109 / 140
二年目
八年前の転寝月32日(1)
しおりを挟む
街外れの丘で、フルルクスと待ち合わせをした。
そう。あの丘である。
先日、雫の闇取引が行われかけた、じっ様が誰かを待ち続けることになるだろうーーあの丘。ここならば、人目につきにくいし、再びゲード商会の関係者が近付くとも思えない。
それにーーこれから向かう場所と離れている。だから選んだ。
「それで?どこで取引は行われる?」
じっ様が訊いてきた。少し離れた木にもたれ掛かり、腕組みをしている。やや…いや、かなりピリピリしているよう。
まいったな。
これから私が言うことを聞いたら、怒鳴りだしそうだ。
「それを言う前に、一つ頼みがあるのですが…」
「ああ?」
「召喚術式を組んでください。この場所を指定ポイントに、私とフルルクスさん、二人が連動して戻れるよう。それで……発動術式は、私に刻んでください」
「はああ?お前、舐めるのも大概にしとけよ?」
予想通り、じっ様の返事は語尾が跳ね上がった。
至極当然の反応である。
今、私は知り合ってほんの数日という相手に頼むようなことではない、無理難題を口にしたのだから。ごめん、じっ様。
場所の固定されない、人の召喚はかなり高度。しかも二人を連動させ、同時に移動させるとなると、ひときわ。
更に発動術式の委託。これがまた、輪をかけて厄介だ。
例えるなら術式は、一つの答えに対して無限の方法が存在する数式のようなもの。一つの事柄も角度を変えれば、別の一面が見えてくるようにーー同じものを見ても、個々により感じ方が違うようにーー人によって構成要素が違う。
そもそも丸暗記で術式が組めるのなら、今の私は大式術師にだってなれるはずなのだ。
だけどそれは通用しない。
同じ術式を組んでも、状況によって必ず違いがある。人が変われば、言わずもがな。術式とは本来、組んだ本人が発動させるものなのだ。
それらを踏まえて、他人が使えるように高度な術式を組むのは、至難の業だと言える。
私は厚かましくも、それをやってのけろと言ったのである。
「それが駄目なら、取引場所は教えられません」
「なんだと?」
ーーこんなつもりではなかった。
昨日の内に場所を言わなかったのは、じっ様が先走るのを防ぐため。ただそれだけのつもりだった。だけど…
時間の経過とともに、不安は大きくなっていた。なんだろう?この、伸し掛かるような嫌な感覚は。
どう思われてもいい。いざという時のため、保険をかけておかなければ。術式発動のタイミングは、私が計った方が良いーーそんな気がする。
「できませんか?」
徴発だ。
「……危険なのか?」
声を絞るように、じっ様は問うた。
「判りません。だけど……」
うつむいた。面と向かって、じっ様の顔が見られない。何故か解らないけれど、怖い。尻尾を巻いて逃げ出したい、そんな憂鬱に襲われている。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。そしてーー
「……お前が術を発動させるのか?結構な消費量だが…可能なんだな?」
落ち着いた声音だった。
「ーー!はい。問題ありません」
術を発動させるということは、私の保持している式熱が消費されるということ。今の私は見た目は『クロ』だけれど、基は『シロ』なので、式熱はしっかりと蓄えている。大丈夫。
✢
あれだけの短時間で組み上げるとは、さすが未来の筆頭召喚術師。右手の甲に刻まれた召喚術式を見つめ、そう思った。
術が発動されれば、この術式は消えるのだが…
さて、これが使用して消えるか、後で「無駄だった」と消してもらうことになるかーー後者であることを祈ろう。勘は前者であると、訴えているけれど。
ゲード邸の、すぐ近くまで来ていた。意識を集中し、周辺の気配を窺っている最中である。
隣に立つじっ様がぼやいた。
「いい根性してやがんな。二の郭の自宅で闇取引とは…」
「それなんですけど…。実は、取引は公正なものなんです」
「なんだと?」
「最後まで聞いてください。今、この屋敷で公正な取引が行われています。問題の盗品はそれらと抱き合わせで、受け渡されることになっているんです」
「……検閲対策か」
