その身を賭けろ

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砂糖とミルクは入れてくれ

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 旭は半身を起こし、寝癖のついた髪をそのままにブランケットを握りしめ、ぼんやりと宙を見る。寝起きはそう悪くはないほうなのだが、いつもと違う光景が広がっているせいか、まだ夢の中にいるような感覚。
 そろりと横を見ると、葉月が気持ち良さそうな顔でまだすやすやと眠っている。
 気配があればすぐに飛び起きる黒猫のような男が隣で眠る様は、どこか優越感を覚える。奇妙な愛しさが込み上げてきて、旭は思わず葉月の頭を撫でた。
 枕元に置いてある黒いセラミック製のデジタル時計は旭がいつも起きる時刻と同じ、朝5時を映している。
 マンション内のドアもオートロックだと言っていたから、部屋を出る際もそのままで問題はない。あれだけ眠いと言っていたのだからこのまま寝かせておくのが優しさというものだ。
 起こさないようにベッドから出て服装をチェックする。シャツもスーツのズボンもかなりシワになってしまっている。一度家に帰って着替えていくほうが無難だろう。
 しかし冷静になってみれば今日は車もタクシー代もない。結局は葉月を頼る他なかった。
 
「悪い、ちょっと……」
「ん……なんだよ。あぁ、もう朝か。久しぶりによく寝たな」
 
 気持ち良さそうに伸びをしてから葉月が身を起こす。綺麗な弧を描く目はパッチリと見開かれている。寝起きは悪くないらしい。
 
「朝メシ、食う時間ある?」
「結構ギリギリかも。その、必ず返すから、タクシー代だけ貸してもらえると、ありがたいというか」
「……一昨日アシ代多めにやったのに、昼間のパチンコでもう全部スッてんのかよ」
 
 葉月は呆れた表情でそう言ってから、ベッドを降りて旭の肩に手を置いた。
 
「まあ、ここへ連れてきたのはおれだし、家まで送ってやるよ」
「そ、そうか。助かる」
「お前が家バレしてもいいなら、だけどな」
「俺だって葉月の家を知ってるんだから、別に同じじゃないか? それとも俺の家に何かする?」
「……押しかけるかもしれないぞ」
「コーヒーくらいは出すよ」
「クスリ入り?」
「いや、ブラックだ」
「砂糖とミルクくらいは入れてくれ」
 
 昨日も一昨日も葉月はミルクを入れている様子がなかったので、単に冗談への切り返しだろう。もしかすると砂糖はコッソリと入れていたのかもしれないが。
 楽しそうに話す葉月に、旭も自然と柔らかい表情になる。だが目の前でバスローブを脱がれ、笑顔はすぐに張り付いてしまった。
 
「今日は無理だろうが、そのうち本当にお邪魔させてもらうかな」
 
 当の本人は旭が明らかに引いているのをまったく気にしていない様子で、普通に会話を続けてくる。
 葉月は服を着ていても細く見えるが、脱ぐともっと細かった。筋肉がつかない、胸板厚いのが羨ましいと言っていたのも頷ける。
 白く、抱きしめたら折れそうなくらい華奢だが痩せすぎというイメージはなく、ただなまめかしい。女性っぽさはまったく感じられないので、彼の雰囲気がそのまま滲み出ているのだろう。
 
「そうだな。時間があれば……」
 
 旭がようやく出した声は少し掠れていた。
 よほど、人前で脱ぐなと突っ込みたかったが、ここは葉月の家だ。そして男同士。そう過敏になるほうが逆にどうかしていると自分に言い聞かせる。
 いつも試すようなことをしてくる葉月だが今回はそういった意図はないらしく、クローゼットから服を取り出してすぐに着替えた。
 
「それじゃ行こう。朝飯を食う時間もないってことは、結構切羽詰まってるんだろう?」
「あ、ああ。ありがとう」
 
 どうやら旭のために急いでくれたようだ。旭は小言を言わなくてよかったと胸を撫で下ろしながら、誘導する葉月の後を追う。
 そして玄関まできて、葉月の肩を掴んで引き止めた。
 
