった隠し金庫の中とか?漏れなく?あと…屋敷内のヒソヒソ話にも、耳を傾けたり?」
半歩下がって視線を逸らし、答える。
「なるほど。その手があったか!」
いや、愉しげに感心しないでください。駄目なんですよ?こんなことをしては。プライバシーもへったくれもないでしょう?
「説得力に欠けますが、間違っても真似しないでくださいね」
「欠けるどころか、微塵もねえぞ」
「…………とにかく。明日は私も行きますから。場所はその時に」
「は?なに言ってやがる。協力は今日までと、期限を切ったのはそっちだろ?」
「そうなんですけどね。どうにも…キリが悪いというか、今更引けないというか…」
本当はものすごく、嫌な予感がしてどうしようもないからなのだが。そんなことは言えない。
なんだろう?この真っ黒で、粘着く感覚は。
「抱えている諸事情とやらはいいのか?」
「まあ、予定を一日ずらしても、なんとかなるでしょう」
…多分。
どちらにしても、この姿が元に戻らないうちは帰れない。いよいよとなったら、開き直って帰るしかないのだが。
…いや、待って。むしろいきなり、ポンッとかいって戻る方が拙い。シロの姿は晒せない。今まで通りの副作用期間ならば、そろそろのはずだけれど。その気配すらない。
だけど、なにかしらの兆候はあるだろうから、飴を携帯しておけばなんとか凌げるだろう。できれば、二錠目は飲みたくないけれど。
あれこれと考えが浮かんでは消えてゆく。なにが正解なのか、サッパリ判らない。
不安だ。
おまけにじっ様に視線を向けると、フイと顔を逸らされたものだから不愉快にまでなった。
頭をグラグラさせながら、先を歩くじっ様の背中を見つめていた。
速い。やたらと。競歩でもしているのかというくらいに、前を行くじっ様の歩みは速かった。さっきまで主上たちとともに腰を据えていた店が、ぐんぐん遠ざかってゆく。
中座したのだ。
互いに挨拶をして、私が「爺様の知り合いなのだ」と同じでまかせをくり返し、二、三、杯を空けたところで。強引に。
「用がある」そう言ったかと思うと、じっ様は問答無用とばかりに、すぐに席を立った。私は、慌ててそれに続いた。
先ゆく広い背中から、目を逸らさず思考を巡らせる。
「アリア・ユノワだ。よろしく」ーー若い主上はそう言った。
私は軽いパニック状態。「あ、どうも。クロです」なんて、気の抜けた挨拶を返した。
……まだ少し、混乱気味である。つまりーー
アリアさんとは、主上のことだった。
じっ様の待ち人の女というのは、私の勘違い。そういうことだ。
師匠が「アリア」の名を、口にした時のことを思い出す。いきなり拳を出したじっ様。素直に非を認めた師匠ーーなるほど、合点がいく。
あれは本当に、失言だったのだ。王の名は、実は星の雫を蓄える国庫の鍵。口にしてはいけない決まりなのだから。
師匠…やっちまいましたね。まあ、根っから小市民である私がそれを知ったところで、悪用するはずもなく。問題はない。
「で、なんだ?」
いきなりじっ様が言った。振り向きもせず。
思考を中断する。生前の私だったら確実に聞き逃していた、そんな突然の言葉である。
「はい?」
「ゲード商会は明日の夜、なにを取引するんだ?」
前置きなしで、中断していた話の続きとは…。しかし、どこまで歩くつもりなのだろう?少し、ペースを落としてもらえないだろうか。
「絵画を二点。表に出せないものを、南から買い入れます」
「表に出せないもの?裏で転売でもする気か?」
「いえ。純粋にゲード氏のコレクション。目がないようで。……どうやらそれが、雫の闇取引の元みたいですね。盗品を手放す見返りに、北から南への闇ルートを確保するよう働きかけた者がいる」
「チッ。手引きしたのは、南の仲買人か」
ガリガリとじっ様は頭を掻く。顔は見えないけれど、すごく怒っていそうだ。
「おそらく」
「しかし…お前、どこでそんな情報を?」
「え?ああ、それは…ゲード氏の書斎をちょっと……」
「は?」
「うわっ?」
いきなり立ち止まるものだから、背中にぶつかってしまった。じっ様は、そのまま振り向く。
……近い。
「ちょっと、か?」
ニヤニヤして、私を見下ろした。
「ええっと…隅々まで?額の裏にあった隠し金庫の中とか?漏れなく?あと…屋敷内のヒソヒソ話にも、耳を傾けたり?」
半歩下がって視線を逸らし、答える。
「なるほど。その手があったか!」
いや、愉しげに感心しないでください。駄目なんですよ?こんなことをしては。プライバシーもへったくれもないでしょう?
「説得力に欠けますが、間違っても真似しないでくださいね」
「欠けるどころか、微塵もねえぞ」
「…………とにかく。明日は私も行きますから。場所はその時に」
「は?なに言ってやがる。協力は今日までと、期限を切ったのはそっちだろ?」
「そうなんですけどね。どうにも…キリが悪いというか、今更引けないというか…」
本当はものすごく、嫌な予感がしてどうしようもないからなのだが。そんなことは言えない。
なんだろう?この真っ黒で、粘着く感覚は。
「抱えている諸事情とやらはいいのか?」
「まあ、予定を一日ずらしても、なんとかなるでしょう」
…多分。
どちらにしても、この姿が元に戻らないうちは帰れない。いよいよとなったら、開き直って帰るしかないのだが。
…いや、待って。むしろいきなり、ポンッとかいって戻る方が拙い。シロの姿は晒せない。今まで通りの副作用期間ならば、そろそろのはずだけれど。その気配すらない。
だけど、なにかしらの兆候はあるだろうから、飴を携帯しておけばなんとか凌げるだろう。できれば、二錠目は飲みたくないけれど。
あれこれと考えが浮かんでは消えてゆく。なにが正解なのか、サッパリ判らない。
不安だ。
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