「はい。南から入るモノは、すべてその対象ですから。そうやって過去数度、絵に特殊な加工をして持ち込んでいます。それで…どうもその加工を落とすのに、ある所へ絵を持って行かなければならないらしいんですね」
「ある所?」
「そこがどういう所かは、よく分からないんですが…『洗浄代』として、領収書が残っていました。そこがずいぶんと辺鄙な場所にあるみたいで、使用人が面倒だとぼやいていたんですよ」
「…………ミリがそこへ絵を運ぶ、そういうことか?」
「ゲード氏が、『丁度手の空いている者がいるから、ソイツに運ばせるか』と、口にしていました。名前までは言っていませんでしだが、おそらくは。それに…」
「ゲードの性格を考えたら、使うだろうな、ミリを」
「そうです。知っていたんですか?ゲード氏のことを」
「調べただけだ。少し噂を聞き齧っただけで、がめつい内容がわんさか出てきた。収集家としての、異常なこだわりと併せて。いい機会だ。ミリのことが片付いたら、あの商会は潰す」
「そのミリさんですが…どうするつもりなんですか?」
「…………まず、ひっ捕まえる。それからだ」
「らしいですね。さて、ミリさんはすでに屋敷にいるのか、いないのか。もちろん私たちの思い違いで、まったく掠りもしない可能性もありますが。昨日と違い今日は日中、人の出入りが多くて忍び込むこともてまきませんでしたし」
「どちらにしても、屋敷に出入りする人間をチェックするだけだ…が、面倒だ。人の出入りも治まっている。いっそ、今から忍び込むか?」
「いえ、それは最終手段で。うっかり見つかって、ゲード氏が逃げても後々困りますし」
気持ちは焦っている。早くミリさんを見つけなければと。だけどーー
どうしても、前日易々と侵入したあの屋敷へ、入ることがためらわれた。黒い…真っ黒いヘドロのようなものが、喉まで上がってきている。そんな錯覚に囚われていた。
「お前、気分が悪そうにーー」
じっ様が私の顔を見て、眉根を寄せたその時ーー
スッと、静かになった。
そんな気がして、視界に映るすべてを凝視した。
じっ様も、振り向いて屋敷を睨んだ。
「ーーおい」
「はい。屋敷内の空気が、変わった?」
言うか言わないか、鼻がひくつく。この臭いーー
血だ。
そう。あの丘である。
先日、雫の闇取引が行われかけた、じっ様が誰かを待ち続けることになるだろうーーあの丘。ここならば、人目につきにくいし、再びゲード商会の関係者が近付くとも思えない。
それにーーこれから向かう場所と離れている。だから選んだ。
「それで?どこで取引は行われる?」
じっ様が訊いてきた。少し離れた木にもたれ掛かり、腕組みをしている。やや…いや、かなりピリピリしているよう。
まいったな。
これから私が言うことを聞いたら、怒鳴りだしそうだ。
「それを言う前に、一つ頼みがあるのですが…」
「ああ?」
「召喚術式を組んでください。この場所を指定ポイントに、私とフルルクスさん、二人が連動して戻れるよう。それで……発動術式は、私に刻んでください」
「はああ?お前、舐めるのも大概にしとけよ?」
予想通り、じっ様の返事は語尾が跳ね上がった。
至極当然の反応である。
今、私は知り合ってほんの数日という相手に頼むようなことではない、無理難題を口にしたのだから。ごめん、じっ様。
場所の固定されない、人の召喚はかなり高度。しかも二人を連動させ、同時に移動させるとなると、ひときわ。
更に発動術式の委託。これがまた、輪をかけて厄介だ。
例えるなら術式は、一つの答えに対して無限の方法が存在する数式のようなもの。一つの事柄も角度を変えれば、別の一面が見えてくるようにーー同じものを見ても、個々により感じ方が違うようにーー人によって構成要素が違う。
そもそも丸暗記で術式が組めるのなら、今の私は大式術師にだってなれるはずなのだ。
だけどそれは通用しない。
同じ術式を組んでも、状況によって必ず違いがある。人が変われば、言わずもがな。術式とは本来、組んだ本人が発動させるものなのだ。
それらを踏まえて、他人が使えるように高度な術式を組むのは、至難の業だと言える。
私は厚かましくも、それをやってのけろと言ったのである。
「それが駄目なら、取引場所は教えられません」
「なんだと?」
ーーこんなつもりではなかった。
昨日の内に場所を言わなかったのは、じっ様が先走るのを防ぐため。ただそれだけのつもりだった。だけど…