「なんだよ」
 
 葉月が首だけで振り返り、旭の顔を仰ぎ見る。
 はたから見れば別れを惜しむ恋人たちのラブシーンに見えたかもしれない。続きはそのまま引き寄せて、キスだ。
 だがもちろん、唇が触れ合うことはなく、旭は葉月を遮るように前へ出た。
 
「俺が先に出る。ストーカーがまだいたらまずいだろう」
「2万円はもう時間切れだろ? 護ってもらう理由がない」
「なら、ガソリン代とでも思ってくれたらいい。アフターサービスは万全が、うちのモットーですから」
「何それ。売り込み?」
 
 旭は少し考えて、葉月に名刺を渡した。
 
「そういう訳じゃないけど、どこかに依頼するつもりなら俺を指名してよ」
「……気が、向いたらな」
 
 実際2万円と言っても、旭はお金を受け取っている訳じゃない。賭けに負けて時間をむしり取られているだけだ。
 そして葉月が旭に望んだこともボディーガード業などではないことから考えて、お金を出してまで依頼してくる確率は低いだろう。
 金は持っているしストーカー被害にもあっている葉月には、ボディーガードはかなり必要だと思えるし、実際何度か頼んでいそうだ。だとすれば旭の行動はそれこそ売り込みでしかない。
 葉月は貰った名刺を財布やカードケースに入れるでもなく、無造作にコートのポケットへ入れて旭の腕を掴んだ。
 
「じゃ、タマ除けなっ」
「ん……」
 
 いつもは冷たい葉月の掌。なのに掴まれた腕が酷く熱いような気がした。
 
 
 
 
 結果、外で待ち伏せをしている人間は見当たらず、何事もなく家まで送り届けてもらえた。
 
「次は負けないぞ」
「まだやる気かよ。負け続けのお前が、このおれに勝てるわけないだろう? それとも、そんなにこき使われたいのか? 無償ボディーガードくん?」
 
 相変わらず語尾が上がるイントネーションで、葉月が楽しそうに笑う。馬鹿にされているはずなのに、旭はこのやりとりが悔しいというよりは楽しくなってきていた。
 お金を払ってでも葉月と一緒にいたいと願う人間は、きっと少なくない。勝てるコツがひとつでも聞ければ儲けものだし、ギャンブル好きにとっては彼の話すエピソードはすべて垂涎モノだろう。
 また、それらのことがないとしても、人を惹きつける力を持っている。
 二十年以上生きてきて常に脇役、路傍の石よりはマシかと言える人生を送ってきた旭には羨ましいかぎりだ。
 旭がボディーガードをする相手は可愛い綺麗な宝石……女子高生ばかりだが、一度くらいは映画のように、国宝級のお宝を命を賭けて護りたいと思うこともある。
 葉月といると片足だけでも非日常に足を踏み入れたような気分になって、就職する時に僅か持っていたハードボイルド魂を刺激されてしまう。

 一度くらいは世界を揺るがすような大作映画の…………脇役に、なってみたいと。

 結局旭はどこまでいっても脇役気質な男だった。
 
「どっちが勝つかなんて、終わるまでわからないだろ。だから次に会った時は……」
「そうだな。勝負してやるよ。3万円分、覚悟、しとけな?」
 
 できれば主役級の男を引き留めて家でゆっくりしたいところだが、残念ながら急がなければ仕事に遅刻してしまう。
 だから仕方なく、そんな会話を最後に車から降りて、旭は葉月を見送った。
 自分が負けるとは微塵も思ってない、自信に満ち溢れたミステリアスな男。そんな相手に、ギャラリーが大勢いる中で勝利できたらどれだけ気持ちがいいだろう。
 妄想くらいは許される、と頬を緩ませながら旭は安アパートに足を踏み入れた。その妄想が現実になる確率は、きっとゼロに近い。けれど、ゼロではない。だから旭は次も勝てそうにない勝負に挑むのだ。
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