その身を賭けろ

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懲りない旭

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「はあぁー……」
 
 本日何度目になるかわからない溜息をつく。
 報告書などがしまわれた机の上、頬をべったりとあてて、自分の足を撫でさする。
 
「その辛気くさい溜息、どうにかならないのか?」
 
 目の前でそう告げたのは、無表情とクールな態度が売りの同僚、浅黄惺(あさぎ さとる)。無口に見えて、触れば切れそうな鋭いつっこみが大得意な男だ。
 
「カジノでスっちゃって……」
「いつものことだろう」
 
 相変わらずの無表情でそう返し、視線を旭から外すと再び報告書に記入を始めた。どうやら旭のグチにつきあう気はないようだ。
 旭の職業は民間ボディーガード。勤めている会社は結構繁盛している。主な顧客は近所のお嬢様学校の生徒で、彼女たちの間では旭たちを雇うのが一種のステータスになっている。旭の先輩でもある浅黄が学園前で派手な大立ち回りをしたことが噂を呼び、ボディーガードって素敵、カッコイイ! となったらしい。
 もちろん彼女らが希望するのは、主には浅黄なのだが……彼の身体は当然ながらひとつしかなく、同じ会社に勤めている人間に出番が回ってくる。そして旭を初めとして標準以上の容姿を有している人間が揃っていたため、あっという間に流行となった。女子中高生といちゃいちゃきゃっきゃと、楽しくお話しているような日々。
 たまに大きな仕事が上から降ってきたりもするが、基本的には執事のように朝夕の送り迎えが主な仕事。職業ボディーガードとは思えないほど平和な毎日だ。深層心理的にはそのあたりが物足りなく思えていて、旭はギャンブルに手を出しているのかもしれない。
 
「今月、食事を切り詰めなきゃヤバイほどなんですよ」
「奢らないぞ」
 
 正確には、ヤバイほどだったが、今は多少の余裕が生まれている。
 葉月の家は思ったよりも旭の家と近かったため、お釣りが五千円近く出たのだった。
 季節は冬。懐も寂しい中それは一筋の光にも思え、旭の中で昨日のことは、そう悪くない思い出としてカウントされていた。負けず嫌いな性分も相俟って、今となっては負けたことだけがただ悔しく、心に陰を落とす。
 相手は凄腕のギャンブラー。自分はカモネギをうたわれるような存在。そこまで差があってなお、次はもしかしたら勝てるかもしれないと思ってしまう。
 可能性が低くとも、ゼロじゃない。だから、勝てるかもしれない。引き際をしらない旭の辞書に、撤退の文字はない。その内容がギャンブルでなかったら、まだカッコイイと思えるかもしれなかった。
 
「今日のお相手は、香奈ちゃんですか?」
「……ああ」
「いいですよね、あの子。可愛くて」
「クライアントに手は出すなよ」
 
 浅黄が机に手をついて、立ち上がる。闇夜に黒い服で佇んでいるのが似合いそうな雰囲気は、どこか昨夜会ったギャンブラーを彷彿とさせた。
 立ち上がった服の端を、旭は思わず身を乗り出して追うように掴む。
 
「なんだ?」
「いえ、なんでも」
「今日は朝から、どこか様子がおかしいな。どうした?」
 
 手のひらを、額にあてられる。あてられた手は、事務所の温度が低いためかどこかひんやりとしていた。それは昨日身体に触れた冷たい手のひらを、嫌でも思い起こさせる。
 
「な、長い足だなと思って」
「ああ? まあ、お前はな……。神を恨めよ……」
「ちょっ……俺はそこまで短足じゃないですよ! そんな、同情の視線やめてください!」
 
 確かに旭は他人より多少、座高が高めだ。舐めるように腰から足先までを見られて、思わず手のひらで足を隠した。
 中高時代にそれをからかわれたことが心に傷を残していて、椅子に座っていると思わず手で足を伸ばすように撫でてしまう癖がついている。
 
「おい、浅黄。お前に指名だ。急な変更になるが、今週は香奈嬢じゃなく違うクライアントの元へ行ってくれ」
「わかりました」
 
 電話が終わった所長が、浅黄に声をかける。女性に大人気の浅黄はボディーガードとしての能力も超一流で、上から降ってきた謎の依頼は大抵彼に回される。
 しかし、他に入っていた依頼を蹴ってまでというのは滅多にないので、よほど緊急か上客からの依頼だったのだろう。
 
「代わりに中原、お前、香奈嬢の元へ行け」
「えええ、マジですか……」
 
 所長に呼ばれ、旭はがっくりと肩を落とした。
 
「今、浅黄のことを羨ましがっていたじゃないか。ちょうどいいだろう」
「そりゃ、香奈ちゃんは可愛いですけどぉ、浅黄さんの代わりに行くとなると絶対に不機嫌になるじゃないですか。傷つきますよ、あれ」
「だからお前を行かせるんだろう」
「酷いです」
 