時間の経過とともに、不安は大きくなっていた。なんだろう?この、伸し掛かるような嫌な感覚は。
どう思われてもいい。いざという時のため、保険をかけておかなければ。術式発動のタイミングは、私が計った方が良いーーそんな気がする。
「できませんか?」
徴発だ。
「……危険なのか?」
声を絞るように、じっ様は問うた。
「判りません。だけど……」
うつむいた。面と向かって、じっ様の顔が見られない。何故か解らないけれど、怖い。尻尾を巻いて逃げ出したい、そんな憂鬱に襲われている。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。そしてーー
「……お前が術を発動させるのか?結構な消費量だが…可能なんだな?」
落ち着いた声音だった。
「ーー!はい。問題ありません」
術を発動させるということは、私の保持している式熱が消費されるということ。今の私は見た目は『クロ』だけれど、基は『シロ』なので、式熱はしっかりと蓄えている。大丈夫。
✢
あれだけの短時間で組み上げるとは、さすが未来の筆頭召喚術師。右手の甲に刻まれた召喚術式を見つめ、そう思った。
術が発動されれば、この術式は消えるのだが…
さて、これが使用して消えるか、後で「無駄だった」と消してもらうことになるかーー後者であることを祈ろう。勘は前者であると、訴えているけれど。
ゲード邸の、すぐ近くまで来ていた。意識を集中し、周辺の気配を窺っている最中である。
隣に立つじっ様がぼやいた。
「いい根性してやがんな。二の郭の自宅で闇取引とは…」
「それなんですけど…。実は、取引は公正なものなんです」
「なんだと?」
「最後まで聞いてください。今、この屋敷で公正な取引が行われています。問題の盗品はそれらと抱き合わせで、受け渡されることになっているんです」
「……検閲対策か」
「はい。南から入るモノは、すべてその対象ですから。そうやって過去数度、絵に特殊な加工をして持ち込んでいます。それで…どうもその加工を落とすのに、ある所へ絵を持って行かなければならないらしいんですね」
「ある所?」
「そこがどういう所かは、よく分からないんですが…『洗浄代』として、領収書が残っていました。そこがずいぶんと辺鄙な場所にあるみたいで、使用人が面倒だとぼやいていたんですよ」
「…………ミリがそこへ絵を運ぶ、そういうことか?」
「ゲード氏が、『丁度手の空いている者がいるから、ソイツに運ばせるか』と、口にしていました。名前までは言っていませんでしだが、おそらくは。それに…」
「ゲードの性格を考えたら、使うだろうな、ミリを」
「そうです。知っていたんですか?ゲード氏のことを」
「調べただけだ。少し噂を聞き齧っただけで、がめつい内容がわんさか出てきた。収集家としての、異常なこだわりと併せて。いい機会だ。ミリのことが片付いたら、あの商会は潰す」
「そのミリさんですが…どうするつもりなんですか?」
「…………まず、ひっ捕まえる。それからだ」
「らしいですね。さて、ミリさんはすでに屋敷にいるのか、いないのか。もちろん私たちの思い違いで、まったく掠りもしない可能性もありますが。昨日と違い今日は日中、人の出入りが多くて忍び込むこともてまきませんでしたし」
「どちらにしても、屋敷に出入りする人間をチェックするだけだ…が、面倒だ。人の出入りも治まっている。いっそ、今から忍び込むか?」
「いえ、それは最終手段で。うっかり見つかって、ゲード氏が逃げても後々困りますし」
気持ちは焦っている。早くミリさんを見つけなければと。だけどーー
どうしても、前日易々と侵入したあの屋敷へ、入ることがためらわれた。黒い…真っ黒いヘドロのようなものが、喉まで上がってきている。そんな錯覚に囚われていた。
「お前、気分が悪そうにーー」
じっ様が私の顔を見て、眉根を寄せたその時ーー
スッと、静かになった。
そんな気がして、視界に映るすべてを凝視した。
じっ様も、振り向いて屋敷を睨んだ。
「ーーおい」
「はい。屋敷内の空気が、変わった?」
言うか言わないか、鼻がひくつく。この臭いーー
血だ。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる