白雪日記

ふたあい

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二年目

八年前の転寝月32日(1)

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 街外れの丘で、フルルクスと待ち合わせをした。

 そう。あの丘である。
 先日、雫の闇取引が行われかけた、じっ様が誰かを待ち続けることになるだろうーーあの丘。ここならば、人目につきにくいし、再びゲード商会の関係者が近付くとも思えない。
 それにーーこれから向かう場所と離れている。だから選んだ。
「それで?どこで取引は行われる?」
 じっ様が訊いてきた。少し離れた木にもたれ掛かり、腕組みをしている。やや…いや、かなりピリピリしているよう。
 まいったな。
 これから私が言うことを聞いたら、怒鳴りだしそうだ。
「それを言う前に、一つ頼みがあるのですが…」
「ああ?」
「召喚術式を組んでください。この場所を指定ポイントに、私とフルルクスさん、二人が連動して戻れるよう。それで……発動術式は、私に刻んでください」
「はああ?お前、舐めるのも大概にしとけよ?」
 予想通り、じっ様の返事は語尾が跳ね上がった。

 至極当然の反応である。

 今、私は知り合ってほんの数日という相手に頼むようなことではない、無理難題を口にしたのだから。ごめん、じっ様。
 場所の固定されない、人の召喚はかなり高度。しかも二人を連動させ、同時に移動させるとなると、ひときわ。
 更に発動術式の委託。これがまた、輪をかけて厄介だ。
 例えるなら術式は、一つの答えに対して無限の方法が存在する数式のようなもの。一つの事柄も角度を変えれば、別の一面が見えてくるようにーー同じものを見ても、個々により感じ方が違うようにーー人によって構成要素が違う。
 そもそも丸暗記で術式が組めるのなら、今の私は大式術師にだってなれるはずなのだ。
 だけどそれは通用しない。
 同じ術式を組んでも、状況によって必ず違いがある。人が変われば、言わずもがな。術式とは本来、組んだ本人が発動させるものなのだ。
 それらを踏まえて、他人が使えるように高度な術式を組むのは、至難の業だと言える。
 私は厚かましくも、それをやってのけろと言ったのである。
「それが駄目なら、取引場所は教えられません」
「なんだと?」

 ーーこんなつもりではなかった。

 昨日の内に場所を言わなかったのは、じっ様が先走るのを防ぐため。ただそれだけのつもりだった。だけど…
 時間の経過とともに、不安は大きくなっていた。なんだろう?この、伸し掛かるような嫌な感覚は。
 どう思われてもいい。いざという時のため、保険をかけておかなければ。術式発動のタイミングは、私が計った方が良いーーそんな気がする。
「できませんか?」
 徴発だ。
「……危険なのか?」
 声を絞るように、じっ様は問うた。
「判りません。だけど……」
 うつむいた。面と向かって、じっ様の顔が見られない。何故か解らないけれど、怖い。尻尾を巻いて逃げ出したい、そんな憂鬱に襲われている。
「…………」
「…………」

 沈黙が続く。そしてーー

「……お前が術を発動させるのか?結構な消費量だが…可能なんだな?」
 落ち着いた声音だった。
「ーー!はい。問題ありません」
 術を発動させるということは、私の保持している式熱が消費されるということ。今の私は見た目は『クロ』だけれど、基は『シロ』なので、式熱はしっかりと蓄えている。大丈夫。

   ✢

 あれだけの短時間で組み上げるとは、さすが未来の筆頭召喚術師。右手の甲に刻まれた召喚術式を見つめ、そう思った。
 術が発動されれば、この術式は消えるのだが…
 さて、これが使用して消えるか、後で「無駄だった」と消してもらうことになるかーー後者であることを祈ろう。勘は前者であると、訴えているけれど。

 ゲード邸の、すぐ近くまで来ていた。意識を集中し、周辺の気配を窺っている最中である。

 隣に立つじっ様がぼやいた。
「いい根性してやがんな。二の郭の自宅で闇取引とは…」
「それなんですけど…。実は、取引は公正なものなんです」
「なんだと?」
「最後まで聞いてください。今、この屋敷で公正な取引が行われています。問題の盗品はそれらと抱き合わせで、受け渡されることになっているんです」
「……検閲対策か」
「はい。南から入るモノは、すべてその対象ですから。そうやって過去数度、絵に特殊な加工をして持ち込んでいます。それで…どうもその加工を落とすのに、ある所へ絵を持って行かなければならないらしいんですね」
「ある所?」
「そこがどういう所かは、よく分からないんですが…『洗浄代』として、領収書が残っていました。そこがずいぶんと辺鄙な場所にあるみたいで、使用人が面倒だとぼやいていたんですよ」
「…………ミリがそこへ絵を運ぶ、そういうことか?」
「ゲード氏が、『丁度手の空いている者がいるから、ソイツに運ばせるか』と、口にしていました。名前までは言っていませんでしだが、おそらくは。それに…」
「ゲードの性格を考えたら、使うだろうな、ミリを」
「そうです。知っていたんですか?ゲード氏のことを」
「調べただけだ。少し噂を聞き齧っただけで、がめつい内容がわんさか出てきた。収集家としての、異常なこだわりと併せて。いい機会だ。ミリのことが片付いたら、あの商会は潰す」
「そのミリさんですが…どうするつもりなんですか?」
「…………まず、ひっ捕まえる。それからだ」
「らしいですね。さて、ミリさんはすでに屋敷にいるのか、いないのか。もちろん私たちの思い違いで、まったく掠りもしない可能性もありますが。昨日と違い今日は日中、人の出入りが多くて忍び込むこともてまきませんでしたし」
「どちらにしても、屋敷に出入りする人間をチェックするだけだ…が、面倒だ。人の出入りも治まっている。いっそ、今から忍び込むか?」
「いえ、それは最終手段で。うっかり見つかって、ゲード氏が逃げても後々困りますし」

 気持ちは焦っている。早くミリさんを見つけなければと。だけどーー

 どうしても、前日易々と侵入したあの屋敷へ、入ることがためらわれた。黒い…真っ黒いヘドロのようなものが、喉まで上がってきている。そんな錯覚に囚われていた。
「お前、気分が悪そうにーー」
 じっ様が私の顔を見て、眉根を寄せたその時ーー

 スッと、静かになった。

 そんな気がして、視界に映るすべてを凝視した。
 じっ様も、振り向いて屋敷を睨んだ。
「ーーおい」
「はい。屋敷内の空気が、変わった?」
 言うか言わないか、鼻がひくつく。この臭いーー

 血だ。
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