 普段でも常に貧乏くじを引かされる男、中原旭。不幸ではないが、やたら運が悪い。もはやギャンブルでは、負けることを宿命づけられているかのようだ。
 
「まあ、頑張れよ、旭。それでは所長、クライアントのプロフィールを」
「ああ……。中原、お前のほうは特にいつもと変わらんから、問題はないな」
「はい」
 
 二人は旭を置いて、別室へ移動した。他のボディーガードはすでに出払っている。
 顧客の希望時間にあわせて身辺警護を開始するため、出動時間は様々だ。それまでは事務所で待機し、報告書を書いたり掃除をしたりする。
 旭は重くなる腰を上げ、香奈の元へ向かうべく扉を開けた。
 
 
 
 
 案の定、不機嫌になるお嬢様を学校へ送り届けたあとはしばしの休息。再び学校が終わる時間にあわせて迎えに行くことになっている。今日は、他の仕事を与えられていないので、急な依頼が入らなければ自由に過ごすことができる。
 
「パチンコでも行くか……」
 
 せっかく入った臨時収入だ。増やさない手はない。食費を一日300円。最悪それくらい残しておけば大丈夫だろう。
 そう肝に銘じて、新装開店のパチンコ屋へ足を踏み入れる。結果は当然のように……。パンの耳生活になるレベルで、使い込んでしまった。
 後少しで、取り返せる。その繰り返しでズブズブと沈んでいった。負けが多い人間に、お決まりのパターンだ。
 借金をするのは、越えてはならぬ一線として今まで使わずにきていたが、さすがに使う時がきたかもしれない。
 自殺でもしそうな顔で外へ出ると、目の前に葉月の姿があった。
 
「っ……え? なんで、ここに」
「普通に、打ちにきただけだが?」
 
 それ以上の理由は、確かにないだろう。尋ねるほうがどうかしている。
 だが葉月はカジノなどでワインを傾けながら足を組んでいるような姿がお似合いで、こんな道端のパチンコに来ているのが不思議に思えたのだ。
 
「こういうギャンブルはやらないと思ってた」
「そうか?」
 
 店内には若い男もぼちぼちいるものの、やはりオッサンが多い。葉月がやるなら恐らくスロットだろうが、それでもこういった明るめの場所には、あわない気がした。
 
「新装開店だろう? 勝てる賭事ならばやっておく。当然のコトだな。ま、お前は負けてるみたいだが?」
「な、なんでわかった」
「顔に書いてある」
 
 こういう時は楽しげな表情を浮かべそうな葉月に呆れたようにそう言われ、殊更惨めな気分になってきた。
 
「せっかくアシ代を多めに出してやったのに、またスるとはな。ギャンブルに向いてないんだよ、お前」
「ぐっ……」
 
 足代云々はともかく、今まで何人もの人に言われてきた台詞だ。それでも好きなものはしかたない。次は勝てるかもしれないと思うと、つい手を出してしまう。
 
「で、どうする?」
「え? 何が?」
 
 細い器用そうな指先で、胸元を小突かれる。
 
「今度は2万円。昨日の雪辱戦だ。向いてないギャンブルに、ノッてみるか?」
 
 挑発するように言われて、ぞくりとする。身体が甘く熱を帯びた。
 普通に考えれば負けるとわかっていて、それでも提示された条件を、旭は見過ごすことができなかった。
 
「俺が勝ったら、2万円?」
「そう。ただし、おれが勝ったら、今日は昨日以上のことをしてもらおうじゃないか」
「き、昨日以上って、どんな……ことだよ」
 
 葉月は、ゲイではないと言っていた。となると、2万円分の内容がどんなものになるのか想像がつかない。たかが男の胸を触らせるくらいでは、さすがに申し訳ないような気がする。
 
「そうだな。抱き枕になってもらうというのはどうだ?」
「俺、抱き心地あんまりよくないと思うけど」
「おれがいいって言ってるんだから、いいんだよ」
 
 確かにそれは、そうだろう。物の価値なんて人それぞれだ。
 性的な行為がないとはいえ男と一晩ベッドを共にするのは気持ちがいいものではないが、それを担保に2万円分の賭ができるなら旭にとっては安いものだ。もちろん、そんな確証もないのに勝てるような気になっており、ここで断れば今月はもうカジノにも行けないのだから、断るなどという選択肢は見あたらなかった。
 
「わかった、やってやる」
「そうこなくっちゃあな。じゃあ、夜に昨日のカジノで」
「え、今からじゃないのか?」
「おれが何しにここへきたと思ってるんだ」
 
 葉月はニッと笑って、すれ違いざまに肩を叩き、背中を見せたまま軽く手を振った。どうやら旭との勝負でなく、パチンコを優先させるらしい。ここで旭と会ったのは単なる偶然なのだから、まあ当然だろう。
 すれ違った時に甘い香水の匂いが鼻についた。おそらく女性物の香水だ。
 葉月は言い寄られることも多そうだし、男なのだからそういった関係の女性がいても何もおかしくはない。なのに、腹の底がもやもやするのを感じた。
 彼女がいる友人がいても羨ましいと思いこそそれ、こんな気分になったりはしない。素肌に触れられたせいで何か妙な錯覚を起こしているのかもしれない。

 彼はどんな顔で女性を抱くのだろうと下世話なことを考えながら旭は店を後にした。 
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